第38話 救援・速攻・重荷
海洋性生物由来の食材で作った料理などは、「グレイガルディア」では滅多に手に入らない。それ用の生け簀を備えた生産設備は、この星団には数える程しか無い。それも、回遊性の高い魚を育てるとなると、とてつもなく高度な技術が必要となり「グレイガルディア」での生産は皆無のはずのものだった。
だが、「ファング」経由で銀河連邦から技術を導入できるビルキース達は、“鰤の刺身”なる料理を「ラストヤード」ファミリーに振る舞った。その濃厚な旨味に驚愕させられたのは言うまでもなかったが、生魚のねっとりした舌触りには、ターンティヤーのビルキースへの欲情を、更に高める効果もあった。
鰤の照り焼きや鰤大根など、他の生物由来の食材や調味料もたっぷり使った料理の連続に「ラストヤード」の幹部達も、母に甘える稚児のような心持ちにさせられて行く。ビルキースの色香に気圧され気味だったターンティヤーの心も、生まれて初めての美味珍味に、すっかりほぐれて行ったらしい。
酒も娯楽も、ビルキース達の提供する全ては、「ラストヤード」の幹部達を正体も失うほど堪能させ、警戒心を消滅させて行った。
ターンティヤーもビルキースの、上目遣いで懐から見上げて来る眼差しや、遠慮も無く腕や脚に触れて来る柔らかな手付きに、骨を抜かれ、力を抜かれ、魂まで抜かれそうになっている。
「軍政を実質的に牛耳っているファル・ファリッジ達の、『ラストヤード』ファミリーへの待遇は、年々冷淡なものになっている。このままでは棟梁の私も面目を保っていられないし、ファミリー内部に深刻な亀裂を生じかねない。家臣にも愛想を尽かされかねないし、領民の心も離れて行くかもしれない。これを放置しては、『ラストヤード』ファミリーに健常な未来は無い。」
いつしかターンティヤー・ラストヤードは、軽はずみに口にはできないはずの一門の内実や軍政への不満を、ビルキースの前で吐露していた。
ベドッドルームへの誘い文句を吐かせ、3回に渡って欲情を発散させ、心を覆うベールを全て剥ぎ取るまで3時間と要する事は無かった。食事の為に加速して発生させた重力は、わざわざその為だけに維持されている。心地良い荷重を感じられる戦闘艦の中のベッドの上で、ビルキースの手管は炸裂した。
一糸纏わぬビルキースを腕の中に収めるターンティヤーは、生まれたままのような無防備な頭脳で、彼女へと言葉を紡いでいる。ファミリー運営への不安や軍政への不信が、止め処も無くその口から溢れている。
「軍政の中に、頼りにできる方はおられぬのですか。」
湿り気のある視線と彼の腕を温める体温が、その言葉を、心からの思いやりに溢れた質問だと思わせる。敵方のスパイに探りを入れられている可能性など、ターンティヤーは、思いもよらないようだ。
「世話になった人もいる。恩義のある人もいる。軍政の中にはな。だが、そういった人達も、中枢からは徐々に疎外されつつある。ファル・ファリッジが実権を掌握して以来、軍政の中枢には、頼れる者はいない。ファル・ファリッジの力の前には、誰もが沈黙せざるを得ないのだ。」
そう言ってビルキースを抱き寄せる腕に力を込めたターンティヤーの様は、溺れる者が藁に縋るような切迫感があった。
「難しい立場をお引き受けになっているターンティヤー様のご苦労は、私などには想像もつかないものですわ。何とか少しでも、お慰めして差し上げられたら良いのですけど。」
「おお、ビルキース。お前は、何と可愛い奴だ。」
冷静に聞けば見え透いている追従にも、素直に感激して真に受けるターンティヤーだ。ビルキースは、すっかり彼の心の内側に入り込んでいた。
「それでは皆様、大変お世話になりました。」
彼女達がベッドを抜け出すのに、タイミングを合わせて加速を止めて無重力に戻った戦闘艦の一室で、ビルキースは挨拶の言葉を告げた。ターンティヤーの臭いの染みた肢体を包み込むドレスは、昨夜と同じく蝶のようにひらめいている。
「ビルキースよ。そなたのおかげで、久しぶりに、いや、我が人生で初めてと言う程、心地良き時間を過ごせた。反乱征伐を控えたこの時期に、このような想いができて、そなたに感謝するぞ。報酬は、そちらの請求に更に上乗せして提供して遣わせよう。」
喜んで当然の場面で、目に悲しみをたっぷりと湛えた顔を繕うビルキース。
「報酬・・ですか。それしか、私には、望み得ぬのでしょうか。」
「なんだ?報酬では、不満なのか。では、何を望むのだ、ビルキースよ。何でも言ってみよ。」
ビルキースの泣き出しそうな振る舞いに、厳つい肩のラインを大きく前後に揺らし、ターンティヤーはオロオロの体を曝す。
「お傍に、沢山の苦悩を抱えておられるターンティヤー様の、お傍に・・私などに、何かができるわけでは無いのですが、でも、お傍に置いて頂きたい。卑しき身に、過ぎたる望みとは承知しておりますけれど、なにとぞ、なにとぞ・・・」
計算され尽くした上目遣い。完全なる意思の制御のもとに流れる涙。絶妙に調整された声の震え。昨夜、ターンティヤーが物理的に彼女の最深部に侵入したよりも、遥かに滑らかに、ビルキースが彼の心の最深部に侵入して行く。
「好きなだけ、あの方の寝室に侍っていて良い事になったわ。しばらくこの艦に居座るから、後の事はよろしくね、マリカ。」
撤収作業に精を出す彼女を手伝いながら、ヒソヒソと言葉を紡ぐビルキース。
「何か、アジタやカイクハルドに報告しておく事は、ある?」
「不満を抱きつつ、まだ当分の間は、軍政には従順に振る舞う。少なくとも表向きは、反抗も命令拒否も、しない。」
「分かったわ、そう伝えておく。でも、ここに留まると決めたからには、ずっとこのままとは思っていないのね。」
「きっかけがあれば、気持ちは変わるはずよ。その兆候やタイミングを、見逃したくないの。」
「そうね。この艦には毎日、シャトルを通わせられるみたいだから、報告も密にできるわね。」
作業の手を止める事無く、スパイ業務を遂行する。規模は小さくするが、宴は毎日催す事になった。「ラストヤード」ファミリーの方から、それを依頼して来た。勿論そうなるように、ビルキースが仕向けたのだが。
毎日、マリカが食材などを運んでこの艦を訪れ、宴と娯楽で「ラストヤード」をもてなし、翌朝に帰って行く。その度に、ビルキースがターンティヤーの脳から引き抜いた情報も、艦から流れ出て行く。「ファング」の無敵を支える陰の力であり、戦いだった。
「他に何か、目立った動きはあった?マリカ。」
「この前、あなたが棟梁のお相手を務めた『ロンウェル』ファミリーが、壊滅したそうよ。棟梁も、戦死したって。」
「・・・そう。」
ビルキースの沈み込む心が、マリカには手に取るように分かる。できることなら伝えたくなかったが、彼女は、彼女が相手を務めた男の死の報は、必ず伝えて欲しい、と常々申し渡していた。
娼婦として、生活の糧を得る為だけに幾人もの男に身を委ねる。そんな生活を何年も重ねて来て、体を委ねた男など、今この「グレイガルディア」に幾千人もいる。それなのにビルキースは、その男の死を知らずにはいたくない、と言う。そしてそれを知ると、憐れな程に心を沈ませる。
スパイとして情報を引き出し「ファング」に提供している以上、彼女もその殺戮に加担している。彼女のもたらした情報が、数え切れないほどの男達を死に追いやって来た。娼婦を装ったスパイという身の上では、相手を陥れる為に体を与える事も、体を重ねた男達がそれを原因として命運を断たれる事も、日常だ。なのにビルキースは、体を重ねた男達の死をいちいち真剣に、深刻に、心の底から悼むのだ。
それがマリカには、歯痒くも思われ、愛らしくも思える。そんな事でいちいち傷付いていてどうするの、と叱咤したい気持ちにもなり、強く抱きしめて頭を撫でてやりたい気持ちにもなる。
が、今のマリカには、何もできなかった。さっさと手早く撤収作業を済ませ、シャトルに戻らなければならない。背中をひと撫でする事も声を一つかける事もできないまま、ビルキースの残る戦闘艦を後にしなければいけなかった。
「何だ、まだ泣いているのか?私の傍に居られるのが、そんなに嬉しいとは、何と可愛い女なのだビルキース、お前という奴は。」
馬鹿な男の手前勝手な解釈が、そんな言葉でビルキースの耳を煩わせた。
ビルキースの頬を伝った一粒の滴は、たった一度体を重ねただけの男が、彼女のもたらした情報の為に「ファング」の餌食となって命を刈り取られた事に対する、贖罪と哀悼の涙だった。だが、ターンティヤーには知る由もない。何かを感じ取る神経も、彼には無い。
そしてビルキースは、心の奥底からの激情に起因する涙であっても、スパイとしての活動にそれを利用する図太さと強かさを身に付けている。
「実は、嬉しくて泣いているのではなくて、とても悲しい事実を知らされて、泣いているのです。」
「なに?悲しい事実とな。」
「はい。私の生まれ故郷が、とある連邦支部に壊滅させられたそうなのです。ずっと前に追い出された故郷ではあるのですが、実の父や母が殺されたと思うと、涙を止める事ができません。」
もちろん嘘だ。ビルキースは故郷など知らない。物心が付いた時には、血のつながりも無い娼婦の女達と生活を共にしていた。
そして物心が付いた時には、彼女はすでに娼婦だった。物心も付かぬ内から、彼女は売られ、弄ばれ、金品と交換されていた。彼女を楽しむ為に支払われたもので、彼女も、彼女の仲間も、生活の糧を手に入れていた。
いつ自分が男を知ったのかも、誰が彼女を最初に奪ったのかも、ビルキースは知らない。彼女を売り物にする、と決めたのが誰なのかも、何人の男が彼女を知っているのかも、何一つ分からない。ただ、呼吸をするのと同じくらい当たり前に、彼女は気が付いたら、体を差し出して生活の糧を得る暮らしをしていた。
「なにぃ!? 私の可愛いビルキースの故郷を、破壊した輩がいるだと!許せん!」
口から出まかせの嘘を、面白いように真に受けたターンティヤーは、計算通りに猛り狂う。
「でも、もうそんなことは、気にしても仕方ありません。娼婦の故郷の、最下層の集落の出来事です。誰にも見向きもされないのが、当たり前の出来事です。」
「何を言うか!この私の、可愛いビルキースの故郷に起きた事だぞ。その連邦支部とやら、どうせ貧民支援を装って好き勝手をしでかす似非支部なのだろう。この私が、叩き潰してくれるわっ!」
「そんな。大軍閥の棟梁であらせられるターンティヤー様のお手を、私ごときの為に煩わせるなど、もったいない事でございます。沢山の難しい問題を抱えておいでのあなた様に、申し訳がありません。」
「何の何の。似非支部の一つや二つ叩き潰すくらい、このターンティヤー・ラストヤードの手にかかれば、朝飯前だ。遠慮などいらぬぞ。まあ見ておれ。あっという間に、おぬしの仇は討ってやるからな。で、その似非支部とやらの居場所は、分かるのか?」
ビルキースは、腕に装着している端末から、とある似非支部の拠点の座標を呼び出した。「ファング」から情報提供を受ける事で、手頃な似非支部の拠点の座標は、事前に掴んである。
アジタから、「ラストヤード」の闘い振りを見ておいて欲しい、と頼まれていたので、ビルキースはその似非支部を「ラストヤード」に叩かせるように仕向けた、というわけだ。
自らが流した心からの涙を道具として使い、ラストヤードを手玉に取ったビルキースだった。そして、大軍閥の戦闘を間近で視察する機会を作り出すミッションを、あっさりと達成した。この卓越したビルキースの力量が、「ファング」の強さの秘密の一つだ。彼女を弄んだ男は、生殺与奪を彼女に握られる、と言っても過言では無いかもしれない。
タキオン粒子の激流が、「シュヴァルツヴァール」に「フロロボ」星系の端から端への、超光速の疾走を与えている。
1光年以上の距離を十時間とかからず走破し、味方の救援に駆け付けようとしていた。
「見つかっちまった。早く来てくれねえと、ヤバイな。」
「何を間抜けな事やってるんだ、シヴァース。小規模な徴発部隊だからって、襲撃するなら、事前に周辺の状況を調査して、敵の無人探査機なんぞに見つかってねえ事くらい、確認しやがれ。」
「済まない、カイクハルド。久しぶりの獲物で、慌てちまった。まさか『エッジャウス』からの増援が、近くに潜んで待ち構えているとは。この徴発部隊を逃したら、次の獲物は10日くらい先になっちまう、と思って無防備に飛び込んじまった。カジャ様に報告できる手柄を上げねえと、どんなお叱りを賜るか分からんのだ。」
「ちっ、皇太子カジャのせいで冷静な判断が鈍るとなると、厄介な話だぜ。」
と、毒突いて見せたカイクハルドだが、それほど切迫感は無い。今回の救援に関しては、十分な勝算を持っていた。
「あんたからの情報で、助かったぜ。」
謝辞に続き、状況を説明するシヴァース。「襲って来た軍閥は、あんたの言う通り、兄弟の仲が頗る悪いみたいだな。エッジワース・カイパーベルトの天体に身を隠しつつ、兄弟それぞれが率いる部隊の丁度中間の領域で、姿を見せてはまた隠れるって事を繰り返していたら、勝手に兄弟喧嘩を始めてくれやがった。同じファミリーの戦闘艦同士で、ミサイルの応酬だ。せっかく俺を罠に嵌めるのに成功したのにこれだから、馬鹿気た話だぜ。」
「ああ。軍政に征伐の命令を受けたから、仕方なしに行動を共にしているが、その直前まで、兄弟で泥沼の殺し合いをやってた連中だからな。ちょっときっかけを与えれば、簡単に、軍閥内での激闘に至るってわけだ。おかげで、お前達を探すのがずいぶん後回しになって、ついさっきようやく見つけたんだろ?それも、追って来たのは小型戦闘艦2艦だけだって聞いてるぜ。」
「その通り、小型艦が2艦だ。『ファング』の到着予定時刻も、今、こっちにデーターが届いた。予定通りに着てもらえれば、間に合いそうだ。俺達はもう、ミサイルも噴射剤も底を付いちまってて戦えねえから、『ファング』の救援だけが頼みの綱だ。よろしくな。」
「何だよ、それ。勝手な奴だぜ。阿呆な軍閥の兄弟喧嘩も、馬鹿にできた義理じゃねえぞ、そんなんじゃあ。」
「ははは、違いない。」
シヴァースとの通信を切ると、今度は「ファング」内でのコミュニケーションに入る。
「行けるか?ヴァルダナ。ちゃんと戦闘に集中しねえと、命に関わるぜ。」
「あ、ああ。大丈夫だ。ちゃんと集中する。」
やや、頼り無気な返事だ。
「おいおい、“ナワープ・ロス”も大概にしておけよ、ヴァルダナ。女なんか、いくらでもいるんだ。年増のお色気女くらい、直ぐにでもかっぱらって来られるから、心配すんな。」
「おい、カビル。お前と一緒にするんじゃねえぞ。ヴァルダナには、ナワープに代わる女はいねえんだろうよ。だが、そのナワープが元気なガキを生んで楽しく生きて行くには、俺達の働きが欠かせねえんだぜ。ヴァルダナ、ナワープの為にも、目の前の一戦に集中だ。」
その後、いつものごとく全ての戦隊の隊長に、そして第1戦隊の単位リーダー達に、更に第1戦隊第1単位に、と通信設定を切り替え、打ち合わせを実施して行く。
超光速移動からの減速が終わり、タキオン粒子が観測されなくなった事を確認すると、「ファング」の戦闘艇百隻は「シュヴァルツヴァール」を飛び出す。電磁式カタパルトの強烈な加速に耐え、更にビームセイリング方式でも加速され続け、ブラックアウト寸前の重力を食らい続けながら密集隊形へと遷移する。
「ファング」以外の戦闘艇パイロットが見たら、目を白黒させるであろう操縦技術と耐久力だ。一塊の弾丸と化して虚空を疾駆する。
「シュヴァルツヴァール」から発進後15分で、シヴァースの座乗する戦闘艦とすれ違う。小型の戦闘艦3艦だが、ミサイル発射口や弾薬庫を減らし、その分戦闘艇を多く搭載できるように改装してあるものだ。空母に近い仕様だから、戦闘艦同士の戦いには向かない。
小型戦闘艦に護衛された、輸送船主体の、小規模な徴発部隊などへの奇襲攻撃を想定した部隊編成だ。中型戦闘艦以上の戦力を擁した、本格的な編成の敵に襲われれば、ひとたまりもないだろう。そういう敵に遭遇しないように、上手く場所や相手を選んで攻撃を仕掛けなければいけないのだが、今回はヘマをやらかした。
その点は、「ファング」も同じだ。最強の戦闘艇団、と言ってもそれは、戦闘艇団として最強というだけで、中型や大型の戦闘艦を含む大規模艦隊と、単独でまともにやり合うことは不可能だ。
盗賊稼業や、傭兵としてのゲリラ戦というのは、自分の勝てそうな敵だけを上手く選び、勝てない敵に出くわさない場所を上手く見極め、神出鬼没に行動しなければいけない。「ファング」にはそれが鉄則だし、軍政打倒陣営の「シェルデフカ」領域や「カウスナ」領域での戦闘も、そういった方針が貫かれるべきものだ。
「皇太子カジャのお守りをしなきゃいけないからって、戦い方の基本方針を貫けねえようじゃ、ちょいとお荷物だな、あの『レドパイネ』ファミリーの秘蔵っ子、シヴァースも。」
後方に遠ざかって行くシヴァースの艦隊を、レーダー用ディスプレイで眺めながらであろうカビルの呟きが聞こえた。既に噴射剤も尽きているから、シヴァースの艦隊は等速直線運動だ。「シュヴァルツヴァール」から補給を受けなければ、永遠に宇宙を彷徨うハメになったかもしれない。危なっかしい戦い方、と言えた。
「まあ、そう言ってやるな。皇太子として散々甘やかされて育った人間に、泥臭いゲリラ戦なんて理解できるものじゃねえし、そんな奴の面倒を見ながら戦わなきゃならねえシヴァースも、色々苦労してるんだろうぜ。」
「それでも、カジャ様の名声無くば、味方を多く獲得する事はできん。軍政配下の軍閥からも離反者を誘い出さねば、軍政打倒は成し遂げられぬのだから、カジャ様の存在は貴重だ。」
第2戦隊隊長の、ドゥンドゥーが通信に割り込んで来た。
「そういうわけだ。」
音声通信だから誰に見えるわけでもないが、カイクハルドは大きく頷いた。「カジャの名声や皇帝一家の威光を笠に着なきゃ、軍政は打倒できねえんだから、いくら我儘でも文句は言えねえってこった。そのカジャのお守りを引き受けているシヴァースだ、せいぜい支援してやろうじゃねえか。」
「そうだな。取りあえず、もう加速できねえシヴァース艦隊にぐんぐん追いすがってる、この2個の戦闘艦は、サクサクっと片付けてしまおうか。」
あれこれ憎まれ口を叩いても、カビルもやるべき事は心得ている。
シヴァースの部隊を追跡していた敵戦闘艦は、「ファング」への対応が大幅に遅れた。何もせずにただ接近して来るのを見詰めていた、と言っても過言ではないだろう。
戦闘艇の群れだという事にも、相当に近付くまで気が付かなかったのだろう。一塊となって飛翔する「ファング」の密集隊形は、レーダー波の反射反応だけからでは、戦闘艇の集まりだと認識するのも難しい。
一見しただけでは、小惑星か何かが飛来している、と思ってしまう場合すらある。加速しているから小惑星のはずはないのだが、レーダー波の反射反応から検知できる形や大きさは、極めて微細な小惑星と解するしかないものだ。戦闘艦にしては小さいし、戦闘艇にしては大きい。敵が適切な反応を見せられないのも、無理はない。
今更のように、敵艦は散開弾攻撃を見舞って来たが、発射が遅すぎた。「ファング」のもとに到達するまでに、十分な大きさに展開できなかった。ある程度の範囲に金属片をばら撒いてこそ、散開弾は効果がある物だ。狭い範囲に固まっているだけならば、ヒョイと躱して行けば良いだけだ。
敵の散開弾は十分に効果を発揮しなかったが、同じ位の距離から、「ファング」の保有する攻撃タイプの戦闘艇「ヴァイザーハイ」が放った散開弾「リーリエ」は、十分に展開した。そもそもの展開範囲が違うし、ミサイル性能も桁違いだ。そして、戦闘艇よりは図体が遥かにでかくて機動性に劣る戦闘艦は、「リーリエ」の撒き散らした範囲の狭い金属片群であっても、躱す事ができなかった。
「リーリエ」で表面構造物を薙ぎ払い、索敵と迎撃の能力を麻痺させた敵に「ココスパルメ」を見舞うのも、いつも通りの戦術だ。対艦用徹甲弾「ヴァサーメローネ」が戦闘艦相手には一番効果のある弾種だが、抱えて飛ぶ戦闘艇の運動性に支障を来すくらいに重いので、使い方には工夫が必要だ。今回は、積んで来ていない。小型戦闘艦だけが相手ならば「ココスパルメ」で十分、との判断もあった。
敵戦闘艦の分厚い装甲は、「ココスパルメ」の生み出した青白い光球である、灼熱を帯びたプラズマの、艦体中心部への浸透は防いだ。が、ミサイル発射口を潰され、スラスターの噴射口を歪ませられ、攻撃も操艦もままならなくなる。
高磁場に曝された為に艦内電子機器もイカれて、索敵機能がちっとも回復しない敵艦は、更に艦体装甲の亀裂から、爆圧弾「ヴァルヌス」までねじ込まれる。艦体中心付近で艦を操っていた乗員たちも、この攻撃で五体をバラバラに引き千切られて、爆死した。
抱えていた弾薬にも引火し、その誘爆によって叩き割られた艦体が四分五裂し、もはや戦闘艦とは呼べない金属の破片へと姿を変える。
敵部隊は撃破され、敵兵は全滅させられた。「ファング」の一方的勝利だった。が、その時、通信機から警戒感に満ちた声が響く。
「タキオン粒子検出!新たな敵戦力が、超光速で飛来してるぞ。粒子の量からすると、かなり大規模な部隊の可能性もある。気を付けろ、カイクハルド。」
「ちっ、やっぱりそうか。兄弟喧嘩を途中で止める理性が、かろうじてあったんだな、連中にも。」
トゥグルクからの急報への、カイクハルドの感想だ。体を張って兄弟の仲の悪さを調べ上げたビルキースの仲間も、兄の方が時折不意に冷静さを取り戻す性格であると、寝物語から察知していた。その報告を受けていたカイクハルドは、トゥグルクに周囲の索敵を怠らないように注意を促しておいた。
「シェルデフカ」領域には、既に無人探査機を数百万機とばら撒いてあるので、それのデーターに注意を払っておくことで、敵の接近をいち早く検知できる。無人探査機の情報は、まず「シュヴァルツヴァール」にもたらされ、それを解析した結果をトゥグルクが報告するのが手順だ。
データーの受信自体は「ファング」戦闘艇でもできるが、解析しないと何も分からない。解析は、「シュヴァルツヴァール」に積んである大型のコンピューターでなければできず、戦闘艇に積んである程度の戦術コンピューターでは無理があった。
「敵の予測出現ポイントの座標データーを送る。近いから、出現直後を返り討ちにできるはずだぜ。」
タキオントンネルの中から、外の景色は見えない。飛び出した直後には、周りの状況が分からない。そこを急襲されれば、相当に不利になる。だから「シュヴァルツヴァール」も、事前に移動先の状況を無人探査機のデーターなどで調べておき、周囲に敵のいない安全な位置で、タキオントンネルから飛び出すようにしている。
敵から十分に離れた位置に出る事になるので、そこからの移動は、かなり無茶な加速をして体に負荷をかける事を、戦闘艇パイロットは余儀なくされる。出撃の度に毎回、電磁式カタパルトの射出やビームセイリングでの加速で、「ファング」パイロットがブラックアウト寸前にまで追い込まれるのは、そういった事情があっての事だ。
「馬鹿な敵だな、こんな近くで飛び出して来るなんて。戦いの基本が、まるで分ってねえのか?」
カビルの疑問に、カイクハルドが答えた。
「俺達を、舐めているのかもな。タキオントンネルでの接近を、俺達が察知する術は無い、と決め付けているか、さっきの2つの戦闘艦との闘いに夢中で、索敵に気が向いていない、と思っているか。」
「へっ、人を舐めくさって、近過ぎる場所に飛び出した事のツケは、しっかりと払ってもらおうじゃねえか。ミサイルぶっぱなすぜ、かしら。良いだろ?」
「ああ。やれ。」
「おーい、カイクハルド。俺達も助っ人に来たぜ。」
シヴァースの声だ。
「はあっ!? 馬鹿野郎っ!何しに戻って来やがったんだ。さっさと逃げ去って、どっかに隠れていろよ。」
「そう言うなよ。せっかく『シュヴァルツヴァール』に補給を受けて、目いっぱい戦える状態を回復したんだ。俺達にも戦わせろよ。」
「敵がどんな戦力を送り込んで来たのか、分からねえんだぜ。お前らの戦力で勝てねえ敵だったら、せっかく助けてやったのが水の泡になるだろ。」
タキオントンネルで送られて来る戦力の詳細は、出現するまで探知は不可能だ。タキオン粒子の検出から、何かがタキオントンネルで送り込まれようとしている事は推察できる。そのサイズから、およその規模も見当をつけられる。だが、何がどれだけやって来るかは、出現してみないと分からない。超光速の飛来物を直接検知する方法など、無かった。
「俺達で勝てない相手が来てるんだったら、お前達『ファング』もやばいじゃねえか。合流して戦った方が、勝ち目も出るだろ?」
「俺達は戦闘艇だけだから、逃げ切る事はできる。戦闘艦なんて鈍重なもん連れて来られたら、逃げるに逃げられなくなって、足手まといなんだよ。」
戦闘艦の中では、小型のものが最も小回りが利いてすばしっこいが、それは戦闘艦同士での比較であって、更に小さい戦闘艇の方が、加速も方向転換も素早く実施できる。大勢乗っている戦闘艦よりも、耐久力に優れたパイロットだけが乗っている戦闘艇の方が、耐え切れる加速重力も大きくなる。
だから、戦闘艇が戦闘艦から逃げ切るのはそれほど難しくは無く、戦闘艦が逃げ切る方が難しい。「ファング」が基本的に戦闘艇だけで行動しているのは、そういった理由からだ。
打撃力は戦闘艦の方が当然上だから、敵の大規模部隊を撃破するとなれば戦闘艦という戦力は欠かせないが、盗賊兼傭兵として、ゲリラ戦法を基本にする「ファング」には、打撃力より機動力が優先される。
戦闘艦の中では機動力のある小型戦闘艦といえど、「ファング」には足手まといの存在だ。「シュヴァルツヴァール」も、戦闘域から十分に離れたところに置くようにして戦闘艇の機動力をフル活用できるようにするのが、「ファング」の戦い方だった。
「ファング」だけなら、タキオントンネルから飛び出して来るのが手に負えないほどの大規模部隊だった場合、一目散に逃げれば良いだけだったが、シヴァースの率いる小型戦闘艦の部隊がノコノコ戻って来たのでは、そういうわけにも行かなくなる。
シヴァースが不用意に駆け戻って来たおかげで、「ファング」は、思わぬ危機に出くわすかも知れない状況となった。
今回の投稿は、ここまでです。次回の投稿は、'18/10/20 です。
「フロロボ」星系の端から端までの約1光年を、「シュヴァルツヴァール」がタキオントンネル航法によって超光速で駆け抜ける、なんて場面が出てきました。"星系の端"ってのをどう定義するのかとか、「フロロボ」星系ってのがどんなサイズの星系なのか、っていうのを明確にしないままにこんなことを書いているわけですが、詳しく書きすぎてボロがでない範囲で、できるだけ明確なイメージを浮かべていただけるように、作者なりに気を配ったつもりでいるのです。ちなみに、我々の太陽系でいえば、エッジワース・カイパーベルトの端から端でも、0.1光年にはるかに及ばないですが、オールトの雲の端から端ならば3光年くらいにはなるとか。それも現代の科学的知見では、あくまで推測の域を出ない数値です。もう一つおまけのちなみに、地球と太陽なら、0.0001光年にもならない距離です。「フロロボ」星系のエッジワース・カイパーベルトに拠点を持つ「ファング」ですが、ずっと拠点に籠っているわけでもないし、一体、どこからどこに移動したものやら。何となくにでも、「ファング」の戦っている舞台のサイズ感をイメージしていただければ、幸いなのですが。星系内での戦いと言えど、"光年"なんて単位が出てきて、超光速の移動手段をひねり出さないと物語が成立しませんし、光速の千倍という無茶な(?)設定のタキオントンネル航法でも、10時間をかけての強行軍です。読者様の中には、「そんな細かいサイズ感はどうでもいいよ」とお思いの方もおられるかもしれませんし、それはそれで良いのですが、作者としてはサイズ感にはこだわっていきたいのです。というわけで、
次回 第39話 大軍・邀撃・逡巡 です。
プラタープの籠城戦やビルキースのスパイ活動の件も記憶に留めておいて頂きつつ、シヴァースのことまで考えて頂かなくてはならなくなりました。あっちもこっちもで申し訳ありませんが、一国の内紛ともなれば、こうなるのも避けられません。困った感じのシヴァースが、「ファング」になにをもたらし、軍政打倒にどう関わっていくのか、想像を膨らませて頂けると幸いです。




