表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

30/56

30 若者たちへ。今回は熱く正論を語る。

 若くない人にも読んでほしい。

30 若者たちへ。


 どうも、またまたご無沙汰でございました、矢暮でございます。


 いやあ、最近色々とありましてどうも体調が優れませんで、こちらに何かを書くまでに至らなかったのであります。

 某公式カラオケサイト『D○M☆とも』動画を観てくだされば分かる通り(※んなもんわざわざ観るかよ!)、ここ数カ月で顔色から何からが悪くなる一方でございますものですが、まあそれでもゾンビのごとくしぶとく生きてゆくつもりなのでございます。


 よくよくアクセス解析を見てみますと、第13話のこちらのエッセイもどきの核心部分ばかりに表示が集中しているところを鑑みますと、どうやら読者の皆様の関心のあるところがそこにあるということが見て取れますので、後々になりますが第13話で盛り込めなかった話を書いてゆこうかと思う次第であります。そう後々ですがね。


 ☆☆☆


 それにしても今回のサブタイトルに、


『若者たちへ』


 と題してみたのは、ニュースなどで女子高生が刺殺される事件が報道されているのを読んだからでして、それで久しぶりに書いてみちゃったりなんかしてみようかなあと、中年のボロい体に鞭打ってパソコンに向かい立ってみたりなんかしてみた、というわけなのでございます。


 ☆☆☆


 まあ、世の中に人の数は多かれど、真実は一つだと思います。そう、どこかで聞いたような常套句のようでございますね。

 しかし、この世の中に人の数が星の数ほどいるように、真実は一つであるとは限らないこともあります。


 なぜならば、道端に石ころが転がっていて、それを十人それぞれがそれを見たとしても、それを全く同じように感じ観察するということはほとんどあり得ないことだからです。


 そう、事実は一つであっても、それぞれの持っている感覚センサーで取り込み、それぞれの知識及び経験の枠組みで判断し(メモリー)、それぞれの知能及び思考回路で結論づける(CPU)ものですから、それの有している優劣や強弱などで物の見方はいか様にも変わってきてしまうものなのでございます。


 にもかかわらず、どこかの国のどこかの共産主義的な方々はそれをどうしても無視しようとする始末。


 それも《センサー》《メモリー》《CPU》をどこかに捻じ曲げてしまった結果、ああなってしまうものなのだと僕は考えています。

 

 ☆☆☆


 さて、上記のことが何故、女子高生刺殺事件と関わり合いがあるかというとですね。


 刺殺してしまった男子高校生の自供に、


「殺害を依頼された」


 ということが、この事件でクローズアップされているわけなのですが、僕はそれよりも女子高生が生前学校側に、


「自分は生きている価値がない」


 ということを述べていたということの方を僕はクローズアップしてみたい。


 ☆☆☆


 多分、自分に「生きている価値がない」と判断させてしまう材料は大抵、


「周りの人に自分が認められていない」


 ということが大半を占める。


 それによって、生きる気力を失うか、その反対に無理無謀な自己顕示に走ってしまう人を今でも嫌というほどよく見る。


 その女子高生は、関係各所の事情聴取や男子高校生の自供が嘘偽りなければ、間違いなく前者に行き着くものと思う。


 ☆☆☆


 その前者の理由によって、自らを死に至らしむる人を僕は無理に止めたりはしない。なぜならば、それは自然だからだ。


 この世は弱肉強食が自然の摂理。別に何かに影響されてこう語っているわけでもなければ、ハードボイルドよろしく恰好つけて言っているわけでもない。ありのままの僕が46年間生きてきた事実を述べているだけだ。


 実は、その《ありのままの事実》が大事だったりする。


 ☆☆☆


 教育は本当に大事。しかし僕らの子供時代もそうだったが、そのありのままの事実を教師は語ろうとしない。それどころか、どこに得があるのかわからない理想を語りたがる。


 今の世の中に欲しいのは、


《ありのままの事実》→《だからどうするのか?》


 といった、一つ一つの積み重ねだと僕は思っている。


 しかし、今を生きる人々の大半以上が、


《理想どおりにいかない現実》→《現実を見るセンサーもなければ、現実の知識もない。しかも知能の活かし方も知らない》→《だから死ぬ。だから引きこもる》


 みたいなサイクルに陥っている。


 そう、土台が悪い。


 土台が悪いから、その上に立つ家も人もグラグラになる。


 グラクラな家しか知らない人は、グラグラな家が普通だと思い込み、またそれを子や孫に代々受け継がせようとする。なんとも愚かであるが、それも人間という現実だと僕は思っている。


 僕は理由があって十年前に自分の田舎に帰ってきた。僕は自分の田舎が子供のころから大嫌いだった。

 なぜなら、僕の目に映るほとんどの人がグラグラであったことを知っていたからだ。


 その辺の細かい分析は置いといて話を戻すが、


 人間は現実が嫌いだ。それが僕の中の人間というものを見る土台でもあるし、指標になっている。


 しかもそれは無意識で避けている節が強い。


 ☆☆☆


 まず、教育者どもはそれを教えろ。それは必須だ。理想を語るのはその後だ。

 

 でないと物事は判断できない。


 それを将棋などで例えるなら、現時点での駒の配置や状況が分からなければ、棋士がどう駒を動かすか判断できないのと同じことだからだ。


 とにかく考えさせろ。考えさせろ。考えさせろ。


 それが本当の教育だと僕は思っている。


 ☆☆☆


 さて、話を先の女子高生に戻すが、


 弱き者が自然淘汰されたくなければ、強くなるしかない。


「自分には価値がない」


 と言ってしまった彼女には彼女なりの状況があり、僕がとやかく口を出せる事ではないのは十分に分ってる。

 しかし、それでもそういったことで悩んでいる若者がこの世にたくさんいることを予測して言ってみる。


「自分には価値がないと悩むのではなく、価値は自分で作れ」

  

 と。


 ☆☆☆


 でもハッキリ言っておく。自然の法則は弱肉強食であると。


 それに逆らって生きてみるのもオツというものだよ。



 


 

 



 人生は色々ありますって。

 他にも付属して書きたいことがあるのだけれど、それはまた今度ね!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ