第二章 ロックタイト島綺譚 22
十二
話は前後する。私は肋骨王の宝の部屋から出るとハッチから秘密基地へ戻り現実世界へ帰還した。私は夢から覚めた状態で、時間の流れというのは一定ではないらしく、永遠に感じたあの桃源郷で過ごした時間は実質数時間だったようだ。私にもうこの島に留まる理由は何もない。ねぐらの外を見ると地面に這うように生えている草花が風で激しく揺れているのが目に入る。凪の時期は終わりを告げている。凪の後はかなり強い風が吹くと聞いたことがある。そろそろここを離れる頃合いだろう。
私は今や自分の家と化したねぐらを片付け、島を離れる準備を始めた。荷物はそれほど多くないので支度を整えるのは手間はかからなかった。少年から預かった二冊の本とゲームは書棚に戻したままにしておいた。私がお金を払った本は当然持っていくつもりだったがこの本は上下で揃えてこの島に置いた方がいいだろうと思い直し、図書館に寄贈しようと決めた。
私は二度と会うことのない少年に対して何か書き遺すべきかと悩んだ。気を持たせるようなことを書けば少年は未来に対して希望や期待を持つかもしれない。これからの人生において少年は夢や希望を持つべきだと思うが、それを私が手を貸すことで実現できないのに期待されるようなことは書くべきでないだろう。考えすぎかもしれないが、私は真摯でいたかった。私は二度と会わないであろう人物との別れの際も、また近々会おう、などと言ってしまうところがある。私は別れというものが苦手なのだ。「また今度」といって分かれる方が幾分気持ちが楽になる気がするのだ。心の中ではその人物とは二度と会うことはないと思っている。特にこの仕事をしていれば尚更だ。人の繋がりは強いようでいて希薄なのだ。 私は考え抜いた末に───床を壊したのは許せ、とだけメモを残した。床が壊されたままのねぐらは風通しが良すぎて気づかず落っこちそうでかなり危険だったが、少年が再び修理することだろう。
私はねぐらのドアを閉めた。秘密基地はまるで子供の頃に戻ったようで悪くはなかった。悪くはないというのは少年に失礼か、私はここで過ごすことを楽しんでいたのだ。だがもう二度とここへ来ることはないだろう。メンドーサのところと図書館へ行った後、私はそのまま港へ向かった。
私は図書館のある新市街からヴィットリオーザではなく、さらに南にあるマルサシュロックを目指した。そこは島の最も南に位置する猫の額ほどしかない小さな漁港だ。船着き場には漁船が止まっていて、そのどの船にも魔除けのために目が描かれている。定期船は立ち寄らない主に地元の漁船が停泊している港である。
領主からの申し出を無視してこの港へやってきたのは、少年と顔をあわせるのが億劫だったからだ。なんと声をかければいいのかわからなかったし、そんなことを考えるぐらいならいっそ会わないで出立してしまおうと考えたのだ。それにきっと少年は密航しようと試みるだろう。
私はライフェンまで行けるならどんな船でも良かった。漁港には色々な船が停泊しており、ギャリー船や筏に毛が生えたようなディンギィ、木造の小型漁船であるサバニ船など。けれどどの船も小さく喫水が浅いので近海での漁のためのものだろう。そんな中で二本マストを持つ大きな船を見つけた。遠洋用の帆船のようだ。マストが一本のヨット型ではなく、マストを二本持つブリガティンという種類の船で、一本は縦帆を、もう一本は横帆を備えている。
私は乗せてもらうように交渉し了承を得た。ただでも良いと言うがそれでは申し訳ないので漁を手伝うということで交渉成立となった。わりにすんなりいったのは人は運んだことはないが、荷物は時々運んでいるからということだった。大きな声では言えないがおそらく禁制品であろう。元々は遠洋航海貨物船であったらしい。ヴィットリオーザは官憲の目が光っているので、こちらの港は意外とノーマークなのだろう。
海はもうすっかり風が出ていて船出には申し分ない天気だ。ひどい目にあったが、それでも島で過ごした日々は刺激に満ちていて島を離れるのは少しだけ名残惜しかった。風が戻って来たのか船へ乗り移るために渡された板の下では波が船体に寄せては返している。私は荷を背負い船に乗り込んだ。
まだ出航まで時間はあるらしい。船員たちは皆身を乗り出して船体についているフジツボをこそげ落とす作業を総出で行っていた。船首ではロープでマストに体をくくりつけ船首につけられた女神像を新しいペンキで塗り直している。
私は客人扱いだったので船室に案内されたが、狭くて蒸し暑いので私は荷物を置くとすぐに甲板へ出た。船室は私一人で過ごすには広すぎるほどだった。もちろん訳のわからない猿や鳥などは乗せられてはいない。島ももう見納めだ。太陽が照りつけ、首筋を風がなでた。当然だが潮の匂いが濃く、あたりは湿り気を帯びている。私は無性に煙草が吸いたかったが、やはり船上は禁煙なのだろう、誰も吸っていないので仕方なく我慢した。メンドーサからは餞別として相当の量の煙草の葉をもらったからその点は割合心に余裕がある。だがこれもすぐになくなってしまうだろう。メンドーサも領主から相応に報酬をもらったらしく、私からは金を受け取ろうとはしなかった。メンドーサは司書とは古い付き合いらしく、私に迷惑をかけたことを気に病んでいたようだ。司書との仲についてあまり深くは詮索しないでおいた。メンドーサは旧都で育ったときいたが産まれはこの島なのかもしれないな、と私は推測した。執事は捕まったが、最後まで共犯者はおらず自ら一人で計画したのだと自供したらしい。司書のことは何があっても言わないようだ。
メンドーサもひと所にはいられない性格なので、しばらくしたらまた旅にでるそうだ。
司書から買い取った本は思った以上の冊数だったので持っていくわけにはいかなかったので私はまとめて旧都へ送ろうかと考えたのだが思いとどまった。旧都でオークションに出すと確実に散逸してしまう。一度散逸すると二度と揃うことはなくなってしまう。あれだけの蔵書だ、散逸してしまうのはあまりにも惜しい。なので私はまとめて売ることを考えた。私の知り合いに肋骨王の本を集めている者がいる。かなりの好事家で肋骨レコードの所持数もかなり多い。彼ならまとめて買いとるだろうし、かなりの金額を出してくれることだろう。司書にそう言うと、なんと同行すると言いだした。「ストラーデビアンケだぞ」島をほとんど出たことのない司書にいきなりの長旅はかなりハードルが高いだろう。おまけに彼女は日中には移動できないのだ。ストラーデビアンケはシエラやサンジミニャーノなどがある独立国家郡であり高い塔が富と権力の象徴である。ストラーデビアンケは七つの塔が残っているとても美しい街だ。
「あら、素敵そうな場所じゃない」
私は司書を逆に煽ってしまったらしい。私はライフェンに行かなくていけないので、もし行くとしても半年は待ってもらわないといけないと言って婉曲的に角が立たないように断ったつもりだったが、司書は意に介さずどうやら本気らしい。私はやれやれと首を振った。
「私の本を売るのにふさわしい人物か見極める必要があるでしょう?」
司書はそう言った。私は時期が来れば迎えに来るといい了承をなんとか得ると図書館を辞した。
出航準備が整ったのかあたりが慌ただしくなってきた。黒人の船員がメインマストを器用にするすると昇り、帆を手際よく降ろしていく。トップスルの帆まで降ろすと、他の船員が錨を巻き上げ、外洋へと船首を向け船がゆっくりと出航する。船員たちは漁の準備に余念がない。
昨日の話を少ししておこう。領主邸に着いた時には執事はすでに捕えられており、すべて自供し牢獄に入れられているそうだ。いらぬ事情を説明する手間が省けたのはかなり助かった。とにかく私は疲れていた。私は身の潔白が証明されただけで十分なので執事の処遇についてはどうでもよかった。
領主は少年を抱きしめ、周りを憚らずに泣いた。よくぞ無事で戻って来てくれたと、領主はここ数日でかなり老け込んでしまっていたようだ。息子のことを大切に思っていたのは偽りではなかったらしい。これで安心して眠ることができるだろう。少年が父親に対して家を出るなどと言えるような雰囲気ではなかったのでそれはまだ言っていないようだ。まぁ当然却下されることは目に見えているのだが。
私は報酬を受け取った。領主は悪かったと私に謝罪した。罪滅ぼしに明日にライフェンへ行く船を用意してくれるという。だがそれは簡単に言えば体のいい厄介払いだろう。誘拐騒ぎも他言無用で報酬の中に口止め料が含まれているらしく、少し上乗せされて渡された。
少年がその船に乗りたいと意を決して父親に直訴したが、領主が少年を私が連れていくことを了承するはずもなく、少年を無言のうちに平手打ちにした。少年はもちろん叩かれたことなどなかったようで、ショックだったのか言葉を失っていた。他人の家庭の事だ。私が口を挟むべきではないだろう。少年は私の方を見て加勢して欲しそうだったが、私は何も言わなかった。
カモメに似た鳥が数羽、出港を祝うかのように周りを旋回している。おそらくアジサシであろう。帆は風を孕み推進力に変えぐいぐいと力強く進み漁港からみるみる遠ざかっていく。船着き場には誰もこちらの船には関心を示しておらず、見送る者もいない。
私は離れて行く島をずっと見ていた。船が風を切る音が大きく、私の耳にはなんの音も届かない。木製の船体が波を受けてぎしぎしと軋んだ。
私は初めから少年を連れて行く気はさらさらなかった。良心が痛んだが、少年もすぐに忘れて日常に戻ることだろう。私の気持ちとは裏腹に天気は極上で雲ひとつなく、頬に当たる風は心地よい。
強い風が吹き、風をはらんだ帆が大きくたわむ。船は波の上を滑るように沖の漁場へ向かって疾走する。
しばらく背後に見える島をずっと見送っていたのだが、再びぼんやりと少年のことを考えている間に靄の中に消え、気がついた時にはいくら探しても見えなくなってしまっていた。
ー了ー




