第37話 女スパイ、ビルキース
捕虜や戦利品の始末をつけた彼等は、リングの中心にある一般市場の方に移動していた。一般とは言っても、扱っている品物が違法なものではない、というだけで、市場自体は軍事政権に非公認のものなので、闇市には違い無い。公認の市場は、帝国首都でもあり「シックエブ」のお膝元でもある「ルサーリア」星系や、名門大軍閥の所領の中にある。
「親父においては、進撃の準備など、何年も前からずっと整っている。軍政に気付かれることなく臨戦態勢を継続するのに、苦労しておったのだ、親父は。」
胸を張るシヴァース。自分の手柄より、父親の手柄の方が誇らしいかのようだ。皿から摘み上げたスナックを口に放り込むと、ジョッキのビールで、グビグビ、と流し込んだ。
重力があるから、そんな事ができるのだが、遠心力による疑似重力だった。リング状宙空建造物の内側にある、スポーク構造のポールに周囲から支えられた格好の、小さな円筒形構造物の中に、遠心力が発生しているセクションがある。
小さな、とは言っても、直径1km程はある円筒形構造物の中であり、それの外周壁の中央帯状部の内側が、回転している。幅100m程の円筒の外周壁の内側で、中央の50mくらいが回転して疑似重力を提供し、飲食店などを2列に並べて、軒を連ねさせている。
その回転する外周壁内面から“上”に相当する部分を見上げると、円筒形構造物の中空空間に幾つもの店舗用ブースが目に入る。その店舗群において、特に取引が禁じられているわけでもない商品などが陳列され、公売にかけられている。
円筒を挟んでいる円板型の壁面から、支柱が何本も伸びていて、1本の支柱に幾つかの店舗用ブースが、団子状に連なって支えられている。支柱は2つある円板の両方から伸びている。外周壁内面で回転しているカイクハルドには、右の壁からも左の壁からも支柱が伸びて来ている、という感じで見えている。
支柱群は、反対側の円盤にまでは届かず、全て半分ほどの距離で途絶えている。2枚の円盤からそれぞれ伸びて来る支柱が、どちらも中央付近で途切れている。円筒を輪切りにする角度で、支柱群には隙間がある。
その隙間を、回転する外周壁面から伸びるポールが、薙ぎ払うように横切って行く。ポールは、円筒の中心軸に接続してスポーク状になっている。
闇市全体を構成するリング状宙空建造物の中心に、スポーク状のポールに支えられた円筒形構造物があり、それの更に内側にもスポーク状のポールが配されている、という事だ。外のスポークは回転しておらず、内のスポークは回転している。
内側のスポーク状ポールには、人が握るのに丁度良いサイズのグリップが付いており、外から内へ、または内から外へ、とスライドしている。グリップにつかまれば、中空空間と回転する外周壁面を、無理無く行き来できる。
回転する外周壁に乗って移動しながら、カイクハルド達はそれら百余りの店舗ブースを、刻々と角度を変えながら眺めている。グリップに掴まり、ポールに沿ってスライドして行く人々や、幾つものポールを蹴り飛ばして店舗ブースの間を行き交っている人々へも、彼等は視線を走らせる。軽食と酒で、口と喉を楽しませながら。
「去年仕入れた、『ビュッフェル』や『レーヴェ』を使いこなせるパイロットは、ちゃんと仕上げてあるのか?」
カイクハルドの問いに、シヴァースは驚いたように振り返った。ビールの喉ごしを堪能していた表情は、一変している。
「な、なぜそれを知っている?親父が、極秘裏に購入したはずなのに。」
「ビュッフェル」は、比較的新鋭の、防御タイプの戦闘艇だ。「レーヴェ」も「バーニークリフ」の奪還戦の時に、「ファング」を手こずらせた、新鋭で攻撃タイプの戦闘艇だ。
「そんな新鋭の戦闘艇を、『レドパイネ』は保有しておるのか。」
クンワールも驚きの声で、カイクハルドとシヴァースを交互に見た。「そんなものを購入できる『レドパイネ』も、その情報を掴んでいる『ファング』も、少し恐ろしい存在に思えるぞ、わしには。」
声で驚きは感じられたが、クンワールの表情は、カイクハルド達には口元だけしか窺い知れない。彼は宇宙服用のヘルメットの、スライド式の前面ガラスを半分閉じた状態にして、鼻の辺りから上を隠していたから。
軍閥棟梁の弟ということで、彼はそれなりに顔を知られているので、ここで誰かに顔を見られるのはトラブルの素だ。彼以外にも、多くのこの市場の利用者が、顔を隠して行き交っている。宇宙服のヘルメットで顔を隠している、クンワール同様の飾り気のない奴もいるが、種々に趣向を凝らした仮面を付けている、派手好きな奴の方が大勢だ。
顔を曝しているのは、ほとんどが見るからに「アウトサイダー」かそれに類すると思われる、下品で間抜けな面構えの連中だ。隣の席から馬鹿笑いを轟かせて来ている奴等も、いかにも盗賊然とした目つきをしている。
「そ、そうだ。極秘の兵器購入を、知られているなんて・・」
少し猜疑の色も見せながら、シヴァースはカイクハルドを覗き込んでいる。
「俺には、秘密じゃねえさ。なんてったって、お前の親父に、ジャールナガラを紹介したのは、俺なんだぜ。」
遠心力を重力に感じている彼等には“頭上”と認識されている方向に目をやり、行き交う人々を眺め続けているカイクハルドの口調は、呑気なものだった。他人に聞かれればまずい話を、彼等は大勢の人波の中でしているが、周囲の雑音や音楽が、彼らの声を上手く遮蔽している。誰にも、彼らの言葉は届いていないはずだ。
「そ、そうなのか!? 」
「ジャールナガラ?何者だ?」
シヴァースとクンワールが、同時に声を高くする。
「ジャールナガラは」
シヴァースが、カイクハルドに向けられたクンワールの質問に答える。「親父が新鋭戦闘艇の買い付けに使った、銀河商人だ。『グレイガルディア』の外との貿易を主な生業にしている。軍事政権には許可を得ていない貿易が多いから、密輸商人って言っても良い。あの商人を、あんたが親父に・・って、もしかして『ファング』の最新鋭の戦闘艇も、ジャールナガラから買い付けたのか?親父は、本当は『ファング』と同じやつを欲しがってたんだぞ。けど、ジャールナガラは、それの入手は無理だと言っていた。」
「ジャールナガラに、最新鋭の買付けは不可能だ。あれを『グレイガルディア』に運び込むのには、ジャールナガラの船を使ったが、買い付けは別ルートだ。だが、『レドパイネ』が仕入れた戦闘艇は、ジャールナガラの買い付けたやつだな。」
ニヤニヤしながら応えるカイクハルドを、クンワールは不満気な様子で見つめるらしいが、ヘルメットの前面ガラスに遮られて、よくは分からない。
「そんな密輸商人も、仲間なのか?『ファング』は。そしてそれを、『レドパイネ』に紹介して新鋭戦闘艇を入手させるし、自分達も、最新鋭のものの獲得に利用した。増々、『ファング』というものが不気味に思えて来る。」
「別に、仲間なんてものじゃねえさ。ただ、繋がりがあるってだけだ。商人なんてのは、金さえ払えば、誰とだって繋がるもんだろ?」
「しかし、我等『カフウッド』には、そんな密輸の話も新鋭戦闘艇の話も、全く持ちかけては来なかったではないか?」
そこが、クンワールの一番不満な点かもしれない。
「あんた達の所領である『カウスナ』領域は、スペースコームの外側だろう?」
スペースコームとは、ワープでの移動が可能となる空間の事だ。銀河のあちこちに、細長い筋状に存在し、長いものでは1万光年以上にも達する。その空間に含まれている宙域は、ワープでの迅速な人や物の往来が可能で、交流や取引が活発になる。
「グレイガルディア」星団は、3分の1ほどがスペースコームの中にあり、そこに含まれる領域は、「グレイガルディア」の外との取引がやりやすい。「レドパイネ」ファミリーの領有する「スランツィ」領域はスペースコームの内側で、ジャールナガラのような密輸商人とも接触しやすい。
「そうか。スペースコームの内側に所領をもつ軍閥の中で、最も軍政に反旗を翻す可能性が高い『レドパイネ』だから、そのジャールナガラとやらを紹介して新鋭戦闘艇を買い付けさせたのか。しかし、ということは、『ファング』はずいぶん早い段階から、軍政打倒を考えていた事になるな。」
「別に、軍政打倒まで考えて、ジャールナガラを紹介したわけじゃねえさ。軍事政権が気に食わねえから、奴等にお灸を据えるのに効果的と思える行動をとっただけだ。」
「どうかな?『レドパイネ』は、サンジャヤリストにも乗っていたのだ。その軍閥に新鋭戦闘艇を入手させて、軍政打倒のつもりが無かった、など考えられんぞ。」
「あんな奴のリストなんか、関係あるか。リストが作られる以前から、『レドパイネ』と『ファング』の接触はあったんだぜ。『レドパイネ』も、盗賊まがいの行動を何度も繰り返して、軍政の徴税部隊や輸送部隊から、物資を掠奪しまくっていたんだ。いわば、『ファング』とも同業だ。『カフウッド』とも昔から何度も、俺達は共同で盗賊行為をして来たもんだが、『レドパイネ』とも変わないくらいの回数の盗賊行為で、共闘したもんだ。」
「・・そうか。まあ良い。新鋭戦闘艇を手に入れて、『レドパイネ』がそれを使いこなせるだけの訓練をして来たというなら、軍政打倒には頼もしい限りだ。今は、それだけで良しとしよう。」
まだ不満気な態度は崩してはいないが、言葉の上では、クンワールは納得した。
「新鋭の戦闘艇も、確かに入手したが、それだけじゃねえぜ、親父の強さは。配下の部隊の統率や練度も、並大抵の軍閥とは比べ物にならない。誰も、親父の『シックエブ』への進撃は、阻止できないはずだ。」
「そうか。そうなってくれると、兄上の奮戦も報われる。期待しているぞ。」
「確かに、『シックエブ』への進撃は止まらねえだろうな。だが」
肯定的なクンワールに比して、カイクハルドは否定的に受け止めた。「進撃はできても、難攻不落とも言われている『シックエブ』を、陥とせるとは思えねえ。『シックエブ』が攻撃されるという事態を受けて、軍政内部にどんな動きが起こるか。どの軍閥がどんな行動に出るか。それによって、軍政打倒の可否も、その後にどんな統治が築かれるのかも、違ってくる。『ファング』が、おとなしくしていられる世になるのか、まだまだ暴れなきゃいけない世の中なのか。ま、暴れ続ける事に吝かではねえがな。」
「うむ。そうだな。」
クンワールは、姿勢を改めて考える姿勢になる。「兄上の籠城戦も始まったばかりで、まだまだ、どうなるか分からんが、それが上手く行ったとて、そこから先も更に尚、不確定の要素が多い。我らが望む、皇帝親政の時代が来るものなのかどうか、全く不透明だな。」
「我々『レドパイネ』が望むのは、帝政の復活では無く『グレイガルディア』の安寧だ。それが実現するなら、統治形態が帝政か軍政かは、どちらでも良い。取りあえず帝政復活に味方してみるが、皇帝の親政で『グレイガルディア』に安寧が訪れぬのなら、そこからまた動き出すし、帝政が実現せずに新たな軍事政権が樹立されたとしても、それで『グレイガルディア』が安寧に至るのなら、それを支えて行くつもりだ。」
「わしや兄上は、帝政以外に『グレイガルディア』の安寧はあり得ん、と思っているのだが、そう思わぬ者も、案外に多いのだな。現在の軍政内部にも、帝政復活を望む者も、新たな軍事政権の樹立を望む者も、両方いるらしい。いったい、どうなるものやら。カイクハルドよ、おぬしは、誰がどういう考えか、わしらよりずいぶん詳しく知っておるように、兄上も言っておったがな。」
言葉の最後の方では、カイクハルドの方に乗り出すようなクンワールの姿勢だ。前面ガラスに遮られてよく分からないが、じっと彼を凝視しているらしい。
「そうだ。『ファング』の人脈や情報網って、一体、どうなっているんだ。ジャールナガラまで『ファング』が紹介したと言ったし、征伐隊に参加している軍閥の情報も、軍政中枢に関する情報も、俺達より遥かに詳しく知っている。相当幅広い人脈があるんだろうから、情報網が、色んなところに深く食い込んでいるはずだぜ。」
「へへへ」
曖昧な笑いで、誤魔化そうとするような仕草をカイクハルドは見せた。「盗賊団兼傭兵団が末永く命脈を保つためにゃ、人脈や情報網は欠かせねえじゃねえか。そりゃ、色々あるに決まっているし、そんなもん、教えられるわけがねえ。人脈があって、秘密裏に強力な組織を作ろうって意志の結合があったから、『ファング』は存在しているんだ。」
カイクハルドの意識が、どこか遠い場所に飛んで行ったことを、クンワールもシヴァースも見て取った。「ファング」の根幹にまつわる人の出会いや意思の交換を、カイクハルドは思い出している。それに、クンワールは気付いているかもしれない。
シヴァースも、決して教えてはもらえないであろう重大な過去が、カイクハルドの脳裏によぎっている事を、予感しているらしい。
そんな2人の視線を感じつつ、カイクハルドは、いくつかの人の顔を思い浮かべる。アジタ、ジャールナガラ、イシュヴァラ、そしてビルキース。
それらの顔の中で、最も強い印象を残し、最も愛しい気持ちを掻き立て、最も美しいと思わせる顔が、最後に残る。思いは想いに取って代わり、いつしかカイクハルドは、一つの顔だけを、ただひたすらに想い描いていた。一途、とも呼んで良い想いだ。
誰かを想い浮かべつつ彷徨うカイクハルドの、視線の先にある、彼の“頭上”を飛び交う人々の中には、ヘルメットや仮面で顔を隠した者と、そうでないものが混ざっている。宇宙服すら着用していない、露出過多の者もいる。
そんな露出過多の者の大半は、厚化粧で顔を繕い、煌びやかな服で全身を飾った女達だ。ここに集った男共には一目瞭然の、娼婦達だ。闇市を行き交う男達に体を売って、日銭を稼ぐ暮らしを余儀なくされている、憐れな女達だ。「アウトサイダー」の女達は、大半が娼婦で暮らしを立てるものだ。
今も、一人の女が、カイクハルドの前を横切って行く。スポーク状のポールをスライドするグリップに掴まって、外周壁面へと降りて来た。グリップを支点に体の向きを、くるり、と入れ替え、器用に脚を“下”に向けて、ふわり、とした着地を女はやってのける。
慣れた身のこなしが、この稼業に費やされた、彼女の人生の長さを物語っている。身のこなしに伴う、煌びやかな服の軽やかな揺らめきにも、過酷な運命を生きる娼婦の、悲哀と不屈が滲んでいる。
美しかった。娼婦の身の上に恥じ入る事も無く、命を繋ぐために体を売るという戦いに、果敢に挑んで行く彼女達の毅然とした態度は、煌びやかな服と相まって、この闇市の人波を華やかに装飾している。
遠心力で疑似重力を生じさせている闇市の施設は、長時間滞在するというだけで相当に体を酷使するものだ。直径1km程度の回転体の中というのは、コリオリ力や重力勾配によって、人間の体に意外なほどの損傷を生じ得る負荷を掛ける。1・2時間くらいの短い時間をこの施設で過ごす分には、何の被害も生じないが、10時間、20時間となれば、様々な体調の異変を来しても不思議では無い。
この施設で長く時を過ごし、客が付くのを待っている彼女達の商売は、思いの外に過酷な重労働なのだ。だが、それを感じさせる事無く妖艶な身のこなしを保つ姿は、果敢無くも勇ましく、そして美しいのだった
目の前を通り過ぎる娼婦の美貌に目を奪われながら、しかしカイクハルドは、彼女を上回る美しさを誇った女を、その脳裏に想い浮かべている。一途に。目の前の娼婦がどれ程の美を誇り、見せつけようとも、彼の脳裏に宿る女の敵ではなかった。
「ビルキース。」
呟いた声はあまりにも小さく、至近距離から見つめているクンワールにもシヴァースにも、聞こえはしなかった。
だが、カイクハルドは確かに、その名を呼んだ。
「ビルキース。」
カイクハルドから、数十光年も離れた宇宙の彼方でも、その名は呼ばれていた。カイクハルドの場合と違って、その声は、その名の主にちゃんと聞こえた。
「そろそろ、到着かしら、マリカ。」
疲れたような、窶れたような、少し影が差して見える面差し。だが、端正だった。切れ長の目。筋の通った鼻。その下の、ふっくらとした唇からは、馥郁として母性が匂い立っている。
「ええ。後10分程で、ランデブーするわよビルキース。準備は良い?」
適格な報告をしながらもマリカは、老婆の身の上でありながら、欲情に近い感情を眼前のビルキースに覚えているようだ。それほどにビルキースは、美しく妖艶だった。三十路前という最も熟れた年頃の、切れ長な目が放つ湿り気のある光に撫でられ、マリカは、ゾクリとさせられ、首をすくめた。
「ええ、準備はできているわ。真っ直ぐに着艦させていいわよ・・どうかした?マリカ。」
「いえ・・今日も綺麗ね、ビルキース。」
「あら、いやだ。マリカを、その気にさせるつもりでは無いのよ。ターンティヤー・ラストヤード様のお気に召すように、化粧も服も、選んだのだからね。」
十数年も共に活動して来た、同性のベテランだから、全く気の置けない間柄ではあったが、マリカのうっとりした視線にビルキースは、ほんのり頬をピンクに染めた。
“エンジョイボート”などと渾名される、彼女達の乗るシャトルは、ここ「チェルカシ」星系に駐留する権力や財力のありそうな者の艦船を訪い、珍しい御馳走、珍しい酒、珍しい歌や踊り、その他様々な、「グレイガルディア」では希少といわれる娯楽を提供し、いくらかの収益を目論むものだ。
御馳走は、他ではあまり見られない、「グレイガルディア」では彼女達だけが生産できる生物由来食材を使った料理だ。酒にも、原材料生産から醸造方法まで、独自のものが用いられている。見たこともない楽器から奏でられる聞いた事も無い音楽に同調せて、魂を撫でるような艶やかな腰づかいの踊りが披露されたりもする。
異国より取り寄せたテレビゲームやボードゲーム、マジックやギャンブル等々、様々な遊戯を堪能させるものでもある。
百種百様のエンターテイメントを詰め込んで、権力者や富豪の艦船を訪ねて回るシャトルが“エンジョイボート”なのだが、それの最大のセールスポイントであり、受け入れる側の最大の目的は、女の体だった。
要するに、ビルキース達は娼婦だった。百種百様の娯楽でもてなすのも、あくまで前座であり、身を穢して生活の糧を得る暮らしをする女達の乗り回すシャトルが、“エンジョイボート”の実態だった。
人類最古の商売と言われ、それを撲滅できた文明を人類は未だ一度も達成できていない生業は、戦乱の世において富にも権力にも見放された女達には、生き延びる為の最後の便だった。だからこそ戦争と並んで売春は、その撲滅が、人類が目指すべき文明の最高到達地点と言えるのかも知れない。
彼女達の生活は華やかに見えて、過酷なものがあった。毎日のように、いや、時には1日に何人もの男の欲望に身を曝す生活は、心身を壮絶に疲弊させるものだ。
「大丈夫なの?あなた。昨日も、2人もの殿方のお相手を務めたのよ。それも、ずいぶん粗暴で我儘な方々だったみたいじゃない。」
マリカの左の掌が、ビルキースの肩から背中をゆっくりと流れて行く。慰撫のようで、愛撫のようでもある。桃から紫の、複雑なグラデーションで彩られた薄衣の下の、華奢でも芯の強い、そして生々しい程に温かなビルキースの体躯を味わっている。
「ええ。始めはあんなにしょんぼりされていたのに、最後にはあんなにも猛々しくなられて、存分に楽しんで頂けたようだわ。」
「それで、カイクハルドには、どのように報告するの?」
「あの方々にはもう、反乱の征伐に乗り出す意志も意味も、無さそうに思えました。戦に敗れ、虎の子の艦隊を無残な半壊状態にさせられ、散々な程に士気を挫かれておいででしたけど、軍政からは恩賞を頂き、しばらくの出陣が無理なことも納得して頂けたそうですから。」
ビルキースの眼の色を、マリカは見た。一晩ベッドを共にしただけの男達の身の上に起こった事を、まるで我が事のように喜んでいる。娼婦として交わっただけの人達なのに。
「そう。では、『マンシー』と『ベースリット』の両ファミリーは、もう警戒する必要はないのね。軍政打倒に参加する可能性は?」
「それも無いわね。戦に敗れ逃げ帰って来た自分達に、わずかとはいえ恩賞を下さった軍事政権を、彼等は決して恨みも裏切りもしませんわ。」
娼婦というのも、実像では無かった。ビルキース達は、娼婦を装ったスパイだった。ベッドルームを共にした男達に関する情報を、「ファング」に提供している。
ビルキースには百人くらいの仲間がいて、そのほとんどがこの「チェルカシ」星系で、娼婦を装ったスパイ活動に従事している。
ついこの前までも、軍事政権が反乱鎮圧の為に派遣した大規模な征伐部隊に対して、全力のスパイ活動に精を出したところだ。10万の軍勢ともなれば、マークすべき幹部も千人近くにも及ぶ。ビルキースの仲間の百人近い女達が、中には1日に3・4人もの男を相手に、ベッドルームで身を穢されながら、頭の中を覗き見たのだった。
どれだけ歴史と伝統のある軍閥の幹部でも、どれだけ威風堂々の部隊司令官でも、どれだけ権力と財力で身を繕ったエリートでも、ビルキースとその仲間の前では赤子も同然だった。物理的には彼等が彼女達の衣を剥いだとしても、精神的には彼女達が彼等を丸裸にしていた。
丸裸にさせられた男達が盗み見られた、彼等の性格、思考パターン、忠誠や意欲の程、作戦傾向等が「ファング」に伝えられ、戦いにおいて遺憾なく活用された。その為に命を落とし、部隊を壊滅させられ、ファミリーの滅亡まで招来してしまった者もいる。奪ったようで奪われていて、犯したつもりで犯されていて、弄んだはずが弄ばれていたというのに、男達は、それに気付きもせずに、命を虚空に吸われて行った。
「今度のお相手は、1度だけ、というわけにもいかないのね。」
「そうね。アジタからも、じっくりとあの方の気性や考え方を見ておくように、依頼されたもの。しばらくお傍に囲って頂けるように、仕向けたいところだわね。」
「そう。じゃあ。何度も何度も、お相手を務めなくてはならないわね。」
マリカは少し、歯噛みした。ビルキースの肢体を見ず知らずの男に委ねる事に、微かにではあるが確かな悔しさを、彼女は感じているらしい。自身もかつては娼婦として、万は下らない数の男にその身を委ねて来たはずなのに、ビルキースを弄ぼうとする男にマリカは、嫉妬を覚えているのだった。
「そんなの、いつものことよ。どうってことないわ。じゃあ、そろそろ行くわね。」
話し込んでいる間にも、シャトルはターンティヤー・ラストヤードの座乗艦に着艦し、通路となるチューブの接続も完了していた。
空気のある環境下での移動とはいえ、壁一枚向うは真空という状況なので、たいていの者はシャトルの乗り降りの時は、宇宙服を着ているものだった。歴とした港湾施設の中ならいざ知らず、軍用の戦闘艦のドッキングベイで、宇宙服無しで過ごすのはリスクが高いと言えた。
だがビルキースは、背中をさっくりと開けた色鮮やかでひらひらしたドレス姿のまま、接続されたチューブの中を飛翔して行った。シャトルから戦闘艦へ、蝶が舞うかのようにゆらゆらと移ろって行く。
もう商売は、そして彼女達にとっては戦いと言える、スパイとしての策動は始まっている。最初に男達の目に飛び込んだ瞬間に、その心を掴まなければならない。第1印象で、勝負の優勢を確保しなければならない。十分に己の肢体をアピールできる装いで、相手の男のもとに赴く必要がある。
シャトルから乗り移る際の事故で、死んだ仲間もいた。だがそれで、安全を追求する為に宇宙服を着用しよう、などとは誰も思わなかった。命を危険に曝してでも、乗り移る瞬間の艶やかさは維持しなければいけない、とビルキースとその仲間は全員が認識していた。娼婦とはこの時代、命懸けの商売だった。
命を張ったビルキースの蝶のごとき飛翔は、十分な成果を上げたようだった。武骨を絵に描いた角刈りの頭と角ばった肩の男が、目を丸々と見開いてビルキースに魅入っている。外から内に流れ込む艶めかしい刺激と、内から外に飛び出そうとする熱い欲情の両方に驚かされ、衝撃を受けているようだ。
地味な濃紺の、兵士用の宇宙服に身を包んでいるが、何十人と居並ぶ中で、彼が頭目だとひと目で見極めたビルキースは、ターンティヤー・ラストヤードのもとへと一直線に飛んで行った。
「本日はお招き頂きまして、誠にありがとうございます。」
型通りの、誰もが聞いた事のあるような挨拶を繰り出しながら、誰も見た事のない程の愛くるしい笑顔を、ビルキースはターンティヤーに叩き付けた。
「あ・・うむ・・」
侵略は、瞬時に成し遂げられた。彼女は彼を征服した。視覚刺激に目を奪われ、荒れ狂う激情に心を乱され、ターンティヤーは言葉も紡げない。
「大軍閥『ラストヤード』ファミリーの御棟梁であらせられる、ターンティヤー様にご指名頂けるなど、身に余る光栄。心より喜んでおります。」
通り一遍の決まり文句も、最高の美人から最高の笑顔で言われると、馬鹿のように胸を躍らされるものだ。
「・・へ?・・うん、あ・・いや、なに、モニターに映った姿が、な・・なか・・なかなかに愛くるしいと、思った、のでな。」
どうにかこうにか言葉を紡いだ直後から、ターンティヤーは、早くもニタニタが止まらなくなっている。
「わしらも、この『チェルカシ』星系ではビルキースという女が、ダントツでイイと聞き及んではおったが、引く手数多でなかなか呼べるものではない、とも聞いておったのだ。それが、自分から通信で売り込みをかけて来るものだから、呼ばぬ手は無い、とすぐさま飛び付いたのだ。だが、噂に違わず、何とも美味そうな体をしているものだな。」
周囲を固めた部下達の中から、老練で、女遊びもターンティヤーより数段慣れていそうな男が、不躾な口を挟んで来た。絡みつくようにビルキースを下から上へと舐め回す視線は、女を欲情のはけ口としか見ていない無神経さに溢れている。
「まあ、バフート様ほどのお方に、そのように褒めて頂けるなんて、身に余る幸せですわ。」
「おお、わしの名まで知っておるか。」
「もちろんですわ。『ラストヤード』ファミリーの重鎮で、最も信頼の厚い家臣であらせられるバフート・ラジベース様を、存じ上げないはずなどありませんわ。」
数日前に覚えたばかりの名を、馴染みあるものの如くにすらすらと、淀みもなく言ってのけるのも、娼婦としての能力、いや、スパイとしての才覚というものだった。
ターンティヤーとその家臣達が、ビルキースとの挨拶を楽しんでいる間に、マリカはコンテナをシャトルから運び入れた。指定された艦内のカフェテリアに、宴の用意を整える為に。
それから1時間としない内に、ビルキース達の繰り出す御馳走と良酒と娯楽に、「ラストヤード」の一門は狂喜し、感激し、あっという間に酩酊して行った。
今回の投稿は、ここまでです。次回の投稿は、'18/10/13 です。
何回か同じことを書いているかと思いますが、回転体の中での遠心力とコリオリの力と重力勾配の実態、というのは、作者には経験のないことなのでよく分からないのが正直なところですが、人体には悪影響があるらしいのです。長期滞在とか永住とかするのなら、直径は数kmから10kmくらいにする必要があるとか。今回の場面では、闇市という非合法な場であり、数時間滞在するだけという前提で、直径1kmの回転体を登場させました。遠心力を疑似重力とするもので、宇宙空間で食事などを楽しめるようにする工夫です。目先の快楽は提供するが、安全や衛生にはあまり気を配っていない、というのが"闇市"にはふさわしいかな、と。そんな場で長時間滞在することを余儀なくされている、娼婦という身の上の女達の存在は、世界観の構築に寄与しているのでは、と独りよがりに自負しています。権力構造や社会システムから零れ落ちてしまった女性達が、そんな商売で過酷な日々を送るという悲劇は、過去にもいくつもあったし、未来の宇宙においても起きてしまう。そんな感じを印象付けることができていたら、作者としては満足なのですが、どうでしょう?未来にしか有り得ないような、誰も見たこともない風景の中に、時代を超越した普遍的な悲劇がある、というのは、作者が未来の宇宙を描くにあたって、最も表現したかったものの一つなので、読者様にも何か強い印象を持って頂けたらなぁ、と切に願っています。というわけで、
次回 第38話 救援・速攻・重荷 です。
熟語3つのパターンなので、ビルキースの場面から、「ファング」の戦闘シーンへと展開していきます。ですが、ビルキースがやろうとしている事は、是非、頭の片隅に残しておいて頂きたいです。「ラストヤード」ファミリーに上手く取り入った彼女ですが、ここからまた幾つもの高度なミッションに、果敢に挑んでいくので、是非、見届けてやって欲しいです。「ファング」の戦いの方は、ひとしきり楽しんだらスパっと忘れて頂いても問題ない・・かな?




