第一章 ライフェン再訪 7
「タバ、よく帰ってきてくれたね!」
老婆が満面の笑みで私を出迎え、ハグをした。
「さあさぁそんなところで突っ立ってないで中へお入り」
老婆は私をせき立てる。私は名乗る暇もなく手を引かれて中へ入る。もちろん私はタパという名前ではない。
「あなたが帰ってくるのは何年振りかしら。でも帰ってくる予感がしてたのよ! 先にお父さんに帰ってきた挨拶をしなさいな」
私はただただ圧倒されていた。背中を押されて部屋の隅の祭壇へ向かう。亡くなった人を供養するためのものだろう。故人を偲ぶため故人の持ち物とキャンドルが置かれている。とても小さな祭壇だ。まだ新しい花が置かれ、花びらが数枚下に落ちていた。
会ったことのない故人なのだけれど私は静かに手を合わせて祈りを捧げた。
間髪を容れず老婆の勢いに押されて何も言えずにそのまま椅子に座らされた。老婆の話は止まらずこちらが話す隙はない。
「あなた、少し痩せたんじゃない? きちんと食べてるの? だいたいあなた、本当に手紙一つよこさないんだから。でも便りがないってことは元気な証拠だからね、心配はしてなかったわ。でも王都に行ってから何年経つのかしら? もう十年以上よね、毎年この時期に私の誕生日に合わせてあなたが素敵な贈り物を送ってくれて、全てきちんととってあるわ。もったいなくて使えないもの。あなたが忘れずに毎年贈ってくれたことが嬉しいのよ、今日だってそうでしょ、私の誕生日にあわせて帰ってくれたのよね」
やっと事情を話せると思った瞬間、老婆は立ち上がった。
「あら、私ったら嬉しすぎてお茶を用意するのも忘れてたわ。ちょっと待っててね」
ファノが言っていたように老婆は足が悪いのだろう、右足を少し引きずり老婆はキッチンへ姿を消した。しかし自分は老婆の息子に似ているのだろうか? しかしどんなに似ているとしても自分の息子を見間違えるだろうか? 依頼主の建設王は細かいことは何も言っていなかったのでわからないのだけれど。さっさと事情を説明して依頼を終わらせてしまった方がいいだろう。しかし老婆が私が自分の息子ではないとわかってしまった時の失望を考えるとなかなか言い出しにくいものがある。
お茶のよい香りがする。
「あなたはお砂糖もクリームもたっぷりだったわね」
老婆の中ではタパ氏は子どものままなのだろうか。一体いつの時の記憶なのだろう?
「お茶を入れながら昔のことを思い出していたのよ、裕福ではなかったけれどあなたはとても親孝行だったわ。墓守りの仕事も進んでやってくれたし。最近昔のことばかり思い出すのよ、最近のことはまるで覚えていないのにね。でもあなたがこの前いつ帰ってきたかははっきり思い出せたわ。あれはちょうど十年前だったわ」
タパ氏よ、十年もどこで何をしているのだ、なぜ帰ってやらないのだ、と会ったこともない人物に対して腹が立ってくる。しかし考えてみると私も似たようなものだ。実家には生存確認のようにたまに帰るが、親とはたいして何か会話をするわけではなく、すぐお尻の辺りがむずむずして少し滞在しただけで帰ってしまう。この前帰省したのはいつのことだろう。
「あなたが王立騎士団に入って戦役に参加するたびに本当に気が気じゃなかったのよ。新聞のお悔やみ欄は毎日見ていたわ。あなたが無事でいられるように毎日祈っていたのよ。失敗してもいい、無事でさえいてくれたらいつでもあなたはここに帰ってくることができるもの」
私はお茶に手を伸ばし口に運ぶ。甘い。
「おかわりはいくらでもあるわよ。これはいい茶葉なのよ。異国の商人から買ったの。ハレルベークのお茶だそうよ」
その異国の商人はよく知っている。
「いやだ、私ばっかり話して。まぁ年頃の男の子だものね、無口にもなるわね。いつまでも子ども扱いしていやね、まったく」
老婆は笑う。私も自然に笑っていた。
「あなたも仕事でハレルベークには行ったのよね。この町とは比べ物にならないくらい大きな町なんでしょうね」
老婆は言った。
「ハレルベークは砂漠の街で、タバコの匂いがする。石造りの家が多くて、年中暑いから昼は皆昼寝をするんだ。だから街は日中とても静かなんだ。人間より猫の方が多いんじゃないかな。目が合ったら猫だったりするね。ほとんど雨が降らないから家に雨樋がないんだ。コーヒーもパンもジェラードも美味しいいい所だよ」
私はそう言った。
「あなたの行った町の話を聞くのが私は本当に好きなのよ。よく覚えているわ、古都ナシオン、臨海都市ヘント•ヴェヘルヘム、もちろん旧都に、どの話も素敵だったわ」
タパ氏は家に寄り付かなくなる前はわりに親子関係は悪くはなかったようだ。
「あなたの父親と私は従兄妹同士だったし、私は一度もこの町を出た事がないからあなたの話を聞くと私もその地へ行ったような気がしてとても嬉しいのよ。私は歳をとってしまったし、足の関節が痛くてうまく動かないのよ」
そこで私はファノ兄弟に渡されたリウマチに効くという薬の小瓶を机の上に置いた。
「まぁまぁなんて優しい子なんでしょう、私のタパは」
そう言うと老婆は声を詰まらせる。完全に名乗るタイミングを逸してしまった。ハレルベークの町の様子を調子に乗って語っている場合ではなかった。なにが猫が多い町だ!
「この薬が一番効くのよ。もう足が動かなくてね。まぁたとえ元気だったとしてもこの町から出やしなかっただろうけど。きっと何かと理由をつけてね。お墓の仕事があるしあんたやお父さんの世話もあるし、きっと勇気がなかったんだと思うわ。もちろん幸せで満ち足りていたからってのもあるけれどね。だからあなたのことを頼もしく思うし立派だと思うのよ。私のできなかったことをしているのだから」
まるで自分が褒められているようで私は嬉しくなる。けれどいたたまれない気持ちになる。
「そんな悲しいことは言わないで欲しい。何かするのに遅いってことはないから。俺がどこへでも好きな所に連れて行くよ。足が悪くたってかまわないさ。俺がおぶればいい」
老婆は微笑んだ。
「旅は本当に素晴らしいものなんだ。自分の知らない町の景色や匂い、それは今後の人生観を変えるほどの経験になるし血となり肉となるんだ」
私は鼻息荒くそう言った。
「あらあら、生い先短い私に旅行なんてできるかしら。まだまだ死ねないわね。こんな素敵なことがあるんですもの」
「あなたが前に帰ってきた時の事はよく憶えているわ。プライスという町の警備へ行くのだとか。プライスなんて聞いたこともないような国だもの。つい最近帰ってきたのかしら?」
タパ氏は遠くプライスまで派遣されたらしい。私は行ったことはない。寒いのは苦手なのだ。
「とても寒い所だと聞いたから暖かいコートを新調したのよね。私はその頃もう足が悪かったから港まで見送る事はできなかったけれど。後で聞いたらプライスって国は犯罪者を集めた監獄っていうじゃない。そうと知っていたら行かせやしなかったわ。あなたは危険な事はないって言っていたけれどそんなの本当かどうかわかったもんじゃないわ。でも無事に帰ってこれたのならそれでいいわ。あなたは想像できないかもしれないでしょうけどとても心配したのよ」
スヘルデ・プライス国は北の大陸にある二つの都市の名前である。スヘルデは北の国では唯一の凍らない港を持つ大都市と聞く。航路はなかったのではないだろうか、まぁタパ氏が王立騎士団に属しているのなら専用の船があるのかもしれない。陸路からは中央山塊を越えなくては北部高原に入ることはできず事実上行くことは不可能である。スヘルデは北大陸でも北西の端にあり、プライスは北東の端に位置する。スヘルデ・プライス国は北大陸でも極地であり年間通じてそのほとんどが雪に閉ざされた場所である。プライスへはスヘルデからしか行くことはできないらしい。プライスで掘り出された資源をスヘルデへ運びスヘルデから輸出するのだ。
プライスは「プライス送り」で有名なあのプライスであろう。国中の犯罪者が一堂に集められ強制労働をする施設がある。天然の要塞で、決して逃亡できず一度入ると死ぬまで外へは出られない場所だ。老婆はそのことを聞いたのであろう。タパ氏はスヘルデ国へ行く前に一度この町に帰省している。北の大地に赴任すれば数年は帰れないであろう。タパ氏はまだ北の国にいるのだろうか。それでも十年はさすがに開きすぎだろう。十年前までは母親の誕生日には自ら赴き必ずプレゼントを贈っていたようだし、そんな律儀な人間が全くの音沙汰なしとは考えにくかった。スヘルデへ行ってからも誕生日プレゼントは届けられてはいたようだけれど。王立騎士団の一員として北の地で戦死したのではないだろうか? そうでなければいいのだけれど。




