27 孤独と共感 1
どうも、本当にお久しぶりになってしまいました、あなたの矢暮です。(なんじゃそりゃ)
なんだかいつの間にか、読者さまが増えている。嬉しい。(と言ったって微々たるものですがね)
何が僕の〈売り〉なのはかよく解からないが、それでも何となく解かる。多分、そんなわけの解からないところが特徴なんだよね。
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少し前に、人の感覚に類する記事を読んだ。
つまり、感覚は人それぞれに個人差があって同一ではないということだった。
んなもん、言われんでもわかっとるわい!
だから苦労するんじゃないか。
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話は変わって、活動報告にも書いたように僕は宮城県登米市にある〈石ノ森章太郎ふるさと記念館〉
と、同じく宮城県石巻市にある〈石ノ森萬画館〉に行ってきた。
旅というほどのものではないが、体質がジプシーなので知らない人に出会い、知らない町を訪れるのが
性に合っている。
別にカッコつけて言っているのではなく、そういうのも個人差のうちの一つだと思う。
(※個人差というと、すぐ優劣だとか上下レベル的な連想をしてしまいがちだが、実はそれだけではなく、有るか無いか、または感じるか感じないか、などの方向性もあることを考えて欲しい)
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まあ、物事には何らかの法則性が隠されている、というのが僕の持論。
だから、その法則性が見えてしまったものに対して飽きが来て嫌気が差してしまうのが、僕の子供の頃からの悪~い癖なんですね。
だから、知らない人や町を見て歩いたりしないと色々な意味で拒否反応を起こしてしまうという、とても周りの人には理解されない変人的要素がほぼ全体を占めている。
だから孤独と言えば孤独なんですが、どういうわけかそれなりに孤独でないのは何かに恵まれているせいだからなのかもしれない。
でも、いくら社会的に孤独でなかろうと、根幹から共感し合えなければやはり人間的に孤独と言わざるを得ない。
僕の中の〈幻想的な思考〉のうちにこういうのがあるんです。
『言葉を交わさずとも、心底理解しあえたらいいな』
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子供の時分からそう思ってきたけれど、そんな人はそうそういませんよ。
逆に、若い時分は言葉を交わすことで生計を立てていた経緯があるので、
『どういった態度で、どういったタイミングで、どういった言葉を交わせば他人と交流を図れるか?』
みたいな、理想と正反対の技術を磨いてしまったので、その理想自体がどんどん遠ざかって行く始末。
理想はあくまでも理想なのか?
それとも……
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