第八話 桶、弱点を知る
ダンジョンから戻ってきた頃には、すっかり夜になっていた。
《湯けむり亭》の入口では、ミリナが心配そうに待っていた。
「おかえりなさい!」
だが、《アタミサイコ》の表情を見て、すぐ異変に気づく。
「……何かあったんですか?」
戦士の男が、疲れたように頭を掻いた。
「回復しなかった」
「……え?」
「十八階までは順調だったんだがな」
獣人の槍使いの腕には、細かな切り傷が残っている。
「湯をかけても、まったく効かなかった」
「そんな……!」
ミリナは慌てて俺を見る。
(俺にも分からん……)
本当に分からなかった。
今まで普通に使えていたのだ。
急に効かなくなる理由がない。
「と、とりあえず試してみます!」
ミリナは急いで俺へ温泉を汲む。
そして獣人の傷へ、そっと湯をかけた。
ぱしゃっ。
淡い光。
「あっ……」
切り傷がゆっくり塞がっていく。
「治った……」
《アタミサイコ》の面々が目を丸くする。
「なんでだ?」
「ダンジョンじゃ駄目だったのに……」
誰も分からない。
俺も分からない。
結局その日は、
「また今度頼む」
「原因分かったら教えてくれ」
そう言い残し、《アタミサイコ》は帰っていった。
残ったのは、ミリナと俺だけ。
そして。
「……気になりますねぇ」
(めちゃくちゃ気になる)
なので。
検証することになった。
◇◇◇
まずは前回と同じ。
俺へ温泉を入れ、《湯けむり亭》の敷地外へ出る。
少し離れた路地裏。
「では、かけますね」
ミリナが、自分の指先へ湯をかける。
昼間についた小さな傷。
すると。
淡い光。
傷は普通に治った。
(使えるな)
「はい……」
次はもっと離れる。
広場。
裏道。
市場近く。
色々試したが、問題なく回復した。
「やっぱり場所じゃない……?」
(ダンジョン特有の何かか?)
だが、それもよく分からない。
首を傾げながら戻っている途中だった。
「きゃっ!?」
ミリナが石畳につまずいた。
どさっ、と転ぶ。
「おい、大丈夫か!?」
「い、いたた……」
膝を擦りむいている。
幸い軽傷だ。
「桶の中の水、無くなっちゃいましたね……」
ミリナは持っていた小さな木筒を取り出した。
その中には、予備として持ってきた温泉の湯。
だが。
夜風にさらされ、かなり冷えていた。
(まぁ軽傷だし、大丈夫だろ)
ミリナは冷えた湯を俺へ注ぎ、自分の膝へかける。
ぱしゃっ。
……。
「……あれ?」
治らない。
ミリナが瞬きをする。
もう一度。
ぱしゃっ。
だが傷はそのままだ。
(……ん?)
妙だった。
どこでも回復できたはずなのに。
そこでふと気づく。
冷えた湯が、やけに気になった。
(……待て)
「回復桶さん?」
(その湯、冷えてないか?)
「え?」
ミリナが木筒を触る。
「た、確かに冷たいですね……」
(もしかして……温度か?)
二人は顔を見合わせた。
そして急いで《湯けむり亭》へ戻る。
◇◇◇
閉店後の浴場。
ミリナは冷えた温泉水を小鍋へ入れ、火にかけていた。
「これくらいでしょうか……?」
湯気が立つ。
ほんのり温かい。
(よし、やってみろ)
ミリナは温め直した湯を俺へ注ぎ、自分の膝へかけた。
ぱしゃっ。
淡い光。
「あっ!」
擦り傷がゆっくり消えていく。
間違いなかった。
「なおりました……!」
(やっぱ温度か!)
ダンジョン。
氷蜥蜴。
冷気。
冷えた温泉。
全部繋がる。
つまり。
俺の力は――
温かい湯でなければ発動しない。
「これ、かなり大事なことなのでは……?」
(めちゃくちゃ大事だな……)
思った以上に致命的な弱点だった。
特に冷えるダンジョンでは。
湯気が静かに立ちのぼる。
そして俺は、桶の中の温かな湯を感じながら思った。
(……やっぱ、あったかい温泉って大事だわ)




