80伝 狭い部屋で始なし合い
ようやく始められた建設的な話し合いは、なかなか難航していた。
「つまり我々は、光る鹿を見つければいいということなんです!」
「どうやってですか?」
本を抱えて座っているトロイが、私の腕の中で首を傾げる。
「さあ……そもそもこの屋敷、一説では脱出に成功した青年がこれ以上被害者を出さない為に燃やしたとか取り壊したとか云われているんですよねぇ」
「え? そういえば、その伯爵は結局どうなったんですか?」
座ったままトロイを抱えた私は、アラインの足の間で首を傾げる。
「さあ……一説では、処刑された、屋敷ごと燃えてしまった、今なお子どもを狙って屋敷の中を彷徨っているなどなどなんですが……どうなったんでしょう」
私達の前にいるペロンペロンは、色々ペロンペロンになっているから出来るとても小さな三角座りで、かしゃんと首を傾げた。
「私達が会ったのって、その伯爵だったのかな……あの、つかぬ事をお伺いしますが、その伯爵、何か黒髪に恨みが?」
「黒髪ですか? うーん……あ、確か子どもを連れて逃げた妻が黒髪だったかと」
「恨みてんこもり!」
昨日出会った黒髪断固反対鎧は、どうやら伯爵である可能性が高くなってきた。
出ることは許さないし、黒髪はそもそも入ることが許されていないらしい。だったら玄関にそう書いておいてほしかった。そうしたら絶対入らなかったのに。
「一説は措いておくとしても、結局、鹿を見つけるのか、出口を見つけるのか、その伯爵を倒すのか、ということなんでしょうか。師匠はどう思われますか?」
「俺達の任務内容に屋敷の保全も伯爵の安否も含まれていない」
淡々とした返答に、私とトロイは首を反対側へと傾けた。
「えっと……つまりどういうこと?」
「燃やすか壊す。そして回収する」
そういえば、私達の任務は破片の回収だった。この謎屋敷攻略じゃなかったと思い出す。
「回収、でございますか? そういえば、聖人様方はどうしてこの屋敷に? 今まで来ていた面白半分の輩と同じとは思っておりませんでしたが」
ちょっと考えているアラインを見上げる。足長いなぁという感想しか浮かばない。座っているとはいえ、私を跨いでまだ余裕がある。私だったら、座ったアラインを跨ぐ為には肩車状態になるだろう。
足の長さ格差社会に切ない気持ちを抱いていると、結論が出たらしいアラインが口を開いた。
「事情を知らせた上で得られる助力と、説明する労力が見合わない」
「…………え?」
かしょんと反対側に傾げられた空洞の鎧内から発せられた音は、どこかもの悲しく響く。
「えっと、つまり師匠は、ペロンペロンさんに説明しても説明する面倒以上に得られるものがないって言ってるんです!」
「このお弟子様、凄く可愛らしく無邪気で尚且つ悪気がまったくない笑顔と声音で、心臓抉ること仰る! わたし心臓ありませんけど!」
トロイも師同様に、ちょっとでりばりーがないのかもしれないけど可愛いからいいと思う。
大変建設的な話し合いを繰り広げている私達は現在、子ども用の勉強机の上にいる。仁王立ちしたアラインの足の間に私と私に抱えられたトロイが座り、その前でペロンペロンが小さく三角座りして成り立っている構図だ。どうしてこんなことになっているかというと、また屋敷が引っ越しを始めたのである。
ぐるぐる回る本棚や飛んでくる本に目を回す間もなく、私達はアラインに担ぎ上げられていた。ちなみにペロンペロンはアラインの足にしがみついていた。そうして気がつけば、この勉強机がわずかにも動かせないほどぴったりな大きさの小さな部屋にいたというわけだ。
ちなみに私の背後も壁。私の足の爪先位置どころか、踵の範囲にまで領域侵犯しているペロンペロンの後ろも壁。ついでに横も壁。膝を突き詰め合ってぎゅうぎゅう詰めだ。
狭すぎて、椅子もあるのに全く引けない。どう考えても欠陥住宅である。ちなみに扉もない。ただ、天井だけはやけに高く、ひょろ長く伸びた先にかろうじて天井らしきものが見えていた。どっちかというと、部屋というより四角い煙突みたいだ。入り口も出口もないけど。
話し合いには全く向かない部屋だが、この際贅沢は言っていられない。どうせそのうちまた大改築が行われるだろうということで、私達は建設的な話し合いに踏み切ったのだ。
その建設的な話し合いの結果、アラインはペロンペロンをはぐれても別にどうでもいい存在と判定している事と、物語に則った謎解きやら法則を完全無視して壁をぶち破っていく脱出方法を変更するつもりがないらしい事が判明した。だから、脱出手段を話し合っている私達の中にまったく混ざってこない。
確かに私達はこの屋敷の謎を解明しろとは言われていないし、破壊しちゃ駄目とも言われていない。クレアシオンもしくはエンデの破片があるかも知れないから、確認して、あれば回収してこいと言われただけだ。それはそうなのだけど、だからといって破壊一択しかないのもどうなんだろう。
「そういえば、アラインここの壁壊せるの? 玄関の扉壊れなかったけど」
ふと思い出したので口にした。濾過装置を使わず、つるりと口に出した思考とも疑問とも判断がつかぬ言葉を放つや否や、焦げくさい臭いがした。……焦げくさい臭い?
嫌な予感がして、視線をそろそろと動かす。アラインの腕の位置が変わっていた。さっきまでは身体の横に垂らしていたはずなのに、今やそれは持ち上げられ、壁に突き刺さっている。
黒い炎を纏った腕が、ゆっくりと引き抜かれていく。腕の形に添って空いた穴は、綺麗な丸だ。周りに罅すら入っていない。破片も落ちてこないし、そもそも音もしなかったような気がする。丸く空いた穴の縁は、真っ黒だ。恐ろしいほど高熱の炎に焼かれたら、脆くなるんじゃなくて消え去るんだと、私は一つ賢くなった。
ただし、これらの現象が他でも起こるかどうかは知らない。
視線だけでなく、顔ごと向きを変えてきたアラインと目が合う。
「壊せる」
「あ、はい」
「六花さん、六花さん! 僕はまだ壊せませんけど、いつか絶対壊せるようになります! だから、僕とも仲良くしてください!」
「あ、はい……あの、別に私、壊せるかどうかに仲良しの基準置いてないからね? いや、そりゃ凄いと思うけど、友達ってそういうのどうでもいいっていうか、これそもそもそういう話じゃないっていうか……アライン?」
私を向いていたアラインの視線が向きを変えている。顔は私を向いているけれど、視線が合わない。紅瞳は、先程自分が空けた穴を見ていた。
「どうしたの?」
「目が合った」
「へ?」
よく分からない。位置を調整し、アラインの足を手摺り代わりに立ち上がる。あまりに狭すぎてトロイも私に引っかかってしまい、一緒に立ち上がった。ペロンペロンも立ち上がろうとしていたけれど、身体の向きを変えようとしていたアラインが邪魔だとばかりに頭を押さえつけたのでその行動は叶わなかった。あと、なんかめきゃって鳴ったから、多分どこかペロンペロン要素が増えている。
ペロンペロンはさておき、この状況下でもアラインを押してしまわないよう最大限に気を使ったトロイを支えつつ、私はアラインが空けた穴に視線を向けた。覗き込もうにもぎゅうぎゅう詰めでは難しく、ひとまず視線だけを向けたのだ。
そして、し損なった呼吸がひゅっと掠れた音を立てたのを聞いた。
何かが、いる。腕の分だけ空いた穴の奥、真っ暗なそこに、ぎょろりとした光が。
「あのよろ、いっ!?」
悲鳴を上げたつもりだったのに、上がったものは語尾と視界だけだった。アラインが私とトロイを抱えて、バッタのように飛んだのだ。やっぱり凄まじい跳躍力である。そのまま長い足と片手を壁につけ、器用に宙で留まっていた。
「な、なに」
「六花さん、あれ!」
右手でアラインに抱えられた私に抱えられたトロイが、下を指さす。その動きで子どもの身体を落としかけ、慌てて抱き直す。トロイも慌てて私に抱きついた。アラインのように安定性も安全性もなくて申し訳ない。私だけが抱えるより、トロイからもしがみついてくれたほうがかなり安心する。
トロイを抱き直しながら、指さされた下を見て息を呑む。さっきまで私達がいた場所に剣が突き刺さっていた。壁を貫き反対側の壁にまで到達している。その高さは、私の顔があった場所だ。
今更ながら殺されかけていたのだと気付いた心臓が慌てて早くなる。それまで、早くなるべき? 驚いただけでいい? と確認を待っていたのか、大きな鼓動ではあったけれどここまで早くはなかったのに、いきなり駆け出した。
「六花……お前、死ぬのか?」
私を抱えているアラインの腕にもその振動が伝わってしまったらしい。
「それも確かに気になるお話しではございますが今はそれどころではぁ!?」
アラインの足にかろうじて引っかかっていたペロンペロンが、節足動物を思わせる動きでがしゃがしゃと這い上がってくる。その動きに悲鳴を上げそうになったが、足下が騒がしくて悲鳴を上げる暇もない。反射的に下を向けば、何かが崩れるような力尽くで引き剥がされたような音がして、凄まじい土埃が湧き上がってくるところだった。
どうやら、剣だけでなく本体まで壁を貫き突入してきたらしい、と、そこまで把握した首が絞まった。
「六花、死ぬのか?」
「ぐえっ、その話続いてたの!? 死なないよ!」
何だこれ、忙しすぎる。
私を抱えていたアラインが一瞬だけ離した手で私の首根っこを掴み、自分の首に襟巻きのように私を巻き付けた。意地でも離すものかと抱きしめていたトロイがアラインの横にぶらんと垂れ下がり、ついでとばかりに引っ掴まれて私の上に落とされた。
「ぐぇ」
「うぶ」
トロイに潰された私と、私の髪に溺れたトロイの呻き声が重なった。
「アライ、ン!?」
「登る」
「どうやって!?」
「飛ぶ」
アラインは、身を捩ることで下から突き上げてきた剣を避けた。その反動で一度壁から離れ、何と下にいた鎧を踏みつける。そして、そのまま思いっきりバッタになった。妙な音がしたのは、その足にしがみついていたペロンペロンか、ペロンペロンにあらずのほうか。……ややこしいな。伯爵もどきと名づけよう。仮名でもペロンペロンにあらずよりはマシだろう。
私とトロイを担ぎ上げ、ペロンペロンをその足にひっつけたアラインは、伯爵もどきを蹴った勢いでこの長い煙突部屋の三分の一の高さにまで飛んでいた。そのまま足をつっかえ棒にして背を壁につける。足が長いとこういうとき本当に便利だが、ちっとも羨ましくない。こういうときが他にあって堪るものか。
「六花」
「はい嫌な予感!」
「心臓を止めろ」
「どうやって!? 死んだら止まるよ!? 嫌だよ!?」
「死ぬな。死なない程度に止めろ」
「人には努力で克服出来ないことがあると思う! それと、今はあの伯爵もどきより大事なことないと思う!」
「今にも死にそうなお前の心音と振動に気を取られる」
切実な問題だったし、結構大事なことだった。何せ今、アラインに全ての命が懸かっている。ペロンペロンに命があるかはちょっと判断がつかないが、アラインの集中力が途切れたら大変なことになる。
でも、心臓を死なない程度に止めるってどうすればいいのだ。落ち着けば心音も通常状態に戻るだろうが、下から派手に飛んだ伯爵もどきが、私達がいる場所までとはいかないがそれでも結構な高さまで飛び、そこに剣を突き刺し、それを足場にして再び飛んでくる光景を目の当たりにしてどうやって落ち着けばいいのだ……え? まずくない?
伯爵もどきは、どこから取り出したのか、さっき足場にしたものとは形の違う剣を再び突き刺し、それを足場にして登ってくる。次から次へと出てくる剣に、ペロンペロンがひぃっと悲鳴を上げた。ぐしゃぐしゃになりすぎて、最初に会ったときほど声が反響していない。
「いやぁあああ! 上がってきてる、上がってきております聖人様! 人間様のお胸が当たっているご様子が大変羨ましいですと思っている場合ではなかったようです!」
「それ、せきららっていう犯罪ですからね」
こんな状況なのに思わず落ち着いてしまった。心臓も心もすんっとなる。
「落ち着いたな」
アラインは淡々としていたが、どこかほっとしているような声で言った。心配させてしまった。よく考えれば、アラインは大体いつも冷静だから、心臓がどかばこ跳ね上がったことがないのかもしれない。そんな人が、どかばこ跳ね上がった心臓の音を聞けば確かに心配だろう。
「うん、大丈夫。でもあの伯爵もどき、どうしたらいいのかな……」
「上げる」
「うん?」
答えてはくれたが、悲しいことに私では意図を汲み取ることは出来なかった。私の読解力が上がるのが先か、アラインの説明力が改善されるのが先か、勝負だ。
「舌を噛むな」
慌てて歯を食いしばったのと、いつのまにか結構な距離にまで上がってきていた伯爵もどきがペロンペロンの足を掴んだのは同時だった。絹を引き裂いたような声を上げたペロンペロンは、次の瞬間絞め殺される鳥のような声になった。
アラインが、飛び降りたのだ。
支えをなくした私達の身体は、当然落下する。トロイは既に、私にしっかりしがみつき直していたから平気だったが、ペロンペロンは一瞬宙へと取り残された。どうやら伯爵もどきにしがみつかれた拍子に、うっかり手を離してしまったらしい。
アラインは平然と落下しながら、通りすがりにいた伯爵もどきを掴んだ。何せ狭い場所だ。すれ違うだけでも一苦労である。目の前にぎょろりとした鎧の顔があり、私は引き攣った顔で「どうも」と挨拶するだけで手一杯だった。後から考えれば別に挨拶する必要はなかったので、どうして頑張ってしまったのか謎である。
鎧を紙くずのように握りしめてしっかり支えたアラインは、そのまま思いっきり伯爵もどきを天井に向けてぶん投げた。まるでボールのように伯爵もどきが吹き飛び、天井に突き刺さる。私達はその勢いも合わさった速度で落下していく。
「ひぃいいいい!」
ペロンペロンは間一髪で私の足にしがみついていた。アラインにしがみつく私、私にしがみつくトロイ、ついでにペロンペロン。私達は、塊になってさっきまで膝を突き詰め合っていた机に落下した。
多少は落下に慣れてきたと思いたいのに、未だ息をなり損なうほどひゅっと収縮する身体と心が情けなくなる。落下までは僅かな時間だが、それでも随分長く感じる。いつもそうだ。いつか平気になるのだろうか。お母さんはどうだったのか聞いておけばよかった。
それでも、落ちていく事実に恐慌状態にならない程度には慣れてきたと思う。いつも通り、アラインは平然と着地してくれる。たぶん、駄目そうだったらそう言ってくれる。だから、アラインが何も言わないから絶対大丈夫だ。
そう信じているから、私はぎゅっとアラインにしがみつき、落下の衝撃に備えた。
やがて、だんっと重たい音と一緒に数人分の体重を支えたアラインの足が地面についた衝撃が来る。
はずだった。