第47話:俺達の過去(後編)
一瞬、その光景に反応出来ず、身体が止まった。
まるで時間が止まったかのように、ドアノブを掴んだ状態で。
唯一動くのは彼女の長髪だけだ。
って、状況説明してる場合じゃねえ……!
気付けば、俺は走り出していた。
身体の痛みなんて知ったこっちゃない。
ただ、目前まで近付けた少女を止める為に、右手を伸ばす。
しかし、同時に彼女の身体が傾き、落ちる直前となった。
だから俺は、フェンスを足で踏み越え、
「つっかんだあぁぁ!!」
右手で少女の腕を掴み、左手でフェンスを掴む。
二人分の体重が左手にかかり、フェンスの網が指に食い込んだ。
いってぇ、と叫びたかったが歯を食いしばって堪え、左足を屋上の縁に引っ掛ける。
今、少女は空中におり、驚愕の表情で俺を見ている。
……そりゃ、驚くわな。
内心で呟いて苦笑し、両腕に力を込める。
右腕は少女を引き上げ、左腕は二人を引き上げる。
そうしてようやく、両足を縁に載せる事が出来た為、両手を使い最後の一踏ん張りで少女をフェンスの向こう側に下ろす。
その際、ふらついて落ちそうになった時が、一番冷や汗が噴き出したのは内緒だ。
ともあれ、無事に少女を救出した為、俺もフェンスを越えて少女の前に座る。
相変わらず、彼女は驚愕の表情で目を見開き、俺を見ていた。
僅かに身体が震えているのは、一瞬でも宙に浮いて地上を見たからだろうか。
まぁ、そんな事よりも……疲れた。
両者、肩で息をし、荒い呼吸の音だけが聞こえる。
おんな中で、最初に言葉を放ったのは、少女だった。
「……どうして……助けたの?」
震え、息が絶え絶えの声で問われる。
どうしてと、言われてもなぁ。
「……そりゃお前、自殺する事が……馬鹿げてるからだろ……」
同じく息が絶え絶えの声で答えた俺は、冷静さが欠けていた。
だからこそ、言った瞬間に悪い予感がし、後悔する。
予感は見事に的中し、少女の表情はみるみる内に怒りの色を見せた。
「馬鹿げてるって……ふざけないでよ! じゃあ、生きてる事は馬鹿げてないって言うの!? 私みたいに、生きる意味なんて何も考えられなくて、居場所もないやつに、生きてる意味が分かると思う!? 生きてるだけで馬鹿にされて、日常がぶち壊されて……そんな私は死しかないんだよっ! なのに、なのにそれさえも馬鹿にされたら、私は……私は……!」
それは、感情爆発だった。
長い間、溜めに溜めてぶつける宛ても無かった感情が、今一気に吐き出される。
故に言葉は滅茶苦茶で、けれども言いたい事の意味は何となく分かる。
しかし、その理由で俺は彼女が死を選択した事に、納得する訳にはいかない。
だから、と言うように、俺は思いついた事を、ただいつも通りの調子で、言う。
「だったら、俺達のとこに来いよ。毎日馬鹿やって、騒いで、喧嘩して、好き勝手出来るんだ。良いだろ? ……お前の、新しい居場所だ」
俺の言葉を聴いた瞬間、少女は呆けた顔に変わった。
口を半開きにし、瞬きもせず目を見開く。
だが、次の瞬間には表情が崩れ、目に涙が溜まり、口がくしゃくしゃになる。
泣く。
鳴く、と言っていい程に大声で泣き叫ぶ彼女は、俺に殴りかかってきた。
弱々しい力で、パンチを繰り出してくる。
まるで、駄々を捏ねる子供のように。
……結局、こいつは死にたかったんじゃなくて、居場所が欲しかっただけなんじゃないかと思う。
それだけでも、自殺志願者とは全く違う部類だ。
ともあれ、死のうとしていた少女を助けた訳だが、圭吾にどう説明しようか……。
俺はその時、既に彼女が俺と圭吾のグループに加わる事を前提に、今後を考えていた。
翌日、四限目の授業中。
英文を読み上げている英語教師の言葉など右から左で、俺は虚空を見つめて思考していた。
思い返すのは、昨夜のその後だ。
少女の名は東城 詩織と言って、偶然にも同じ中学の同級生だった。
だが、クラスは端と端であり遠い為、会う暇は昼休みぐらいしかない。
というか、詩織の要望で昼休みにだけ会う事になっていた。
周囲の目を気にしているのだろうか。
……まぁ、仮にも俺は校内で避けられてる存在だしな。
向こうが気付いていようがいまいが、正式に詩織が俺達について来ると決めない限りは、表立った面会は避けておこう。
とりあえず、圭吾を紹介するのは……また次回でいっか。
一応、圭吾には説明してあるが、その際やつはフラグフラグと五月蝿かった。
これだからオタクは困る。
などと考えている内に授業が終わり、休職時間を終え、昼休み。
待ち合わせ場所である図書室へと早々に向かい、詩織の姿を探す。
すると、居た。
一番奥の本棚の前で、体育座りをし、顔半分を隠すように本を持って読書中だった。
だが、彼女の特徴的な黒が混じった茶色い長髪と穏やかな目つきが、本人であると俺に確信させた。
とりあえず早足で近寄り、横に立って本棚に寄りかかる。
「見えてるぞ」
「いい。減るもんじゃ無いし」
即答される。
まるで、その質問に返し慣れているかのように。
……さて、来てはみたのは良いものの、肝心の詩織は読書中である溜めに絶賛暇中だ。
その為、彼女の隣に座り、胡坐をかく。
数十分経過。暇だ。
と、その時不意に詩織が本を閉じ、俺の方へと向く。
目を合わせれば、不安が入り混じった瞳。
「……えと、昨日はありがと。少し、救われた感じがしたよ」
「少しか。……なぁ、お前が自殺しようとした理由って、イジメか?」
問うと、暫しの沈黙があった。
図星だろうか。
そして、ゆっくりと頷く。
「今日も、あった。昼休みに亮に会えると思うと耐える事が出来たけど、多分もちそうに無い……」
言って正面を向いて俯き、長髪が垂れて横顔が隠れる。
見えないその表情は、どんな表情をしているのだろうか。
今、俺はどうすれば詩織を救えるか考えている。
だが、何も思いつかない。
まぁ、あるにはあるが、これは俺だから考える事だろう。
女の子である詩織には不向きだ。
結局、彼女の日常に大きな変革を与える事が、出来ない。
そう思った瞬間、不意に声が来た。
「なら、殴っちゃえばいいじゃんか」
見れば、馬鹿が来ていた。
本棚に片腕で寄りかかって立っている圭吾は、当然のような表情で異常な事を言う。
俺が考えていた事と、同じ事を。
違うところは、そこに納得の言葉があった事だ。
「どうせ、もう居場所はここにあるんだ。今まで関わってきた捨てたい関係を、ぶん殴ってぶち壊せばいいだろ。意外とスッキリするぜ?」
満面の笑みを見せる馬鹿。
その馬鹿の言葉を聞いた詩織は何か言いたそうな表情をし、しかし声は出ない。
再度俯き、歯を喰いしばる。
次いで大きく頷き、立ち上がった。
その目には、明らかに決意の色を宿していた。
走る。
ここを図書室である事を忘れているのか、図書室担当の教師の注意を無視し、飛び出して行った。
その後ろ姿を見送った後、立ち上がって圭吾をど突く。
「いたっ! なにすんねん」
「なんで関西弁なんだよ」
「いや、とある豆腐の物真似を――」
「そんな事はどうでもいい。本当、お前は馬鹿だよな」
「え? ここは褒めるとこじゃね? 違うのか!?」
喧しい馬鹿は無視し、図書室の出入口の方を見る。
大丈夫だろうか、と不安になり、けれどどうする事も出来ない為、放課後を待つしかなかった。
とりあえず、良くない結果になったら圭吾を殴れば良いと判断し、余った時間を過ごす事にした。
その日、二年のクラスで一騒動あったそうだ。
A組で起きたそれは、女子生徒が突然女子生徒に殴りかかり、大騒ぎになったらしい。
誰がやったかは言うまでも無いが、結果殴りかかった女子生徒は自宅謹慎となった。
それを聞いた俺と圭吾は、放課後の校門にて立っていた。
下校生徒達を尻目に、時たま俺の名前が聞こえる事に苦笑しながら、圭吾と談笑していた。
それから何時間経っただろうか。
ふと、知った顔が視界に入る。
両手に包帯を巻いた詩織が、俯いた状態で生徒玄関から出て来ていた。
圭吾もそれに気付いたらしく、片手を大きく振る。
「待ってたぞー、謹慎娘~! ナイスパンチだっ」
馬鹿の言葉にハッとなり、顔を上げた詩織は、目を見開いて走り出した。
そして、圭吾の頬に左ストレートをぶち込む。
馬鹿が倒れた。
「いったいじゃんっ! 凄く痛い! なんて方法を提案してくれたんだよこんにゃろー!」
怒鳴る詩織は両手を構えて、圭吾が立つのを待った。
対し、頬を押さえながら立ち上がった圭吾は、腹部に数発ジャブを食らいながらも耐えて、反論する。
「う、うっせーな! やったのはお前なんだから、俺の所為じゃねえよ!」
「いや、それはないわー」
「なんで引くんだ!? さては亮、俺に何か恨みがあるのか!」
「ある。ありすぎて困る」
ノオォォォ!! と叫びながら顔を手で覆い、馬鹿はしゃがみ込む。
そんな馬鹿を詩織は、指を差して笑っていた。
その姿は、昨夜の詩織でも昼休みの時の詩織でも無く、明るい詩織だった。
ひとまず、安堵。
「で、スッキリしたか?」
「うん、超スッキリ! 殴った瞬間、ぽかーんって顔しててね、その顔を何発を殴りながら、もうイジメるなー! って叫んできた。そしたら、学校にイジメられた」
「停学にならなかっただけ、マシだろうに。それで、自宅謹慎だが大丈夫か? 暇じゃないか?」
「大丈夫! どうせ、来週から夏休みだし。それに」
ビシッと親指を突き立て、目を弓のようにして笑みを見せる。
「凄く楽しそうな、新しい居場所を見つけたから!」
その言葉を起点として、俺達の付き合いは始まった。
それから半年以上、馬鹿騒ぎは続く。
思えば、圭吾以外で常に行動する奴は初めてだなと、三人になった事に嬉しく思いながら、月日は過ぎていった。
階段を登りながら、過去を振り返る。
もう戻らない、過去を。
まだ今日は終わっていないから、もう少しだけ過去に浸らせてくれと、時間に頼み込みながら、屋上を目指す。
二年前よりも一層、ひび割れや錆が酷くなった廃ビルの階段を、ひたすら登って行く。
そうして到着した最上階の鉄扉を開け、外へ出る。
視界へ入るのは、二つのドラム缶とフェンス、遠くには廃墟の群と薄暗くなった空。
俺はその光景を見て、春休みにも来たなぁ、と内心で呟きながらドラム缶に近寄る。
途中、ポケットに手を突っ込んで缶コーヒーを取り出し、プルタブを引いて開ける。
それを一方のドラム缶の上に置き、もう一方のドラム缶に座る。
次いでもう一個の缶コーヒーを取り出し開けて、口に運んだ。
苦味が口の中に広がり、意識が無駄に覚醒する。
一息。
そして、向かい側のドラム缶を見る。
「悪いな、お前の好きなチョコ持って来てたんだが、あげちまったよ。お前なら、同じ事をしてたよな?」
問い掛けに返事は無いが、気にせず言葉を生む。
「にしても、お前が死んだって聞いた時、心臓が止まったかと思ったぞ。また、大切な奴が交通事故に遭っちまったんだからな。……でもよ、もっと驚いていたのは巴なんだぞ? そして、一番悲しんでいたのも巴だった」
だがな、
「あいつは、もう立派になったよ。生徒会役員の一年代表だってやってるんだぞ? お前のおかげで、立派になった。だから、心配する事は何もねぇ」
じゃあ、亮は?
詩織がもしここに居て、会話が出来るとしたら、そう聞かれる気がする。
けれど、大丈夫だ。
「大丈夫。引きずってはいない……が、浸っている。それも、今日だけだ。だから――楽しかったぞ、詩織」
それは、ただの独り言でしかない。
だが、別にそれでも良い。
例えこの光景を誰かに見られていたとしても、別に良い。
もう会えなくなってから丁度一年経ち、日常は大きく変わった。
その旨を命日に報告する。
これは多分、来年も再来年も行う事だろう。
だが、こうやって過去に浸るのは、今日が最後だ。
次からは、ただ日々の変化の報告と、巴の成長を伝えでもしよう。
だからこそ去り際の言葉はじゃあな、では無く、
「またな、詩織」
告げ、缶コーヒーを飲み干し、空き缶をまだ残っている缶コーヒーの横に並べる。
次いでドラム缶を降り、片手を一振りしながら屋上を後にした。




