52 ネタのために、俺は未来を探り続ける。⑧
どうもこんばんは、矢暮です。
それにしても、第51話で書いた自律型人工知能の内容が読者さんたちの興味を惹いたんですかね、なんかほんのちょっとずつ閲覧数が増えているような。そんな気がします。
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とにかく僕は、いわゆるひとつの【独自研究】が好きなんです。
昨今ウェブ上では、某WEB百科事典にも代表されるように【独自研究】を避ける風潮があるようです。
しかし、それはそれ。そういうのは【学者】さんだとか、【公的】な立場に関わる方々とか、それなりに責任のある人々が考えねばならないことであって、僕のような【エンターテイメント好き】は、逆に“独自研究の一つもできなければ、独自性が失われるだろうが!”的なものだと考えています。
逆を言えば、ネタというのは【独自】であって初めて光る宝のようなものだと思っています。そして、それを活かして初めてより良い話が出来上がるのだと思います。
多分、それが理想なんだということです。
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いわゆる僕が書いた、
「最近のネットはつまらなくなった」
の原因の一つに【独自性】が失われつつあり、しかも【金もうけのためだけにコピーペースト】したようなものが氾濫している、なんてことがあるのだと思います。
最初は誰だって【真似事】のようなことから始めます。でも、それをひねったりなんだりアレンジしてみたりしてゆくうち、段々と思考の幅が広くなって自身のオリジナリティなんてものが構築されてゆくのだと思うのです。
だけどね、なんか最近は【良い意味での怪しさ】を持った人は激減しましたね。
それは多分、それぞれに持っている感性とか感覚とか、そういうのを(※度重なる教育によって)世間が押し込めてしまっているから、発信する方も受信する側も均等になり過ぎて鈍くなってしまっている、とそんな気がするんですよ。
己の歩んで来た道に自信が持てず、ゆえに己の感性に自信が持てず、ただ他人や世間が“良い”とされているものだけに耳を傾け、何の疑問も持たないまま傷も付かないままの方が現社会的には正解とされているから、そんなものだという人からは幼気な妄想は生まれても、真の創造なんかは生まれてこないだろう、と。
自分の意見を言う、という行為は世間的に社会的にリスクがありますからね。
だから【リスクの無い創作には、それなりの価値しかない】ってことですよ。
そのリスクを超えて、一般に受け入れられるようになったらそれこそが【名作】となってゆくのではないですかね。
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リスクがあると平穏を保ちづらいですが、反面、平穏を保とうとするために【知恵】がつきます。まあ、それが良い知恵になるか悪い知恵になるかは人それぞれですが、ぬるま湯の中では知恵という筋肉は付きにくいです。
無論、必要がないのならば人はそれに気づくこともありません。
それがいわゆる【思考の振れ幅】を損なわせる原因であると僕は思います。
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エンターテイメントの本質は、広義の意味で【人を楽しませること】。
その中でも【リスクの回避、または乗り越え】という部分は、大部分の登場人物たちがやらなばならない必須項目であると思います。(※まあ、そうでなくても面白いものもありますが)
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つづく




