夢なんてなくていい
翌日。
「昨日のカラオケどうだった?」
バス停で合流した後、私が麻紀に聞くと笑顔が返ってきた。
なんでも、麻紀はバラードのメドレーで盛り上げたらしい。
バラードでどうやって盛り上げたんだろう。
それに、メドレーって結構長くなかったっけ?
なんにせよ、麻紀が楽しかったなら嬉しい。
「さすが、麻紀ちゃんだね」
京ちゃんも同じ感想を述べた。
今日から一学期の授業が始まる。
教室に着いた。
ホームルームを経て、いよいよ授業だ。
授業を聞き流しつつ、昨日の一年後の自分への手紙のことを考える。
私、これでいいのかな。
夢がなくて、将来はぼんやりしている。
幸せになれるのかな。
そもそも、親に愛されなかった私が、誰かを愛することなんてできるのかな。
様々な不安が、洪水のように押し寄せる。
どうして、私は普通じゃなかったんだろう。
周りのクラスメイト達は、普通が嫌だとか言うけれど、私は普通が良かった。
普通の家庭で生まれて、普通に親に愛されて、時には喧嘩したりもするけど最終的には育ててくれたお礼を言う。
そんな普通が欲しかった。
でも、それはどんなに望んでも手に入れることはできない。
放課後になった。
今日はバイトがないので、3人で帰る。
私と京ちゃんは普段、バイトがあるので部活に所属していない。
麻紀はパズルが趣味なので、パズル研究会という部活に所属しているけれど、あまり活発に活動していないようだ。
そもそも、パズル研究会って何をするんだろう。
パズル解いたり、作ったりするのかな。
3人一緒に校舎を出て、通学路を歩く。
「修学旅行、楽しみだね」
京ちゃんがウキウキしながら言った。
私達の学校では5月に北海道へ修学旅行に行く。
私も楽しみだ。
「真奈は好きな人いるの?」
麻紀がいきなり聞いてきた。
何で今その話題なんだろう?
修学旅行から繋がっていない。
「いないけど、どうして?」
「修学旅行中に告白するのが流行りなんだって」
麻紀は嬉しそうに言う。
あーはいはい、旅行でテンションがおかしくなるやつか。
いるんだよね、そういう奴。
それで、結局すぐに別れちゃうやつ。
「麻紀はいるの?」
気になったので、聞いてみた。
でも、麻紀はいなさそうだなあ。
麻紀が男子と付き合うところが、想像できない。
そう思っていたけれど、麻紀は頬を染めて俯いてしまった。
「え!? 何その反応!」
京ちゃんが興味深そうに、麻紀を眺める。
もしかして、麻紀にも好きな人がいるのだろうか。
「誰誰?」
京ちゃんが聞く。
「……内緒」
麻紀はさらに赤みを増していた。
同性ながら、可愛いと思った。
麻紀と別れ、京ちゃんと共に施設へ帰った。
部屋に入る。
「それにしても、麻紀ちゃんに好きな人がいるなんてね」
京ちゃんはしみじみと言う。
「うん……」
麻紀は修学旅行中に告白するつもりだろうか。
もし、成功したら祝ってあげよう。
でも、3人で遊べる時間が減るのは嫌だな。
まあ、仕方ないか。
「ねえ、修学旅行もいいけど。卒業したら3人で卒業旅行行こうよ」
京ちゃんは唐突に、そんな計画を立ち上げた。
「気が早くない? まあいいけど。どこ行きたい?」
「海外がいいなあ」
京ちゃんは英語が得意で、将来的には海外留学したいと考えているそうだ。
そのための留学資金を看護師になって貯めるそうだ。
だから、海外に行きたいという発言もわかる。
「でも、お金はどうするの?」
「そこなんだよねー。うーん、どうしよっか」
児童養護施設の子供に、お金はない。
親はあてにできないし、貯金は施設を出た後の生活に使う。
「まあ、卒業旅行じゃなくて、将来お金を貯めて行こうよ」
「うん、そうだね」
その時まで、いやその先もずっと友達でいたい。
親の愛を知らない私のよりどころは、友情だ。
夕食までの自由時間。
ちょっと体を動かしたくなったので、施設に併設されている運動場に出る。
気温は暑くもなく寒くもなく、ちょうどいい。
夕日がグラウンドを照らす。
タカや和樹を含む、6人ほどの男子がサッカーをしていた。
「真奈ー!」
和樹がこちらに気付き、手を振りながら名前を呼んだ。
和樹は半袖半ズボンで、元気よく走り回っている。
私は運動が得意だ。
足も速いし、誰かにスポーツの指導を受けてたことはないが球技だってできる。
そのため、運動部からスカウトを受けることもある。
バイトがあるので断っているけど、もし入ることができたら、きっとかけがえのない経験ができたのだろう。
ボールが飛んでくる。
胸でトラップして、足元に落とす。
そのまま、思い切り蹴る。
後はとにかく、男子達に混ざってボールを追いかけた。
スポーツをしている間は楽しいし、余計なことを考えないで済む。
30分ほど汗を流して、チャイムの音ともに屋内に戻る。
「真奈」
タカに呼び止められる。
「何?」
「一年後の自分へって、何書いた?」
何でそんなこと聞くんだろう。
「言わないとだめ?」
「嫌ならいいけど」
「タカは何書いたの?」
「偏差値はどうですか?」
「普通だね」
「悪かったな」
タカは視線をそらし、頭を掻く。
そして、再びこちらを見る。
「真奈って夢はあるのか?」
何だろう。
夢がないことを責められているような気分だ。
もちろん、タカにそんなつもりがないことはわかっているけれど。
「……ないよ。タカは教師だっけ?」
「ああ、そうだよ」
普段はふざけていることも多いタカだけど、その目はいつもと違った。
「子供が好きなんだ。子供のためになる仕事をしたい」
「すごいね、タカは。私は夢とか将来とか、全然わからない」
タカは昔の話はしない。
なぜ、施設にいるのか私は知らない。
多分、職員さんしか知らない。
わかっていることは、私より前から施設にいるということ。
「すげー、タカ兄は先生になるのか!」
どこまで聞いていたのか、和樹がキラキラした目でタカを見ている。
「おう! 俺は先生だ! 今日から先生って呼べ」
タカは胸を張る。
「タカ先生!」
和樹とタカは笑いながら、食堂へ向かう。
その背中が、遠く感じられた。
私はこの先もずっと、夢が見つからないのだろうか。
夜の学習時間。
学習時間という名前だけれど、職員さんに色々相談事をしてもいい時間だ。
相談の内容は進路のことから、個人的な不満など何でもいい。
私の担当の恵理子先生に相談をしに職員室に入った。
しかし、恵理子先生が見当たらない。
近くにいる、新人の新海先生に聞くことにした。
「あの、恵理子先生はいますか?」
「え? 今出ているけれど。何か用?」
「ちょっと、相談が」
「俺が聞こうか?」
どうしよう。
まだ、新海先生には慣れていない。
あまり、個人的な話はしたくない。
「それじゃあ、行こうか」
新海先生は資料や筆記用具を持って席を立つ。
「行かないの?」
新海先生は既に職員室の入り口にいた。
迷った挙句、断るのも悪いのでこのまま行くことにした。
面談室に着いた。
「で、相談って?」
新海先生が座るなり、聞いてくる。
「夢が、ないんです」
「夢? それって、将来の夢ってこと?」
「はい」
新海先生はふうっと、息を吐く。
その視線は、どこか冷めていた。
「夢なんて、なくていいと思うよ」
「え?」
「だって、真奈ちゃんは施設の子だろ? 多分この先、生きていくだけで精一杯だと思うよ」
施設の子だろ。
その言葉を聞いた瞬間、小学生の頃の苦い思い出が蘇る。
だけど、今はそれに構っている場合じゃない。
「どういうことですか?」
「進学だって大変だし、就職だって大変だ。普通の家庭の子のように親からの支援を受けられない」
「それは、わかっています」
「いや、わかっていないね。わかっていたら、夢なんて言葉出てこないはずだよ」
大人たちは夢を持てと言う一方で、現実を見ろとも言う。
きっと、大人の方が世間や社会をよく知っていて、正しいことを言っている。
だったら、私達を迷わせるようなことを言わないで欲しい。
これが、正しい道だと示して欲しい。
「真奈ちゃんの志望は就職? 進学?」
「とりあえず、就職です」
「とりあえず……なんて付けてほしくないんだけれど」
いちいち言い方が、癪に障る。
思いやりがないと感じた。
「真奈ちゃんの将来のことだよ? とりあえずで決めたらだめだよ」
「じゃあ、新海先生はどっちのほうがいいと思いますか?」
新海先生は資料に目をやる。
私のことが書かれている資料だ。
「俺が決めることじゃないけれど、真奈ちゃんは進学すべきだと思うよ」
そう言って、新海先生は私が合格できそうな具体的な大学名も挙げた。
「進学ですか? でも、お金が……」
「そこは奨学金とか学費免除とか、やり方はいくらでもあるよ。施設の方からも援助するからさ」
「私、大学へ行ってまで勉強したいことなんてないですよ」
「それでも、行くんだ。大卒っていう資格を得るためにね」
「どうしてそこまで、進学にこだわるんですか?」
「貧困の連鎖だよ」
聞いたことがある。
貧しい家の子供が充分な教育を受けられないため、就職で不利になり結果として貧しくなる。
そして次の世代である新しく生まれてくる子供にも、充分な教育を受けさせることができなくて、連鎖していくことだ。
「真奈ちゃんが将来、子供を作った時に夫が大卒でバリバリ稼いでくれるなら問題ないけれど、学歴の低い人は大抵同じような人と一緒になるものだからね。大卒の人と結婚して、安定した家庭を築きたいなら、大学くらいは出ておかないと」
「待ってください、私は子供はいりません」
「絶対に?」
「はい」
「絶対に、将来心変わりしない?」
そう問われると、言葉に詰まってしまう。
人の考えは変わるものだし、この世に絶対はない。
それに、夫となる人が子供を強く望んだら私が折れるかもしれない。
「大学出ておけば、将来きっと大学行っておいて良かったって思うから」
新海先生の言うことはおそらく、正しい。
「まあ、進学に否定的な職員もいるけど。俺は進学推奨派だよ」
「恵理子先生は、どうなんですか?」
「恵理子先生は子供が自分で決めるべき、って考え方だね。さて、そろそろ就寝時間だし、いいかな? 進学のこと、知りたくなったら相談に来てよ。資料も色々揃えてあるから」
「はい……」
新海先生は立ち上がろうとして、一旦止まる。
「真奈ちゃんは、親に会うべきだよ」
新海先生は言って欲しくないことを、言った。
親と会う?
そんなの、ありえない。
「嫌です。絶対に」
「……後悔するよ。いや、何か得るものがあるはずだよ」
「後悔なんてしません」
「そうかい……」
新海先生は部屋を出た。
私も面談室を出て、自室に戻る。
「お帰り、真奈ちゃん」
「ただいま」
部屋に戻ると、京ちゃんがベッドから体を起こす。
「恵理子先生と面談?」
「違うよ、新海先生」
「そうだったんだ。新海先生って、どうだった?」
どうだったと言われても困ってしまう。
「悪い人じゃないと思うよ」
本当はちょっとくらい、悪口や愚痴を言いたかったけれど、やめておいた。
「そっか。真奈ちゃんがそう言うなら、そうなんだろうね」
ということは、新海先生の評判はあまりよくないのかもしれない。
確かに、少し怖くて子供からすればとっつきにくいのだろう。
「ねえ、京ちゃん。私も大学行こうかな」
「本当!? じゃあ、同じ大学行こうよ」
「うん……」
京ちゃんと同じ大学なら楽しいだろうな。
まあ、講義とバイト漬けで遊んでいる暇とかないだろうけど。
私の心は、進学に傾きつつあった。
でも、肝心の勉強したいことがない。
そんな状態で進学して、勉強に身が入るのだろうかという心配もある。
「じゃ、寝よっか」
私はベッドに入る。
「おやすみ」
「おやすみー」
私は不安を打ち消すように、掛け布団にすっぽりとくるまった。