第11話 母艦、シュヴァルツヴァール
前後に細長い「シュヴァルツヴァール」の艦体は、前と後ろのどちらでもが下になる可能性があり、それぞれの場合を想定して、艦内の廊下等は設計されている。今は艦尾側が下になっている。遠心力によって疑似重力を発生させているのだが、その円の外側に艦尾が向けられているのだ。
その廊下を歩き、エレベーターで下に降りる。つまり、船尾方向への移動だ。エレベーターから降りて直ぐに、ラウンジがある。金属の壁に配管や各種装置が剥き出しの、殺風景極まりない場所だが、盗賊兼傭兵をくつろがせるには十分だった。パイロット達が三々五々に屯している。何人かは、囲っている女を傍に侍らせている。
トゥグルクのように、裸同然の恰好をさせて喜んでいる奴もいるし、袖がやたらひらひらした、肩から掛けただけみたいな服を何枚も着せている奴もいる。新たに獲得した女を、思い思いに楽しんでいる。
艦内のこのエリアは男専用とされていて、女達は自由には出入りできない。腕に装着された監視装置が、許可されない行動に対しては警報を発し、それをしばらく無視すれば、電流による制裁が加えられる。命の危険が生じたり怪我をしたりする代物ではないが、悲鳴を上げるくらいの痛みを生じる。
この電流の制裁以外、男は女に暴力を振るってはいけない決まりになっている。違反者は銃殺だ。
「シュヴァルツヴァール」に囲われている女達は、男専用エリアでは、主人から離れる事は許されない。トイレなどは許容されている範囲内にあるから問題ないが、逃げ出す事などできない。
ワイワイと阿呆面を並べて歓談するパイロット達の側で、離れるわけにもいかない女達は、所在無さ気だ。皆、連れて来られたばかりの「カフウッド」の領民の娘か「ティンボイル」ファミリーの女らしい。
パイロット達は、新たにゲットした女を侍らせてご満悦なんだろうが、連れて来られたばかりの女達は、見慣れぬ場所で恥ずかしい恰好をさせられ、所在も無く佇んでいるのだから、たまったものではないだろう。
だが、女達は観念している。戦いに敗れた「ティンボイル」ファミリーの女達は、捕虜も同然の身の上だから、「カフウッド」の領民の女達は、領主様の為にと自ら身を投じて来たのだから、不平など、言えたものではなかった。
戦場で命を危険に曝す男達と、銃後で辱しめを受ける女達。戦乱の世の悲劇が、縮図となってカイクハルドの眼前に展開しているが、もう見慣れたものだ。見飽きたものだ。なんの感慨も湧きはしない。
女を侍らす得意満面の一団から離れて、男ばかりの一団もある。新入りの一団だろう。彼等にはまだ、女はあてがわれていない。戦闘で実績を残さなければ、女は得られない。先輩パイロットのホクホク顔を見ながら、「よし俺達も」と野望を燃え上がらせてもらえれば、カイクハルドには都合が良かった。
そんな新入りの一団から更に離れたところに、ヴァルダナの姿があった。唇の端を噛みながら、じっと壁の一点を見詰める視線には、焦りや自己嫌悪が滲み出ている。
「もっと簡単にこなせると思ったか?」
カイクハルドの声に、飛び上がる位にビクッ、となったヴァルダナが、声の主に首を巡らせる。無重力だったら、天井にまで飛んで行ったかもしれないが、「シュヴァルツヴァール」が懸命に回って作り出している遠心力が、彼をパイプ椅子に留まらせた。
パイプ椅子と言っても、本当に中をガスが通っている、壁際のパイプを椅子にしている。機器や配管が剥き出しのラウンジだ。
「な、なんだ、お前、俺を笑いに来たのか!」
激昂して食って掛かる姿に、未だ齢16の若者の苛立ちが見て取れた。
「やっぱりガキだな。まだまだ甘いぜ。」
「う・・、うるさい!自分でも分かってる。あの連中が、あんなに簡単にやってのける事を、俺は・・俺は、何回も、何百回もやらなきゃ、できない・・。ちっ!」
遠くで女を侍らしているベテランパイロット達に、ヴァルダナはチラリと目をやった。
「できない事が甘い、って言ってるんじゃねえぜ。できなくて当たり前なのが分かってねえのが、甘いって言ってるんだ。何年も『ファング』で戦って来た連中と同じ芸当が、百回やそこらの訓練で、できてたまるか。根拠地じゃ、周りの連中より腕が立ったんで、のぼせ上がってたのかもしれねえがな。」
ガリッ、と音が聞こえそうな程、奥歯を噛みしめたヴァルダナ。
「あんな連中に勝ったくらいで、のぼせ上がったりするか。『ファング』パイロットが、遥かに凄い事くらい、分かっていたさ。だが、まさか、百回やっても・・・」
悔しすぎて、後の言葉が紡げない。
「3百回やったら、できたじゃねえか。それで納得しておけ。千回やってもできねえ奴の方が、圧倒的に多いんだぜ、あんなもの。」
「・・2百回目くらいで、できてた新入りもいた。」
「早くできるようになれば、良いってもんじゃねえさ。訓練じゃ物覚えが悪くても、戦場じゃ頼りになる奴はいくらでもいるし、訓練で物覚えがよくても、戦場じゃ使えねえ奴もいる。」
カイクハルドも、ベテラン勢に視線を送る。カビルが、「ティンボイル」の棟梁の嫡男の末娘を侍らせて、にやけ顔だ。そちらに顎をしゃくりながら言葉を繋げる。
「カビルなんぞ、訓練では要領がよくて、どんなフォーメーションもすぐこなしたが、戦場で『ヴァンダーファルケ』に乗せたらハチャメチャな動きしやがって、仕方なしに『ヴァイザーハイ』に乗せたんだ。そっちは一応、卒なくやりやがるんで、俺の片腕に置いてるんだがな。」
どっか、とカイクハルドは、勢いよくヴァルダナの隣に腰を降ろした。
「俺は・・」
話し辛そうに、少し言い淀んだヴァルダナ。「俺は、『ファング』失格じゃ、ねえんだな。」
「お前は、筋は良い。俺が保証する。どんだけ、できない事があっても、気にせんで良い。だが、さっきも言ったが、諦めるんじゃねえ。諦めずに、できるまでやれば良いんだ。これからは、その繰り返しだ。どんだけできなくても、俺は文句を言わねえし、誰かが文句を言うようなら、俺が蹴り飛ばす。だから、どんだけできなくても、ひたすら諦めねえで繰り返せ。」
ふと顔を上げたヴァルダナ。少し目が丸くなっている。
「なんだかずいぶん、優しいじゃねえか。そんなことを言って、俺がお前を殺さないように懐柔しようとしてんのか?」
「あははは・・、殺せるんなら、いつでも殺しやがれ。俺を殺せるくらいの奴が出て来れば、俺も安心して『ファング』をそいつに託して、気兼ねなく、安らかにあの世に行けるってもんだ。待ってる奴なら、大勢いるからなあ。あの世の方が、賑やかに過ごせるってもんだ。」
「何を言ってるんだ、お前は。俺は、『ファング』なんか、託されてやるつもりはねえぞ。お前を殺したら、姉上を奪い返して、逃げるんだ。」
「俺を殺すほどの奴なら、『ファング』の連中が、勝手に付いて行くぜ。お前がどんだけ嫌がっても、無理矢理にでもな。まあ、再興した『ハロフィルド』ファミリーの警護兵にでも、使ってやってくれや。」
「お前・・・」
ヴァルダナは、少し戸惑ったような顔になって、カイクハルドを見詰めた。姉を辱めた憎むべき仇の、こんな態度に、どういう感情を持って良いか分からなくなったのか。
数秒の沈黙を経て、ヴァルダナが口を開く。
「姉上は・・、姉上は、お元気で、あらせられるか?」
言い終わる前から、馬鹿な質問をした、と後悔している様子が見て取れた。同じ「シュヴァルツヴァール」に乗っているのだから、病人が出れば、すぐに情報は伝わる。「ファング」は女への暴力は銃殺刑で、カイクハルドがそれを率先して守っている事は、「ファング」内では周知だ。
女を飢えさせない事も、「ファング」では至上命題になっている。女に食わせて余った分を、パイロットも含めた男共が食うのが基本だ。男に食い物が回って来ている限り、女は飢えてはいない。
ラーニー・ハロフィルドが元気な事は、尋ねるまでもなかった。が、2年以上も顔を合わせていない最愛の姉と一番近い距離にいる男に、それを訪ねずにいる事も、無理な話だった。
「連れて来てやろうか?“アネウエ”をよう。」
茶化し気味の言い草をしたカイクハルドに、ややムッとした顔を、ヴァルダナは見せた。ラーニーは、カイクハルドの自室に囲われていて、彼の許可があれば男専用エリアにも来る事ができる。
「止めろ。姉上には、俺がパイロットになった事は知られたくない。お前がここに、姉上を連れて来る事はないって聞いたから、俺はここにいるんだ。」
ラーニーだけでなく、カイクハルドは自分の囲っている女を、男専用エリアに連れて来る趣味はなかった。
「じゃあ、お前が隠れているところに連れて来ようか。ラーニーに気付かれないように、こっそり“お元気なお姿を拝見”したらどうだ?」
茶化し続けるカイクハルド。頭に血が上ったヴァルダナ。
「するか!そんな、みっともない。あんたが元気だって言うなら、今はそれで良い。そんな事より、姉上に俺の事が知られないようには、してくれてるんだろうな。」
「お前があいつの弟だってことは、パイロットの中でも数人しか知らんし、女達は誰も知らん。バレたりしねえから、心配するな。」
「本当だな。・・なら、良い。」
やや猜疑の色が残ってはいるが、ヴァルダナは引き下がった。
「しかし、都合よく注文を付けて来るもんだ。俺を殺そうとしてるくせに、俺に頼み事しやがって。」
その言葉には、ふんっ、と言わんばかりに、そっぽを向いてヴァルダナはシカトした。
「最近ではやたらに、ウダイプリーと楽し気に何かやってやがるな、ラーニーのやつは。」
急に話を転じて、カイクハルドは記憶を呼び起こすような仕草で語る。
「ウダイプリーって、あんたが囲っている、別の女か?」
「ああ、もう1年くらい、俺の部屋に囲ってある女だ。極貧集落に暮らしてた最下層民の娘だから、貴族の御令嬢とはさぞかし馬が合わんだろう、と思っていたけど、びっくりだぜ。」
「姉上は、どんなに貧しい集落の者でも、蔑んだりはされない。そのウダイプリーって女も、貴族の娘ってことで、姉上を妬んだりはしていないって事か?」
ヴァルダナは、無意識の内に、前のめりになった。やはり姉の現状は、気になるようだ。
「妬むって感じは、ねえな、ウダイプリーには。始めは貴族令嬢って聞いて、気後れしてる気配はあったが、この頃はすっかり打ち解けて、お互いの生活習慣を教え合ったり、思い出話を語り合ったりで、姦しくしてやがるぜ。」
「姦しく・・・」
ポカン、と口を空いたヴァルダナ。「そんな状態の姉上を、俺は、見た覚えがないが・・」
「下層民の娘だからこそ、開く事ができた心の扉、ってのがあるのかもよ。」
カイクハルドは、また茶化すような言い草だ。
「そういうものなのか・・?」
真面目に受け止めるヴァルダナ。「そのウダイプリーと、お前の部屋で、2人切りで過ごしているのか?お前が出ている時の、姉上は。」
「少し前までは、そうだったな。今は、『ティンボイル』からもらった女もいる。あれも裕福ではない、領民の娘らしいな。『ティンボイル』ファミリーが軍事政権に召し上げられたかつての所領から連れて来られて、ここで下働きか何か、させられてたって話だ。」
「そんな哀れな身の上の娘を、お前達は寄って集って、慰みものにしたんだな。」
「そりゃあ、俺達は勝って、『ティンボイル』は降伏したんだからな、当然だ。命張って、仲間を失ってまでして勝ち取った女を、好きなようにして、何が悪い?それが、盗賊兼傭兵の理屈ってもんだ。」
「ウダイプリーって女も、そうやって無理矢理連れ去って来て、酷い仕打ちをしたのか?」
「あれは、別の盗賊が連れ去ろうとしてた女達の中の、一人だったな。確かそこを、俺達が横取りしたんだ。貧しい集落の女達だったからな、10人程度のしょうもない盗賊に、手も足も出せずに連れ去られたんだな。」
「その、しょうもない盗賊から、またお前達が、その女人達を連れ去ったのか?どいつもこいつも、ロクなもんじゃないな。」
「それが、戦乱の世ってもんだ。ロクでも無い奴が、国中に満ちてるんだ。綺麗事言ってても、生き残っては行けねえんだぜ。それに、ウダイプリーは無理矢理連れて来たわけじゃねえ。盗賊どもを皆殺しにした後のシャトルに残るか、俺達『ファング』に囲われるか、好きな方を選ぶ権利は与えてやったんだ。」
「シャトルに残るって、男共が全滅したシャトルに女だけで残って、やっていけるのか?操縦とか、できたのか?そこにいた女達は。」
「できねえだろうな。」
「じゃあ、お前達に囲われなければ、死ぬしかないじゃないか。何が、選ばせてやった、だよ。」
「選んだ事には、違いないぜ。死ぬか、俺達に囲われるか、の二者択一でウダイプリー達は、囲われる方を選んだんだ。文句はねえはずだ。」
「・・・最低だな。」
「応、最低さ。そんな最低な奴の所に、お前の姉ちゃんも囲われてんだぜ。だから、俺を殺して姉ちゃんを奪い返すのに、何の躊躇もいらねえって話だ。奪った奴の物なんだよ、財産も女も、戦乱の世じゃな。」
「で、死ぬ以外には選択の余地もなしに、あんたに囲われたウダイプリーも、無理矢理に酷い事をされたんだな。」
「だから、無理矢理じゃねえって。結構始めから、ノリノリだったんだぜ、ウダイプリーは。囲ったその日から、大いに盛り上がったもんだぜ。」
「その日から・・か。で、なんでその女人には、その日の内に手を出したのに、姉上には2年も手を出してないんだ?お前。その女人と姉上の、何が違うんだ?」
手を出す事を酷いと言うヴァルダナだが、手を出さない事にも、何か心外に感じている気配が見える。
「だから・・、どいつもこいつも、同じ事を言わせやがる。熟成させてるんだよ。一番良い味を出すタイミングを、じっくりと待ってんだ。ウダイプリーは既に熟成してたから抱いて、ラーニーはまだ熟成してねえから、抱かねえんだ。簡単な話だろう。」
「熟成・・何だ?それ。何を言っているんだ?」
「まあ、お前みたいな、貴族のボンボンのガキには、理解できねえだろうよ。」
カイクハルドの思考が、「ファング」の誰もその事を理解してくれないという事実に衝突し、彼の顔をしかめさせた。
「まあ、とりあえず、訓練の失敗を思い出して、寝るにも寝れねえって顔じゃ、なくなったな。じゃあ、俺は戻るとするかな、ラーニーの待ってる、俺の部屋に。」
悪ぶったその言葉にも、ヴァルダナは反感を持ち得ない顔だ。カイクハルドがヴァルダナに声をかけた理由、それを考えると、ただの悪漢と片付けてしまえないものがあるだろう。
複雑な表情を見せるヴァルダナを置いて、カイクハルドは立ち去りかける。が、数歩進んだところで、急に振り返った。
「おお、そうだ。お前、ナワープを預かってもらえないか?」
「ナワープ?」
「この前の戦いで死んだ、トーペーって奴が長年連れ添っていた女なんだ。他の戦死者の囲ってた女は、生き残ったパイロットで適当に分け合ったけどよ、ナワープは、どっかから奪ったり連れ去ったりした女じゃねえしよ、トーペーが惚れ込んでた女なんだ。トーペーは古株で、パイロット達にも馴染み深い奴だから、そいつの惚れ込んでた女ともなると、皆、遠慮しちまって、なかなか引き受け手がいねえんだ。」
「それで、なんで俺が、引き受けなくちゃいけねえんだ。」
「いけねえってわけじゃ、ねえけどよ、とりあえず、次にどっかの根拠地に行くまで、部屋の隅にでも置いておいてくれりゃ、良いんだ。大した事はねえだろ?」
「俺は、女を囲う為にここに来たんじゃないぞ、お前や、あいつらみたいに。」
チラリ、とベテランパイロット達の群れに目をやる。
「だから、囲うんじゃなくて、預かるだけだ。お前以外の新入りパイロットの部屋に置いたら、それこそ、預けるだけじゃ済まなくて、囲っちまうだろ。それじゃ、トーペーにも申し訳が立たねえんだ。頼むよ。」
「・・あ、預かるだけ・・なんだな。」
「そうそう、預かるだけ。それに、部屋に女がいたら、そいつに、姉ちゃんの様子を見て来てもらえるぜ。」
「シュヴァルツヴァール」には、男専用エリアがあると同時に、女専用のエリアもある。全てのパイロット達の部屋には、2つの出入り口があり、男専用エリアへのそれと、女専用エリアに向かうそれがある。
パイロットを始め、男達は、女専用エリアへは立ち入り禁止だ。女達が、持ち主以外の男と、持ち主がいないところで顔を合わせる事が無いように、との配慮だ。女がらみの揉め事で、パイロット同士の関係がこじれる事を回避する為の工夫だ。女達が、持ち主以外の男の部屋に入る事も、禁止されている。破れば、腕輪が電流の制裁を加えて来る。
囲われている女達は全員、女専用エリアで顔を合わせる事ができる。ラウンジや浴室や調理室や共用の仮眠室などがある。ラーニーもそこに行く事があるので、ナワープを部屋においておけば、彼女にラーニーの様子を見て来てもらう事が、できるというわけだ。もちろん、ヴァルダナがラーニーの弟である事は伏せ、ラーニーに怪しまれないように見て来るように、と言い含める必要はあるだろうが。
「そうか。ナワープに姉上を・・。」
「そうだ。お前達新入りが女を囲えるようになるのは、まだ少し、先になるだろうからな。ナワープを預かっておくと、便利だろ?」
「だから、俺は女を囲うつもりは・・・」
「だったら尚更、姉ちゃんの様子を見て来てもらうには、ナワープを預かるしかねえ。俺の報告だけじゃ、満足できねえだろ。」
「・・確かに。分かった。そのナワープって女、俺の部屋で預かろう。」
「そうか、へへ、助かったぜ。」
そう言うと、今度こそカイクハルドは、男専用のラウンジから歩き去った。
「どうだい?トーペー。半分くらいの年齢の若造に、お前の可愛いナワープの身柄を、預けてみたぜ。文句があるなら、化けて出て来い。」
胸中に息づく古い戦友の表情は、この時のカイクハルドには、良く見えなかった。
自室に戻ったカイクハルド。部屋は3つに区切られている。隊長クラスは3部屋だった。その他の「ファング」メンバーは2部屋となっている。2部屋の場合は、リビングとベッドルームだ。
2部屋の片方に、男専用エリアや女専用エリアに通じる扉が、それぞれ反対の面に設けられている。その部屋をリビングにするかベッドルームにするかは、男が決める。扉が無い方の部屋への女の自由な出入りを許すかどうかも、男が決める。男は「ファング」のメンバーで、女達は捕虜同然の身の上だから、当然多くの権限は、男が握っている。
カイクハルドは、扉のある部屋をリビングとしていた。
戻った時、ラーニーは居なかった。女専用エリアに出ているのだろう。ウダイプリーは、いた。
ラーニーを、呼び出す事はできる。呼ばれて直ぐに来なければ、ラーニーは電流の制裁の餌食だ。だが、カイクハルドは呼び出さず、ベッドルームでにっこりと微笑んでいるウダイプリー目がけてダイブした。
ウダイプリーとひとしきり汗を流してベッドルームから出て来た時には、ラーニーは部屋に戻っていた。防音はしっかりしているので、声や物音は聞こえなかっただろうが、扉一つ向うでの狂乱には気付いただろう。
が、それを意に介する事もなく、ラーニーは執務室に向かったようだ。隊長クラスの自室には、リビングとベッドルーム以外にもう一部屋、執務室が設けられている。
そこへの女達の立ち入りを禁止する事もできるが、カイクハルドは自由にさせている。部屋の中での服装も、男達の中には自分好みのものを指定する奴もいるが、カイクハルドは好きにさせていた。トゥグルクやカビルのように、裸同然の恰好をさせる趣味は、彼には無かった。
リビングに出ると、テーブルの上に、何やら料理が置いてある。リビングに簡易のキッチンを設置する事もでき、カイクハルドはそうしていた。
テーブルの上にあったのは、ラザニア、とか言うラーニーと知り合うまでは見た事もなかった料理だ。頼んでもいないのに、このところちょくちょく、こんな風に料理が置いてある。食べろ、と言われた事もないが、たいていカイクハルドは、残さず食べた。
今、口にしたラザニアは、生物由来食材がたっぷりと使われている、と思われる料理だった。この時代、この宙域においては貴重なものだ。半分以上は、化学経路食材だ。それ以外に生物経路食材があり、その2種類で9割以上を占める。帝政や軍政の上層部など、ごく一部の恵まれた者だけが、1割以下の生物由来食材を口にできる。それが「グレイガルディア」の実情だ。
化学経路食材など、時代が時代なら、誰も見た事がないものだろう。それを食材だなどと、誰も思わないかもしれない。人工的・化学的に合成され、生物の関与が一切無くして作られた食材だ。ペースト状で、栄養のバランスは整っている。
五味や香りの塩梅を自在に調整できるし、硬さも、何十種類もの間から選べる。ガシガシと噛まなければいけない硬さから、ほとんど水のようにゴクゴクと飲める硬さにもできる。
味や硬さの違うペーストを混ぜ合わせて、変化やメリハリのあるものを作り出す事もできる。が、別の時代の人間には、極めて面白みの無い食材と感じられるだろう。不気味、と思われてしまうかもしれない。
生物経路食材は、生物は関与しているが、完成された生物体が登場しない。生物の細胞を培養して一部の組織のみを成長させて食材としたり、微生物に特定の生物の遺伝子を組み込んで欲しい物質を生産させたり、遺伝情報から酵素のみを合成して使用する事で出来上がったりするのが、生物経路食材だ。
化学経路食材よりは、味や香りや触感の選択肢が広がり、複雑で繊細なものが出来るが、生物由来食材には遠く及ばない。そして、生物経路食材を作るには、特定の生物の細胞なり遺伝子なりが必要になる。遺伝情報だけでも、遺伝子を合成する技術は「グレイガルディア」にはあるが、遺伝情報すら無いところから生物経路食材を作る事は、できなかった。
生物の細胞や遺伝子や遺伝情報も、「グレイガルディア」では貴重なものだ。一般の集落では、ほんの十数種類がもたらされている程度だし、極貧の集落の中には、一つも持っていない所もある。そういうところは、化学経路食材ばかりを食べている。そんな集落は、決して少数でも無い。
そして生物由来食材は、時代が時代ならそれが当たり前である、完成された動物や植物などの生き物を一旦生み出し、育て上げ、そこから作り出されたものだ。動物を屠殺するとか、植物を刈り取るとか、動物の乳を搾るとか、玉子を生ませるとかして作り出した、時代が時代なら、それ以外に食材など存在しなかったであろうもの共が、この時代、この宙域には希少であり、貴重な食材なのだ。
下層民の中には、生物由来食材など、存在すら知らない者も少なくない。普段から化学経路食材ばかりを食べている者にすれば、生物由来食材など、気持ち悪くて食べられない、という事も良くある。ウダイプリーもその一人だった。
「シュヴァルツヴァール」に連れて来られるまでは、化学経路食材しか食べた事が無かった彼女は、初めて、完成された生物である動物の肉を食べる、という経験をした。生きている状態の“豚”を見て、それが屠殺され、解体され、加工される様を見学した上で、“豚肉”を食べたのだ。
吐いた。豚という生物のグロテスクな外観に加え、その味や触感と、それが出来上がるまでの行程の全てに、ウダイプリーは激しい嫌悪を覚えて、胃の内容物を遡上させてしまった。
ここに来て1年を経た今、彼女は、“豚肉の生姜焼き”が大好物になっている。時代が時代なら、ようやく人並みになった、と評される状態かもしれない。とは言え、豚肉以外の食材のほとんどは、生物経路や化学経路のものだから、彼女が食べているのが本物の“豚肉の生姜焼き”と呼び得る代物かどうかは、疑わしい。
「シュヴァルツヴァール」には、約十種類の食材のとなる生物が積まれていて、飼育か養殖、あるいは栽培されている。根拠地で生産・加工された生物由来食材も数十種類が、チルドや冷凍や乾物として積み込まれている。「グレイガルディア」では高級であり、帝政貴族や軍閥のエリートしか手にできない食材が、「シュヴァルツヴァール」では消費されている。
生物経路用の、細胞や遺伝子や遺伝情報も、百種類以上があり、多様な食材が生産可能だ。それらを組み合わせて、ラーニーは料理を作っている。
食材などの生産や在庫の管理は、女達に任されている。生産の設備も全て、女専用エリアにある。生物由来食材や生物経路食材に関して、どんな種類のものが「シュヴァルツヴァール」に存在するのか、知っている男は一握りだ。戦いに明け暮れる毎日の男達には、そういう事に気を配っている余裕はなかった。
それらを使った料理の味わいを知っている男も、少数派で、実際問題、女達から主体的・積極的に提供してもらわなければ、男達には、生物由来食材や生物経路食材を堪能する機会は、訪れなかった。多くの「ファング」パイロットは、「シュヴァルツヴァール」にそれらがあるにも関わらず、それらを管理している女を囲っているにもかかわらず、毎日、化学経路食材ばかりを口にしている者もいる。
下層民出身ならば、化学経路食材が当たり前だったりもするし、食に関する開拓者精神においては、男達は女達の足元にも及ばなかったから、化学経路食材以外を試してみようとすらしない奴が、少なからずいた。
生物由来食材や生物経路食材の存在や、その味わいを知っている男でも、女達から「在庫が無い」とか「原材料が足りない」とか言われれば、それを受け入れるしかない。生産や在庫の管理をしているのは女達であり、何をどれくらい生産するか、という決定権も彼女達にあるのだから。
女への暴力が銃殺刑となっている彼等だから、無理矢理聞き出すとか提供させるとかもできない。そんな理由では、腕輪に電流の制裁を発生させる事もできない。
男達が、生物由来食材や生物経路食材、若しくはそれらを使った料理を堪能できるか否かは、女達の一存にかかっていると言って良かった。捕虜として連れて来られ、囲われ、慰みものにされる日々を送る女達ではあるが、彼女達がその気になれば、男達は化学経路食材しか食べられない。
カイクハルドは、特に食に執着する男ではなかったから、生物由来食材や生物経路食材を使った料理など、食べられないなら食べられないで構わない、と思っていた。そんな男が“かしら”をやっている事が、この「シュヴァルツヴァール」の状況を招いたのかもしれないが、彼は彼の囲う女達に、食べ物に関する要求をした事は無かった。
それにも関わらず、ラーニーはちょくちょく、生物由来食材を使った料理を、彼のリビングのテーブルに置いておくのだ。食べろ、とも何とも言わないで。
カイクハルドは、ラザニアをフォークに乗せて口へ運んだ。食にこだわらない彼だったが、やはり美味いものを食べた瞬間には、激烈な感動が脳内を駆け巡る。ラーニーのラザニアは、彼を驚愕と混乱の坩堝へと陥れた。
複雑かつ濃厚な味わい、噛むごとに変化して行く触感、芳醇な香りも迸る。彼は、この「シュヴァルツヴァール」にどんな食材があるのかを知っている、数少ない男の一人であるが、どの食材をどう使えばこんな味わいと触感が実現できるのか、見当もつかない。
今、口の中にあるどの食材が生物由来食材で、どれが生物経路食材か分からない。化学経路食材が使われているかどうかも分からない。これをもう一度作れ、と指示して、「もう材料が無い」と言われれば、それを受け入れるしかない。
このとんでもなく美味な食べ物は、ラーニーが自ら、作ってやろう、と思わなければ、彼は決して口にできない。どんなに戦闘艇の操縦が上手かろうが、完璧に「ファング」を統率できようが、人質を取ろうが、銃口を突きつけようが、この料理の提供を強制する事はできないだろう。
女達を囲って、支配下に置いているつもりの男達だが、もしかしたら、いつの間にか、男達の方が支配下に置かれているのでは、とさえ思える部分がある。少なくとも胃袋に関しては、男達は女達に掌握されている。
カイクハルドはラザニアを、夢中になって頬張った。食べるたびに、感動と驚きがある。上の方の塩味が濃厚な部分、下の方のパスタの甘みが湧き立つ部分。食べ進めるごとに、違う感動がある。化学経路食材だけでは、決して再現できないだろう。
人質を取り、本人の意に反して無理矢理にここに連れて来て囲っているラーニーが、何故こんなものを作るのか。何故、こんな感動を彼に味わわせているのか、理解に苦しむ。が、囲った女がせっせと料理を作る、という経験はこれが初めてでも無い。
女とは、そんなものなのだ、と自身に言い聞かせて、納得するしかない。そして、そうして来た。
何故、今、俺は、こんなに美味い料理を食っているんだ、と訝りつつ、女とはこんなものなのだ、と理解もできない理屈で自身を納得させつつ、カイクハルドはラザニアの器を左手に、フォークを右手に、執務室へと歩を進めた。
扉が自動で開く。ラーニーは机に向かって座り、端末の操作に余念がない。彼が部屋に入って来た事には気付いているだろうが、反応を見せる様子はない。パチパチとキーボードを叩く音が、響き続けている。
今回の投稿は、ここまでです。 次回の投稿は '18/4/14 です。
これでもか、というくらい理屈っぽい説話になってしまい、退屈された読者様も多かったでしょうか?しかし、作者としては、ものすごく書きたかった話でした。従来のSF作品では、未来の宇宙における食料事情、というものが抜け落ちている気がしていたので。宇宙では、人間以外の生物が生息可能な環境を作る、というのは途方もない労力が必要なはずです。宇宙開発の初期には、人間の生息環境を作るのが精一杯という状態がある程度続くはずで、その間は、一旦生物体を生み出してからという方式の食料生産は、宇宙では行われないはずです。火星移住計画などというものがあり、現地に農場を作る、とかいう話も出ていますが、それより食品を化学合成する方法を確立し、しばらくは化学合成の食品だけで我慢する、という時期が出現するのではないのか、と。必要な元素とエネルギーから有機物を合成し、高分子に仕上げて行く事は今でもできるわけで(多分)、そこから人間の栄養摂取に使える物質に仕立てる事も、難しくないのでは(宇宙で生物を大量に育成するよりは)、などと作者は考えています。地球から食材を持って行く、というのも、地球から離れた場所での長期の滞在を考えると無理があるでしょうから、現地調達した元素からの食料の化学合成は、宇宙開発の初期段階では必須ではないでしょうか?そこから更に、宇宙開発がある程度進んだ時代においては、化学合成食材の方が一般化している状況も発生するのではないか。化学合成でない食材が高級品として珍重される時代も、あり得るのではないか。そんな"シミュレーション"がずっと作者の頭の中にわだかまていたので、今回それを存分に吐き出させて頂きました。退屈な人には、退屈な話なんだろうなー、と恐々とした気分でしたが、書かずにはいられませんでした。今後もそんな理屈っぽい記述は登場しますが、退屈な人はすっ飛ばして読み進んで頂いても、ストーリーからはぐれる心配は無いと思います。ですが、この辺の事を一緒になって考えて下さる読者様がおられると、作者は滅茶苦茶嬉しいです。というわけで、
次回 第12話 訓練・襲撃・圧倒 です。
2年前のラーニー・ハロフィルドはすでに登場済みですが、現在の彼女がいよいよ初お目見えです。カイクハルドとのやり取りの雰囲気に、ご注目頂きたいです。そして、タイトルが熟語3つのパターンが復活ですが、戦闘シーンがあるもの、とご期待下さい。「ファング」が暴れます。




