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郁成への道


 烏孫から大宛へと至る道筋には、際だった障害がない。しかしそこは一面の平野というわけではなく、言うなれば丘陵地帯である。なだらかな傾斜の坂道が続き、遠目には葱嶺の山影が青く映る。見方によれば、これは実に平和的な風景であった。

 しかしもちろん我々にとっては、そうではない。烏孫は友邦でありながら決して心を許せる相手ではなかったうえ、その先には敵地が控えている。牧歌的な景色に心を和ませる余裕はなかった。


 呂仁栄は、もともとは長安の近衛兵のひとりで、武芸についてはひとしきりの教育を施されたのだという。弓、剣、槍、格闘の技術には、常人を上回る自信があると彼は述べた。なぜならば彼はその技術を評価されたからこそ、公主の護衛の任を受けたのだそうで、ある程度の実力がなければ、そのようなことはないのである。つまり彼の技術は自他共に認める形となっていて、その言葉は単なる虚栄ではなさそうであった。


 しかし、彼は公主とともに烏孫に到着してからというもの、その実力を持て余していた。そのためぶらぶらと外を出歩き、烏孫の国内事情を探る機会が多々あったようである。


「特に気づいた点はあるか。役に立ちそうな情報であれば、何でも構わない」

 李広利に問われた呂仁栄は、しばし考え込むような表情を見せた。考えなければ思い出せないということ自体が、烏孫国の特徴である。やはり、我々は彼から何も聞き出せないものと思わざるを得なかった。


「郁成を通じて大宛の商人がしばしばここを通るのですが、それに遭遇したことがあります。彼らは私が漢人であることを珍しがって、いろいろな話を聞かせてくれました。そのなかで印象に残っているのは、郁成の城主は王を称しているということです。おそらく、漢の中の楚国や趙国などと同じ扱いだと思われます」

 公主の父親もかつては江都国王であった。それと同様に郁成は、大宛国内の諸侯国ということなのだろう。おそらく大宛王の親類が郁成の王であるに違いない。

「単なる出城ではなく、国としての機能を果たしているということか。どう攻略すべきか……地勢的な特徴はないだろうか」

 問われた仁栄は、必死に過去の会話を思い出そうとしていた。その仕草には、大きな体格に似合わない不思議な愛嬌があって、周囲の者を微笑ませた。

「思いつくことといえば、大宛の城はいずれも井戸がなく、城外を流れる川から水を引いて、それを生活用水としている、ということくらいです。当時出会った商人たちが、そこを攻められたらおしまいだ、という旨を笑いながら話していました」

「それだ」

 大宛の支配領域は盆地にあり、夏は酷暑である一方で冬は極寒という厳しい気候である。しかし付近を流れるシル川が盆地を潤し、その支流を利用して都市が建設された。この経緯から大宛では水利の技術が発達していて、都市の建設にとどまらず、農場にも灌漑設備がよく整っているという。

 しかし発達した技術は、一方で弱点ともなり得る。川からの水利技術をよくする彼らは、他に水を得る方法を求めなかった。つまり、城内に井戸を掘ることをしなかったのである。

「斥候に送った李哆たちが、城内に水を引き込む地点を探り出してくれればよいのだが」

 李広利は、先行する斥候部隊に対して伝令を送り、これを探るよう命じた。斥候はすでに偵察を終えて帰途についている可能性があったが、

「すでに本隊と合流しようとしているならば、引き返していま一度調査するよう伝えよ」

 と、しつこく念を押した。それもそのはずで、現在我々が郁成を打倒する突破口は、ただその一点のみであったのである。



 一方、郁成城に近づきつつある李哆は行動をためらっていた。大宛に限らず、西域では偵察行動が難しい。砂漠にしろ草原にしろ、身を隠す場所が非常に少ない。このため偵察者の多くは夜陰に紛れてそれを行うが、それで正確な情報を得ることは稀である。

——せめて高木の一本でもあれば……。

 そのようなことを考えながら朝を迎えた。李広利率いる本隊から離れて三回目の朝である。そろそろ視界の先に郁成の城門が入ってきてもよさそうな頃合いであった。


 突如なだらかな丘の向こうから、鬨の声らしき、男どもが発する音が聞こえた。そして複数の馬の蹄の音……。

「軍隊がいる」

 ということは郁成の城門は目の前か。李哆は考え、慎重に丘の向こうの風景を覗き見た。そこで目にしたものは、数万に及ぶ兵馬であった。

「気をつけろ。気取られるな」

 彼は部下に命じ、それ以上の前進を制した。


——これは、とても勝ち目はない。

 常に主戦論を戦わせてきた李哆が、初めて敵に臆した瞬間であった。大宛は漢軍の襲来を事前に予期し、郁成にその軍の大半を集めたようであった。いまは、その兵たちを鍛錬している最中なのであろう。これでは偵察のしようがなく、ただ鍛錬の様子を眺めることしかできない。


 兵たちは馬上で槍を構え、模擬戦を行っている。その激しさはあたかも実戦のようであり、槍先の矛が模造でなければ死者が出ていてもおかしくないほどであった。

 少しでも気を抜いていると、将らしき人物から激しい叱責が飛ぶ。将はひときわ大きな馬に跨がり、ときにそれを疾走させては兵たちを叱咤激励しているようであった。


「汗血馬の優良種だ。並外れた疾走力を持つのだろうが、あれを制御するのも相当な技術と体力が必要だろう」

——あの男は、厄介だ。

 きっと将でありながら、戦陣では中軍に位置せず、自ら先頭を駆けてくる種類の人物に違いない、と李哆は結論づけた。自軍の将たる李広利とは、非常に異なる種類の男である。

「猛将だな」

 郁成城を攻略するに当たり、最大の障壁はあの男を倒すことだ。しかし我が軍にあの男を倒すことができようか……。


 鍛錬を重ねる兵たちの遙か後方に、郁成城と思われる建造物が見えた。状況から察するに、彼らは籠城をせずに城門手前での野戦で漢を撃退しようとしている。このうえは、郁成の兵力をよく観察し、その弱点を探り出すことだ。偵察の目標は、それに定められたといえよう。


 しかしそのとき、後方から新たな指示がもたらされた。郁成城の地勢を調査し、その水源を突き止めよ、というのである。

「ご命令には従うが……郁成の兵は籠城をするつもりがないらしく、野戦の構えを示していると将軍には伝えてほしい。水源を断つことは籠城戦に勝つためには有効だろうが、今回はそのような戦にはならぬ可能性が高い」

 李哆は伝令にそのように伝え、自らは部下を率いて丘を大きく迂回し、郁成兵たちに見つからずにその背後に回り込むことを試みた。


 演習をしている郁成兵たちの声がこだまする中、李哆とその部下たちは大きく進路を南にとり、さらに丘を下った。

「城を俯瞰できるような場所に移動しよう。遠くからでも構わない」

 言いながら李哆が指さした場所は、城門があると推測される地点である。それと同じ方向に小高い山が二つ並んでいたが、李哆はそのどちらかに登って、山頂から城の姿を確認しようと言うのであった。


 彼の行動は、その後意外な発見をもたらした。



 烏孫から大宛に至る道のりは全体的になだらかではあるが、南側を見やるととてつもない高山がいくつか聳えているのがわかる。道はその高山の裾野にあり、緩やかな起伏が連続する。いわゆる「高原」と呼ばれる場所の典型が、ここにあった。


 李広利は斥候からの報告を待つために、あえてこの道をゆっくり進み、その風景を堪能した。

「草原も見慣れてきたら、そう悪いものでもない。当初は砂漠に比べて寒々とした印象を受けたものだが」

 彼はそう述べたが、実際に草原の風景は変化している。本格的な夏を迎え、草の色は濃度を増しているのだ。

「暑いな。烏孫の幼児は熱海で水浴びをするというが、できれば一目でもその風景を目にしておきたかった」

 作戦前の発言としては、軽口の部類に入るだろう。ただ、このときの李広利は神妙な面持ちであり、決してふざけているわけではなかったらしい。

「心残りなのですか?」

 私は問いかけてみたが、その答えは半ば想像できた。

「うむ。……公主のことがな。彼女には精神の癒やしが必要だ。別れ際には『昆彌の孫が若くていい男であれば』などと言っていたが、たとえその通りだったとしても幸せにはなれないだろう。できればこの私が公主を水辺に連れて楽しませてあげたかった。本気でそう思う」

 李広利はおそらく本当にそのようなことを考えていたのだろう。戦時だというのに一軍の将として相応しくないと思われるかもしれないが、同胞に優しくない将に兵が素直に従うことはない。彼の優しさは、決して間違いではないのである。

 しかし、問題はある。彼は優しさを自分の思念の中でのみ発揮し、実際に行動で人を幸せにしたことはなかった。

「公主さまをお幸せにする自信が、将軍にはおありなのですか」

 少々厳しい質問であったが、私はこのことを彼自身に問いただしてみたかった。それは、彼自身の覚悟のほどを探る意味で、である。彼が皇帝からの命令を尊重し、大宛攻略を使命として考え、それ以外は些末なことだと思っているのであれば、公主のことなど単なる政略の駒だと思うべきである。それとは逆に、大宛攻略など二の次で、あくまで求めるものは人の幸せだと考えるのであれば、彼は昆彌を斬り、烏孫を滅ぼすべきであった。その過程で彼自身が死ぬことになろうとも、そうすべきであったと私は思う。

「未来永劫幸せにできる自信はもちろんないが、考えてもみよ……人の人生というものは、小さな思い出の積み重ねだ。公主ともせっかく出会えたのだから、その出会いがよき思い出になってほしい。そのくらいのことは私にもできるつもりだが……実際にはそれさえもできなかった」

 考えてみるに李広利という男は、常に後悔をしていた。兄と妹を皇室に奪われ、楽人として大成することもなく、楼蘭や姑師では思うような成果が得られなかった。私の質問はそんな彼に対して意地悪なものであったに違いない。彼は烏孫でも遺恨を残したのであった。


「仁栄、烏孫での公主のご様子は、どのようなものであったか」

 問われた呂仁栄は、当時を思い出しながら答えた。

「昆彌から行動の自由は約束されておりましたので、私は何度か外に出て散策でもしませんか、とお誘いしたのですが、その機会は結局一度もありませんでした。公主さまは決して口にしませんが……おそらく、いや確実にあの方はお加減が悪い。ご病気なのです」

 そう言われると公主の顔は白く、血の気が足りなかったようであった。仁栄の話によれば、実際に床に伏せっていた期間も何度かあったという。そのたびに公主は風邪を引いたと言っていたが、実際は慢性の病なのであろうと彼は感じたというのだ。

「ここで一生を終えるのだ、ということを公主さまはよく口にしておられました。今すぐ命に関わるものではないようですが、不治であり、長生きはできないことを自覚なされているようなのです。哀れなお方です」

 随員の中には医師もおり、仁栄も問いただしたことがあった。しかしはかばかしい返答は得られなかったという。

「公主さまが床に伏せっているときに、烏孫の通訳を介して医師の派遣を求めたこともありましたが……送られてきた者は祈祷師でした。話にならない」

 仁栄は吐き捨てるように言い放ったが、李広利はそれをなだめるように、

「随員の医師が治せないような病であるならば、祈祷師を責めても仕方のないことだ。どちらも治せないのだから」

 と言いながら目を伏せた。結局誰も公主を幸せにすることができない、という思いからなのであろう。


「公主さまからは、将軍のもとで目一杯働いてきなさい、とのお言葉をいただいております。もともとは私も公主さまとともに、この地で一生を終えるつもりでありましたが……」

「仁栄が軍功をあげれば、従軍を命じた公主の功績にもなる。さすれば、公主がこの地で何を成し遂げたかが後世に伝わることにもなろう」

 李広利はせめて公主の名を後世に残したいと考えているようであり、そのために仁栄に奮戦を期待したのであった。



「斥候が戻ってきたようです」

 李哆が偵察から戻ってきたことを確認した李広利は、やや興奮したような口調で宣言した。

「この戦い、決して負けるわけにはいかぬ!」

 公主に対する思いからであろう、彼は常になくいきり立っていた。人の思いが人を突き動かす……いまの李広利にとって重要なのは、公主の思いに応えることであり、それは皇帝の命令よりも動機付けとしては重いものであった。

「なんとしても郁成を撃ち破る」

 彼は何度もその言葉を繰り返し、その意識の高さを前面に押し出した。しかし斥候の役目を終えて帰還した李哆の報告を聞くなり、その声からは力感が失われていった。

「将軍、郁成は城門の前に兵を並べ、すでに我々を迎え撃つ構えを見せております。兵は厳しい鍛練を重ね、その士気は非常に上がっています。籠城の構えは見せておりませんので、水源を確かめても無駄かと存じます」

「……野戦を挑むと?」

 李広利としては考え込まざるを得ないだろう。まともに当たって勝てるのか……以前ならいざ知らず、我々の軍は食糧難や過酷な行軍、それと実際の戦闘によって兵の数は半減しているのである。当初二万を数えた兵数は、すでに万を割っていた。

「郁成の兵の数はどのくらいだ」

「総数は不明ですが、鍛錬していた兵の数だけを見ても二万はくだらない数です。郁成城の東は広大な平原になっていて、そのくらいの兵を鍛えるには充分な広さがあります。おそらく、主戦場もそこになりましょう」

 だだっ広い平原で戦うことになる。敵を包囲することは難しいようであった。

「兵たちはひとりの猛将に率いられています。その者は黒い鎧と兜を身につけた巨漢であり、ひときわ大きな汗血馬に乗っています。目印がなくてもわかるほど目立ちます」

 そのとき、李哆の報告に仁栄が口を挟んだ。

「それはきっと煎靡(センビ)です。大宛の貴人にして猛将と恐れられている男です。この一戦が重要な局面だと判断した大宛の宮殿から、派遣されたのでしょう」

 仁栄はこの地を通る商人たちの口から、大宛の国防は煎靡がいれば万事問題ないと聞いたという。王の遠縁に当たる人物だが、その武芸によって身を立て、今に至っているとのことだった。

「大宛には大小七十余城ありますので、大宛王は煎靡のためにそのひとつを分け与えようとしたことがありました。しかし煎靡は一国の城主であることより武人であり続けることを選んだそうです。自身の武芸によほどの自負があるのでしょう」


 李広利は仁栄の意見を受け、ひとつの作戦案を示した。

「話を聞く限りその煎靡という男は、部隊の指揮をすることよりも個人的な武勇を優先する性格に思える。そこでうまく挑発して、一騎打ちに持ち込む。その隙に我々は部隊の一部を割いて城を攻撃する。当初の予定通り、水源を断つのだ」

——やはり水源を……。

 それができれば最上の策であるが、問題は二つほどある。一つは誰が煎靡を相手に一騎打ちを挑むのか。もう一つは自軍が半減している状況にある中で、部隊を二つに割る余裕があるかどうかである。


「煎靡に挑む相手は、呂仁栄を指名する」

 李広利はそう宣言したあと、仁栄にできるか、と確認した。

「無論です」

 仁栄は落ち着いた態度で命令を受諾した。そこに虚勢はなく、自分が指名されることがあらかじめわかっていたような態度であった。

「煎靡の武勇は聞き及んでおりますが、私もそれなりに武芸には自信を持っています。しかしあらかじめ申しておきますと、私はこの一騎打ちで敗死するかもしれません。いえ、十中八九そうなることでしょう」

 仁栄の発言に、その場にいる誰もが絶句した。しかし仁栄自身はそのような皆の反応などどこ吹く風で、飄々と持論を展開する。

「私は死ぬことになろうとも、別働隊が郁成の水源を断つまでの時間は稼げます。煎靡を斬り殺せればそれに越したことはありませんが、私が勝っても郁成城そのものが陥落するわけではありません。この作戦は別働隊の成否にかかっています。よって、どちらが重要かは言うまでもありません」

「見上げた覚悟だ」


 李広利は嘆息し、かつ賞賛した。のちに彼は、このとき仁栄が煎靡に勝つと言ってくれれば指示した自分の気持ちが楽になったであろう、と胸の内を明かした。しかし彼は自分が死ぬことになっても作戦は成功する、と述べたのである。これは指令を下した李広利の胸をえぐるような発言であった。

「しかし仁栄……戦うからには勝利を目指すべきだ」

 とは言ってみたものの、状況は極めて不利である。煎靡は汗血馬に騎乗し、仁栄は西極に騎乗している。どちらも強馬であるが、汗血馬の方が圧倒的に馬力は高い。また、仁栄は宮殿で本格的な武芸の指導を受け、その中で突出した能力を見出された人物ではあったが、実際の戦闘の経験は少ない。公主が漢から烏孫へ移動する際にその護衛の任を受け、その途中で二、三の野盗の相手をしたに過ぎないのである。

 煎靡がどれほどの戦闘を経験し、それほどの功績を挙げたかは不明だが、少なくとも名が知れているということは、それなりの戦果を挙げたに違いなかった。

「もちろん全力を尽くして敵を上回る努力はするつもりです。今回はこれを使うつもりです」

 そう言いながら仁栄は馬の鞍にくくりつけていた布に巻かれた長尺物を取り出した。その包みを開け、中身が明らかになると、一同はどよめく。その中身は大剣であり、いわゆる「斬馬剣(ざんばけん)」であった。



 斬馬剣——古来よりあった(ぼう)()などの長柄の武器を発展させたもので、長寸の両刃の剣を先端に備えている。

 もともと長柄の兵器は、相手を突き刺す目的で作られた。しかし先端が細い形状では、相手の打撃を受ける際に強度が不足であり、また深く突かないと敵に致命傷を与えられない。その後、戦車戦から騎馬戦へと戦闘の潮流が変化したことも受けて、馬上の敵を引っかけて振り落とすような枝葉が付いた兵器へと進化した。斬馬剣はこれがさらに進化したもので、一撃で馬上の敵を斬り殺すことができるものである。

「なんという長くて鋭い刃だ。三尺はあろうか」

 李広利はその壮大な剣に目を奪われ、作戦に自信を持ったようであった。

「これほどの技術……西域の国々ではこのような剣は作れまい。煎靡の武勇もこれには敵わないだろう」

 仁栄は李広利のこの言に応じた。

「技術で言えば確かにその通りでしょう。少なくとも烏孫では鍛造技術自体がないようで、鉄製品はすべて鋳型に流し込んで作っているようです。つまり、鍛冶職人がいない、ということです。大宛はもう少し状況はましでしょうが、漢のこの技術は確実に他を上回っております」

 趙始成がこのとき口を挟んだ。

「それどころか、これは皇帝陛下が権力の証として持つ剣と同じ型だ。まさか陛下からそれを授かったわけでは……?」

「確かに私はこれを陛下から賜りましたが、陛下のもとにはこれと同じものがもう一つあります。必ず公主さまをお守りするように、という意味を込めて鍛冶職人に同じものをもう一つ作らせた、と聞いております」

 李広利はこれを聞き、声を励まして仁栄に言い渡した。

「ならば、必ず煎靡は討ち取れよう。万が一敗れることがあれば、同じ剣を持つ陛下の権威もおとしめることになる。そのようなことは、あってはならない」

 李広利は妹や兄を皇帝陛下に奪われた過去を持ち、決して好感情を抱いていないはずであったが、この場面ではそう言って仁栄を励ますしかなかったのだろう。



「さて、肝心の水源だが……見つかったのだろうな」

 李哆に問いかけた李広利の目は厳しかった。そのことがこの一事こそ作戦の肝であると示している。問われた李哆は部下から一枚の木片を受け取り、説明を始めた。

「ここには、郁成城を俯瞰した見取り図が示されています。我々は南側にある山の頂上からこれを観察しました」

「うむ。ご苦労だった。これを見ると……郁成城は南北に連なる山の合間に築城されているな。谷間を塞ぐ形で、うまく関所の役割も果たしている」

「大宛では城内に井戸を持つ都市が存在しないと聞きましたが、郁成城もその例に漏れず、水源は城外の川から引き寄せる形で確保しているようです」

 李広利は少し焦れた様子で李哆に問いかけた。肝心なことを先に言わないなど、非常に李哆らしくないことであり、そのことは私にも感じられたくらいである。

「それで水源は発見できたのか」

「はい。それは確かに」

「どこだ。それが早く聞きたいのだ」

 李哆は渋々といった様子で、木片上の図に指を這わせた。

「ここです」

「よし。そこの流れを変えよう」

 李広利は意気込み、すぐに実務部隊の編成を行おうとした。しかし、李哆は頭上にある自らの指をさらに動かし、

「それと……ここにもあります」

 と、静かに述べた。水源は一箇所のみではなかったのである。

「なんだと! なぜ二箇所も……」

 李広利は驚愕と落胆で危うく尻もちをつきそうになった。一瞬ではあるが、よろめいたのである。これは、それほどまでに重大な事実であった。我が軍の現状から言えば、正面に敵を見据えながら、さらに二箇所の水源を密かに断つような余裕はない。作戦を根本から見直さなければならない事態であった。



「郁成城は谷間にありますので南北にある峰の両方から水を得ています。どちらか片方のみをせき止めたところで、城内に効果的な打撃を与えることはできないと存じます」

——そんなことはわかっている。

 李広利はそう毒づきたい感情を必死に抑えている。それは傍目にも気の毒に感じられるほどであった。

「郁成の兵と直接対決するのを後回しにして、先に水源を断つというのはどうでしょう。あるいは、水源を断ったのち、そこから穴を掘って直接城内に侵入するという方法もあります」

 趙始成は提案したが、今回の場合、あまり現実的な作戦とは言えなかった。敵兵に気づかれずにそのような行動がとれるとは思わない。あくまで正面の敵と戦いながら、ひそかに水源を断つことで勝機が見出されるのである。穴を掘っている最中に敵に見つかったらどうするのか。また、うまく城内に侵入できたとして、敵が無傷であれば待ち伏せされ、迎撃されるのがいいところだろう。

「水源はいずれも谷の後方に設けられていて、軍が正面からこれを襲撃するのは不可能です。山を越えて後ろ側から回り込むことは可能でしょうが、その動きを気取られると敵に迎撃されてしまいます」

——だから気取られぬように正面の敵と戦う、と言っているのだ。

 しかし水源の攻略に軍を二手に分ける必要が発生した現在では、正面の敵を相手にする余裕がない。川をせき止め、その流れを変えるという作業には、相当の人数が必要なのだ。

「仕方がない。先に北の水源を断ち、その成功が確認されたのちに正面から進軍する。水源を断った部隊はその間に南側の水源へ移動し、戦闘の最中にこれを断て」

 李広利はもはややけくそのように指令を出した。しかし、この場合これしか方法はないだろう。

「水源を断つ部隊の移動に日数がかかりますが……?」

 趙始成は作戦の成功を信じていないかのような口ぶりで質問した。

「三日だ。北の水源の破壊に三日。南の水源の破壊にさらに三日。六日間のうちに一連の作業を終了させよ。攻撃する部隊はその間を持ちこたえるのだ。彼らが城内の異変に気づき、動揺した頃に総力を挙げて攻撃を開始する。その戦いで優勢に立ち、籠城戦に持ち込む。籠城させれば水源を破壊された郁成に勝ち目はない。飢えが待っているだけだ」

 李広利は水源の破壊工作隊を李哆に率いさせ、先行させた。破壊の成否に関わらず、三日目には正面から煎靡に挑む。そこで意識して戦いを長期化させ、三日間敵の攻撃を耐え続ける。さらに三日後には総攻撃を仕掛け、あわよくばその場で降伏させ、そうでなければ敵を城の中に押し込む。そして、水の絶えた城内で相手が枯死するのを待つ、という算段だ。

「一騎打ちの場面が、より重要になった。単なる陽動であるはずだったものが、必ず勝たねばならぬものになってしまった」

 李広利は、小声で、私にだけ聞こえるようにそう話した。六日間で二つの水源を破壊せねばならない李哆も大変だが、呂仁栄には勇気だけでなく、責任も課されたわけである。

「六日以上の日数をかけてしまっては、作戦が見抜かれてしまう。また、よしんば敵を籠城に導くことができたとしても……その攻略に多くの日数をかけられない。我々も食糧が限られているのだ。囲んでいる側が先に飢えることがあってはならない」

——危うすぎる。

 私は今後の我が軍の運命を思うと、そのような感想を持たざるを得なかった。しかし、他に良案があるわけでもなかったし、すでに作戦は開始されている。この上は、当たってぶつかるだけであった。


 郁成は、現代のフェルガナ盆地の入り口に設置された都市だと推測される。現在のウズベキスタン共和国に位置するが、定かではない。

 作中の「斬馬剣」はのちの時代にさらに進化し、両刃の剣が片刃の刀へと変化して「斬馬刀」となった。しかし漢代では本文中にもあるとおり、皇帝の権力を象徴する兵器であり、一般の兵士向けの量産はされていない。

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