第46話:俺達の過去(中編)
どこまでも広がる青い空を、俺はよく馬鹿二人と共に仰向けになって見上げていた。
手を伸ばせば届きそうな空を、馬鹿話をしながら。
そんなある日、詩織は唐突な疑問を呟いた。
「……どうして世界はこんなにも広いのに、人はちっぽけなんだろうね。苦痛だよ? 心から分かり合える人なんてごく僅かだし、中々会えないんだもん」
「確かに、俺達はたまたま気が合って、偶然が重なって出会ったが、三人なんて人間全体の数から見れば、チッポケだな。……ま、お前は四人目を見つけたんだから進歩だぜ? なぁ、詩織ぃ~」
ニヤニヤと、不気味に笑う圭吾を見て、詩織は起き上がって慌て始めた。
「え? え!? 何の話かな!?」
「惚けるなよぉ、詩織ぃ~。最近、西城 巴って奴とよく一緒にいるんだってぇ? 正直な話、どこまで進んだんだよぉ~」
同じく起き上がり、相変わらず弱点を見つけるとしつこく突きまくる圭吾に、詩織は顔を赤らめる。
そしてしまいには、俺を見て助け舟を求めるような表情になった。
……俺の舟は、泥舟だぞ?
「そいやぁ、西城 巴ってのは、前に詩織が助けたって奴だったか?」
「そ、そうそう、そうだよ! それも、亮と初めて会ったあの場所でだよ!? もう驚いちゃった」
俺と詩織が初めて会った場所とは、とある廃ビルの屋上だ。
そういえば前に、時々あの場所に行っている、と詩織本人から聞いた気がする。
それは、馬鹿だった頃の自分を忘れない為。
今の自分の糧にする為、とそう言っていた。
「似てるんだよねぇ、巴って。昔の私に。世界に色が見えなくて、生きていく意味が見出せなくて、そして死を選んだんだって。……死ぬよりも、生きている方が何十倍もいいんだよ?」
「またそれかよぉ~。恋話聞かせろよ、恋話~」
「いいじゃん、この言葉は気に入ってるんだし。――どんなに苦しくても、必ず隣りに立つ人は現れる。それは――」
「それは、どんな人かはわからないけれど、きっと救ってくれる人だから。この世界は、そういう風に作られている。不思議なくらいにね……と、彼女はよく言っていましたね。綺麗事というのはわかっていますけど、それでも良い言葉です」
「あぁ、確かにそう言っていたな。口癖のように……」
言いながら俺は、目の前にある墓石を見ている。
そこに彫られている名は、東城 詩織。
そしてあたりを見渡せば、多種多様な形をした墓石が見える。
ここは、墓地だ。それも、詩織の祖父が管理している、寺の裏手。
敷地はそれほど広くは無いが、それでも数百もの家系の墓石が群を成している。
その場所で俺は、詩織の墓参り中だ。
隣りに居る黒髪の少年、西城 巴と共に。
「……そういえば、亮さんが来る少し前に、夢月さんが来ていましたよ? 馬鹿兄貴が、などと詩織に愚痴って、すぐに帰られましたが」
「あぁ~……悲しいから、聞かなかった事にしとく」
苦笑を混じえて言うと、巴はクスクスと笑い出した。
そんなコイツを見て、変わったな、と思い口にする。
「お前、本当変わったな。初めて会った時と詩織が死んだ後の違いにも驚いたが、今はもっと驚いているぞ」
「ははは、僕自身もその事に驚いていますよ。それもこれも、みんな詩織のおかげです」
言いながら巴は、懐かしそうに詩織の墓石を見つめる。
そして、それに答えるかのように、線香の煙が揺らいでいた。
「……当時の僕は、何度も自殺をしようとしていました。ですが、その全てが不思議な事に誰かに見つかり、未遂で終わっていました。リストカット、首吊り、薬など……全てが未遂。そしてあの時も、飛び降りを止められて……それが、最後の自殺行為になりました。詩織といる日々が、少しずつ楽しく思えてきていましたから」
会えてよかった、と言い、墓前で手を合わせる。
それに続いて、俺も手を合わせた。
静寂が流れ、やがて巴が言葉を発する。
「……詩織、キミがあの時助けてくれた事で、今の僕がいる。生きる事の意味を知ったり、亮さん達に出会ったり、高校に入学出来たり……」
「あ~、そいやぁお前、どこの高校に入ったんだ?」
「え? あぁ、推薦で私立飛翔鷹高等学校に入学しました」
「へぇ~……飛翔鷹高校ねぇ……」
しばらく間を置き、あれ? っと思った。
考える。何か、聞き慣れた名を聞いたな、と。
そして、
「って、えぇぇ!? 俺と同じ高校じゃねぇか! 何組だよ、お前!?」
「A組です。ちなみに、生徒会役員一年生代表も務めさせてもらっています」
言う巴の表情は、満面の笑み。
どうやら、コイツは気付いていたようだ。
……あ~、そうか。そういえば、生徒会役員就任式ってのがあったな、行事予定に。
何故か、一年の生徒会役員も一丸となって活躍する創立記念日の後だったから覚えている。
とは言っても、俺はその時間、保健室に居た。
葵が倒れた日と、偶然重なったんだな。
「にしても、いくら知らなかったとは言え、廊下で幾度かすれ違っていただろうに。俺は、なんて駄目な人間なんだ……」
「自虐はよくないですよ? しかも、貴方を尊敬している僕の前で」
「尊敬? 尊敬か……照れるじゃねぇか」
言いながら頭を掻き、微笑。
その後、数秒目を瞑る。
過去への区切りはとうに出来ている。けれど、今日だけは過去に浸りたかった。
その望みを瞑っている間に済ませ、目を開けて吐息。
「……それじゃ、俺は帰るぞ。また、明日な」
そう言うと巴は俺を見、会釈した。
「わかりました。それでは、また明日。中間テストがありますが、頑張って下さいね」
「あぁ~、テストか……忘れてたなぁ……ま、何とかなるだろう」
片手を軽く振ってそう言い残し、巴に背を向けて歩き出そう……とした。
が、一つ思い出す。
同時に、再度巴の方を向いた。
「……なぁ、巴。詩織が助けたっていう子、見つかったか?」
「……いえ、まだ名前さえもわかっていません。十五歳の女の子だった、という事はわかってたんですが……」
十五歳というのは、当時の歳だろう。
つまりは同年代、あるいは一つ下、か。
「わかった。……見つかるといいな」
「えぇ、本当に」
その言葉を聞いた俺は、そのまま踵を返して歩き始める。
……詩織は、人を助けて事故に逢った。
目撃者の証言によると、赤信号の歩道にフラフラとその子が出て行き、丁度大型のダンプカーが来て撥ねられそうになったそうだ。
いや、もし詩織が押し倒していなかったら、完全に撥ねられていただろう。
だが、その子の代わりに詩織が撥ねられ、死んだ。
そして、その助かった子は、いつの間にかいなくなっていたそうだ。
で、巴はずっとその子を探しているのだという。
もし会った時、何を言うかは……わからない。
その一言で思考を止め、俺は墓地を後にした。
辺りはすっかり暗くなり、道行く街灯には光が灯り始めた。
しかし、その街灯のほとんどは割れているか、破損しているかで光を点滅させている。
その所為か、俺が行く道の周囲はより一層暗く感じ、亀裂の入ったビルの壁がいつもより気になる。
けれども、歩く。廃墟となったこの街を。
今、俺は立ち入り禁止区域に来ていた。
そこは旧・東京都。
HEAVEN事件によって、廃墟の街となった場所。
時折、視界にチラつく人影は、浮浪者達だ。
立ち入り禁止区域として、ただ警告しか出されていないこの場所は、何の管理もされていない。
それは、浮浪者にとっては居心地の良い住処となるのだ。
ちなみに、何ヶ月かに一度の頻度で来ている俺は、今だに一度も襲われた事は無い。まぁ、簡単に打ち負かせると思うが。
代わりと言って良いのか、物乞いが多い。
ん。……噂をすれば、なんとやら。
急に、後ろ側の服の裾が引かれた。
振り向いて見れば、ボロボロで布切れのような服を着た、少年少女。
小さい男の子が、姉であろう女の子の後ろに隠れながら、二人一緒に裾を引く。
上目遣いで俺を見る目が、微動だにしていない。
そして、目には――光が無い。
「……分かった、ちょっと待ってろ」
言って、ポケットに手を突っ込む。
次いで中から取り出したのは、四枚の板チョコだ。
本当は必要な物だったんだが、別にいっか。
とりあえず、手に持った板チョコを少女に渡す。
すると、少女は目を見開き、少年は目を輝かせた。
「やるよ。ただ、誰にも見られるなよ? 奪われないように隠せな」
言って、その場を立ち去る。
暫くして、少年少女は俺を追い越して、前へと走って行った。
……さて。
自分の用事を済ませよう。
そう思い、辿り着いたのはとある廃ビル。
コンクリート造りの階段を一歩ずつ上り、屋上を目指す。
だが、その一歩一歩が重い。
全身の傷が、思った以上に負荷になっているようだ。
……にしても、高校生が武器持って中学生を襲うか? 普通。しかも大勢で。
かく言う俺も、中学生の癖に喧嘩ばかりやっている訳だが。
ちなみに、その高校生達は一階のロビーフロアでのびている。
普段ならどうって事無いんだが、予想以上に多かったのと囮役の圭吾が居なかった為に負傷してしまった。
などと内心で呟いている中、ふらつき、壁に寄りかかる。
「……あれ、こんなになるまで血が出たっけ?」
迂闊だった。でも、たまには悪くないかもしれない。
とにかく今は、疲れた身体を癒す為に空を見たい。
だから今は屋上へと向かっているのだが、最上階はまだだろうか。
ふと、上を見上げると、そこにはプレートがあり、2Fと表示されている。
……え、二階を突破していない?
溜息。
同時に足に力を込め、一段一段踏み越えていく。
そうしてようやく到着した四階、最上階。
目の前にある屋内と屋外を隔てる鉄扉を開き、外へと出る。
瞬間、風が吹き込んだ。
突然の事に驚き、一瞬目を瞑るが、薄目を開けて外を見渡した。
すると、そこには一人の少女が居た。
フェンスを越えた向こう側に立つ、風で長髪を靡かせた少女が。