408食目 取り戻せないもの
◆◆◆ エルティナ ◆◆◆
「そんな……なんとかならないのか!?」
「無理じゃよ、こればかりは、わしらでもどうにもならない」
ゴーレムギルドのとある一室。
そこにムセルとチゲは横たわっていた。
学校の授業が終わり真っ直ぐゴーレムギルドに向かった俺とプルルは
職員にこの場所まで案内されることとなる。
しかし途中でプルルは用があると言って別の部屋に行ってしまった。
少しばかり古いタイプの自動ドアを開けて部屋に入ると
機械油の独特な臭いが鼻についた。
どうやら、そこはゴーレム用の調整室であるようで、
使い方のよくわからない年季の入った魔導器具が所狭しと並んでいる。
そこにムセルとチゲはいた。
大きな寝台に横たわっているムセルとチゲには大量の配線が繋がっており、
彼らがゴーレムギルドマスター、ドゥカン・デュランダによって
丁寧な調整を受けていたのである。
二人ともピクリとも動かないところを見ると眠らされているようだ。
「こんにちは、ドゥカンさん」
「……おぉ、よくきたね。まぁ、こっちの椅子に座りなさい」
ドゥカンさんは部屋に入ってきた俺を確認すると
少しばかり元気がなさそうに俯き、
部屋にある簡素な椅子に座るよう指示をしてきた。
そして手にしていたスパナを机の上に静かに置くと、
彼も「どっこらしょ」と呟き、俺と対面するように椅子に座る。
どういうわけか、彼の顔は普段見ることがないほどの険しい表情であった。
彼は暫し黙り込んだ後に
俺が到底聞き入れることのできない重大な報告をしてきた。
とても耳を疑うような内容に俺は絶句してしまったのである。
この事は天才と呼ばれるドクター・モモ、
往年の技術者ドゥカン・デュランダでも解決できないというのだ。
「残念じゃが……こればかりはわしらでもどうにもできん。
気の毒じゃが、ありのままを受け入れるしかないのじゃよ」
「でも、大丈夫だって言ってたじゃないか! これじゃ、あんまりだ!!」
俺はやりどころのない怒りで声を荒げ、
自分の声の大きさに気付き思わず口を手で抑えた。
二人しかいない部屋には俺の高い声はよく響く。
隣ではムセルとチゲが静かに寝ている。起こしてしまうのは躊躇われた。
「怒るのも無理はない、じゃが限界を越えてしまったんじゃよ。
限界を越えてしまえば
取り返しのつかないことになるのはわかっていたというのに」
「くそっ……!」
俺はムセルとチゲを見つめた。
心なしか精悍な顔つきになっているように見える。
彼らは戦いを経てどんどん成長していった。
俺はそのことに複雑な感情を持ちつつも喜んだ。
特にチゲの成長度合いは目を見張るものがある。
とても臆病で心優しい彼は獄炎の迷宮で一人ぼっちで過ごしていた。
そんな彼は自分を偽ることによって生き永らえてきたという過去がある。
だが俺達と出会い、勇気を振り絞って俺達についてきた結果、
彼は自分の殻を自らの手で破ったのだ。
そして彼は新しい世界を手に入れた。優しくも穏やかな日々を。
時たまデンジャラスな出来事もあるが、
彼は手に入れた勇気と努力でそれを乗り越えていった。
彼が獄炎の迷宮で、どれほどの時間を過ごしたかはわからない。
でも俺達と過ごした時間の方がたとえ短くても、それに勝ると信じている。
時間……時間か。
もし時間を巻き戻せたら、もっと早くにチゲに出会って、
あのさみしい場所から連れ出してやれたはずなのに。
「……時間というものは残酷じゃ」
「あぁ……時間が全てを持って行っちまう」
俺達は俯き黙り込んだ。
時計の針が進む音がカチコチと鳴り響き時を刻んでゆく。
チゲの破損した胸部装甲が机の隅に置いてあるのを見て、
俺はチクリと胸が痛んだ。
彼は戦いをする人ではないのに戦場にいた。
俺は彼に無理をさせているのではないだろうか?
でも……俺は……。
どれくらいそうしていただろうか?
ドゥカンさんが意を決したように立ち上がり、
机の上に置いてあった鍋を持ってきた。
「すまん……半熟ゆで卵ではなく普通のゆで卵になってしまった」
「うぅっ……半熟! とろとろが美味しい半熟って言ったじゃないか!!」
「いや、本当にすまん。少し用を足してる内にのう。
火を止めるのを忘れておったのじゃ」
時間とは本当に残酷だ。
少しの時間経過が致命的なものとなる。
過ぎ去った時間はもう戻らない、
その結果……取り返しのつかないことになってしまったのだ。
このゆで卵のように。
もう、あのとろとろの黄身は帰っては来ない……来ないのだ。
……あ、そうだ。チゲは暫くゆっくりさせよう。
激しい戦いの後は休養すれってそれ一番言われてから!
「そんなことで深刻な表情をするんじゃないよ、食いしん坊。
ほら、僕が別に茹でたのを上げるから機嫌を直しなよ」
プルルが呆れた顔をして調整室に入ってきた。
その手に持つ少しばかり凹んだ鍋の中には
ゆで卵らしき物がたくさん入っており、
ぷるぷるとその純白の身体を揺らしているではないか。
どうやら、彼らの硬い殻は剥かれているようだ。気が利くなぁ。
俺はそのゆで卵を一つ取り、緊張しながらも慎重に口に運んだ。
するとどうだ、淡泊な白身から溢れ出るとろとろの黄身がこんにちはして
俺の口の中で白身とファイナルフュージョンしたではないか!!
「これが、勝利の黄身だ!」
俺は思わず立ち上がりガッツポーズをした。
そう、俺が求めていたのはこれだったのだ!!
淡泊な白身だけでは足りない。
かと言ってぼそぼその黄身を合わせたところで
口の中がぱさぱさになってよろしくない。
だが、生の黄身でもいけないのだ。
黄身は加熱することによって旨味成分が活性化しする。
ゆえに半熟のゆで卵をゆで上げることは真剣勝負となるのだ。
途中で用を足しに行くなどもっての他だ。
「本当におまえさんは食べ物のことになると人が変わるのう」
「ふっきゅんきゅんきゅん……食べ物に命をもらっているのだから
美味しく食べることは当然の義務なのだぁ」
無論、カチカチになったゆで卵も美味しく調理していただく。
荒く潰して自家製マヨネーズと絡めてサンドイッチの具にしよう。
マヨネーズとなら相性はバッチリのはず。
それとは別に薄くスライスして一緒に挟めてみてはどうだろうか?
食感が変わっていいかもしれない。
コクを出すためにアボカドを加えよう。食べごたえがでるはずだ。
むむ、更なる食感を得るために
茹でたぷりっぷりの海老の身を加えるのはどうだろうか?
それならばシャキシャキの新鮮なレタスを加えるのも捨てがたい。
あぁ、酸味を加えるためにスライスしたトマトなんかもいいな。
きっと色取も美しくなるだろう。
辛みとしてスライスした玉ねぎなんかもいいかもしれない。
軽く炙ってやると適度な辛みが残って丁度良くなるはずだ。
ここまでくると挟む食パンも工夫したい。
バターを塗って片面を焼くと香ばしさが出て大変よろしいだろう。
……し、しまったぁ!
ここまでくると口に入らないほど分厚くなってしまう!
残念ながら、ここまで成長してしまったサンドイッチを俺は認めない。
何故なら、お手軽に口に運べてこそ
サンドイッチはサンドイッチ足りえると考えているからだ。
確かにナイフとフォークを使用する分厚いサンドイッチも魅力的ではあるが、
庶民派の俺は慣れ親しんだ、お手軽サンドイッチがいいのである。
「ど、どうしたんじゃ? みょうちくりんな顔をして」
「サンドイッチのあり方について考えていた」
ぷるぷると震えていた俺を見てドゥカンさんが声を掛けてきた。
どうやら俺のサンドイッチに対する情熱が漏れ出していたようだ。
人前では気を付けることにしよう。
「やはり、ゆで卵は塩に限るのう」
「ふきゅん、俺はそのままでもいいが、
オリーブオイルと塩を少々混ぜた物も好みだ」
くれぐれも掛け過ぎないように注意しなければならない。
掛け過ぎると主役がオリーブオイルになってしまうからな。
あくまで主役はゆで卵だということを忘れてはならないのだ。
「僕は蜂蜜を掛けた物が好きかな?」
「「まて」」
「えっ?」
「「えっ?」」
プルルが衝撃の事実をカミングアウトした。
茹で卵に蜂蜜だと……!? おまえは本気で言っているのか!?
いやまて……蜂蜜に少々醤油を混ぜ込んでいるのかもしれない。
それならば百歩譲って納得できる。是非そうあってほしい。
「プルル……その蜂蜜には醤油を混ぜ込んでいるのか?」
「ううん、そのままだよ?」
「「おぉう」」
俺とドゥカンさんは天を仰いだ。
彼女はゆで卵をスィーツと認識しているのだろうか?
確かにスィーツには卵を使うが、ゆで卵はほぼ使わないだろう。
また、黄身だけを蜂蜜に漬けるという料理もあるにはあるが、
プルルは白身の上から直接蜂蜜をドバーっとぶちまけている。
俺はゆで卵そのままに蜂蜜を掛けた物をスィーツと呼びたくない。
「プルル……恐ろしい娘!」
「?」
俺とドゥカンさんの戦慄の表情をよそに、
プルルは平然と蜂蜜を掛けただけのゆで卵をパクパクと食べ進めていった。
俺はなるべく彼女が視界に入らないようにしながら、
改めてドゥカンさんが俺を呼んだ理由を聞く。
「うむ、話と言っても
ムセルとチゲの整備とゴーレムコアのケアがほぼ終わったから
引き取りに来いという話じゃよ。
ただ、ムセルは最近無茶をしておるのか
ゴーレムコアに負荷がかかり過ぎておる。
それとなく無茶をし過ぎないように見てやってくれ」
「ふきゅん、わかった」
彼の言うとおり、ここ最近のムセルはどこかおかしい。
なんというか、行動に焦りのようなものを感じる。
恐らくは俺のことを想ってのことだろうが、焦っても良いことは何もない。
かと言って指摘してもその場では頷くだろうが……。
「誰に似ちまったんだろうなぁ?」
「「……」」
ドゥカンさんとプルルが俺の顔をジッと見つめてきた。
そして気が付いた。
「……すまん、俺だ」
「自覚はあるんだね」
ムセルの原因は俺であることに気付きひとり凹むのであった。ふきゅん。




