最終回:お前(空白を埋めろ)
さて時は流れて2010年代から今現在2020年代の話となるが、この頃になるとハードロックのみならずハードコアパンクに至っても進化の枝分かれが激しくなっていった。以前述べたグラインドコア、及びそれより派生したゴアグラインド、ポルノグラインドといったように。
しかしながらこうした過激なるもののみならず、ハードロックがそうであったように叙情的な美しい音の世界を追求した一派もある。『エモーショナル』或いは単に『エモ』と呼ばれる一派などまさにそうした類のもので、そもそも昨今使われる「エモい」とはこの一派を起源とした言葉である。
こうした進化の途上にて、やはりハードロックがそうであったように、パンクもまたハードロック、及びヘヴィメタルへの歩み寄り──と申すか、それらの要素を組み合わせ取り入れたまったく新しい音楽への進化の道を歩む者らが出てきた。『メタルコア』などがそうであるが、ゴアグラインドなどまことデスメタルの進化に深く関わっているがため、ほぼほぼ混ざり合ってどちらがパンク勢でどちらがメタル勢かひと眼にはわからぬ者らも出るほどの始末にある。
これらハードコアパンクの現行最新進化形たるポルノグラインドもこの例に漏れず、ヘヴィメタル要素のつよい連中など『エログロメタル』或いは『ポルノメタル』などと呼ばれ、デスメタルの仲間として数えられることも、あるくらいとなっている。
ここにハードロックとパンクロックの融合が、なされたと云うべきであろうか。──正統派パンクファン或いは正統派ロックファンからしてみれば、「そんな莫迦な」という異論もあるやもしれぬ。
だがここに今いち度、'70年代ニューウェイブロック勢の掲げた理念を述べてみよう。
まず、反権威主義についてである。「ロックは反権力なんだァァ! フェスで権力の象徴たる国歌を歌うとは何事かァァ」と、フジロックフェスの件でわめいていた人たちがいたは記憶に新しいが、しかしこれは様々な点で──今現在の時代に合っておらぬと云える。
まずは、反権威主義の思想が至高とされたは、東西冷戦下にてベトナムやアフガンで戦火の燃え盛っていた'70年代に於いての話であるというを頭に入れておかねばならぬ。──今現在は志願制をとっておる国とて徴兵制をとっていた時代にあり、たとえばモハメド=アリが己の心情、信条により徴兵拒否をして処罰されていたような、国家が絶対権威としてそびえ立っていた時代であったということを。
さて今現在はどうであろう。公然と国家元首を莫迦にしたとて或いはそれをネタとして攻めまくったギャグをやらかしたとしても──問答無用で逮捕され刑務所にブチ込まれるようなことはない。すくなくとも我が国にては。
今現在権威となっているは国家や国家元首よりもむしろ──たとえば人権保護団体であるとか平和活動団体であるとか環境保護団体であるとか大企業であるとか──立派な御題目を掲げた民間団体や非営利団体といった、そうしたものとなっていると云わざるを得ぬ。
こうした時代が今現在であるから、いくら威勢よく国家に中指を立て批判的な歌を唄おうと──もはやそれはロックではない。たとえば糞犬の顔にまゆ毛をマジックインキで描くような行為に等しい。
反権威の何たるかの意味、或いは方向性が、当時と今現在とでまったく異なってしまったのである。
これと関連し、環境保全主義礼讃というものも今現在のロックに於いては意味合いが当時と比較するとかなり異なる。──当時はそこら中の工場から黒煙が濛々と立ち昇っており、一斉防除と云って田んぼの米には強力な殺虫剤の粉を撒いており、そこらの集落に窓を閉めろと放送がかかっていたものであった。そうしたものであったが故に環境保全主義というものが褒められもてはやされてきたわけであったが──今現在の環境保全主義はすでに「イキスギィィ」の領域へと足を踏み入れており、また、先ほど述べたように環境保護団体の幾らかがすでに『権威』となっているがため、やはり環境保全主義への傾倒も今現在に於いては、ロックではない。
まあそれでもどこぞの誰か──U2の誰かさんなどは未だ傾倒したままにあるが。
逆に現行最新ロックにて盛んとなったは、民族主義にある。バイキングメタル及びペイガンメタルの際に詳しく述べたが、彼らの追求するは己らの民族の根源、始祖より今現在にまで続く系譜、本来の姿というものであり、かつて'70年代ニューウェイブ勢の掲げた反民族主義という御題目に真っ向より反抗する精神のロックをやっている。
反ナチもそうである。ブラックメタルの進化の途上に於いてナチスドイツの掲げた思想を追求する一派が現れて幾久しい今現在、反ナチ思想とか云われても……もう遅いとしか云うことができぬ。
さてナチと関連つけられて語られることの多い、本邦日本やかつての同盟国イタリアにての軍国主義にあるが、これも、'70年代に掲げられた反軍国主義思想は今現在のロックにては理想とされぬ。──ペイガンメタルバンドは本邦にも存在しており、ときにサムライメタルと呼ばれる『ZENITHRASH』などはかつての軍歌をカヴァーしたアルバムを出しており、『凱旋マーチ』などはかつて『軍国メタル』と呼ばれた。
これは戦前回帰であるのか?──否! ロックなのだ!
ロックとは反抗の音楽。事と次第によっては己自身たるロックそのものに反抗するものであるということはこれまでに述べてきたが、二次大戦終結より半世紀を超えて悪の枢軸として攻撃されてきた軍国主義は、いつしか攻撃される対象──つまりはこれを攻撃する者たちが、『反抗すべき対象たる権威』と、なったが故のこと。
故に平和主義と云うものも今やカビが生え埃をかぶった古くさいものとなり果てた。今唄われるは勇敢なバイキングであり大陸を馳せたモンゴルであり偉大なるゲルマンであり八紘一宇を掲げた大和である。各々の民族がこれまで歩んできた戦いの歴史である!
もはや'70年代とは価値観そのものが完全に入れ替わったと云える。反差別などその際たるもの。反差別の名のもとにそれを掲げる連中が好き勝手放題をやらかす絶対権力と化したは、世界中で見られることではないか。
この今現在に於いては、触れてはならぬ禁忌に敢えて触れ、それを公然と語ることがロックであると云えよう。軍国主義者、差別主義者、親ナチの誹りを恐れずに皆が云えぬことを敢えて云うがロック!
ロックの魂はそこにある。
いかにいかがわしかろうが不埒で不道徳であろうが眼を背けたくなるようなエゲツないものであろうが他人をいかに傷つけようが構わず上げる心の叫びこそがロックである。
不快感を感じた? 傷ついた?──そこにオーバーキルダメージを喰らわすが、ロックなのである!
'70年代はとうの昔に終わった! 未だそれにしがみつく、肉体も精神も老いながらも声だけは大きい化石に、現行最新のロックを見せつけてやるがいい。
だが逆に──今現在現行最新の価値観にて過去のロックを断罪するようなことがあってもならぬ。それが当時の現行最新ロックであったが故に。
むしろ敢えてこの今現在に過去の──'50年代だろうが'80年代だろうが、自分の気に入った年代のロックを聴くも大いに結構なことであると云えよう。常に現行最新であらねばならぬ、などと云う心のせまいものでは、ロックはないのであるから。