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途端に、周囲の状況が一変した。
スノードームが解除され粒子化したと思えば、その全てが持ち主であったライディエゴへと回帰していく。
ドームの展開・維持そして修繕に割いていた己の力を回収し終われば、枯渇していた内包量の六割程は補填する事が出来た。
すると今度は元々白銀だった毛艶が、神力を漂わせながら深く、深く、濃い色を帯びた氷色へと変化していく。
それに伴って、霊峰一帯に解き放たれたマグマの熱気に負けぬ程のただならぬ冷気が、ライディエゴから漏れ出していった。
怪物はその姿に思わず目を奪われる。
現時点でのライディエゴの内包している神力が、自分と同等以上であると見抜いたからだ⋯。
「ここからは消耗戦だ。いい加減頭を冷やしやがれ。“千年凍結”!!」
構えを取った瞬間、ライディエゴは怪物に向かって極大の術を放った。
するととてつもない勢いで怪物からエネルギーが引き摺り出され、燃焼し続けていたその巨体からみるみるうちに熱が失われていった。
この術は、大陸一帯に生息する全生命体を魂ごと瞬間冷凍させられる程の威力を秘めており、怪物の体外に流れ出ていたマグマ部分はみるみるうちに先端から火山岩と化していき、その表面に霜すらも張らせていった。
文字通り、身体の芯から凍らされている感覚が、怪物を襲ったのだ。
その強制力は、最初にくらった“大冷却”の比ではない。
怪物がもし神の涙のままであったのなら、自覚する間もなく再び氷漬けとなって、術の効力が消滅するまで半永久的に眠り続ける羽目になっていたであろう。
何故だ、と怪物は思った。
目の前にいる獅子男は、ヘイヌーの仲間ではなかったのか。
最初は自分を大氷柱の中から助け出せるよう、方法を模索してくれていたじゃないか。
なのに何故、ヘイヌーを殺した者達と共闘して、再び自分を凍らせようとしている?
自分はただ、友を取り返したいだけ。
友を傷付けた者達にこそ殺意はあるが、何故お前が邪魔をするのだ?
まさか⋯⋯友を裏切るのか?
その思考に辿り着いた瞬間、怪物の脳天が火山の如く盛大に噴火した。
憤怒の感情が、最高潮に達したのだ。
「むしろ今の方が防壁が必要そうなんだが、お前、ライディエゴ並の結界を張れるか?」
「我では無理。貴様でも無理であるのなら、どうしようもあるまい」
激しい熱気と冷気がぶつかり合う過酷な環境下。
もはや生命が活動するのは不可能となりつつある大地の上空で、ニナーナは他人事ながらも、一応ピスマ・ピズマに確認を取ってみた。
返答は予想通りNO。
これは一刻も早く事態を収拾させねば、次元すらも歪みかねないのではなかろうか。
そうなってしまえば時空移動の安全性も保証されなくなってしまうので、流石にそろそろ真面目に取り組まなければな、とニナーナは思った。
他の者達は最初から大真面目であるというのに、今更感満載である。
(ライディエゴが足止めしているうちにさっさとトンズラしちまうのが一番理想的なんだがなあ。ノブデュレスもこんな世界もどうなろうが、俺の知った事じゃねえし。嗚呼、めんどくせぇ)
横目で真剣に物事に打ち込んでいる面々を見やり、非常に乗り気になれない内心をバレない様にしまい込む。
丁度そのタイミングで、ピスマ・ピズマが何かに反応を示した。
「見えた!神核だ!」
怪物が強奪される熱を無理やり奪い返そうと躍起になる中、本来の循環が乱れて大荒れしているエネルギーの波間から微かに、だが確かに怪物の本体とも言える神核を捉えた。
ニナーナとゼトも確認できたようで、その瞬間、全員が一様に攻撃を再開した。
「“霆槍”!!」
まずはゼトが、背中にいる者達を保護しつつも、一筋の稲妻を神核の見えた場所に向かって真っ直ぐに放つ。
射角は正確であったが分厚いマグマに遮られて、半分程貫通した所で術は消滅した。
「“断罪懺魔”!!」
ピスマ・ピズマがそれを引き継ぐ形で鋭利な斬術を飛ばし、辛うじて神核の手前まで貫通させる事に成功した。
「“虚無魔術”」
最後にニナーナが、その道筋を塞がせない為にマグマの壁全てに沿うよう術で虚無化させ、漸く“因果報応”の発動準備が整えられたのだ。
ライディエゴが見事な奮戦を見せている今のうちに、と勢いで飛び出しかけたピスマ・ピズマ。
だが、ここに来て、はたと動きを止めてしまう。
一瞬脳裏に過ぎったのは、つい先程この邪神もどきが怪物へと変貌してしまった、己の大失態であった。
(本当に、このまま権能を発動させても良いものだろうか?もし悪魔の助力が嘘であれば?万が一最終局面で、裏切る様な事態になれば?)
そうなれば、己の権能は先程と同じ効力を発揮してしまい、いよいよ手の施し様がなくなってしまうだろう。
普通であればこの提案をされた時に浮かぶ疑問であろうに、あの時は汚名を挽回したい一心で即決してしまったが為に、今更になってそんな不安が押し寄せてきてしまった様だ。
そうして尻込みしてしまっているピスマ・ピズマだが、事態は残念ながら彼を待ってはくれないのだ。
そんな三ツ目男の動向を、ライディエゴは一人で怪物と向き合い続けながら、視界の端で見守っていた。
無尽蔵とも感じられる熱量を必死で冷却、そして蒸発させながら⋯⋯、そんな時にハッと何かに気が付いて、少しばかり視点をずらす。
ライディエゴが捉えたのは、竜型のゼトの背中で発動されている“世界の記録保管者”の作業が、終盤に差し掛かっている様子であった⋯。
「♧部隊No.10!!ピスマ・ピズマ!!」
「!?」
ライディエゴの突然の呼びかけに肩が跳ねる。
「怖気付くな!!お前の魂は純然だ!!お前の審判は主の御心だ!!それだけを信じてその全てを、主に捧げろ!!」
「♧A⋯」
「心配するな!!何かあってもこの場は俺が持ち堪えてやる!!全力を出した上での結果なら、主も納得してくれる筈だ!!だが俺は⋯上手くいくと信じている⋯!!」
「⋯⋯⋯」
「お前なら、やれる!!やってやれー!!」
勢い任せの叱咤激励。
だがそれを噛み締めるのは後回しだ。
後ろ髪を引いていたモノをライディエゴに断ち切ってもらったピスマ・ピズマは、今度こそ、神核への道に飛び込んだ。
そして己の権能の標準を、怪物の神核へと、確実に定める。
「純然ねえ。反吐が出る言葉だ。だがまあ、自己犠牲という綺麗事に平気で身を投じられるその盲信的思考は、ある意味で賞賛してやるよ」
「⋯⋯五月蝿い。貴様、本当に我を手助けしてくれる気はあるのだろうな?」
「ハハッ!気が無ければ此処まで付いて来ねえよ」
後から追いかけてきたニナーナに目を向ける事なく、権能に全ての神力を装填していく。
その構えを見届けたニナーナは、ピスマ・ピズマの背中に手を当てて、魔術を展開させた。
「“憤怒”の対になる感情は“忍耐”だ。この邪神もどきは、長年氷の中で忍耐強く耐えてきたんだろう?ならば、この術のかかった“因果報応に、反応しないわけが無い」
「⋯⋯まさか、二度目以降貴様に、ピスマとピズマの権能が発動しなかったのは」
「嗚呼。俺の業自体を【反転】させていたのさ」
「納得。道理で」
カラクリがわかって少しスッキリした。
七大罪を“反転”させるなど、神業以外の何ものでもないのだが、この悪魔であれば可能なのだろう。
敵でありながらその言葉の中にある説得力で、ピスマ・ピズマの迷いは此処で完全に断ち切られた。
そして装填が完了し、己が権能に強く、強く、想いを乗せる。
兎に角止まれと。
善に届けと、祈りを込めて⋯⋯。
「さあ、抗えるなら抗ってみせろ。“反転魔術!」
「“因果報応”、全力発動!!」
魔術が付与された瞬間に、過去に類を見ない程、本気で権能を解き放ってみせた。
強烈で神聖なる輝きが、神核を直撃する。
その瞬間、怪物の動きは大きく様変わりした。
急速に冴えていく、思考。
狭いと自覚していなかったのに途端に広がる、目の前の景色。
体内から溢れ出てきてその身を委ねていた感情が、音を立てて引いていく錯覚すらも感じられた。
自身の表面を構成していたマグマも、ライディエゴの神術無くとも、自ら熱をしまい込みつつある⋯。
嫌だ。
怪物は強く思った。
まだ友を取り戻していないのに、と。
まだ自分が満足いくまで、暴れきれていないのに、と。
⋯⋯また、“我慢”しなければいけないのか⋯?
そう思った瞬間、その“美徳”と定められた因果に抵抗せんと、腹を決める。
だがその決意は、目の前を高速で横断した竜によってあっさりと覆された。
⋯⋯正確には、横断した竜から飛び降り、怪物の目の前に落ちてきている最中の、とある人物によって⋯⋯。
「お鎮まりくだ、さーーーい!!!」
手を広げて此方に真っ直ぐ。
風の抵抗によって剥がされたベールが飛んでいくのを気に止めることなく。
初めて素顔を露呈したヘイヌーは⋯⋯それはそれは美しい、デマントイドガーネットの煌めきを持つ鉱石人間であった。
その姿とその声を認識し、我に返った怪物は、咄嗟に己の大きな両手をヘイヌーの着地地点に差し出した。
まだ冷却しきれていなかった真っ赤な掌を急いで冷やし、柔らかい土へと変質させて、顔面から着地した事で不可思議な声が出つつも急いで身を持ち上げるヘイヌーと、視線を合わせる。
「あ⋯⋯吾は無事、で御座います!ですので友よ!お鎮まりくだ、さいませ!!」
土で汚れてしまったが、その姿はまるで星の瞬きを閉じ込めたかの様に美しく、周辺の光を反射していた。
それでいて見上げてくる眼差しは、春の木漏れ日のように温かい。
嗚呼、我が友はこれ程に春暖で、光彩陸離であったのか。
その求め続けていた未来をようやっと手に入れる事が出来た怪物は⋯⋯その巨体を、“因果”の意思に従い、自ら崩壊させていった。
山が崩れ落ちるが如く。
熱が冷めて煙立ち上る、無数の岩石が、大地を、海を響かせながら、次々と原型を崩して落下していく。
神核までの道の中で全力を出し切ったピスマ・ピズマは、逃げる余力があまり残っておらずに、怪物だった物の中で立ち往生をしてしまっていた。
それでもニナーナの魔術がかけられた道なので、もう少しばかりは持ち堪えてくれるだろうと気を抜いていたのだが⋯⋯目の前に降ってきた岩の塊に思わず驚愕して、慌てて背後を振り返った。
そこには悪魔らしく、悪どい笑みを浮かべて剣を下ろしているニナーナが、後光を背負いながら羽を大きく広げて浮いていた。
「共闘はこれで終いだ。ここからはまた、命を取り合う間柄といこうじゃねえか」
「き、貴様⋯!やはりそう出るか!」
「当然だろうが。⋯⋯と言いたいところだが、今回ばかりは特別に、この場では手をかけないでおいてやる」
「何!?」
満身創痍とも言えるピスマ・ピズマに追い打ちをかける事はせず、黒剣を闇にしまって背中を向けてみせるニナーナ。
自分を見逃そうとしている意図が理解出来ず、混乱している視線が、その背中に突き刺さる。
「もしまた生きて会う事があれば、その時こそ容赦はしねえ。少しでも今よりは善戦出来るよう、精々精進するんだな」
「ま、待て。⋯何故だ?何故、この我を殺せる絶好の好機を、あえて捨てると言うのだ?我は⋯⋯⋯我々は、やはり貴様にとって、歯牙にもかける価値の無い存在だと言うのか!?」
薄々察してはいた。
ピスマとピズマとしてニナーナと刃を交えた時から、彼が自分達に対して本気を向けていたのは、最初の一太刀目だけであった事を。
それ以降は力加減を調整して、適当にいなしながら、隙を見て常に逃げる算段を立てられていたのだ。
それはつまり、自分達はニナーナにとって何の障害にもならず、強敵とはなり得ないと言われているのと同義である。
だからずっと悔しかった。
時間が経つにつれて何故だか躍起になってしまい、普段であれば冷酷に淡々と作業の如くこなす戦闘に、熱が入ってしまったのだ。
そういえば、こんなに他人の前で我を出していたのも、久方ぶりであった気がする。
信仰対象である主とも、♧部隊にとって羨望の的であるライディエゴとも、向けている想いが違う。
ニナーナに対して芽生え、抱いてしまったこの感情は、一体⋯⋯。
「随分と“承認欲求”の強い奴だな。だからこそ向上心もあるんだが⋯。その感情は美徳にも悪徳にも成りうるから、育て方には気をつけるんだな」
「⋯⋯承認、欲求⋯」
「ピスマ・ピズマ。純然だが愚かでもある貴様を、俺は何だかんだで気に入っちまった様だ。だから俺のお眼鏡にかなった時には、本気で相手をしてやるよ」
だから、またな。
軽くそう挨拶をして、ニナーナは颯爽と出口に向かって飛んで行った。
その姿を、ピスマ・ピズマは呆然と見送る。
(そうか、我々は奴に、認めてもらいたかったのか)
不思議と怒りは湧いてこない。
むしろ納得のいく答えを貰えて、尚且つ権能覚醒の取っ掛りをも助力してもらえて、感謝すら感じている程であった。
この感情は⋯⋯そう、憧憬だ。
もっと強くなりたい。
誰からも恐れられる審判者となって、ニナーナの目に留まりたい。
一世界の主であり、魔神にも劣らない魔皇帝という存在に認められれば、⋯⋯その時にやっと自分達は、自分達の罪を許せるのやも⋯⋯。
そこまで思考を巡らせていたピスマ・ピズマは、だが唐突に現実を思い出して、ハッと我に返る。
この時点で既に、彼の前後左右、そして上下とも、周囲全てが重力に逆らうのをやめつつあったのだ⋯。
「こ、この悪魔があああぁッ!!!」
本能的に出た魂の叫びは、崩落の音と共に、一人でさっさと脱出してしまったニナーナの耳にしっかり届いていた。
“虚無魔術”をわざと解除してピスマ・ピズマを生き埋めにしてきたニナーナは、「だから生きていればって言ったんだよ」と付け加えるが、ピスマ・ピズマとは違う悲鳴が上空からも聞こえてきて、今度はそちらへと視点を変える。
悲鳴の主は、グレーだった。
この大災害事件終結の立役者となったのであろう男なのに、“世界の記録保管者”の権能をしまい込んだ瞬間、身も魂も引き裂かれる程の激痛を伴うペナルティが、彼に容赦無く襲いかかったのだ。
のたうち回って血反吐を吐き、血管と皮膚が切れたのか身体のあちこちから流血しだし、それと共に尋常ではないエネルギーを秘めた神力が、煙の様に流出してしまっている。
「が、ああぁ!!あぐ!う、ゥゥッ!!⋯ガハッ!!」
「お兄ちゃん⋯っ!?大丈夫!?お兄ちゃん!!」
「坊ちゃん!今触れてはなりません!!」
グレーの傍に居たクゥフィアが急いで支えようとしたが、漏れ出ている神力の異常を察知した分身体のゼトがこれを制止した。
その束の間の後、激痛に耐え切れず白目を向いたグレーは、意識が途切れ、そのまま竜の上から真っ逆さまに落ちて行ってしまったのだった。
これを、たまたま真下に居たニナーナが上手くキャッチする。
「ッ!」
腕に小男を収めた瞬間、その神力に充てられて、激しい火傷のような外傷を負った。
見た目程の痛みは無いが、触れている部分は魔力で作っている服すらも焼け落ちてしまう。
それでもニナーナはグレーを手放す事はせず、彼の手から零れ落ちかけている、ヘイヌーから分離させたのだろう神の涙も、しっかりと受け止めたのだった。
「おい!!」
今度は下から。
呼び声に応じて見下ろせば、立っているのもやっとであろうに堂々と仁王立ちをしているライディエゴが、此方を睨んできている。
「ソイツを、俺に寄越せ」
「⋯⋯⋯やなこった」
指でクイクイと手招きされるが、中指を立てて嘲笑してやった。
そしてニナーナは竜の上へと飛翔して、クゥフィアの前に降り立つ。
「ニナーナさん!お兄ちゃん!二人とも無事なの!?」
「俺は見た目程じゃねえよ。だが此奴は⋯⋯今後次第かもしれねえ」
「そんな⋯ッ!」
「案ずるな」
ゼトの背中に下ろそうとした矢先、気を失っていた筈のグレーが声を上げた。
全員が驚いて覗き込めば、片目だけ薄らと開け、いつもと違う口調で言葉を続けだす。
その僅かに垣間見えたグレーの瞳は⋯⋯先程とは違う色に変化していた。
「儂がおる限りは此奴を死なせたりはせぬよ。お主らはこのまま此奴を抱え、次へと飛ぶんじゃ」
「貴様は⋯⋯鬼の方だな」
「おに?」
事情を知らないゼトを差し置いて、ニナーナは少しだけ思考した後に、クゥフィアを見た。
「今すぐ転移出来そうか?」
「⋯⋯出来るよ」
「頼む」
クゥフィアは首肯した。
そして事前に準備していた転移術を発動し、空中に竜一体が悠々と潜り抜けられる程の巨大な扉を、一瞬で出現させてみせた。
全員に光の帯が巻き付いていく。
今一度下を見下ろせば、事態が収束したものの、とてつもない大惨事が大地に深い爪痕を残していた。
神殿どころか麓や近隣の町、そしてクゥフィア達が最初に降り立った町デルトゥヒも、溶岩やビームにやられていて跡形もなくなっていたのだ⋯。
そんな中で、黙って此方を睨み続けているライディエゴ。
巨体の崩壊が終わってヘイヌーを大切そうに抱き締めている見知らぬ人物に、その腕の中で困惑しているヘイヌー。
まだ固まりきっていない場所の火山岩がボコッ!と盛り上がり、自力で穴から這い上がってきたピスマとピズマを確認する。
途中でまた二人に分離してしまったのだろうが、何とか神力を振り絞って、圧死と窒息死をしないよう持ち堪えながら下から掘り進めて来た様だ。
「後始末は宜しくな。ノブデュレス共」
ニナーナはその面々を一瞥すると身勝手な捨て台詞を吐いて、クゥフィア達と共にゼトの背に乗ったまま、開かれた扉へと飛翔していった。
潜り抜けた後に直ぐ閉ざされ、静かに消えていく扉。
それを見届けたライディエゴは、徐にその場に座り込んだ後、何事か思う所があるのか尻尾を力無く垂らして、少しばかり項垂れてしまった。
その背中を見てしまったピスマとピズマは、どう声をかけるべきか迷ってしまい、暫し互いに目を合わせる。
「⋯⋯♧A」
「奴等を、追いますか?」
悩んだ結果、無難な内容で押しとどめた。
「⋯いや。やめておこう。腹が立つが、奴等は余力を残してやがる。それに比べて此方は全員満身創痍。追いかけられない事はないが、どうせ悪魔達に遅れを取るだけだ」
「出直すぞ」と言って、気を持ち直す風に膝を叩いて立ち上がるライディエゴ。
そのタイミングでまた声をかけられ振り返ると、中性的な顔立ちの人物に横抱きにされているヘイヌーが其処に居た。
「Aよ。多大なるご迷惑、をお掛けしました」
「謝る必要はねえよ。迷惑をかけたのはお前じゃなくて、ソッチの奴と悪魔共だからな」
恨みがましい気持ちでヘイヌーを抱く者を睨めば、言葉なくとも反省はしているのかたじたじになっていく。
百面相の様にコロコロと表情を変えた後、その人物はお詫びとばかりに足元から力を放出し、自身が破壊してしまった大地全てに、自然の力を譲渡していった。
美しいオーラが周辺一帯に広がれば、瞬く間に外気乱れ果てた死地が、緑豊かな温暖地へと変貌していったのだった。
いま全員が立っている、まだマグマの熱が残る怪物だったモノの成れの果ても、既に草花が色付く穏やかな丘へと様変わりしている。
「これが、神の涙から孵った、神そのものの力⋯」
「これ程迄に一瞬で、世界と調和出来るとは⋯」
「「何と素晴らしい⋯」」
ピスマとピズマが思わず感嘆の声を漏らすが、ライディエゴは「だからって無かった事にはならねえからな」とかなり手厳しく言及した。
だが、ライディエゴの言う通り、死んでゆく定めであった大地を甦らせる事は出来たとしても、既に失われてしまった儚い命達は戻って来る事など無く、全ての罪を帳消しにする事など誰にも出来やしないのだ。
それは重々承知であるのか、深く落ち込んでしまう“元神の涙”に代わって、ヘイヌーが腕から下ろされながら弁明を行う。
「友の罪、は吾も共、に背負います。この世界、にもう暫し貢献致し、たく。♧Aよ。どうかご許可、を」
「⋯⋯⋯許可も何も、お前はもうノブデュレスじゃないだろ」
「え?」
ライディエゴが意味深に、自分の耳をトントンと指差す。
そのハンドサインにヘイヌーは一瞬思考が止まった後、急いで同じ所を触ってみたが、何の感触も得られなかった。
ノブデュレスである資格証とも言えるピアスが外れている。
これは即ち、ヘイヌーが神候補では無くなり、神の涙の力を完全に失ってしまった事を意味しているのであった。
「自分がどういう状況だったのかは、把握出来てるか?」
「⋯⋯いいえ」
「お前は悪魔共に、魂ごと神の涙を抜き取られた様だった。その身体から強引に引き摺り出されたお前の魂は、そのまま消滅しようとしていた。要するに、本気で死にかけていたんだよ」
「ですが吾、は」
「ああ。こうして生きている。裏切り者が恐らく、お前の魂が神の涙から上手く剥がれる様に⋯⋯いや待て」
話の途中で耳奥から砂嵐の音が聞こえだし、ライディエゴは目を瞑って意識をそちらに集中させた。
その音と共に、ライディエゴの経験してきた過去が次第に修正されていく⋯。
『ライディ、流石に今はやり合っている場合じゃない!あの邪神もどきを何とかしないと更に甚大な被害が出るぞ!』
この場面は、大氷穴が盛大に吹き飛んだ後のところだ。
『ニナーナさんお願い!ヘイヌーさんの──神の涙を元の身体に戻してあげて!』
この時点では確か、ヘイヌーの魂が神の涙に引っ張られていってしまい、ニナーナの手中に収まっていた筈だ。
それを思い出しながら改めて掌に乗せている黒玉を見ると、⋯⋯其処にあるのはまさかの、神の涙だけであった。
その後の掛け合いも所々に変更があり、今現在に到達するよう軌道修正がなされていくのを、タイムパラドックスが起きる自覚を持っていたライディエゴは、しっかりと実感していった。
「⋯⋯⋯⋯」
「♧A?」
「嗚呼、すまない。お前は悪魔共に、神の涙だけを抜き取られたんだった。そのショックで今迄生死の境目を彷徨ってたってところだな」
「フィアだけを⋯⋯どおり、で権能も神力、も喪失した感覚、があるのですね」
「本来ならピアスが外れる事自体前代未聞なんだが、既に前例もあるしよ。だから、その⋯⋯まあ⋯⋯⋯⋯もう、自由に生きて良いんだぞ?お前、【後天性】だったしよ」
だいぶ言葉を選んだ様子のライディエゴを、全員が無言で見つめる。
今この場では一番の発言権を持つ獅子男が、完全に格下である者に気を遣っている。
ノブデュレスという組織は、無数ともいえる数多の世界から非常に限られた神の涙の適合者、“神候補”を発掘して構築されたものだ。
言わば世界に選ばれた者であり、その特異且つ未知なる力に誇りを持って、自ら進んでノブデュレスの一員になりたがる者の方が圧倒的に多い。
だがライディエゴは、元々ヘイヌーが、同族と共に幻想的な土地でゆったりと暮らしていた唯の人間であり、たまたま神の涙と接触したがばかりに適合者になってしまった、所謂【後天性適合者】である事を知っているのだ。
ノブデュレスに勧誘という名で半ば強引に拉致され、崇拝対象の一人に仕立て上げられ、しかもその人心を揺さぶる見目が災いして、争いの火種となってしまった事も⋯⋯。
だから思った。
ヘイヌーも本当は、ベールを脱ぎ捨て、堂々と日の下を歩きながら、同族の居る故郷に帰りたいのではないかと。
そう考えての発言であったのだが、そんなちょっとした気遣いに見えて非常に好感を持てる姿勢を示されたヘイヌーは、感動して、恭しくライディエゴに頭を垂れたのだった。
「感銘の至り、でございます。Aは【先天性】、であらせられるのに、同朋に等しく敬意、を示してくださる。とても素晴らしい、御方ですね」
「!?ばっ!そんなんじゃね⋯」
「否。我等がAは大変お優しい」
弾かれた様に弁解しようとする言葉を、ピスマが遮った。
そのままピズマも会話に加わる。
「孤高の一匹狼を演じられているが、人がお好きであられるのは♧部隊の共通認識です」
「!!?」
「故に、言葉の端々に他者への配慮が漏れ出ている事が多々ありますよ」
「うそ⋯っ!?」
「他派閥は兎も角、♧部隊でAを慕う者は、非常に多いのですが⋯⋯」
「「「ご存知なかったので?」」」
「⋯⋯⋯ッ⋯ッッ⋯⋯」
ピスマとピズマだけでなく、ヘイヌーも言葉を被せてきて、白銀の獅子はその顔と耳を真っ赤に染め上げていってしまった。
自分的には上手く演じられていたつもりであったのだから、余計に恥ずかしいのである⋯。
「お気遣い有難う、ございます。ですが吾は、それでも此処で友、と共に贖罪をしたい、のです。信徒達の弔い、も必要ですし、帰郷するのはそれから、でも遅くはないかと」
「⋯⋯⋯そうかよ。好きにしろ」
調子を狂わされたライディエゴはこれ以上墓穴を掘りたくないのか、承諾だけしてこの話を終わらせる事にした。
その後は各々で必要な確認や周囲捜索等を行い、この件は一度持ち帰ってから適切に処理していくと、とりあえずの結論を出す。
「あの⋯⋯此度の事案で、【査問会】が動く可能性、は⋯⋯」
「別に規律違反をした訳じゃないんだし、恐らくないだろうよ」
恐る恐るというヘイヌーにあっさり返答すると、見るからにホッと胸を撫で下ろした。
その後ろには、この世界の新しい神が、自分が其処に居るのがさも当たり前という顔で張り付いているのだが、あまり気に止めない事にした様だ。
こうして要件を終え、簡単な帰り支度を済ませたライディエゴ達は、右耳の♧マークに手を当てる。
先にピスマがピズマと共に姿を消したのを見届けてから、自分も同じように神力を注いでいくのだが、そのタイミングで先程、ニナーナに抱えられながらどこか遠くへ行ってしまったグレーの姿を、唐突に思い出す。
「⋯⋯⋯“グレー”、か⋯⋯。合わねえだろ。あんな中途半端な名前」
ぽつりと呟いたその顔は、本人も知らぬ間に物憂げになっていた。
だが、その表情と胸の内は誰にも気付かれる事など無い。
程なくして、ピアスへの充填が終わったライディエゴも光に包まれていき、ヘイヌー達を置いて静かにこの世界を去って行った事で、今回の大事件は幕を下ろしたのだった。
この日、この世界で、万年雪を抱える寒冷地の一部が、地図上で新しく塗り替えられた。
山と大地が大きく抉れ、続けざまに謎の大厄災が起きたにも関わらず、有り得ない温暖な気候に包まれ、緑広がる豊かな自然へと変貌した、神が住まうと言われる神聖な大地。
何故この地がこれ程までに急な気候変動を起こしたのかは、数年後に他所の土地から調査という名目で派遣されてきた移住者達では、決して解明出来ない異常現象であった。
それに加え、移住者達の中では何時頃からか、霊峰付近での不思議な人影の目撃情報が出回り始める。
その人影は、以前この地で行われていたミシュ・ミシュを執り行う礼聖師に酷似した衣類を身に纏う、宝石のような美しい輝きを内包した麗人であるという。
この世のものとは思えないその姿から、当時の大厄災により命を落とした礼聖師の亡霊とも、ミシュ・ミシュによる祈りが具現化した神の御使いとも噂されたが、憶測がその域を出る事は決してなかった。
そんな未知の噂話が徐々にこの地の伝承となっていき、九十年近い年月が流れたある時。
遠く離れたとある国で、とある本が出版された事により、これが原因で世界中の歴史学会や自然学会等は激しく震撼する事となった。
それは、当時の大厄災から辛うじて生き延びた、今世ではただ一人となってしまっていた高齢女性の自叙伝である。
その女性ももう既に亡くなってしまったのだが、遺族が女性の遺品整理をしていた際にこの自叙伝の元となった大量の日記を確認したところ、過去を度々振り返っていった内容でとんでもない新事実を記していたが為に、その孫息子である新聞記者がほぼ改変無しで書き直したのだという。
其処には当時の末恐ろしい実体験が、生々しく綴られていた。
───雪に覆われていた霊峰が突然大爆発を起こした。
其処から巨大な化け物が出てきたのを、内海を挟んだ民家からでも確認出来た。
更には化け物が溶岩の化け物に変わって、その前から騒々しかった町中はいよいよ大混乱に陥った。
取る物も取りあえず逃げ出した後、とてもとても熱い何かが空を横切って、その所為で自分の生まれ育った町が、デルトゥヒが、大勢の人を巻き込んで消し飛んでしまった。
当時少女であった自分も、身体が焼けそうな思いを味わった。
だけど偶然にも無我夢中で走っていたのが分厚い氷の上であったのと、更に運良く足下が割れて池に落ちて、しかも激しい波に揺られる氷の塊に囲まれた状態で熱波を耐え凌ぐ事が出来たので、何とか溶け死ぬようなことにはならなかった。
普段なら氷の下に落ちてしまうのは死を意味するというのに、この時ばかりは自分の強運に感謝した。
其処からは池から自力で這い上がって、ただ呆然とずぶ濡れの身体を熱気で乾かしていた。
一緒に逃げていたはずの人達は、自分のように池に落ちれなくて先に燃えてしまった人や、落ちたとしても結局氷に潰されてしまった人や、氷の下で溺れてしまった人もいたと思う。
結局のところ、周りには自分以外に、生き延びた人は誰もいなかった。
周りどころか、デルトゥヒ出身で生き残っていた人なんて、その後も片手で足りるかぐらいの人数しか出会えなかった。
家族も友達も、全員死んだ。
その時の自分はまだそれを知らない。
だけど漠然とこの世の終わりを悟って、せっかく一度は命拾いしたと喜んだのに、もう一度池に落ちて自分で命を絶とうかとも考えた。
そしたら急に、マグマの化け物が冷えていったように土黒くなっていって、煙と、地震みたいな大きな音を立てながら崩れ死んだ。
その後少ししたら、今度は心地の良いそよ風みたいな光が目の前を流れていった。
辺りは一面、絵でしか見た事のない綺麗な草原と水辺になっていって、思わず自分はもう死んでしまったんだと勘違いした。
だけど、あれは現実だった。
今でも自分でも信じられない。
だから誰にも言えない。
あれは正しく、奇跡だった。───
その前後のくだりも非常に興味深く、だがあまりにも非現実的すぎる内容がずっと書き綴られていた。
この自叙伝を世間に発表した、孫息子だという新聞記者はこう言った。
「ばあちゃんは親父にもこの時の話は一度もした事はなかったらしい。どうせ誰にも信じてもらえないだろうからって。たぶん先に死んだじいちゃんにも言ってなかったんじゃないかな」
現に、当時大厄災から生き延びたと思われる人物達は、誰一人としてこの事実を他者に語って聞かせる事はしなかったという。
だから何一つとして記録に残っていなかったのだが、約一世紀も経過して今になっての大スクープである。
勿論、捏造であると断定する者の方が圧倒的ではあった。
だが女性は当時の生き残りとして知る人ぞ知る有名人であった上に、その他の過去については喜怒哀楽交えて話をする事はあっても、大厄災の話題になると途端に一切口を噤んでいた為、嘘か誠かは兎も角歴史的価値はあると提言する者も居たのだ。
なので学者はこぞってこの自叙伝の元になった日記を確認したがり、何一つとして改竄されていないと太鼓判を押されると、世界中でこの話題が取り沙汰される事となっていった。
すると、この本の内容を大なり小なり情報として仕入れた人々の中には、当時の出来事に思いを馳せ、推測を立てつつ、この自叙伝の最後に書かれた文章の謎解きに一時ばかり精を出す者も出てきたのだった。
───自分はやっぱり、あの時手を振り解くべきではなかったのかもしれない。
何十年と経ってこの日記を書いている今だから言える。
いいえ、本当はずっとわかっていた。
だからずっと後悔している。
あの時は怖くて、自分可愛さで動いてしまった。
その所為でもう二度と会えなくなった。
だけども何だかずっと、あの子はまだ生きている気がしている。
もう一生会えないのはわかっているけど、もう顔も名前もはっきりとは覚えてないけど、もしももう一度会う事ができたなら、今度こそちゃんと友達になりたい。
だから自戒を込めたこの一言で、今日の日記を終わる。
一度だけ一緒にお祈りをしたあの時のキミへ。
本当に、ごめんなさい。───
───【グレー編・終】───
次章より、話数リセットです。




