第90話(本編最終話) 無限へ、永久へ、深淵へ
巨大な円筒形宙空建造物の軸線に沿って、宇宙船が1隻、虚空へと泳ぎ出して行った。船体上部に尽き出た展望デッキから、ラーニー・ハロフィルドは遠ざかる建造物を見詰めていた。ただ景色を眺めて楽しむだけの設備なんて、長らく『グレイガルディア』を飛び交っていた、戦闘を主目的にした宇宙船には、存在しなかった。
宙空建造物は見る間に小さくなり、ささやかな光点の一つと化し、背後の星海に溶け込んで行った。ほんの数か月を過ごしただけとはいえ、楽しい思い出の詰まった場所が遠ざかって行くのは、寂寞の念を感じさせるものだった。
「寂しいのなら、引き返しても良いのよ。あそこに残っているという選択肢も、あなたにはあるのだから。」
背後から掛けられた声に、ラーニーは明るい笑顔と共に振り返る。「シュヴァルツヴァール」で過ごした日々には、これほど柔らかな笑顔は無かったかもしれない。カイクハルドにそれを伝えても、「そんなこと知るか」としか言わないだろうが。
「あら、いやね。ビルキース。一人だけ置いてきぼりなんて、絶対にお断りですからね、私は。」
「一人だけ、なんて事無いでしょう、ラーニー。あそこには仲良くなった人が、沢山いるのを忘れたの?おバカさんね、あなたは。」
投げやりな言葉の応酬に聞こえても、後ろから近付いてラーニーの背中に添えられたビルキースの手には、親愛の温もりが溢れている。いつの間にか長く伸びた黒髪を垂れ掛けるようにして、ビルキースの肩に押し付けられたラーニーの側頭部にも。
「確かに、あの『銀河連邦グレイガルディア第1支部』には、本当に色んな人が集まっていて、楽しく実りの多い時間が過ごせたわ。でも、あなたやカイクハルドに連なる人達こそが、私には家族のようなものなのよ、今では。」
「そうなの?私はカイクハルドを家族のように感じた事なんか、一度も無いわよ。」
「そんな事は、この際、関係のない話だわ?」
「そうなの?」
「そうよ。」
「本当に?」
「本当よ。」
「これはこれは、恋敵同士で、また、揉め事が始まりましたな。」
悪戯っぽく笑う、まん丸と恰幅の良い小男に、同時に振り向いた女2人が批判に満ちた視線を突き刺す。
「揉めてなどいません。それに、何ですか、恋敵とは?誰を取り合っている、と言いたいのですか?まさか、宇宙の彼方に消えて行った人を、などとおっしゃるのでは、ないでしょうね。ジャールナガラ様。」
「あら、そうなの、ラーニー?取り合うつもりが無いのなら、もし彼がひょっこり戻って来たりしら、彼はあたしのモノ、っていう事で文句は無いのね。」
「それは、戻って来てから考える事だわ、ビルキース。抜け駆けは許さないんだから。」
「やはり、恋敵ではないですか、あははは。」
「うふふっ・・・」
「ふふふふ・・・」
笑い声の満ちる展望デッキに、更に幾つかの人影が入り込んで来た。開いて閉じるドアの音も、笑い声にかき消される。
「賑やかですね、姉上。ビルキースさんとも、すっかり打ち解けてしまわれて。」
「ジャールナガラよ、またお二方を、からかっておったのではあるまいな。」
「何を言うか、イシュヴァラ。わしがいつ、貴婦人方をからかうようなマネをした。」
「ジャールナガラったら酷いのよ、私とラーニーを恋敵だなんて。」
「そうそう。」
「やっぱりか。」
「おっと、バレてしもうた。」
「あなたも、ジャールナガラに何か言ってやってよ、アジタ。」
「・・・・・」
「そうそう、そうですわよ、アジタ様のおっしゃる通り。」
「いや、何も言ってはおりませぬぞ、アジタは。」
「でも、私には聞こえました。ジャールナガラはけしからんって。うふふ・・・」
「私にも、聞こえたわよ、ジャールナガラ。あはははは・・・」
「これは参りましたな。貴婦人お二人にそう言われては、認めるしかありますまい、あっはっは・・・」
「はははは、この人は、相変わらずですね、イシュヴァラさん。はははは・・・」
「全くだよ、ヴァルダナ君。困ったものだ、あっはははは・・・」
「・・・・・フフッ・・・・・・・」
ひとしきり、笑いに包まれた一同だったが、いつしか沈黙と共に、星々の大海に視線を泳がせるようになっていた。
「我々が『銀河連邦グレイガルディア第1支部』でのんびりと過ごしている間に、色々な事が起こったな。軍事政権打倒の戦いが終わっても、この国は相変わらず激動の最中にあるようだ。」
沈黙を破って、展望デッキに来てから初めてに近い声を出したアジタに、憂慮を湛えたラーニーの眼が向けられた。
「ええ、まさか、皇太子カジャ様が、暗殺されてしまわれるなんて。どんないきさつがあったのか、詳しい情報は伝わって来たのですか?」
「父である皇帝ムーザッファール陛下への謀叛の疑いで、身柄を拘束されたようだな、カジャ様は。そして、『ベネフット』ファミリーに身柄を預けられ、『エッジャウス』に送られる途中の護送船の牢内で、何者かに暗殺された。」
と、アジタに代わって語られたイシュヴァラの報告に、ビルキースが首をかしげた。
「そんな事が、あるものなの?父親への謀叛とか、護送中の暗殺とか、信じられないわ。」
「陛下を取り巻く貴族連中が、企てた仕業なのだと思います。」
思案の眼差しの、ヴァルダナが告げた。「周囲に流されやすい皇帝陛下の人柄を良い事に、徐々に専横の色を濃くする貴族連中が、謀を巡らせたのでしょう。彼らには、カジャ様が邪魔だった。彼らの専横を押し留め、場合によっては陛下に譲位を願って自らが帝位に就こうとする、カジャ様の動きが、目障りだったのです。だから、先手を打って邪魔者を消し去ったのでしょう。」
「帝政貴族お得意の権謀術数で、まんまとカジャ様を謀叛人に仕立てあげた、という事だな。『ベネフット』に身柄を預けるという展開も、『シックエブ』への護送船に暗殺者が潜んでいるのも、普通に考えれば不自然極まりない話だ。帝政貴族の権謀術数以外に、考えられんな。結果として、皇帝シンパの軍閥には『ベネフット』への不信感が募っており、皇帝側近の貴族が『シックエブ』の管理などに介入する口実を得るなど、権勢を拡大させる余地が生まれつつある。」
と、ジャールナガラも、腕を組んで考えに耽る顔だ。
「詳しい情報が伝わっておらぬから、断定的な事は言えないが、新政府の内実も不安定なようだな。多くの命を犠牲にして、ようやく実現した皇帝親政だというのに。」
嘆息したイシュヴァラの隣で、ヴァルダナも声を上げた。
「こうなると、アウラングーゼ殿は黙ってはいないでしょう。貴族による専横を防ぎ、皇帝一族による統治の継続性を担うはずのカジャ様が、このような形で亡くなられたのだ。こうなれば、皇帝親政を見限る要素が、幾つも積み上がってしまう。帝政を打倒し、新たな軍事政権の樹立を目指す動きに、いつ打って出ても不思議では無い。」
「実際、各地で反乱の動きは起こっている。」
イシュヴァラは、伏せがちの眼で教える。「主に旧軍事政権の残党が起こしているものだが、カジャ様の暗殺も、護送船が残党の反乱に巻き込まれた際の、混乱の中での出来事だったようだ。プラタープ殿は、陛下の為にと各地の反乱勢力を相手に、獅子奮迅の戦いを見せているとか。」
「ジャラール殿は、今のところ静観の構えだな。じっくりと様子を見極めるおつもりのようだ。息子殿は、どうか分からんがな。」
と知らせたジャールナガラに大きく頷き、ヴァルダナがまた話し出した。
「シヴァースは、カジャ様を死に追いやった勢力を、絶対に許さないだろうな。長らく、カジャ様のもとで戦って来たあいつだ。カジャへの敬愛の念は、誰よりも強い。貴族の権謀術数が原因とするなら、帝政への反発を強めているはずだ。アウラングーゼ殿が帝政打倒の旗を揚げたとしたら、シヴァースは・・・」
「シヴァース殿は帝政打倒に付く、か。ならばお父上も、同調なさるかな?すると、どこまでも皇帝の為に戦うおつもりの、プラタープ殿とは・・・」
イシュヴァラの眼は、いよいよ影を濃くする。
「この国には、また騒乱の時代が訪れるのかしら?やっと手に入れた平穏も、たった数年で終わってしまうの?カイクハルドが、命と引き換えにもたらした平穏でもあるのに。」
ビルキースも、寂し気な眼を星海に漂わせた。背に添えられていた手が、縋るように腰を抱き寄せると、ラーニーはビルキースを励ますように言葉を掛けた。
「彼は、こうなる事も予期していたから、もしそれを知っても、決してがっかりはしないと思うわ。それに、短く終わったとは言え、この数年の平穏がもたらしたものも、決して小さくは無いわ。そうよね、ヴァルダナ。」
暗かったヴァルダナの顔が、姉の言葉で照れ笑いに変わった。
「はは、そうだな。」
イシュヴァラも、表情をガラリと明るくした。「ナワープ嬢は、元気にしているのか?ヴァルダナ。」
「え・・ええ。今、部屋で、赤ん坊に乳を与えていました。上手く寝かしつけられたら、ここに顔を出すかもしれません。」
たった今まで真面目な話をしていたのが嘘のように、真っ赤になって恥ずかしがるヴァルダナだった。それを横目に、ラーニーも饒舌になる。
「どの根拠地でも、沢山、新たな命が生まれたわ。『ファング』のパイロット達が、戦闘の傍らでせっせと励んでくれたからね。それに、鉄砲弾として浪費される事の無くなった若者達が、様々な技能や知識を身に着けて成長して行っている。盗賊や傭兵以外の生活の仕方が、どんどん拡大している。新たな時代に、平和の礎となり得る人達だわ。」
「そうね、ラーニー。」
腰に廻した手に力を籠め、ビルキースも同意を示す。「私の仲間だった娘達も、とりあえずはスパイ活動を休止して、『ファング』根拠地で楽しく暮らしているみたいなの。それぞれに好きな人を見つけて、子を授かって、女としてのあるべき幸せを追いかけているのだそうよ。」
「主に、『ルサーリア』領域の根拠地に引き取られたのですよね、ビルキースさんの仲間達は。あそこを始め、姉上はイシュヴァラさんと、『エッジャウス』陥落の後にこの『グレイガルディア』のあっちこっちを訪ねて回ったから、ご存知なのですよね、どこの根拠地も、戦後の世で上手く生活を成り立たせている事を。報告して頂いた事の全てまでは、俺は覚え切れていないけれど。」
「あら、ヴァルダナ。私は、全ての根拠地のそれぞれの実態を、ちゃんと記憶しているわよ。記録も細かく残してあるしね。ダメね、あなたは。『ファング』のかしらとしては、まだまだわね。私がイシュヴァラ様と視察旅行をしている間中、『シェルデフカ』領域の根拠地で、ひたすらナワープの言いなりになっていただけ、なんて有様ではね。」
「あ・・はは・・、す・・すみません、姉上。でも、カイクハルドだって、そこまで把握は・・・。と・・とにかく、どの根拠地も、帝政政府や軍閥の目の届かない宙域で、資源採取なども難しいから誰も見向きもしない場所で、貧しくてささやかでも平穏な暮らしを実現していますよね。『ファング』が銀河連邦から仕入れた技術を使って。」
「盗賊や傭兵の活動は、まだ続けているの?」
ビルキースが、少し心配そうな眼をして問いかけると、ヴァルダナもやや声を落して答えた。
「はい。俺が率いている『ファング-0』は、しばらく活動を休止していますが、各根拠地でのローカルな『ファング』の活動は続いています。不当な搾取を止めない領主や、領民を巻き込む軍閥同士の小競り合いなど、『ファング』が噛み付かずにはいられない事態が、まだまだあちこちで起きているので。」
「そうね。鉄砲弾になる人達は、以前よりは少なくなったとはいえ、無くなったわけじゃないのよね。」
ラーニーも気持ちが沈んで行く。
「アウラングーゼ殿も、軍閥どもへの監視や指導を強化し、そういった事態をできるだけ減らそうと努力されているようだが、なかなか目が行き届かんようですな。なんせ、『グレイガルディア』は広いですからな。」
イシュヴァラの言葉は、ビルキースにアジタへの問いかけを促した。
「あの方とは、軍政打倒の後にも何度か会っているのよね、アジタは。」
「うむ。銀河連邦エージェントとしては、統治の実権を握っている皇帝やその周辺の権力者と頻繁に会うのは、連邦による帝政への支持が決定した、との憶測を与えかねない。現段階では、それは控えねばならぬが、それでも何回かは会談を持つことができた。軍事政権時代に、軍閥達の骨身に染み着いた悪弊がなかなか払拭できぬ、と零しておられたよ、アウラングーゼ殿は。」
力なく報じたアジタに、ビルキースは心配そうな視線を送り続ける。軍事政権崩壊以来、彼が著しく無口になった事を、ビルキースは気に病んでいた。
軍政を善政に導けなかった上に、その後の皇帝親政も、貴族の腐敗や横暴で日々悪政に傾こうとしている。銀河連邦から派遣された政治顧問として、政権を修正し善政に導く役割を負っている彼としては、責任を果たせぬ無力感に歯痒いものがあるだろう。
「皇帝陛下やその周辺からは、まだ距離を置いているのよね。」
アジタの難しい立場を、ビルキースは気遣った。
「そうだな。まだ始まったばかりで、今後どうなるか分からぬ政権だからな。ある程度安定して長続きしそうなら、銀河連邦本部に正式な支持を表明するように促した上で、政治顧問として積極的な関与を目指すのだが、今の時点では・・」
「そうだな。」
ジャールナガラも、アジタへの理解を示す。「政治顧問があっちに付いたりこっちに付いたりを、そう頻繁に繰り返していては信用がガタ落ちになるものな。既に帝政から軍政への乗り換えを百年前に経ているわけだから、この後の乗り換えには、慎重にならざるを得んわな。」
「その間は、皇帝の政府は銀河連邦の支援を受けられぬ、という事だな。連邦エージェントを政治顧問とする事が、支援の条件のはずだから。」
同じく銀河連邦のエージェントであるイシュヴァラが、アジタの表情を覗き込むように見詰めた。
「うむ。だから政府からは、早く顧問に就いてくれと矢のような催促だが、各地の庶民に関する情報集約や政策の意思決定の場がどこなのかを、政府は明確に示してはくれない。明示どころか、高級貴族同士が権益の所在を巡って激しいさや当てを繰り広げている現状では、体制はまだまだ流動的だ、という事になる。今の状態で政治顧問に就いたのでは、軍事政権の時の二の舞を踏む事にもなり得る。政府が安定して運営が軌道に乗り、情報集約や意思決定の場が明確になるまでは、不用意に近づくわけには行かぬ。」
「だが、そうしている間にも、悪政に傾く政府に苦しめられる庶民は続出しているから、歯痒いところだな。だからアジタも今は、イシュヴァラと同じ草の根の支援に徹する事で、少しでも庶民を救おうとしているわけだな。」
大きく深く何度も頷いて、ジャールナガラはアジタへの理解を表現した。
「今は、上からの修正は、この国では不可能だ。上が不安定で不確定な状態だからな。だが、上からの修正の必要性を否定するつもりは無いぞ、イシュヴァラ。」
「ふふっ。今更その事で、おぬしと議論するつもりは無いぞ、アジタ。お前は上から、俺は草の根と、それぞれのやり方でこの国を支援して行く。それで良いと思うし、両方が必要なのだ、と今は思っている。だがまあ当分は、共に草の根の支援に勤しもうじゃないか。」
彼等は、「グレイガルディア」の現状や今後の活動方針を報告しに、銀河連邦本部へと共に帰って行くところだ。だが、報告が済めば直ぐにでも引き返して来て、活動を再開するつもりだった。
一方で、ラーニーは1年程をかけて外の世界を視察し、その後イシュヴァラの草の根の支援活動に合流するつもりでいる。「ファング」のかしらとしての活動を再開させる弟と連動して、「グレイガルディア」の為に、できる限りの事をすると誓っていた。
ヴァルダナも、「ファング」のかしらとしての知識・技能の向上や、今後の活動方針を考える為の参考として、外の世界を見てみようと思っている。ナワープや彼女との間の子と共に過ごせる時間は、あまり長いものにはならないだろう。
ビルキースとマリカは、女スパイとしてこれからも、「ファング」を支援して行くつもりだ。ヴァルダナと「グレイガルディア」の外での行動を共にするのも、その事を目的にしていた。
ジャールナガラも、密貿易などを通した彼なりのやり方で、「グレイガルディア」に貢献して行こうとするだろう。
「そろそろ、スペースコームジャンプを実施する頃だぞ。その間は、この展望デッキは閉鎖になる。航宙指揮室にでも移動しようか。」
宇宙船のオーナーであるジャールナガラが、一同を促した。加速による1Gの重力のおかげで、皆がてくてくと軽快な靴音を響かせて通路を歩いた。
不愛想だが清潔感のあるベージュ色の通路の先に、航宙指揮室の入り口が見えてきた。その時、T字路になっている通路の別の方角から、声をかけて来る2人組がいた。
「あら、皆さん。展望デッキにおられたのでは?」
「おやおや、ナワープ嬢にマリカさん。もうじきスペースコームジャンプですのでな、デッキから航宙指揮室に、場所を改めるところなのですわ。」
ジャールナガラの説明の間にも、ラーニーとビルキースは、新たに一同に合流しようとする2人に走り寄って行った。
ビルキースがナワープの腕を、ラーニーがマリカの腕を、力いっぱい抱え込むような姿勢で、付き添って歩く。すっかり打ち解けた彼女達は、傍目には母と3人の娘にも見える。
ナワープは、立場としてはラーニーの義理の妹だが、3姉妹の長女といった風情だ。次女のビルキースに腕を取られて夫の一行に近寄って行く。末娘のラーニーは、母の立場のマリカに甘えている。
「赤ん坊は、機嫌よく寝たのですかな?」
聞かなくても分かる事を、わざわざ尋ねるイシュヴァラ。
「マリカさんが手伝って下さって、とても助かってるわ。」
尋ねたイシュヴァラを無視して、ナワープの答えは夫に向けられた。
「マリカさんを、そんなに引っ張ったらだめですよ、姉上。」
嫁の報告を他所に、ラーニーを窘めた若い一児の父。
「あらいやだ。ものすごく年寄り扱いされてしまっているわね、私。」
同年輩のアジタに、マリカは笑いかけた。
「この歳になると、仕方ないですな。」
難しい顔の多くなったアジタも、マリカの笑顔には頬が緩む。
「まあ、アジタったら、まだまだ、老けさせてなんてあげないわよ。」
2人の笑顔が嬉しいビルキースが、悪戯な視線を彼等に浴びせる。
「私も、マリカさんには遠慮なく甘える事にしたのよ。」
ラーニーは、ヴァルダナへのきっぱりとした宣言口調。
「さあさあ、皆さん、航宙指揮室にお入りください。入ったら直ぐに、適当な席に身体を固定してくださいね。間もなくスペースコームジャンプですから、固定しておかないと危険です。」
数分後、シートに身体を固定した一同は、航宙指揮室の中央に浮かぶ三次元映像に視線を集めていた。模式化され立体表示された船体が、空中に巨大な映像として浮び上がっている。
「ワープインシーケンス開始。ウィング、オープン。乗員は回転加速の衝撃に備えよ。」
操船オペレーターが告げると、三次元映像に示された船体側面から、板状の構造体が引き出された。ヴァルダナとナワープとラーニーとマリカは、初めての経験に興味津々だ。
「直進速度、回転速度、共にプロパー。十秒後に強磁場展開開始。各部署は精密電子機器の作動停止を確認。」
十秒が過ぎた。
宇宙船が、精密に強度の制御された磁場を展開し始めた。
強磁場の展開が始まると、宇宙船内の時空は急速に不安定化した。艦の外部と、決定的な時空断裂を生じ始める。スペースコームならではの現象だ。銀河のあちこちに筋状に走るスペースコームの中では、こんなにも容易く時空はほころぶ。何故なのかは、誰も知らない。
不安定化された時空間はビルキースに、聞いた事も無いラーニーのカイクハルドへの想いの言葉を届けた。
今、右隣に座るラーニーが沈黙しているのは間違い無い。ラーニーの過去の独り言が、時間を超えて今のビルキースに届いたのか、もしくは、胸中の呟きが、空間を無視してビルキースの胸の中に伝搬したのか。
「カイクハルドといる間、ずっと私は、サンジャヤ兄様の存在を感じていた。彼の中に、兄様が息づいているように思っていた。名目上でどんな立場にさせられようと、どんな乱暴な言葉を投げかけられようと、彼が私を傷つける事など無く、命を賭けて守ろうとしてくれる事を、疑う気持ちにはなれなかった。」
初めて知るラーニーの本心に、ビルキースは不思議な感動を覚えた。
「それに、私の中に何かを求めてくれている事も、私を必要としてくれている事も、常に実感できていた。それが何かは、最後まで分からなかったけど、自分が必要とされている、と感じられた事も、過酷な運命を乗り越える、大きな力になった。」
沈黙しているラーニーから伝わった言葉に、ビルキースは思わず、彼女の手を強く握り締めた。
空間跳躍と、遥かなる宙域への旅に挑もうとする宇宙船の船内にあって、オペレターの無機質な声と各種計器類の作動音だけが、航宙指揮室を満たしていた。
「磁場強度プロパー、直進加速、回転加速が実現後、本船はワープする。衝撃に備えよ。」
ラーニーも、ビルキースの声を聞いた。今、左隣に座っているビルキースからのものではない。過去の彼女が、口から零したか内心で呟いたかの、どちらかの言葉が、時空間の歪みによる何らかの摩訶不思議な作用で、ラーニーの心に声として響いてきた。
「初めて会った瞬間に、独占も束縛もできない人だと分かった。でも、傍に居るだけで、世界が広がるような、自分の進むべき道が先々まで照らされるような、そんな気持ちにさせられた。」
彼女の心に映し出されているのが、自分の知っているカイクハルドでは無く、15歳のビルキースが見た二十歳のカイクハルドである事にも、ラーニーは気付かされた。ラーニーが見たことも無いはずの、若さに溢れた瞳を、彼女は今、はっきりと心の内側に想い描く事ができた。それが、どれほどビルキースに勇気を与えたかを、ラーニーは思い知った。
「自分にも、何かできることがある。自分だって、誰かの力になれる。そう自信を持って、私は私の道を歩む事ができた。カイクハルドがいたから。あのギラギラした眼で見つめられた時間が、あったから。」
強く手を握られたと感じたラーニーは、ビルキースの手を握りかえした。ビルキースと同じ位に、強く。
ヴァルダナは、「グレイガルディア」に戻って来た後に訪れるであろう、戦いの日々に想いを馳せた。カイクハルドのように、気に食わない奴に徹底的に噛み付いて回る決意を、改めて強く胸に抱いた。
ナワープは夫の手を握った。彼が戦いの日々に戻って行くまでの、束の間の夫婦の時間を、精一杯に味わうのだ、と自分に言い聞かせて。
マリカは、左隣のラーニーに腕を絡められながら、ビルキースを託された責任を実感していた。いずれ再びはじまるであろうスパイ活動の日々の中で、自分が必ずビルキースを守り抜かなければ、と強く想った。ラーニーの為にも。
アジタもイシュヴァラもジャールナガラも、それぞれに、これからの活動への決意を新たにしている。「グレイガルディア」の安寧の為に、できる限りの事をしよう、と。
七色の光に船体が包まれている様は、乗員達の目には入らない。水滴状の光が飛び交っているのも、乗組員に感知できる現象ではない。が、光は確実に満ち、時空間は断ち切られ、船は、宇宙を支配する全ての理不尽な物理法則から解放された。時間も空間も、もはや彼らを縛れない。
「スペースコームジャンプ、発動っ!」
暗雲漂う「グレイガルディア」を後にして、彼等は、天文学的スケールの空間跳躍によって連れ去られた。時空を切り裂く七色の光は、重く垂れこめた「グレイガルディア」の暗雲を、いつの日にか切り払う事ができるのだろうか。
「グレイガルディア」星団帝国の、どこだか分からない場所、いつだか分からない時間、1隻の戦闘艇が、滑るように漆黒の虚空を走っていた。
「ナースホルン」だった。そのパイロットが、何十時間かぶりで目を醒ました。
「あれ?なんだよ、俺、まだ死んでねえのか。案外、なかなか、死なねえもんなんだな。」
目覚めても、身を起こすわけでも無く、首を巡らせるわけでも無く、瞼を開きもしないパイロットは、心中だけの活動を活性化させる。
「ここ、どこだ・・・?いつから、こんな状態なんだ・・・?何で俺、こんな状態になってるんだっけ・・・?・・・ダメだ、何にも、思い出せねえ。・・・自分の名前ですら、思い出せねえ。俺・・・何をやってたんだ?どこへ、向かってるんだ?」
電力の潰えている「ナースホルン」のコックピットの中は、外の宇宙と同じくらいの暗闇だ。
「・・・そうだ、確か、盗賊を追い払って、戻るところだった。自分の出身の盗賊団が、宇宙船を襲ったんだ。その船は、宇宙を漂流してた俺を助けてくれた船だった。盗賊団を追い散らし、船を守る為に、俺は戦ったんだった。それで、それが片付いたから、今から母船に帰投するんだったぜ。」
暗闇の中で、パイロットの頬は緩んだ。
「そうだ、そうだ。今から、またあの女のところに戻るんだ。イイ女だったんだよな。見ず知らずの俺に、要求すらもしてないのに、食べ物や衣服や優しい言葉を、いっぱい与えてくれてよ。奪わなくても、欲しいものが手に入るなんて、生まれて初めての経験だったんだよな。それどころか、襲ったり奪おうとしたりしたんじゃ、絶対に手に入らねえものまで、与えてくれたんだ。あの笑顔、あの声、あの肌の温もり、今まで襲って手にかけた女達が誰一人くれなかった、一度も奪えなかった、最高のもの。」
シートに深々と沈み込み、パイロットは思い出の世界に入り込んで行く。
「あれを、今からまた、与えてもらえるんだよな。あったかい肌を味わって、優しい声に包まれて、その上、あれも、与えてもらえるんだろうな。あれ・・・あれ?あれって、何だ?あれ・・あれだよ、あれ・・・あれ?あれって、なんて言うんだっけ?あの・・・ほら・・・あれだ・・・あの・・・あれ・・・ちくしょっ、何だよ、何遍も口にして来たはずの言葉すら、思い出せねえなんて。なんだっけな?あれ・・・あの、あれ・・・あれ、何て、言うんだっけ?」
もがくように、パイロットは顔を左右に揺らした。
「あれだよ・・・あれ・・・何だっけ・・・あれ・・・あったかい肌と、優しい声と、それ以上に、イイ気持ちにしてくれる・・・最高の・・・あれ・・・あれだ・・・あれ・・・あれぇ?・・・あれ・・・あれれ・・・あれあれ・・・あっれぇ?・・・あっ、そうそう、思い出した」
思い出すと同時に、また、宇宙に代わって、眠りの世界が彼を包み始めた。落ちて行く意識の中で、想起された言葉だけを、彼の口は紡いだ。
「熟成された、愛だ。」
今回の投稿は、ここまでです。 次回の投稿は、 '19/10/19 です。
本編は終了したのですが、「グレイガルディア」の情勢は何一つ完結した感じが無く、依然として混迷を極めている様相です。「ここで終わっていいのか?」との声も、聞こえて来そうです。実際、この物語が下敷きにしている古典作品においては、ここからが物語の本題といっても良いでしょう。ですが、カイクハルドの率いる「ファング」が、この物語なので、ヴァルダナが率いる「ファング」が活動を続けようが、帝政打倒の新たな戦いが巻き起ころうが、この物語はそれを語らずに終了するのです。この後の「ファング」にまつわる各キャラクターの詳細などが、いつか何かの形で語られるのか、語られないのか、それも分かりません。語りたい想いは、作者の胸中にあるのですが・・・。というわけで、
次回 エピローグ です。
「ファング」にまつわるキャラクターたちのその後の詳細は、語られるかどうかわかりませんが、幾人かのその後については、エリス少年を通じて少しだけ明かされます。いわゆる「歴史に名を遺し」た人たちについては、エリス少年の頭の中に、知識として存在しているのです。「銀河戦國史」シリーズの一番の主題である、「全銀河における一万年の全人類の歩み」というものに、想いを馳せて頂ける読者様がおられれば、これにすぎる幸せは作者にはありません。よろしくお願い致します。




