『ミッドナイト』
東京都三鷹市井の頭三―三十五―十二。井の頭公園駅。十時十分頃。
日向と皐月は駅を出ると事件現場へと向かうはずなのだが、ホームを降りてから動きはない。日向は皐月のご機嫌を取ろうとしていた。
「皐月さん、そんな嫌そうな顔しないでくださいよー」
皐月は明らかに怒っている表情で日向を睨む。
「殺人現場を見るだなんて知りませんでしたよ!」
「いやー、それは銀髪の男との関連がー、刑事の勘であると言われたのでー、仕方ないわけでしてねー」
「私はそんな光景を見たくあ、り、ま、せ、ん! 日向君が事務所のパソコンで調べていた時に気付けば良かった! 何で電車を降りてこんなことを言うんですか! 全く!」
日向は動こうとしない皐月を宥めようとした。それでも皐月はこれでも軽く言ったつもりである。殺人現場となればどんな光景が見えるか想像しただけでも恐ろしくなった。脳裏に刻まれてしまうその光景を見ることを自分の中で整理することはできないだろう。人が死んでいるのだ。もし、そんな光景を見てしまったら取り乱してしまうだろう。
「これは仕事ですよ。ヘソ曲げないでくださいよー。この通りです!」
日向は人目を憚らず土下座をしてきた。これに皐月は周りの痛い視線に戸惑い始めた。周囲は土下座をしている日向とその前にいる皐月を見つめている。
「日向君!? 公衆の面前でそんなことしないでください!」
「どうか皐月さん! 僕に力をー!」
「何あれ?」
「あの綺麗な女の人、男土下座させてる」
「こえ―」
「喧嘩かな?」
皐月は周りの声が聞こえてきたので、この状況を変えるための手段は一つしかないのだと悟った。最早やけくそに近いが仕方がない。状況的にも明らかに不利な立場にいるのは自分なのだから。それにこれも仕事なのだから。
「もーう! 分かりました! 現場に行きましょう! その代わり臨時手当ては高給を頂きます! 早くやめてください!」
日向は土下座したまま笑い、顔を上げる時にはうれし泣きのような表情で神に祈るポーズを取った。
「神様仏様皐月様―! ありがたやありがたやー!」
「もう小芝居は良いですから行きましょう!」
日向は膝を付いたまま皐月に敬礼した。
「はい! かしこまりました!」
二人はようやく歩き出したが、野次馬は興味津々でずっと日向と皐月に視線を向けていた。その視線を感じるのが皐月は嫌だったが、もう一度会うことになる人間がいないと思えば気を取り直す事ができた。日向は視線をまったく気にしていないようで、軽々しいというか飄々としていた。飄々という言葉が合っているかは解らないがいつもと何の変化もないのだから図太い神経だと思うのだった。
「さすが皐月さんです! 俺は信じてました! あなたのその清らかな心を!」
「うるさいですよ日向君! もうやめてください!」
二人は改札を通った。ようやく駅から出ると追って来ていた視線は次第に薄れていった。ようやくこれで少しは心の平安を得ることができるのだと思えた。いつまでも視線を浴び続けるのはさすがに厳しい。そんな自分が考えていることを隣の男は思ってもいないだろう。
「何と麗しいのでしょう! この晴天に皐月さんの輝く横顔!」
「もう突っ込むのやめます」
「現場はここから近いですから! こっちですね!」
日向が先導して歩いて現場に着くと花やお菓子などが置いてあった。木々に囲まれた周りにはジョギングする人やカップルなどがいた。日向と皐月は黙とうし手を合わせる。
「皐月さん、お願いします」
皐月は左手をそっと地面に触れさせる。
「では、行きます」
皐月は瞳を大きく開き紫色に変わっていく。そして目を閉じた。昼間の平穏な風景、夜の静かな一時が彼女に見える。
そして、豪雨の日。十一人の男女が戦っている様子が見えた。その中に銀髪の男の姿があった。生き残ったのは彼を含めて人間は五人。恐怖に怯える人達、悲痛な死を迎える人達の残留思念が彼女の中に入って来た。
「ミッドナイト」
「ドーン」
「クラウド」
「シンプルマインド」
「聖痕の箱」
「聖痕の子ら」
「共存と平和」
「支配と混沌」
「フェアリー」
「ラファエル」
「死にたくない」
「戦わなければ」
「希望」
「地の剣」
「天の剣」
「松本さん!」
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁー!」
皐月は悲鳴を上げその場に倒れた。日向は皐月をすぐに抱きかかえる。
「皐月さん!」
周囲の人達が悲鳴を聞きつけ駆け寄ってくる。
「何だ!?」
「どうしたの?」
「人が倒れてる!」
「救急車!」
「皐月さん! しっかりしてください! 皐月さん!」
皐月は震えボロボロと涙を流して日向の革ジャンを必死で掴んだ。
「ひゅ、日向……く……ん」
「皐月さん! ごめんなさい! 俺がこんな――」
「あぁ、日向君! 私達は聖痕の子ら!」
「え!?」
泣きながら訴えるその目に日向は言葉が見つからない。
「ずっと……ずっと……彼らは戦ってきた……ドーンと……」
「彼ら? ドーン? 彼らって!? ドーンって何ですか!?」
皐月の震えも涙も止まることはない。周囲には野次馬が集まって二人を囲んでいた。皐月の涙声は聞いていて辛かった。
「ミッドナイト! それが彼ら! 私達の世界を……フェアリーと救おうとしてる! ラファエルに! ドーンに……支配と混沌をさせないために!」
「ミッドナイト?」
「はっぁー……」
皐月は涙を流しながらゆっくりと目を閉じて頭をぶらつかせた。
「皐月さん!」
救急車のサイレンの音が近づいているのが解った。日向は皐月の名前を何度も何度も叫んだ。
「皐月さん! 皐月さん! 皐月さん! 皐月さん!」
救急隊員が駆けつけて来る。日向は皐月を抱きかかえながら何度も叫び続けた。そして、皐月が言った言葉が耳から離れない――ミッドナイト――。




