593食目 新たなる兆し
厨房という名の戦場に立って三十分ほど経った頃、遂に待望の増援がやってきた。
バリバリクンが届けたメモを受け取った露店街の料理人たちが、自慢の料理を持って居酒屋どぶろくさんじゅうはちに駆け付けてくれたのである。
特に【脚芽瑠躯螺津知】店主のラウさんの参戦はデカい。彼の調理技術、そして調理速度は対ライオット戦に有効だ。頼りになるぅ!
「コレから、私たち、調理するね。エルちゃんは、宴に、戻る、よろし」
「そうそう! エルティナの嬢ちゃんは世話を焼き過ぎってもんよぉ!」
「ふきゅん、ありがとうなんだぜ、ラウさん、皆!」
ラウさんは相変わらずの片言であるが、変わらない彼に安心感を覚える。変わった部分といえば、彼のナマズのような髭が少し伸びたくらいであろうか。
俺は頼りになる助っ人料理人たちにお礼をして、狂乱の宴の中へと戻った。
「ようやく、ゆっくりできるんだぜ」
「お、お疲れさまでござりました、御屋形様」
厨房から戻ってきた俺を、何故か半裸になったザインが出迎えてくれた。何をされたか、想像するに容易い。
見ろぉ。あの艶々の肌になったユウユウ閣下を! あぁ、キスマークだらけになったザインちゃんが痛々しい!
「ふきゅん、ところで随分と状況が落ち着いているな」
と、ここでクラスの皆がお利口さんに飲んでいることに気が付いた。いったい何があったのだろうか。
「はっ、こちらも救世主が参られましたゆえに」
「あ~、そういうことか」
予想どおり、そこには銀色の角刈りの最強ヒーラー、スラストさんの姿があった。
どんなカオスな状況下でも、彼に掛かればほれこのとおり。皆、借りてきた猫のように大人しくなってしまうのである。おまいら、調子ぶっこき過ぎた結果だよ?
「また、料理を手伝っていたのか、エルティナ」
「まぁね」
俺はスラストさんの隣に座り、彼の空いているお猪口に清酒を注ぎ入れた。それを彼はくいっと飲み干す。
「美味い。おまえと飲める日が来ようとはな」
「それ、アルのおっさん先生にも言われたんだぜ」
「そうか……」
そういうと彼は滅多に見せない笑みを浮かべた。これは貴重なシーンだ。メモリー。
今度はスラストさんが、俺の手にしたお猪口に清酒を注いでくれた。酒の甘い香りが鼻腔をくすぐる。これもなかなかに良い酒であることが窺えた。
「イズルヒ産純米大吟醸【桶狭間】だ。少し甘いが、俺はこれに目がなくてな」
「かなり値が張るお酒じゃないか。こんな良いお酒をいいの?」
「いいさ、こんな日くらいはな」
俺は注がれた酒をくいっと飲み干す。スラストさんは甘いとは言ったが、そこまで甘くはなく、酸味も相まってさわやかな印象を感じる。何よりも香りだ。
フルーティーな香りが鼻腔を爽やかに吹き抜け気分を爽快にさせてくれる。これは間違いなく一級品だ。
純米大吟醸であるなら、なんでもいいわけではない。これによって彼の酒を見る目は確かであることが窺えた。流石は清酒好きのスラストさん。
「美味しいんだぜ」
「そうか」
それから暫くは昔の話に花を咲かせつつ、スラストさんと酒を楽しんだ。魔族戦争時の地獄の治癒行為も今となっては良い酒の肴だ。
さかなといえば、清酒のつまみには、いまだ山盛りになっている刺身を皿に取ってゆっくりと味わっている。やはり、清酒にはお刺身だ。
適当に盛っているので気付かなかったが、結構な高級魚が混ざっていることに驚く。
鯛はもちろんのこと、こち、カワハギ、といった面々もこっそり混じっているのだ。これを見過ごす手はない。しっかりとゲッツしてスラストさんと堪能した。
もしお刺身が余っても醤油に付けて【漬け】にして、後日【海鮮丼】にして楽しめばいい。これなら、生臭さが気になる者たちも食べ易くなるはずだ。その際はワサビをガッツリと効かせてやるとしよう。
「いやぁ、すまんすまん。遅くなってしまったわい」
ここで、ようやくドゥカンさんが到着した。手には何やら瓶を持っている。
「いらっしゃい、ドゥカンさん、ドクター・モモ」
「ふぇっふぇっふぇ、取り敢えずは、成人おめでとう、と言っておこうかの」
一人で二人の彼らは手に持っていた瓶を俺に手渡した。彼が言うには成人祝いの品であるそうだ。
「神桃の果実で作った果実酒じゃよ。桃使い御用達の酒でトウヤのヤツも愛飲しておる」
「へぇ、トウヤも好きなのか」
受け取った酒に興味を持った俺は早速グラスに注いでみた。途端に立ち昇る桃の強烈な香りに思わずむせる。これはかなり強烈な酒だな。
「ふぇっふぇっふぇ、アルコール度数92%じゃて。火気厳禁じゃぞ」
「こりゃ、水か炭酸水で割らないと飲めないな」
「あ~、なになに? 新しいお酒~?」
そこに千鳥足のリンダと、その保護者がやってきた。本当に酒に聡いな君らは。
「桃使い御用達のありがたいお酒だぁ。プルルもこっちに来て飲むといいんだぜ」
「あ、お祖父ちゃんきてたんだ。遅いよ、もう」
「たまっとった書類を片付けていたら思ったよりも遅くなってしまったわい。ギルドマスターにはなるもんじゃないのう」
そう言って顎髭を撫でるドゥカンさんは、成長した孫娘を見て感無量、といった感じであった。
一時期は死を覚悟したプルルに苦悩していたが、今ではすっかりそんな悩みに苛まれることもなく、充実した日々を送っているという。よかった、よかった。
「ほぉ~、良い酒じゃねぇか。匂いからしてぇ、アルコール度数も期待が持てそうだなぁ」
「早く飲もうよぉ。ひっく」
ガンズロックはともかく、リンダは大丈夫であろうか。もうかなりベロベロに見えるが。
「あら、神桃酒【きびつ】じゃないの。懐かしいわねぇ……」
ユウユウが酒の香りを嗅ぎつけてきた。少しばかり足取りがおぼつかないようだが、こちらはまだまだ大丈夫のようだ。
ザインが露骨に俺の後ろに身を隠すのは仕方がないだろう。早く男の姿に戻してやりたいところだが……期待は薄い。許せ。
「確か飲んだのは桃吉郎と殺し合っていた時かしら。一時休戦と言ってこれを取り出して私に……というか茨木童子の飲ませたのよねぇ」
「えっ、ほんと~? 茨ちゃん、どうなの?」
「もう一人の私に聞いて。黒歴史嫌なんです勘弁してください」
リンダから別の声が聞こえてきた。それは正しく茨木童子の声である。どうやら彼女は【きびつ】で何やら失敗した記憶があるようだ。
「んん~? そんな記憶あったかし……」
そこまで言ってユウユウの顔は見る見るうちに赤く染まり、遂には顔を手で覆いしゃがみ込んでしまった。
彼女はピンク色の輪が見えてもお構いなしで、いやんいやん、と首を振る。
あ、遂にこぼれた。凄く……大きいです。
「あれは前世! そう、茨木童子がやらかした失態っ! 私はダーリン一筋の乙女っ! だ、だだだだだだ、だから、酒に酔った勢いで、桃吉郎と、ぇ……えっちしたのは茨木童子だから! 私じゃないからっ! あぁ、思い出した! 凄く大きい! じゃ、じゃなくってっ! た、退治、退治されちゃう! だめっ、だめよぉぉぉぉぉぉぉっ!」
大混乱に陥るユウユウは滅多に見られるものではない。よって、これもメモリー。
しっかし、何やってんだよ、兄貴様。いくら破天荒な生き様だとしても、鬼と寝るとか。
くそっ、俺には、なんでその時の記憶がないんだぁ。ちくせう、ちくせう!
「うひひ~、エッチだって、ガンちゃん! 私たちもするぅ?」
「ばぁろぅ、そういうこたぁ、もうちっと色気を身に付けてから言いなぁ」
「ぶ~、ガンちゃんのいじわるぅ」
凹凸のない身体をくねくねさせながら、とんでもない発言をするリンダをガンズロックはぴしゃりと窘めた。流石はできる男だ。
いや、もしかするとムチムチボインの方が好みなのかもしれない。後で酒を飲み交わしつつ尋問することにしよう。
そんな事よりも神桃酒だ。いつまでも眺めていても仕方がない、酒は飲んでなんぼなのだから。
「まずは純粋に味わうために水で割ろう。酒3、水7の割合なら問題ないはずだぁ」
「俺ならぁ、そのままロックでいきてぇなぁ」
ご要望通りガンズロックにはロックで提供する。プルルとリンダには俺と同じ割合で割ったものを渡す。
ユウユウは……もうダメだ。黒歴史に食われちまってやがる。そっとしておこう。
「んじゃ、かんぱ~い!」
「「「いえ~い!」」」
俺たちは何度目になるか分からない祝杯を上げる。まずは香りを堪能。水で割ったことによって桃の安心する香りへと変化していた。心が安らぐんじゃ~。
続いてひと口含みじっくりと味わう。うおぉ、桃先生のお酒バージョンだ。これも俺が大人になったからこそ味わえる至高の味。ここまで俺の命を繋いでくれた桃先生に、俺は惜しみない感謝の念を送った。
その時、カチリと何かがはまった音がしたではないか。それは俺に不足していた重要なパーツだったのだろう。
適合、それは俺の細胞に完全に適合したのである。そして訪れる変化の兆し。ドクンと身体が鼓動し、やがて俺は大いなる輝きに包まれた。