「裏通りの東大生」完 第五章(13)
沢山の作品の中からこの作品をご覧頂き、ありがとうございます。
この作品はロサンゼルスのギャングの世界の空気感を描くために、一部バイオレンスが描写が含まれておりますが、基本は主人公が偏差値30から東京大学へと進学していく過程ときっかけを描いたものとなりますので、楽しく読んで頂ければと思います。
久し振りの日本での時間、見るもの聞くもの全てが新鮮で日本に居るという現実に適応するのに数日かかった。
車を運転しない日が無かった日常から、車を運転することが無い日常に変わり、制服姿の同世代の姿や街中の情景や雰囲気など、小さなカルチャーショックの中で日本に徐々に慣れていった。
入試までの1週間程、ラストスパートで日本でもファミレスに通い、負荷を高めて試験対策を行った。やはり高負荷トレーニングを行っていなかった日々の分、解答スピードは落ちていたが、それまでの蓄積もあり、数日後には再び制限時間に余裕をもって解けるまでに戻っていった。
本郷三丁目駅から東京大学へ向かう道、ロサンゼルスでは経験したことのない寒さに体を小さくしながらの本郷キャンパスへ向かった。
「これが赤門か」
東京大学に行ったことのある人ならば、ほぼ必ず口にしたり、思ったことのある感想をJもまた小さく口にしながら赤門をくぐる。
試験会場に着くと、直前まで参考書や過去問を見直している受験生たちが多数いるが、このタイミングでそれらを見たところで精神安定剤には成り得ても、実質的には試験対策にはならないだろう。
周囲には高校時代にはJと住む世界が完全に異なっていた優秀な受験生たちが居て、積み上げた勉強時間と実績から、確実にJよりも知識を持ち、成績も良かったはずだ。それでも彼らも緊張をしながら試験を待つ。
もうここまで来たら合格、不合格は選択肢が2つしかないフィフティー・フィフティーだ。
試験が始まると、Jのシャープペンシルはスムーズに進んでいく。
もう試験問題を覚えきってしまう程に解いた過去問数年分と、方向性の変わらない試験が出題されているからだ。蓄積させたデータから脳がシミュレートした方向性の問題がそこにあり、解くべきペースと優先順位を自然とシミュレートして、Jの解答を進めていく。全問を解き終わり、不安だった部分の見直しが終わってなお、制限時間までは5分以上残った。周囲ではほぼ全ての受験生がまだ問題を解いている。
試験終了を告げる声が試験官から発せられると同時に、問題を解ききれなかった受験生たちからの落胆の声が漏れる。
筆記試験、面接と進み、Jの中では合格への確信はあったが、そもそも大学への進学すら、親から期待されていなかったJだ、「大いなる勘違いということもある」と笑いながら口にしつつ、今度は赤門ではなく、安田講堂を背に正門からキャンパスを出て東京大学を後にする。
大いなる勘違い。
数か月前までのJであれば、それ以外の評価は無かったであろう。成績も知識も違い過ぎる受験生たちの中に居て、合格への確信を持つなんてジョークみたいな話だが、勘違いの可能性を口にしておかないと浮かれてしまいそうな程、試験の出来には自信があった。
これを生んだのはゲームで培ったシミュレーション能力と、高負荷トレーニングの成果だ。
勉強時間の総数、それがもたらす知識の総量、小学校からの成績の推移、その全てでJは全受験生の中の底辺近くだっただろう。しかし、東京大学の試験問題、という非常に狭い分野において、そこだけに特化した勉強時間、試験の傾向分析、シミュレーション、試験対策はトップクラスだったのだろう。だからこそ、試験時間を余して見直しまで終えることが出来た。
合格発表の日、正門からではなく、受験日と同様に赤門から本郷キャンパスに入っていったのは、単に本郷三丁目駅から近いからというだけではなく、浮かれてしまいそうな確信があったと思っていたにも関わらず、自然とゲンを担いだのだろう。あの手応えのあった試験の時のような結果があるようにとゲンを担ぐ程には、不安と緊張もあるようだ。
公衆電話のボックスにJは入り、緑の公衆電話にテレフォンカードを差し込む。この時間ならばロサンゼルスは夜でまだ起きている時間だろう。
「もしもし?」
「ミッシェル久し振り」
「J、久し振り」
ミッシェルの声が弾む。
「グッドニュースとバッドニュースのどちらを先に聞きたい?」
「えっ。・・・じゃあ先にバッドニュース聞いておく」
ミッシェルの声が少し暗めになる。
「凄く悲しいことだけど、長くミッシェルに会えなくなりそうだ」
Jが言い終わると、ミッシェルの声が変わる。
「えっと、それって・・・じゃあグッドニュースは?」
「東京大学に受かったよ」
「ホント?ホント?すごいね」
Jが見ているのは公衆電話の液晶でしかないが、今のミッシェルの表情はハッキリと見えているようだ。
「じゃあ、じゃあ、・・・うん、落ち着いて、じゃあJ、グッドニュースとバッドニュースのどっちを先に聞きたい?」
嬉しい興奮を自分で抑えながら、ミッシェルも2択でJに聞く。大学に入り綺麗に大人っぽくなったミッシェルだが、きっと今の顔は高校時代のまま、いたずらっぽい顔なのだろうと簡単に想像が出来た。
「それなら先にバッドニュースを聞いておこうかな」
「今ね、すごくJにキスをしたいのに、Jが居ないんだよね」
ミッシェルが嬉しそうに言う。
「それは凄いバッドニュースだね」
心から残念なバッドニュースながらJとミッシェルは笑い合う。
「それで、次のグッドニュースは?」
「私ね、日本語習い始めたの」
「ホントに?すごいね」
これはJも驚きのニュースだった。Jが日本人であることは知っていても、日常的に英語で会話をしてきたために、Jが日本人であることはミッシェルにとって日常的にはあまり重要なことではなかった。しかし、Jが日本に行くという状況が生まれたことで、日本への意識が初めて生まれたのだ。
「ミッシェルだったら、そのうちオレよりも日本語上手くなるよ」
お世辞でもなく、Jは心からそう思う。
「そのうち日本に行くからね。待っててねJ」
・・・数年後
安田講堂の中にJは居た。
偉い人が何かしらの話をしているが、興味も無ければ、聞く気もない。不毛な時間だとは思うが、これもまた通過儀礼なのだろう。百人を超える新入生の中の一人としてこの時を迎えていた。
「まさか大学院まで進むとはね」
そんなことよりミッシェルたちとはどうなったか?
それはまたいつか別の機会があれば。
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ここまでお付き合い頂き、本当にありがとうございました!
「裏通りの東大生」完結となります。
この物語を書いた動機は、東大をはじめとする名門大学へのコースを順調に歩いている人以外にも、「どうせもう遅い」と諦める必要は無いと気付いてもらいたかったからです。
この物語はフィクションですが、これとよく似たエピソードを持つ人は実在し、東大大学院まで進んでいます。今始めた勉強は着実に身になり、目指す成果への道を前に進めていきます。
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