420食目 イズルヒ
眩い光によって僅かに目を眩ませる。
時間にして数秒のことであるが視界が回復した後に見えた光景は
フィリミシア城のそれとは別物であった。
転移などによくある浮遊感や倦怠感などはない。
たった数秒の時間、目を閉じてしまうと既に転移は終了している。
本当に『気が付けばそこは異世界だった』というフレーズが
最も当てはまるような移動方法だ。
「ここがイズルヒか」
「左様でござります、御屋形様。
ここはイズルヒに在って唯一の中立国『南良国』の転移陣でござる」
隣に立つザインからそのような情報がもたらされるも、
俺は視界に入る建物に気を奪われてしまっていた。
それは京都や奈良によくある寺や
塔に酷似しているが微妙に違った物であったのだ。
なんと説明すればいいのだろうか?
和に中華とローマとを混ぜ合わせて爆発させた結果、
想像もしなかった化学反応が起こってしまったデザインと言えばいいのだろうか?
とにかく説明するには相当に難しく限りなく面倒臭い。
「わわっ? なんですか、この不思議な建物は」
「わぷっ、メルシェ、立ち止まらないで。後がつかえているから」
メルシェ委員長も大きな目を更に見開き、
この奇天烈極まりない建物群に心を奪われていた。
その犠牲になったのはフォルテ副委員長だ。
彼は立ち止まってしまったメルシェ委員長の
癖のあるふわふわヘアーに顔から突っ込むことになった。
まぁ、彼女は毎日身嗜みを怠らないので問題はないだろう。
少しばかり鼻がムズムズする程度で済んだのではないだろうか。
「ほれほれ、何をボケっとしておる。こっちじゃ」
声がする方を振り向けば、
そこには御輿に乗った咲爛が俺達に向かって手を振っていた。
その隣にはエドワードが不思議そうに御輿を観察している。
御輿の大きさは普通乗用車相当であろうか。
二対の丈夫そうな柱が御輿部分を支えており、
その四方に屈強な男衆が待機している。
乗客が据わるであろう部分はなかなかしっかりした作りになっており、
シートベルトと思わしき縄が見て取れた。
また座席は椅子状になっており、座布団が敷かれている。
これならば長時間座っていても尻が痛くなり難いだろう。
これはきっと江戸時代に移動手段として利用されていた
『籠』と同等のものだろうと考えられる。
あれらよりは相当に頑丈で凝った作りになっているが。
この御輿をざっくりと説明するならば
タイヤと動力を人力にした車と言えばいいだろうか。
屋根もあるしドアと窓もあるのだ。ただ形状は完全に長方形の箱であるが。
咲爛に促されるまま御輿の開け放たれたままのドアから内部に入り込む。
内部は薄暗くあったが、なかなか凝った意匠が施されており見ていて飽きない。
まぁ、俺は暗視能力があるので手抜きの部分が丸見えなのだが。
「よし、これで全員乗り込んだな? では尾張国まで頼む」
「へいっ! お任せをっ!」
全員とは言ったが景虎とザインは御輿に乗っていなかった。
理由を聞けば護衛をおこなうためともう一つ、
それは御輿を軽くするためだという。
「街道は比較的安全というだけです。
盗賊や野生の獣が襲い掛かって来る可能性がございます」
「然り、更に移動速度が落ちれば、それだけ遭遇確率が上がりまするゆえ」
ザインと景虎の意図を組んだ屈強な男達が自分の持ち場に就き柱を担ぎ上げた。
ふわりと浮遊感を感じた後、御輿は男達の威勢の良い掛け声と共に前進し始める。
「うっほ! うっほ! うっほ! うっほ!」
まてまて、なんだその掛け声は?
それではまるで、どこぞのバスケ部主将ではないか。
あまりに予想外の掛け声に思わず吹き出しそうになるがこれをなんとか耐える。
思わず彼らにバナナを提供したくなるが、
生憎とバナナは高級品のため持ち合わせてはいなかった。
バナナはミリタナス神聖国の南に位置する
ゴルゴルの森に生るという希少な果物であり、かなりの高値で売買されていた。
それは採りに行くのが命懸けになるからだ。
ゴルゴルの森はモンスターで溢れかえっており、
中でもゴリラによく似たモンスター『ノッケターリー』はAランク冒険者をも
軽く捻り潰すほど強力な戦闘能力を持っていた。
しかもこいつは群れで行動するという。
よって、戦闘を回避しバナナだけを採ってくるという技量が求められる。
だが、そういった技術を持つ冒険者は多くない。
それゆえにバナナは高級品になってしまっているのだ。
バナナに大金貨五枚は高いと思うか安いと思うかは
実際にゴルゴルの森に行った者だけがわかるという。
「どうしたんだい? エル。難しい顔をして」
「ん? あぁ、ちょっと『うほっ』と『ばなーな』について考えていた」
不思議そうに俺の顔を見ていたエドワードを適当に誤魔化しておく。
それにしても結構な速度で移動している割には揺れが少ない。
「これだけの速度で移動しているのに揺れが少ないな」
「そうですね、私ももっと揺れるものとばかり……」
俺とメルシェが不思議そうに床を見ていると
咲爛が揺れの少ない理由を説明してくれた。
彼女の説明によれば、どうやら柱と御輿の間にバネを仕込んで
御輿の揺れを軽減しているそうだ。
自動車に当たるサスペンションといったところだろう。
「外国との本格的な交友が始まって以来、
出日の技術力も飛躍的に向上したそうじゃ。
もっとも、負けず嫌いな出日の民が
外来技術をそのまま使うということはないがの」
そう言った彼女は物憂げに外の景色を眺める。
大人しくしていれば咲爛は見目麗しい姫君であるが、
ひとたび戦になれば途端に勇ましい戦士と化す。
彼女の場合は武士と呼んだ方がいいだろうか?
ううむ、武士とも違う気がするが……
なんだろうか、しっくりした呼び方が思いつかない。
「ところで、この『ナラクニ』はイズルヒのどの辺りになるのですか?」
ぽやんと外の景色を眺めていたメルシェ委員長が思い出したかのように訊ねた。
俺もそのことが気になっていたので、これ幸いとばかりに話に耳を傾ける。
南良国は日本における奈良であるなら丁度国の真ん中寄りになるとは思うが、
このイズルヒがそれに当てはまるかどうかはわからないのだ。
「ふむ、丁度イズルヒのど真ん中と言ったところじゃの。
昔は国を治める天帝がいたそうじゃが、世代を重ねて行くうちにその力が衰え
遂にはふさわしくないという理由で謀反を起こされて滅びてしまったそうじゃ」
「へぇ、そうなんですか。では、今この国はどなたが治めているんですか?」
「現在は我が父が一応のところ出日を取り纏めておる
というか管理しておるというか……残念なことに
尾張国でいずるひを支配しようという気概が父上から見受けられんのよのう。
その気になれば他国の武将共など寄せ付けぬほどの実力だというのに」
そう言った咲爛の表情は嬉し気ながらも不満が混じった複雑なものであった。
どうやら南良国は日本における奈良に相当するようだ。
イズルヒの形も日本に酷似しており現在の位置がわかってしまえば、
今イズルヒのどこにいるのか把握することは容易であった。
と言っても全てが全て日本と同じであるわけではないらしく、
俺の記憶にある日本とはところどころに違う部分が見受けられる。
説明するならば外国人から見た日本といったところか。
微妙に違う部分があってツッコミを入れたくなってくる。
尾張国に向かう道中、俺を含む女子『四人』はずっと喋りっぱなしであった。
唯一の男であるフォルテ副委員長は会話には参加せず、
静かに頷いて聞き手に徹している。
このマシンガンのように話し続ける女子に
ついて行けないのかどうかはわからないが無難な選択だと感心した。
普段もメルシェ委員長の話を聞く側に回っているので慣れているとも取れる。
ん? エドワードは『男の娘』だから野郎にカウントしない!
あたりまえだなぁ?
というか女子のトークに平然とついていってるんだぜ?
もう女扱いでいいだろ、顔もほぼ女だし。うん、決定。
暫くすると外から良い香りが車内に流れ込んできた。
これは花の香りだろうか? とても香しくて心が弾むようだ。
窓から外を覗けば、そこは一面『梅』と思わしき花が咲き乱れる場所であった。
「うわぁ……凄く綺麗な場所ですねぇ」
「そうだね、メルシェ」
「ふきゅん、良い香りだぁ」
「ここは『永久の梅花』と呼ばれている場所じゃな。
どういうわけかはわからぬが、
季節を問わず梅の花が咲き続けておる場所なのじゃよ。
雪が降ろうが、槍が降ろうが咲き続ける梅の気概には感服するばかりじゃ」
梅の木を見上げるとそこには花に混じって実が生っていた。
季節感など知らぬ、といった感じである。
だが、その梅の実を見た瞬間、俺の食の直感がふきゅんと反応した。
この梅の実は良い物だと。
俺は屈強な男衆に止まってくれと頼み御輿から降りた。
そして地面に落ちている梅の実を拾い上げ
軽く土を払った後に迷うことなく口に運んだ。
「えぇっ!? ちょっと、エルティナさん! 汚いですよっ!」
メルシェ委員長の悲鳴が聞こえるが、そんなものは無視だ無視!
そもそも食べ物に土がついてるくらいがなんだ。
お野菜だって土から栄養をもらって大きくなっているんだぞ?
その偉大な土が口に入った程度で大騒ぎするもんじゃない。
カリッという小気味良い音と共に口の中が強烈な酸味で満たされる。
その瞬間、不覚にも俺は口に入れた梅を吐き出してしまった。
「……おぶっふ!? くっそ酸っぺぇ!!」
これはヤヴァい、生半可な酸っぱさではないぞ!?
食べた者を酸味で殺しにかかってくる梅の実など聞いたことがない。
見た目は赤くなって熟したように見えるのに、とんでもない酸っぱさだ。
俺はかなり酸味に耐性を持っていると自負しているが、
これは耐えられる限度を遥かに上回っている。
「それは漬物にしても食えんぞ、エルティナ。
かつて何百もの料理人がその梅を食べれるようにと挑戦したものの、
その全てが負かされてしまったといういわく付の実じゃ」
「ふきゅん、上等じゃねぇか。俺の調理魂が燃え上がってきやがったぜ」
俺は地面に落ちていた永久の梅の実を掻き集めて
次々と〈フリースペース〉に放り込んでゆく。
その様子を見ていたザインと景虎も俺を手伝い梅の実を集めてくれた。
この梅は俺に挑戦状を叩き付けてきたも同然だ。
俺が狙いを付けて食えなかった物はあんまりない。
必ずやおまえを美味しくむしゃむしゃしてくれるわっ!
「よし、こんなものだろう。ありがとな」
「いえ、礼には及びませぬ。先を急ぎましょうぞ」
確かにザインの言うとおり先を急ぐ必要があった。
梅の持つ不思議な魅力に引き寄せられてしまったが、
俺達にはごちそう……もとい咲爛のパパンが待っているのだ。
こうしてはおれん、とばかりにそそくさと御輿の中へと帰還する。
急ぎ過ぎて入り口に頭をぶつけて「ふきゅん」と鳴いたのは秘密だ。
◆◆◆
南良国を出発して二時間程、途中で休憩を挟みつつも
遂に俺達は無事に尾張国にたどり着いた。
道中にやたらしょぼい賊も襲いかかってきたが、
それらはことごとくザインと景虎に駆逐されてしまう。
屈強な男集もその太くて逞しい腕にて賊を軽くあしらってしまったことから、
こういうことは頻繁に発生するものなのだろう。
ラングステンにおいても盗賊がいるにはいるが、
この国のように白昼堂々と襲いかかってくるバカはいない。
「うむ、ようやく着いたか。
転移装置の設置場所が南良国だけというのも不便よの」
「それは仕方なきことです、咲爛様。
転移装置は便利過ぎますし悪用されれば大事になりますから。
どこか一国が所有してしまえば我先にと競って手に入れることでしょう。
そうすれば戦に利用しようという輩が出てくるのは必定です」
「左様でござるな、そうなってしまえば暗殺も容易くなってしまうでござる。
それゆえに中立国に設置することが妥当である
と話し合いの末に決まったでござるよ」
「わかっておる、そのための『日の出協定』なのじゃろ」
イズルヒも大昔の日本よろしく争いが絶えない国であるようだ。
しかし、咲爛の父親がどうにかして国を纏め上げているそうで
『日の出協定』と呼ばれる転移装置の設置場所と
使用方法を取り決めた協定を設けたのも彼らしい。
どのような人物なのか気に掛かるところであるが、
咲爛が言うには『ヘタレ』な人物であるそうだ。
がこれはあくまで彼女の個人的な評価であり、
実際に目の当たりにするまではなんともコメントし辛い。
これから実際に合うわけであるから、
その際にどのような人柄なのかは判明するだろう。
更に暫く街道を進んでゆくと城下町らしき光景が見えてきた。
咲爛が言うにはここが尾張国の城下町であり、
彼女が慣れ親しみ育った場所だという。
ということは姫である彼女は城を抜け出して
よくここに来ていたということになる。
なんというお転婆姫であろうか。
ん? 俺? 俺はいいんだよ!
某巨人理論を言い訳にしつつも
彼女が育ったという街並みを御輿の窓越しに見学する。
なるほど、確認できる飲食店は江戸時代程度の店が多いようだ。
どこもかしこも開放的な店が多く、
店先に置かれた台に座って串団子やかけ蕎麦をすすっている人々が多い。
特徴的なのは、その食べる速度だ。
誰も彼も恐ろしく食べる速度が速い、殆ど咀嚼していないものと思われる。
どうやら、ここの庶民達は江戸時代よろしく
手早く食事を終わらせることが主流のもようだ。
事実、彼らは食事を終えるとすぐさま仕事に戻ってゆくのである。
まぁ、中にはのんびり食べている者もいるので
全てが全てというわけではないらしい。
ただ、ここの町にはフィリミシアにはない活気に満ち溢れていた。
気風の良い掛け声はどこか懐かしい感情にさせるし、
着物を着た若い娘さんの白いうなじを見るとドキドキする。
ところどころで見かける西洋風の品物はこの町の雰囲気を
明治時代の初期のような感じにさせていた。
この町は江戸時代と明治時代を混ぜ合わせたような感じであったのだ。
「ふむ……少し見ない間に、この町も変わったの、景虎」
「はい咲爛様、よく見ればフィリミシアの職人が作った魔導器具も
さり気なく置かれておりますね」
「あれは堂々としているがの」
その魔導器具とは町の中心に立っている巨大な柱時計のことだろう。
時間は午後五時半を示している。
銀色の外観に凝った装飾が施されており、
イズルヒの住人がわかりやすいようにか時刻を表す数字は漢字で書かれていた。
漢字といっても地球産の漢字ではないため若干形は違うが
誤差の範囲なので俺は漢字として扱っている。
やがて空にいるお日様が仕事を終えて地平線というベッドに潜り込み始めた頃、
俺達は咲爛の家……というか城に到着した。
「うっほ、うっほ」と野太い掛け声を発して遠く離れたここまで運んでくれた
逞しい男衆を労い運賃を支払う。運賃は大金貨二枚だった。
少なくないかと聞けば十分過ぎるほどだという答えが返ってきた。
このことから、イズルヒの物価は安いか食費が安上がりかのどちらかだろう。
木で作られた巨大な城門を護っていた兵が
脇にある小さな扉をくぐり内部に入ると鈍い音を立てて城門が開いてゆく。
その光景はなかなかに圧巻であった。
城門が開くと、その向こう側では一人の背の高い女性が俺達に微笑みかけてきた。
その後ろには数名の兵士が姿勢を正して槍を携えている。
「おかえりなさいませ、咲爛様」
「うむ、出迎えご苦労じゃの、美津秀」
ミツヒデと呼ばれた女性は長い黒髪を頭頂で結っている。
ややきつめな顔立ちではあるが十分過ぎるほどの美人と言えよう。
だがそれよりも気になるのが彼女の名前だ。
「はじめまして、私は『明智美津秀』と申します。
我が主君の後妻を狙っている者です、どうかお見知りおきを」
「それって公言してもいいのでしょうか?」
メルシェ委員長が彼女の発言を聞き、流石にこれにツッコミを入れた。
彼女がツッコミを入れなければ俺が強烈なものを入れていたところだ。
「いいのです、毎日言ってますから。
……考えてもみてください、後妻に納まれば咲爛様をなでなでし放題ですよ?
信長様に甘え放題ですよ? うっひょう、なんだかムラムラしてきた!
あっ、会話の後半部分に心の声が出てしまいましたがお気になさらず」
なんだこの人は。
俺達はくねくねと身体をくねらせる美女にドン引きした。
なまじ美人過ぎるがゆえに、彼女の奇行に後ずさるを得なかったのだ。
「あぁ、気にするな。いつもの病気じゃて」
「あぁん、つれないですわ、咲爛様」
それよりもその名前だ。
明智光秀といえば織田信長を裏切って本能寺にて謀殺した張本人である。
このような人物を傍に置いといて大丈夫なのだろうか? 色々な意味で。
と考えたところで俺は自分が前世の記憶に囚われていることに気が付いた。
ここは地球ではなく異世界カーンテヒルなのだ。
地球で起こったことがここでも起こるとは限らない。
「暫くはここに留まるゆえ、父上に謀反を起こすでないぞ」
「人聞きが悪いですわ、咲爛様。
ただ、夜にこっそり床の間に忍び込み『ぬちょぬちょ』して
丸一日ほど殿の足腰を立たせなくさせるだけです。
あ、真ん中のはどうやっても『ぎゅいーん』と『た』ちますが」
「じゃから、襲うでないと言っておる、たわけ」
子供相手になんという会話をしているんだこの人は。
俺は頭ではなく魂で理解した、ダメだこいつ早くなんとかしないと……と。
この世界の『明智光秀』は非常に残念な美人であった。