第44話 娼婦に生まれた女と盗賊に生まれた男
「そうなんだ。『ファング』が、『アウトサイダー』の過酷な運命を断ってくれるかもしれないんだ。」
数か月に及んだ教育プログラムを経たビルキースは、「グレイガルディア」の現状に、そんな感想を持つに至った。
彼女は、とある連邦支部にたどり着いていた。「メーワール」とかいう星系のオールトの雲の中に建造された、円筒形の宙空建造物だった。高度な技術が必要とされる円筒形の宙空建造物は、「グレイガルディア」では極めて珍しい。人工の宙空建造物としてはリング状のものがほとんどだし、下層民の集落などは、小惑星等の天然の岩石を刳り貫いて内部に造り込んだものが大半だ。
直径が10kmもあるという、巨大な円筒内部の目も眩むほど広々とした景色は、ビルキースには驚愕だった。円筒の湾曲した内壁面に張り付くように、街や森や農園等がある。丘もあるし、川が流れていたりもする。高低差がある、という事だが“高地”というのは円筒の中心軸に近い位置の事だ。その中心軸の辺りの空間を“空”と認識できる広さを、直径10kmという建造物のサイズが実現している。
この円筒形宙空建造物を提供したという銀河連邦のスケールの大きさに、彼女は圧倒された。
アジタに拾われて乗せられた宇宙船が、十数日の旅を経てそこに彼女を導いた。教育プログラムの大半は、連邦支部にたどり着いた後で実施されたものだった。
そこは、「銀河連邦グレイガルディア第一支部」との正式名称が与えられていた。元々は皇帝一族の居住星系に置かれているのが「第一支部」と呼ばれていた。彼等への指導や支援が、当時は最重要の活動とされていたからだ。しかし今では、帝政にも軍政にも貼り付かない、独自の活動を「グレイガルディア」で実施しているのが、「銀河連邦グレイガルディア第一支部」だった。帝政や軍政に対する銀河連邦の態度や考えが、その事に示されている。
「グレイガルディア」の約3分の1に当たる宙域が、スペースコームと呼ばれるワープが可能となる空間の中にある。連邦本部にアクセスする為には、そのスペースコームでワープ航法による旅をしなければいけない。
現在の「第一支部」はそのスペースコームの中にあるので、連邦からの人や物資や情報が満ちていた。
ビルキースはここで、教育プログラムに続いて、外の世界の産品に触れたり、文物を目にしたり、人々と交流したりする機会を持った。
民主主義などという、全ての民衆が政治的発言権を持ち、政策決定にも関与でき、全ての民に配慮する政治が統治者に義務付けられ、全ての民の人権が尊重される政治体制が実現している国がある事も知った。
人類発祥の地球という惑星では、何千年も前から実施されていて、宇宙系人類の幾つかもずっとそれを維持し続けており、一旦民主主義を喪失したり忘却したりした宇宙系人類の幾つかも、地球系人類の指導の下で回復に成功している、と聞かされた。
宇宙系人類や地球系人類というのも、ビルキースはこの時初めて知った言葉だ。数千年前に起こった人類発祥の星での壊滅的な戦争の惨禍から逃れ、行く当ても無く宇宙に拡散し去った者達が、宇宙系人類の祖先で、地球に残り、数百年かけての廃墟と化した惑星の復興を成し遂げた後、宇宙系人類に数百年遅れて宇宙に乗り出した者達が、地球系人類の祖先、という事だった。
宇宙系人類は、限られた人数と未熟な技術や装備で、宇宙を放浪する生活を長期に渡って強いられた。その事から、多くの技術や知識を失い、文明的には大幅な後退を余儀なくされた。その一方で地球系人類は、戦争による壊滅的な破壊を経験した地球において、多くの技術や知識をなんとか継承する事ができたので、文明の水準が高い。地球系人類との再会を果たした宇宙系人類の多くが、地球系人類の技術支援を必要とする理由だ。
地球系人類や、それと密接な繋がりを持つ宇宙系人類が享受している、先進的で開明的な暮らしぶりを知れば、「グレイガルディア」の置かれた現状や彼女が生きて来た環境が、とんでもなく惨めで情けないものに、ビルキースには思えた。
唯一の生活手段と思い込んでいた、体を売って銭金を得る暮らしが、何とも憐れで悲しいものに感じられた。世界にはそれ以外に、喜びや幸せに満ちた多様な生き方がある事を生まれて初めて教えられ、わが身の不幸をしみじみと思い知らされた。
ビルキースには、「グレイガルディア」の外の開明的な銀河連邦加盟国の1つに亡命して、そこで生きる、という選択肢も与えられた。たまたま連邦エージェントに保護された、という幸運だけで、そんな選択肢が発生したらしい。
同じシャトルで銃殺された娼婦仲間達を思うと、ビルキースはいたたまれなかった。少し狙いがずれて一命をとりとめれば、彼女達にもそんなバラ色とも思える人生が与えられたのに。
この「グレイガルディア」において、エージェントに保護されるという幸運に出くわさなかった全ての「アウトサイダー」や下層民達にも、ビルキースは憐憫の情を禁じ得ない。そんな人々を差し置いて、自分一人が幸福に浸る事は、ビルキースにはできそうにもなかった。
この「第一支部」で暮らし続ける、という選択肢もビルキースには与えられていた。資源採取には困難な、“痩せた”星系のオールトの雲の中という環境にある支部だが、銀河連邦の卓越した技術は、こんな宙域でも十分な資源の採取を可能としていた。
自律的に軌道を修正する機能のある人工彗星が、希薄な星系ガス雲から少しでも濃度の高い経路を選んで飛翔し、必要な資源を強引に掻き集めるらしい。必要元素をイオン化して広範囲から電磁力で誘引する、とかいう採取のメカニズムは、教育プログラムを経たビルキースにも理解に難があったが、ともかく「グレイガルディア」の住民には生息困難なこの宙域が、「第一支部」には十分活動可能な場所となっている。
もちろん、裕福な生活はできない。帝政貴族達の暮らしぶりに比すれば、質素に過ぎるものだ。だが、体を売らなくても食べて行ける。ビルキースは口にしたことも無かった、生物経路食材や生物由来食材も多種多様に取り揃えられ、変化に富んだ食生活を楽しむ事もできる。
一人ぼっちでも無い。共に暮らして行く住民もいる。千人近い人々が、この「第一支部」と呼ばれる施設で暮らしているし、ビルキースと同じく、元娼婦だった者も少なくないという。娼婦の経歴を理由に蔑まれる事もあり得ない、と元娼婦の1人に太鼓判を押してもらった事もあった。
ビルキースは迷った。様々な知識を得て、内外の事情に精通し、その上で自分がこれからどう生きるのか、簡単に結論は出せなかった。
体を売る暮らししか知らずに死んで行った娼婦仲間や、この国で貧しい暮らしを送っている「アウトサイダー」や下層民の事を想うと、自分だけが豊かな国に移り住んだり連邦支部の世話になったりして生きる、というのも心苦しいものがある。とは言え、惨めなものだと気付かされた、ただ体を売って糧を得るだけの生活に戻るのは、もはや受け入れ難い事だった。
答えを求めて、ビルキースは内外の産品や文物を見分する機会に数多く触れた。人との交流も積極的にこなした。そんな中で知り合い、深く心を通わせられる仲間にまでなれた者達がいた。
仲間の中に、カイクハルドがいた。知り合って数日後に聞かされた彼の生い立ちは、ビルキースには一生忘れられないものとなった。
ビルキースが生まれつき娼婦だったように、カイクハルドは、生まれつき盗賊だったそうだ。彼等が根拠地としていた小惑星の近くを通りかかる宇宙船を襲い、乗組員を皆殺しにし、物資を奪って生活の糧とする。生まれつきそうして来た暮らしぶりを、当たり前のものだと思い込み、疑う事もなく生きていたらしい。
小惑星の中に造り込まれた根拠地には、資源を採取する能力は無い。資源採取が可能な宙域でもないし、そんな事は始めから考慮していない。盗賊行為の拠点とする為だけの場所だ。盗賊以外の暮らしの立て方など、そこにいる誰も、考えもしなかった。
相手を皆殺しにするのも、当然だった。誰か一人でも残せば、その者から彼等の根拠地の場所が権力者に伝わり、討伐の対象になる可能性がある。全員殺してしまえば、通報される事も無く、末永く盗賊を続けていられる。
宇宙船を見つけて襲撃し、迷う事も、何かしらの想いを巡らせる事も無く、速やかに皆殺しにして、全ての積荷を奪う。武装している宇宙船は襲わない。無抵抗な非武装の宇宙船だけを襲う。それも、彼等には当たり前の事だった。
若い女が乗っていれば、当たり前のように犯す。犯して殺すか、連れて帰って子を産ませてから殺すかは、その時の気分次第だった。ほとんどの場合は、犯した直後に殺した。帰りの荷物は、少ない方が良いから。ビルキースは、彼女の仲間を皆殺しにした連中も、カイクハルドのもと居た盗賊集団と同類なのだろうか、と思った。
ビルキースが、いつ初めて体を穢されたか知らないように、カイクハルドも、いつ初めて女を穢したかを知らなかった。物心がついた頃には、既に数え切れない数の女を穢していた。犯して殺してその亡骸の横で、奪った食料にかぶりつく。そんな事が日常だった。
ある時、カイクハルドとその仲間は、襲った船から反撃を受けた。非武装だと思い込んで近付いた宇宙船が、予想外に武装を有していた。ちょっとした武装による反撃で、簡単に返り討ちにされるような、脆弱な盗賊団が彼等だった。たちまち壊滅し、離散し、遁走した。
カイクハルドは、損傷した機能不全の宇宙艇で虚空を彷徨った。戦闘艇と呼べるほどの武装も無い、工作用の宇宙艇を奪って来て貧相なレーザー銃を取り付けただけのものだ。3人乗りの艇だったが、カイクハルド以外の乗員は死んでいた。仲間の死に何らの感慨も抱かぬほどに、人の死はカイクハルドには日常だった。そして自分の死にも、何の感慨も湧きはしなかった。
死を恐れる感性を育む事も無かった虚しい精神が、目に映る漆黒の宇宙を眺めたまま、飢えと寒さに耐え兼ねて途絶した。が、死んだわけでは無かった。
意識を回復したカイクハルドは、偶然近くを通りかかった宇宙船に救助された自分を認識した。宇宙船の者達は、衰弱著しかった彼に温かで美味しい食べ物を与えてくれ、穏やかな声で話し掛けて来た。
カイクハルドは驚愕した。襲って殺すのが当たり前の、“人”という存在が、襲ったり傷付けたりしなければ、こんなにも優しくしてくれるものなのか、と。救助してくれた者達の優しさは、尽きる事が無かった。腹が減ったと言えば、次から次へと食料が運ばれて来た。襲って殺せば、そこにあった分の食料だけしか手に入らなかったが、殺さなければ人は、食料だけでなく笑顔も穏やかな声も、こんなにも後から後から溢れさせるのだ。
(なぜ殺して来たのだろう?)
カイクハルドは、慙愧の念を覚えた。なぜ、奪う、などという行為に固執したのだろう?求めてもない食料や笑顔を、こんなにも簡単に与えてくれる“人”というものに対して。
カイクハルドは、自分が何か、とてつもなく大切なものを知らないまま育って来た事を、この時初めて痛感した。とんでもなく間違った生き方をして来たのだ、と思い知らされた。
救助してくれた人達の中で、比較的若い女が一人、最も頻繁に彼のもとに食料と笑顔を運んで来た。体力が回復したカイクハルドは、当たり前のように彼女を犯した。その眼に年頃の女が映れば、そうするのが当たり前だった。何の疑いも無く、何の思慮も無く、ただ本能に従ってその女の肢体を貪った。
だが、彼女の反応はまた、カイクハルドに衝撃を与えた。暴れたり悲鳴を上げたりするのがいつものパターンなのに、彼女は、優しい微笑を絶やす事く、大きな声も物音も上げなかった。笑顔で見つめられながら襲う、という初めての経験に、カイクハルドは戸惑った。
事が終わった時、カイクハルドは実感した。力ずくで、無理矢理に穢して来たこれまでの交わりを数倍した、この時のその女人との交わりのもたらした、壮大な幸福感を。力ずくで奪う事で、こんなにも素晴らしい幸福感を台無しにして来たのか、と彼は歯噛みした。
襲ったり奪ったりして得られるものより、優しさや慈愛に身を委ねる事で得られるものの方が、遥かに幸福な気持ちになれる。何より、人の笑顔、という力ずくでは決して得られない幸福の素を、カイクハルドは愛しく感じた。
その女とは、何度も交わった。力ずく、という事はもう必要なかった。時には女の方から求めて来た。奪ったり、こちらから要求したのでは得られない幸福を、カイクハルドは何度も味わった。
生き方を変えなければ、暮らし方を考え直さなければ、そんな想いを、カイクハルドは彼女が去った後の一人の部屋の中で、ずっと巡らせ続けた。
その彼が乗った船が、盗賊に襲われた。戦う事を知らぬその船の主たちは、ただひたすらに逃亡を図った。が、逃げ切れぬ事を、カイクハルドは熟知していた。
襲撃者たちは、ある場所にその船を追い込むような襲撃の仕方をしている。自分自身が何度もやって来た事なので、カイクハルドには手に取るように分かる。カイクハルドは生まれて初めて、誰かを守るための戦いを決意した。
その船には、軽微な武装が施された宇宙艇が、1隻だけ積載されていた。それを駆ってカイクハルドは、宇宙船を飛び出した。
たった1隻の、軽武装だが命懸けの宇宙艇は、十数隻で群がる盗賊の宇宙艇を、簡単に蹴散らした。物資搬出入用の宇宙艇に、出力の小さいレーザー銃が1門搭載されているだけだったが、カイクハルドは無敵の闘い振りを見せた。彼が強いというより、相手が弱過ぎた、と言うべきだろう。宇宙艇の機動性とメンテナンスの施し具合が、決定的に違っていた。
弱すぎる襲撃者達は自分のもと居た盗賊団だ、とすぐに気付いたカイクハルドだったが、容赦なく殺意の籠ったレーザーを浴びせた。襲ったり殺したり奪ったり犯したり、という事しか教えなかった連中より、カイクハルドには、優しさと慈愛と笑顔をくれた人々の方が大切だった。
必死の戦いの後、盗賊共を追い払ったカイクハルドは、宇宙船へと帰還した。宇宙船の中では、彼を救ってくれた人々が、皆殺しにされていた。彼が外で暴れている間に、別動隊が宇宙船を襲っていたのだ。
彼に世話を焼いてくれた例の女も、彼がこれまで何度もそうしたように、幾人もの盗賊達に、執拗に繰り返して徹底的に弄ばれ、穢された末に、頭を撃ち抜かれ、重力の失せた船内に全裸の骸を漂わせていた。優しい微笑をカイクハルドにくれた顔が、恐怖と苦痛と屈辱に歪んだまま、凍り付いていた。温かかった肌は、黒ずんで行く事で体温の喪失を示していた。血の通わなくなった四肢には、曝しものにされたくない部分を覆い隠す力も、もはや宿る事は無いだろう。
これまで何の感慨も無く眺めて来たのと同じ光景に、彼は無惨を感じ、嗚咽を止められなかった。憤りに胸を掻きむしり、悲しみにのたうち回った。
食料も噴射剤も奪い去られ、宇宙を漂流するしか無くなった宇宙船の中で、若きカイクハルドは、惨劇の跡だけを、数百時間もボーっと眺めて過ごした。
エネルギーの尽きた宇宙船は、冷却の一途をたどっていたが、寒さも、空腹も、カイクハルドは感じていなかった。目の前に広がる惨劇の跡と、これまで彼が作り出して来た惨劇の光景を、繰り返し目と心に映し続けた。
目の前の、彼に食料や優しさや笑顔をくれた人々を惨殺したのも、自分自身のような気がして来た。それは、死をもって償うしかないものに、彼には思えていた。
このまま自分も死のう、と思った。寒さと飢えに苛まれ、初めて優しさをくれた人々の惨殺死体に囲まれながら、この呪われた人生を終えよう、とカイクハルドは思っていた。
どれくらいの時間を要したかは分からないが、寒さと飢えは、カイクハルドから意識を奪った。沈黙した宇宙船は、ただあても無く宇宙を彷徨ったはずだ。そんな宇宙船が銀河連邦のエージェントに発見される、などというのは、奇跡と呼ぶにしてもあり得ないような出来事だった。
ビルキースの時と同じような奇跡の出来によって、カイクハルドの人生は継続された。救われた者からすれば奇跡のような出来事だが、銀河連邦のエージェントにとっては、日常的な事だ。ちょっと巡回を実施すれば、こういった手合いにすぐに出くわすのが、「グレイガルディア」だ。
命を救われ、ビルキースと同様に教育プログラムを施されたカイクハルドは、更に外の世界を見分する機会も与えられた。
ビルキースが出合った時のカイクハルドは、数年に渡る銀河連邦加盟国への歴訪を終えた後だった。ビルキースがアジタに救われたのは、カイクハルドの数年後の事だった。
「それで、あなたは『ファング』に入って、盗賊や傭兵として戦い続ける事にしたの?」
15歳のビルキースが、二十歳のカイクハルドに尋ねた。
「ああ、『ファング』に入って、『アウトサイダー』を蔑んだり排斥したりしている連中に、噛み付いてやるんだ。権力者達に、『アウトサイダー』の事もちゃんと考えないと自分達が痛い目に合う、って思い知らせてやるまで、徹底的に暴れてやるんだ。俺は盗賊として生まて来たから、襲って殺して奪って犯して、って事しかできねえけど、それを、権力を保持し『アウトサイダー』を虐げる連中だけに相手を絞ってやれば、少しは『グレイガルディア』をマシな国に近づけて行けるかもしれねえからな。」
彼のやろうとしている活動は、多くの人の命を奪うものだろう。そんな事をしなければ、「グレイガルディア」は良くならないのだろうか、とビルキースは悲しい気持ちになった。だが、それを語るカイクハルドの瞳は、彼女にはとても眩しいものに見えた。
教育プログラムを経て、色々な知識を経た結果、これからどうすれば良いか分からず迷うばかりの自分に比して、カイクハルドは、自分の進むべき道をハッキリと見定めている。決意と情熱が、その瞳から迸っている。
彼のやろうとしている事が正しいのかどうか、分からない。多くの人命を奪うものだと思えば、恐ろしくも悲しくも思える。それでもビルキースは、カイクハルドの活動を支えたい、と思った。
連邦支部の与えてくれる教育プログラムや、その他の様々な経験や交流は、確かな知識や考えを身に付けさせてくれるものだ、とビルキースは実感していた。それらに自分以上に時間をかけて取り組み、更に銀河中の国々を歴訪する程の意欲的な活動をしてきたカイクハルドがたどり着いた結論ならば、自分もそれに、賭けて見ても良いのではないか、と彼女は感じた。
「アジタは『ファング』の活動を、あまり良くは思っていないみたいよ。」
ビルキースがカイクハルドに教えた。
「そうだな。あいつは、軍事政権の中枢に侍って、その統治を少しずつでも、法の支配や人権尊重に則ったものに近づけて行く、っていう穏健なやり方を選んだようだ。それも当然必要な事だ、と俺も思う。だが、それだけじゃダメだ、とも俺は思う。アジタだって快くは思っていなくても、『ファング』の活動を否定しているわけじゃねえ。」
「そうね。できれば人の命を奪ったりしないで、『グレイガルディア』を良くして行ければ良いのだけど、今こうしている間にも、多くの『アウトサイダー』が苦しい生活の果てに命を落として行っている、って事を想うと、『ファング』みたいな荒療治的な活動も、やらないと仕方が無いようにも思えるわね。」
ビルキースには、まだ迷いがあった。「ファング」の活動が正しいものなのかは、よく分からない。でも、カイクハルドの決断と行動は、支えてあげたい気がする。それは15歳の少女の、二十歳の青年に対する個人的な憧れのようなものかもしれない。彼と話すときの胸の高鳴りが、国の将来を想う熱意の故なのか、彼への少女的な想い故なのか、ビルキースには判別できなかった。
「本当に『ファング』は、『アウトサイダー』や下層民を標的にした盗賊はやらないの?そんな事、ちゃんと徹底できるの?」
「それは心配ねえ。そんな事をしようとしたら、遠隔操作で動けねえようにされちまう。だが、俺が『ファング』である程度立場を固めたら、更に厳しいルールを付け加えてやろうと思ってる。」
「さらに厳しいルール?」
「そうだ。女に暴力を振るった奴は即、銃殺刑、ってルールだ。物を力ずくで掠奪する事は許すが、女を力ずくで犯すのは禁止だ。力のある奴に噛み付く、ってのが『ファング』の流儀のはずだからな。女を力ずくでモノにしようって行為は、その『ファング』の流儀に反してる、って俺は確信している。」
「でも、権力者の娘の喉元に噛み付くこともあるんでしょ?」
「そりゃあ、権力者としての力を振りかざして『アウトサイダー』を虐げたり、財力をひけらかして『アウトサイダー』を蔑んだりしてる奴なら、男であれ女であれ、『ファング』は噛み付くさ。だが、『ファング』の眼の前に引き立てられて来た女には、もうそんな権力も財力もねえはずだ。力を失った、ただの女に暴力を振るうのは『ファング』じゃねえ。そんな事をした奴は、即死刑が当然だ。」
やはりビルキースには、彼の言葉の是非はよく分からない。だが、それを語る彼の目の輝きには、圧倒される。自分の信じた道に、突き進んで行ける喜びに満ちている。
何が正しいかなんて分からない世の中だ、とビルキースは思った。ならば、正しいかどうか分からなくても、彼の瞳の輝きに、自分の人生を賭けてみても良いのではないか。
カイクハルドが、盗賊としての生き方しか知らないように、ビルキースは、娼婦としての生き方しか知らずにここまで来た。だから彼女は、娼婦に扮したスパイとして、体を武器に情報を獲得する事で、「ファング」やカイクハルドを支えて行こう、と決意した。
「銀河連邦グレイガルディア第1支部」での、質素だが平穏な日々の中で、カイクハルドと数か月の時を共に過ごす中で、ビルキースのたどり着いた結論だった。
彼の語る言葉の内容では無く、穏やかな「第一支部」での暮らしの中でも決して衰える事の無い、彼の眼光の激しさこそが、彼女の決意の源泉だった。
他にも多くの人々が、この「支部」では保護されていた。過酷な境遇の末にここに至った人々であるはずなのに、皆が一様に柔和な目の色になっている。それほどに、ここでの生活は、質素でも穏やかなものなのだ。その中で、カイクハルドの眼だけがギラギラしていた。
彼の駆る宇宙艇に乗って「メーワール」星系を共に飛び回ったり、油まみれになって一緒に生産設備のメンテナンスの実習をしたり、カイクハルドとは充実した時間を沢山過ごしたが、その間も彼の決意と眼光は、ビルキースを熱く火照らせるほどにギラギラし続けていた。彼の眼光に、彼女は折れたのだった。いや、堕ちた、と言うべきか。
アジタが軍事政権に政治顧問として向かい、カイクハルドが「ファング」に新人パイロットとして参加するのにタイミングを合わせて、ビルキースは「チェルカシ」星系というところに居るマリカという女に身柄を預けられ、スパイとしての技能の習得を目指す事になった。
「第一支部」での生活は、およそ半年に及んだ。その日々はビルキースにとっては、最も幸福感に満ちた時間だった。特に、カイクハルドと過ごした時間は、生涯忘れられぬものになった。銭金や情報を得る為だけではない、彼女の心と体の本当の価値を実感できた時間だった。スパイになる彼女の未来を、カイクハルドは本気で心配し、彼への支援の意志には、感謝の気持ちを誠実に伝えて来た。誰かに大切に想ってもらえる、という生まれて初めての経験を、ビルキースは味わった。
ここで知り合い心を通わせたのは、アジタやカイクハルドだけでは無かった。ジャールナガラという宇宙商人と、イシュヴァラというもう一人の連邦エージェントとも、数か月の時を共に過ごし、色々な事を話し合った。
2人とも、「グレイガルディア」の歴史や現状を詳しく学んだ上で、この国の為に自分にできることをやる、という決意を固めていた。
「グレイガルディア」の帝政貴族出身のジャールナガラは、連邦支部を通じて他国への亡命を果たし、今は、銀河各地を幅広く手にかける貿易商人となっているらしい。祖国と、その他の銀河連邦加盟国との貿易に従事する事で、この国に貢献するつもりだ、と語っていた。何年もかけて、銀河連邦加盟国に所属する商船に乗り込んで修行し、外国との貿易のノウハウを会得した、と鼻高らかに自慢していた小柄で丸っこいシルエットを、ビルキースは良く覚えている。
カイクハルドの連邦加盟国歴訪の旅も、彼の宇宙貿易船に乗って実施されたものらしく、銀河連邦が供与した最新鋭の戦闘艇等も、彼の宇宙貿易船によって「グレイガルディア」に運び込まれたそうだ。兵器の生産設備も導入されたし、幾人かの技術者も派遣され、根拠地で稼働しているという。「ファング」が無敵を誇る要因だ。
イシュヴァラは、アジタと同じく「グレイガルディア」の出身者ではない銀河連邦のエージェントだった。権力の中枢に侍って、統治政策の修正を図る活動を始めよう、としているアジタとは、対照的な活動を志向していた。
単独で国の隅々を巡り、目に映った1つ1つの集落や1人1人の民衆への、できる限りの技術供与や知識の普及を志す、という草の根の支援こそ重要との信念があるようだった。
若き日のアジタとイシュヴァラの、「グレイガルディア」の支援の在り方を巡る、口角泡を飛ばした激論も、ビルキースには懐かしく、そして微笑ましく思い出される。
アジタもイシュヴァラも、カイクハルドと共にジャールナガラの船で「グレイガルディア」へ運ばれて来て、数年間をこの「銀河連邦グレイガルディア第1支部」で過ごし、議論を深めたり知識を蓄えたりした上で、本格的な活動に乗り出すつもり、との事だった。
ここで知り合った仲間の内、「第1支部」から旅立って後、ビルキースが直接対面した事があるのは、イシュヴァラだけだった。「グレイガルディア」のあちこちを巡る活動の中で、「チェルカシ」星系を拠点とするビルキースのもとに、ちょくちょく顔を出してくれたのだった。
ある時イシュヴァラが連れて来た、帝政貴族の一人だという青年の事は特に、ビルキースの記憶に鮮明に焼き付いていた。「グレイガルディア」中の軍閥の、軍事政権への本音を聞いて回っている、というその眉目秀麗な青年を、イシュヴァラはカイクハルドにも会わせ、幾つかの軍閥の下には共に訪問するつもりだ、と言っていた。
「グレイガルディア」に大きなうねりが持ち上がろうとしている事を、ビルキースはその時に初めて感じた。
その、イシュヴァラが連れて来た男――サンジャヤ・ハロフィルドからの情報収集を画策して、ビルキースは彼と寝室を共にするところにまでは漕ぎ付けたが、彼は彼女の質問に何でもすらすらと答える割に、彼女には何も求める事無く一夜を過ごした。
寝室を共にしても何も求められなかった、という初めての経験だけで彼が印象付けられているわけではないが、カイクハルドとも関わりを持ち、「グレイガルディア」にうねりをもたらす事になる男の顔を、ビルキースは忘れられずにいた。
今回の投稿は、ここまでです。次回の投稿は、 '18/12/1 です。
ここでさらりと出て来ている、宇宙系人類や地球系人類にまつわる話や、銀河連邦などという存在は、「ファング」という物語においてはサブストーリーであり、脇役でもあるわけですが、「銀河戦國史」というシリーズにおいては、メインストーリーであり主役級でもある、ということを感じて頂けていれば、作者としては、しめたものなのですが。「ファング」の物語こそ、「銀河戦國史」という世界のほんの一コマに過ぎない、ということをさりげなく主張している説話だったわけです。ここまで長々と書いてきて、これからもまだまだ続く「ファング」という長編の物語ですら、一コマと化してしまう巨大な世界の存在を表現できていれば嬉しいのですけれど。その評価は、読者様にしかできないことです。作者は、ただ書き続けるのみです。というわけで、
次回 第45話 軍政中枢の動揺 です。
現状の確認や過去の回想などのシーンが長く続いていましたが、ようやく事態が動き出します。澱んでいた物語の流れが、再び勢いを増してきます。主要登場人物たちの背負うものを理解して頂いた方々には、また違った印象でこれからの戦いをご覧頂けるのではないかと思うので、よろしくお願い致します。




