どんな賞だって保守化する。前衛化する賞ってのは、あんまりない。
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彡/(。)(;)<、、、ぐぎぎ、、
(。・_・。;)<完封ですねえ。
彡/(。)(;)<4連勝なら、まだあと4連勝なら、、
(。・_・。;)<四球がないってのがねえ。
彡/(。)(;)<今日は戸郷や!何とか今日ならっ!
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もうしゃーないやん。っていいたくなったせみころーんさんですどーもーーーーとてててとてててとてててとてててとててて。
昨日ノーベル文学賞の発表があって、2019年の発表にペーター・ハントケさんが選ばれたということで、以前からファンだったララモエラーは大喜び!西武は負けてるのに大はしゃぎでした。Xさんとハントケの演劇を観るってのでどっか行ってしまいまして、今日もララモエラーの出番はありません。
まあその、二年分発表するってのにものすごい田舎臭さを感じてしまったのは私だけでしょうか?
表向きはセクハラ容疑で発表持ち越しってことになってますけど、本当は2018年の選考が大荒れだったんじゃないでしょうか?
ノーベル文学賞は老人じゃなければ受賞できないってわけじゃなかったんですよ。41歳で受賞されたキップリングのように、代表作で一世を風靡すればもらえた。ところが、世界的に作家の層が増えすぎてしまい、なんでこんだけ凄くてもらえないんだというトラブルが多発するようになったのは、なろう系の読者ならだれでも知っています。
エドアルド・サングイネーティはもらえて当たり前だったはずですが、受賞を逃しています。
プリーモ・レーヴィもまず間違いなくもらえるはずでしたが事故死しています。
せみころーんさんが推挙したかった詩人はジャクソン・マクローです。超前衛のこの人こそもらうはずだったのですが、ヨーロッパの詩人業界は保守的ですから、まずマクローに出すはずがありません。
作家で比較文学者の小谷野敦さんは「ちょっとつまらないのが芥川賞をもらえる」という趣旨のことを述べられておりましたが、ノーベル文学賞もそうなりつつあります。いや、元はそうではなかった、という人もいるでしょう。そうです。勘のいいひとはわかるでしょう。
左翼が存在してソ連が崩壊していなかった頃の選考は、それなりに面白かったということです。ソ連人に出す、そうすると共産党員の顔が真っ赤になる、その真っ赤になった顔を見てヨーロッパの西側左翼はにやにや笑い、これが伝統だったのです。
ソ連が崩壊して、こんな伝統は必要がなくなりました。
「大坂なおみは日本国籍を選ばないだろう」とか勝手に変なことを言って、外れたらアカウントに鍵をかける、これが左翼の生態だったのですから、こういう動物が文学賞の選考をしても支持が得られるわけはないでしょう。
左翼を失った文学は、どうなるでしょうか?
確実に言えることは、政治的に中立な人物が文学の選考をすることなどありえないということです。もしも中立なら、反権力で塗り固まってる作家は書く意味なんて何もなくなります。
しかし
まだ反権力で書く人はいます。
ここらへん
「まだシステムを使って書く作曲家はいます」ってのと実によく似ていますねえっっ!!!!!!
おわかりでしょう?システマティックな思考というものが、共産主義抜きではありえないんですよね。
システムとかオートマティズムってのは、なろう系の読者にわかりやすく言うと「つーといえばかー」です。
きまってんです。
ところが、トラディショナルメソッドというのは、システムでもなければオートマティズムでもない。システムは微妙なタイミングで破られる。これが難しいんですよ。
なろう系の読者や作者だって、何割かは合唱や吹奏楽の作曲を試みた方はいるでしょう。
吹奏楽の作曲となろう系の作家業を両立させる人間が出るのも、そう遠くないでしょう。
そこでね
吹奏楽を使って、和声を組み立てるってのは、システムではないことに気が付くでしょう?
気が付きませんか?
いや気が付くはずですよ。楽器は音域、って問題がある。その音はその楽器では出せない、それだとシステムはもろくも崩れ去るんですよね。なのでちょっとづつ修正するわけです。
さっきまでポテイトゥチップス(北海道で採れたてのなまキャラメル味)をバリッバリッと食らいついていたころーんさんは「ピアニストのほうがシステムは無駄だとすぐ体で分かる。なぜなら運指法は通り一遍なものではない」だって。
この辺私もこころあたりあるな。その指で押せって、ちょっとそれむり、、、なんでやろ、ってのいっぱいあります。
伝統的に和声を書く、対位法を解決する、フーガを書く、ってのがシステムじゃないんですよね。メソッドなんですよ。
ところが左翼が出現すると、システムに変わったんです。




