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お前の席は、もうない


扉を閉めた瞬間、空気が違うと分かった。


一階の食堂兼会議室。

灯りはついている。

暖炉も赤い。


けれど、暖かくは見えなかった。


レオルが机の向こうに座っている。

セレスはその右。

グレンダルは腕を組んで壁際。

そして、さっきまで現場に残っていたはずのリュカも、窓のそばに立っていた。


全員そろっていた。


リュカは監督員に呼び止められていたはずだ。

ユリスより先に戻っている。

いつ戻ったのかは分からない。


だが、この場にいるということは、話はもうついていたのだ。


その揃い方が嫌だった。


ユリスは外套の水を払う余裕もなかった。

手の中の送り票は、さっき握りつぶしたまま柔らかく湿っている。


「……戻りました」


レオルが顎をしゃくる。


「座れ」


座る椅子は、いつもの壁際ではなかった。


机の向こう。

四人と向かい合う位置だった。


そこに座れと言われる理由を、ユリスは知っていた。


椅子を引く。

座る。

湿った外套の裾が、床で小さく鳴った。


机の上には報告書があった。


中央駅第三ホーム。

旧六番線貨物区画。


二つ分。


その横に、小さな封筒が一つ置かれていた。


新しい封筒だった。

今夜書かれたものではない。

紙の角は折り目なく整っていて、封も丁寧だった。


前もって用意されていたものだ。


ユリスの指先が冷えた。


レオルは報告書から目を上げないまま言う。


「旧六番線の件、報告は上げた」


ユリスは黙って頷いた。


「救助二名。コア破壊。小規模発生の段階で鎮圧。問題なし」


声は平坦だった。


良くも悪くもない。

ただ、報告を読む時の声だった。


「ただし、付記もつけた」


そこで初めて、レオルがユリスを見る。


「命令違反。補助員ユリス・レイン、再三の制止を無視して前方へ侵入」


胃の奥が縮んだ。


レオルは報告書を置く。


「中央駅でも同じことをしたな」


「……はい」


「旧六番線でもやった」


「……はい」


「それ以前にも、似たようなことは何度もあった」


セレスが静かに口を開く。


「最初は偶然かと思ったの。怖くて飛び出す人はいるから。でも、あなたは違う。怖がるくせに、止まる時と出る時の差が極端すぎる」


その声は怒っているというより、切り分けていた。


「現場で一番困るのは、弱い人じゃない。命令通りに動けない人よ」


グレンダルが鼻を鳴らす。


「しかも毎回、こっちに余計な気ぃ使わせる」


ユリスは視線を落とした。


言い返せない。


怖いのは本当だ。

止まるのも本当だ。

それでも時々、どうしても前へ出てしまう。


理由を自分でも説明できない。


レオルが椅子の背にもたれた。


「結論から言う」


その一言で、部屋の空気が固まった。


「今日で外れてもらう」


ユリスは、すぐには意味を飲み込めなかった。


外れる。


どこから。

何を。


分かっているのに、言葉だけが遅れる。


「……え」


「グレイヴァルからだ」


レオルははっきり言った。


「補助枠の契約はこっちで切る。庁への登録も戻す。明日からお前はこの宿舎には入れない」


暖炉の薪が、ぱきりと鳴る。


その音だけが妙に大きかった。


ユリスは口を開いた。

だが、最初に出たのは反論ではなく、息だった。


「でも――」


「でも、何だ」


「俺……補給も、記録も、ちゃんと」


「やってる」


レオルはあっさり頷いた。


「荷物持ちとしては悪くなかった。雑務も投げない。逃げもしない。だからここまで置いてた」


置いてた。


その言い方が胸に刺さる。


仲間だった、ではない。

使えるから置いていた。

それだけだ。


セレスがカップを置く。


「正確に言えば、雑務係としては十分だったのよ。でも現場で勝手に前へ出る。それで全部が台無しになる」


「台無しには……」


言いかけて、止まる。


何を言うつもりだったのか、自分でも分からない。

実際には助かっている。

でも、それを自分が言えば、ただの言い訳にしかならない気がした。


グレンダルが低く笑った。


「何だよ。助かったんだからいいだろって言いてぇのか?」


「違います」


「じゃあ黙ってろ」


その一言で、また喉が閉まる。


リュカが窓際で少しだけ動いた。

何か言うかと思ったが、結局言わない。

指先が窓枠を一度叩いて、それで終わる。


レオルは机の上の封筒を指で押した。


「今月分の精算だ」


小さい。

薄い。

軽い封筒だった。


「訓練課程の紹介で入れた補助枠だ。正式戦闘員じゃない。切るのに大した手間はかからない」


言葉が整いすぎていた。


封筒の角が折り目なく揃っていたのと同じだった。


旧六番線は、最後の確認だったのかもしれない。

結果がどうであれ、こうして座らされる夜は来ると、もう決まっていた気がした。


ユリスは、自分の手を見た。

握ったままの送り票の紙くずが、指のあいだから少しだけ覗いている。


「俺は……現場に残りたいです」


それは言い訳ではなく、願いだった。


「残って、ちゃんとやります。勝手に動かないようにします。補助でも、何でも」


レオルの表情は変わらない。


「できないから言ってるんだろ」


「……」


「お前、自分で分かってないのか? 怖い時だけ飛び出すんだよ。怖いなら下がってろ。それもできないなら、前線に立つ資格はない」


そして、少しだけ唇を歪める。


「《勇気》なんてシジルで、何ができる」


その言葉は、今まで何度も浴びた言葉と似ていた。

けれど今夜のそれは違った。


笑うためではない。

切り捨てるために言われた。


セレスが追い打ちのように言う。


「現場は、気分で動く人のためにあるんじゃないの」


「気分じゃ……」


「じゃあ何?」


答えられなかった。


何で自分がああなるのか、自分でも一番分かっていない。

怖い。逃げたい。

なのに、手を伸ばす人間が見えると止まれない。


理由を言葉にできない以上、それはただの命令違反にしか見えない。


レオルが立ち上がる。


話は終わり。

そういう動きだった。


「今夜のうちに荷物をまとめろ。最低限の私物だけ持って出ろ。装備は置いていけ。あれはこっちの備品だ」


グレンダルが肩を鳴らす。


「まあ、今まで死ななかっただけましだろ」


セレスはもう書類へ目を落としている。

見送りの顔すらしない。


リュカだけが、窓際から離れないまま低く言った。


「……レオル」


全員がそちらを見る。


リュカは一度だけユリスを見て、それから目を逸らした。


「……いや、何でもない」


それだけだった。


何でもなくないことは、誰にでも分かった。

けれど、それ以上はどこにも進まない。


レオルは扉の方を顎で示した。


「部屋に行け」


ユリスは立ち上がった。


椅子の脚が床を擦る音が、やけに大きい。

封筒を取る。軽い。

送り票の紙くずは、まだ反対の手にある。


階段を上がる。


二階の端。

自分に割り当てられていた小部屋は、最初から狭かった。


ベッド。

棚。

箱。

替えのシャツ。

包帯。

古い手帳。

地方から持ってきた判定票。


荷物は少なかった。


少ないことが、急に惨めだった。


ユリスは黙って鞄に詰めた。


手帳のあいだから、判定票が落ちる。


《勇気》。


その二文字を見て、笑いそうになった。


笑いではない。

喉の奥が引きつるだけの、どうしようもない形だった。


勇気なんて、武器にならない。


そう思ったからここまで来た。

それでも現場にいたかったから、雑務でも何でも飲んだ。


それが終わる。


鞄の口を閉じる。


部屋を出る時、振り返らなかった。

振り返っても、何も増えないからだ。


一階へ降りると、食堂の扉は閉まっていた。

中ではまだ声がしている。


中央駅の取材。

旧六番線の報告。

今後の案件。


自分のいない話が、もう始まっていた。


ユリスは宿舎の扉を開けた。


夜気が冷たい。


さっきまで倉庫街で吸っていたのと同じ冷たさなのに、今は少し違って感じる。

守るものがない場所の冷たさだった。


石段を下りる。

後ろで扉が閉まる。

それだけで、戻れない音に聞こえた。


どこへ行けばいいのか、分からなかった。


訓練課程へ戻れるのか。

戻って何になるのか。

《勇気》なんてシジルで、雇ってくれる場所があるのか。


通りの端で立ち尽くす。


王都の夜は、地方の停車場よりずっと明るい。

明るいのに、足元だけが妙に暗い。


しばらく、そのまま動けなかった。


行き先がない。

帰る部屋もない。

明日から何をすればいいのかも分からない。


頭の中では、さっきまでの言葉が何度も回る。


命令違反。

邪魔。

《勇気》なんてシジルで、何ができる。

今日で外れてもらう。


胸の奥が、少しずつ冷えていく。


怒りではない。

悲しみでもない。


ただ、足元から空っぽになっていく感じだった。


中央駅の方角で、遠く鐘が鳴る。


ひとつ。

ふたつ。


その音だけが、やけにはっきり夜に響いた。


王都はまだ起きている。

灯りは消えない。

列車も、たぶんどこかを走っている。


なのに、自分だけが線路から外れたみたいだった。


ユリスは鞄の紐を握り直した。

それでも、どこへ向かって歩けばいいのか分からない。


そのまま、しばらく石畳の上に立ち尽くしていた。


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