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第29回芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会

ああ、お茶ありがとう。ララモエラーは飲まない?そか。はい。今日は珍しくXの家で生で撮ってます。今わかりましたよね。ララモエラーが5.1チャンネル音声と4K映像で撮ってくれてるんですよ。


今日はせみころーんさんでもよかった、らしいんですが、高度すぎるのでXが担当です。委嘱作品は飛ばして、選考の土俵に入った作品全体に言えることから。


今年でついに、フルオーケストラを使用した作品がなくなり、全部アンサンブルを少々大きくした編成で選考しているんだけど、それならこのホールの大きさは問題だし、なによりお客さんがかつて聞きに行った時よりも少ないのが気になる。


スポンサーが作曲賞を出してくれることは誠にありがたいのだが、わざわざホール上で選考が行われ、そのあとでセレモニーが行われるのなら、その経費を賞金に回したほうが良いのではないか。ヨーロッパではこんな無駄遣いはしない。アメリカ合衆国は比較的演奏のコンクールで派手にセレモニーを行うほうだったが、作曲の賞でそんなことはしない。


今の都心ならプロのオーケストラや学生オーケストラだって立派に音はならせるので、受賞作品を新日フィルの定期演奏会で掛ければ、経費上無問題ではないかとおもう。その定期演奏会のステージマイクで講評を述べれば、お客さんもそれなりの納得があるだろう。


こういった側面に批評がなされなくなったことが日本の現代音楽の状況を物語っている。芥川作曲賞の開始当初よりはるかにレヴェルは上がっているのに、上がれば上がるほど客離れが起きるのは、単純に義務教育の問題だと思っている。


『回転羅針儀』という題名から、Xがまず想起したのがメンケリーニの『Vortex』とグリゼーの『Vortex Temporum』であった。しかし、作品を聴き返した限りにおいては回転するという印象はあまり見えてこず、ひたすら中期エマヌエル・ヌネスや中期ラインハルト・フェーベルのように「トランスフォームしつづける」という印象が強かった。非常に節約された書法で、この日上演された北爪作品とは見事なまでのコントラストを呈していた。吹奏楽なら成功するのではと思ったシーンもちらほら。


ただ、調性音楽を引用する際に元の音色とテクスチュアのまま出す必要はあまりないような気がした。かつて松平頼暁は『螺旋』でストラヴィンスキーの『火の鳥』からコードだけ全奏で鳴らすというテクニックを披露したが、実に明解で効果的であったことを思い出した。彼ほどの作曲家なら、音高構造を反転させたり逆行させることはできるはずなので、そのあたりまで攻め込む必要があった。


二管編成でここまで打楽器が限定されていると、調性音楽に支えられたメロディーが戦力として効かないのだ、、、.この商業音楽を引用したが、戦力として効かない、、、というのはかつてYu OdaがYCMで第二位を受賞した時も感じたことで、時代が多様式主義から大きく前に進んでいることを痛感している。


節約された書法と無駄の極致でしかない書法の中間に位置した『擦れ違いから断絶』は、このバランスに立ったことが受賞の決定打として機能したのは間違いがないだろう。後日審査員にあんなものを受賞させやがったというクレームが入ったと聞いて、愕然とした。わたしが言うまでもないと思うが、この作品は非常に優れている。優れているものに賞を出すのだから、それにクレームをつけて何になるのか?近年クレームをつけて相手を屈服させることがはやっているが、そんなことをしたって現代音楽の作曲家が進化するわけではない。


一聴した限りでは冒頭のアイデアはマウリシオ・カーヘルの『オーケストラのための三つのエチュード (1992-1996)』、グリッサンドで空間を埋めるのはジェイムズ・クラークの『Final Dance 最後の踊り(2003)』。コーダではロルフ・リームの『Gewidmet 献呈(1976)』を彷彿とさせるトータルユニゾンが、ヘルムート・ラッヘンマンの『タブロー (1988)』のように上昇及び下降する。彼がドイツ語圏で研鑽を積んだ結果がそのまま反映したと考えてよいだろうと思う。だからといって受賞者は彼らの音色の偏りをそのまんま受けつぐほど野暮ではない。どの瞬間においても『擦れ違いから断絶』の楽器法は奇妙なまでにバランスが取れているのだ。変容するというよりは、すでに変容済みの素材を順に並べてゆく。


この併置感覚も1970年代生まれならではの書法で、旧世代にはこの併置法が理解できないらしく、多くのサイトで1970年代生まれの作曲家たちは酷評されている。それは当然。並べるだけで音楽にしやがった、というのが腹立たしく映るのだろう。しかし、1970年代生まれは子供のころから映像文化で育っていて、つまらなかったらチャンネルを変えるというのはもう日常なのだ。情報の取捨選択の妙が光っていた秀作であった。演奏団体を変えて再演されてもよいだろう。


無駄の極致で何が悪いか、という書法でこの日一番聴衆に最も受けた北爪作品は、お客さんには最もup-to-dateとして受け取られた、らしい。しかしXの耳には、これは規格化されたジャン・クロード=リセのデモンストレーションが延々続くのが、エクリチュール科の修練と何も変わらないように思えてきた。等価の音価でピコピコというのもフィリップ・マヌリの『時間の推移』でおなじみのテクニックで、マヌリやリセの影響を受けた作品がここ芥川也寸志サントリー作曲賞のまな板に載ることは結構なのだが、一昔前の流行の博覧会のようで、「ここまで日本人は進化しました!」というアッピールは、Xには承諾しがたかった。


これはおそらく、二台の自動演奏ピアノと二人の打楽器奏者と二人の電子音響技術者で作曲されるべき音楽なのだろう。そう思うと技術上納得できる箇所が多く、その才能の片鱗を垣間見たことは救いであった。北爪世代では、もう音はいかなるアカデミズムからも無縁ではないのだ。その閉塞感のアッピールは、前二者にはないものであった。おわり。

(。・_・。;)<音声編集の必要がありませんでした。すごいねえ。

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