50 ネタのために、俺は未来を探り続ける。⑥
どうもこんばんは。
すいません、また間が空いちゃいましたね。
それでですね、49話で僕はこんなことを書きました。
「お金もうけに走ると、いずれ質が落ちる」みたいなことを。
でも僕はお金もうけとかお金を否定したり嫌悪したりしているわけではないんですよ。
というのも、以前僕の書いたエッセイもどきにもあるように、
「お金が悪だ!」
というのは見当違いである、ということです。
確かにお金は人の思考を狂わせます。特に最近の世の中は、【お金持ち=正義】みたいな風潮が強いですが、そういうの馬鹿みたいですよね。
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そうですね、分かり易い例えを引用しますと、昔【ドラえもん】の中で、【もしもボックス】という道具を使って【のび太】が【あやとりが出来ることが最高である】という世界を作りました。
無論、のび太はあやとりが大得意というか天才であるので、それはもう無敵状態でした。
とりもなおさず、あやとり一つ出来るだけで【あやとり大臣】に任命されたり、【あやとり世界マッチの王者】に輝いたりと目も眩むような活躍で人々から尊敬されます。
しかし、ここには藤本先生(藤子F不二雄先生)のメタフィールド的なジョークが存分に発揮されているのです。
というのも、いきなりあやとりの価値観が高まった世界にシフトし、のび太は精神年齢も何もそのままの小学生の状態で、
【あやとりができるだけ】
というのみで世間からチヤホヤされてしまっているのです。
まあ、簡単に言うと【中身すっからかん】なままなんですよね。
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話は逸れますが、安孫子先生はどちらかというと【人間の持っている薄暗い部分】を表現するストーリーが多かったように見受けられますが、当の藤本先生の漫画は、
『メタフィールドから見た社会的な滑稽さ』
を表現するのがとってもイカしている、というのが僕からの印象です。
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いやはや本当に話が脱線しましたね。
それではここで話を戻しますが、僕からの意見で、
「お金が悪ではない」
「でもお金もうけに走ると質が落ちる」
この矛盾はどう説明するのか、と申しますと、まず「お金もうけ」や「お金」そのものに嫌悪している方々に質問です。
以前、他のエッセイもどきにも書きましたが、
「この世の中がお金がない世界だったら」
ということを想像してみてください。少し複雑系な話になってきてしまうかもしれませんが、
「お金が単なる悪、諸悪の根源だ!」
的な考え方をしていると、多分何か見落としてしまっていることがあるでしょう?
それはここではあえて書きません。自分で考えて創作の種にでもしてください。
じゃあ、「お金もうけに走ると質が落ちる」というのはどうか?
まあ、それはケースバイケースだから、そうとばかりは限らないでしょうね。
でも、その可能性は大であるとも言えます。
やっぱりそれは【どこに目的があるか?】が重要なんですね。
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僕は【結果的にお金が儲かる】ということがある意味理想的であると思っています。
僕は若い時に、様々な仕事の中でこういう持論に行き着きました。
【お金は血液である】
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お金は体中を巡る血液である。そう感じたんですね、二十代の半ばの時に。
良い作品、良い商品、良いサービス。
こういうものが、体の中(社会)に取り込まれる栄養源や酸素などの体に必要な物であり、それをそれぞれに運び届けたりする商人や流通システム等はヘモグロビンとかそういったようなもの、であると。
だから、お金やらなんやらが滞ったりすると人の体は不自然な状態になり病気を起こす、と。
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だけど、中身すっからかんの状態(※つまり、質の悪い栄養、もしくは酸素不足だったり)などを体に取り込んだりしてしまったら、人の体は確率的に弱ってゆくと思われます。
つまり、まあ、そんなことです。
【お金もうけ】が目的だと質が落ちる、という確率は高くなるというわけです。
だって、お金さえ儲けられればいいのですから。
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話をもっと前に戻しますが、
【ネットがつまらなくなった】
理由の一つに、そんな流れがあるということを僕は感じています。
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じゃあこの次の話は、
【この先、どうなって行くのか?】
みたいなものを、ネタとして考えてみたいと思います。
少しだけ待っていてください。これでも明日はかなり早い時間に起きなくてはいけないので余裕がないんですよ。
それでは皆様、おやすみなさいませ。
つづく




