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赤谷城での惜別


 烏孫では理解できぬことが多い。そもそも漢と姻戚関係を結んでおきながら、匈奴からも妻を迎えているというのはどういうわけか。これは楼蘭でも人質を漢に差し出しながら、匈奴にも同様に差し出していたことにも通じることだが、彼らはそのような行動で中立が保てると考えているのだろうか。ぬけぬけと両面外交を演じる彼らは我々を手玉にとっていて、公主を差し出した漢こそいい(つら)の皮だ。

 まして漢の将軍を目の前にして、匈奴妻の家に入り浸っている姿をさらす、という姿には呆れてものが言えない。漢と匈奴の対立関係を彼らが知らないはずがなかろうに。

 私はそのように感じたが、意外にも李広利はこの点に言及しなかった。彼が重視していたのは、公主の運命だけであった。一軍を率いる将軍の態度としては、あまりいただけない態度だ。しかし、いかにも情の深い彼らしい感じ方であり、私としてはしつこくそれを諫める気にはなれないのであった。

「公主さま、なぜ我々に前もって教えていただけなかったのですか。先に皇帝陛下からあのようなご指示があったことを」

 李広利の口ぶりはいかにも悔しそうであった。しかしそれは烏孫との交渉に敗れたことよりも、公主から事実を伝えてもらえなかったことの方が大きい。公主が嘘をついたとは言えないが、彼女が事実を隠していたことで、李広利が道化を演じてしまったことは紛れもない。彼は激怒してもよいくらいであった。

「本当に申し訳ないことですが、あるいは将軍が言うことであれば、昆彌さまも聞き入れるのではないかと考えました」

「そんな……」

 皇帝が認めていることを、いち将軍である李広利が否定したからといって、烏孫の昆彌が意見を翻すはずもない。それを李広利は言おうとした。しかしこれは裏を返せば、公主がそれだけ追い詰められていたということでもある。彼は、公主を責めることはしなかった。

「しかし……公主さま嫌がっていることは昆彌も知ってのことでしょう。それをなぜそこまでして押しつけるのでしょうか。私には嫌がらせとしか思えません」

 問われた公主は沈痛な面持ちでそれに答えた。

「私自身の覚悟のほどを」

 昆彌が確認しようとしているのだろう、というのである。公主は、烏孫の地に来てからも漢の装束を身にまとい、石の宮殿に住み続けた。昆彌の立場からいえば、公主に自分たちの文化が否定されたように感じたのかもしれない。

「では、公主さまが騎馬民族のように毛皮を着れば、この事態は避けられたかもしれないというのでしょうか」

 それは違う。公主が烏孫文化に迎合しようとすれば、結局は最後まで迎合しなければならない。つまり、親族同士で嫁を譲り合う習慣に身を染めるしかないのだ。

 しかしこの風習は、漢の感覚からいえば輪姦とさして変わらない。それを受け入れるにはよほど好色である必要があろう。

「最初から私はこの土地や民族の風習になじめなくて……ですが、無理のないことだとは思っていただけませんか?」

「もちろんそう思います。公主さまの立場に、私は同情しているのです」

「ここに送られて早々、私は皇帝陛下に書簡をお送りしたのです。歌を作りました。私の気持ちを素直に表した歌です」

 

 吾家嫁我兮天一方(わが家われを天の一方に嫁せしめ)

 遠託異國兮烏孫王(遠く異国に烏孫の王に託したり)

 穹廬為室兮旃為牆(天幕を部屋とし毛氈(もうせん)を壁となし)

 以肉為食兮酪為漿(肉を食物とし乳汁を飲物となす)

 居常土思兮心內傷(常に憂愁して本土を思い心傷む)

 願為黃鵠兮歸故鄉(願わくは白鳥となりて故郷に帰らん)


 公主は、その歌を諳んじた。おそらくひとりで何度もその歌を詠む機会があったのだろう。この歌を直接皇帝に送ったというのだから、公主はなかなか自分に正直な行動をする女性であった。

「皇帝陛下はそんな私を憐れんでくださって、帷帳(いちょう)(間仕切り用の布)や錦繍(きんしゅう)(錦の刺繍を施した衣服)を送ってよこされました。お気持ちはうれしかったのですが、それで我慢しろと言われているようにも思えました」

 つまり公主は決して漢から見放されていたわけではなく、交流は続いていた。しかし、救われることはなかったのである。非常に悲しいことである。また、歌の中で「吾家」と表される部分があるが、本来ならこれは「吾國」と表現されるべきだろう。あえてそうしなかった公主の微妙な心理に、我々は心を痛めた。

「昆彌さまから孫のもとへ嫁へ行けと言われたとき、やはり私は皇帝陛下に上書しました。そのときのご返事が『その国の風俗にしたがうように。漢は烏孫とともに(えびす)を滅ぼそうと思っているのだから』といったものでした。結局私はそのための駒に過ぎない、ということです」

「…………」

 李広利は、どう公主を慰めるべきか頭の中で言葉を探したが、結局見つけることができずに押し黙ってしまった。しかし公主の態度は泰然としている。彼女は諦めたような口調で次のように言い放った。

「もはや運命です」

 江都国王であった公主の父親は好色であったという。しかし公主である娘の細君は決してそのような性格を持ち合わせていない。しかし公主は、我々が言うところの輪姦に近い烏孫の文化を受け入れることにしたのだ。そのきっかけは、目の前で同胞の李広利が交渉に敗れたときであって、それを目にした彼女は、もはやどうにもならぬと悟ったのに違いない。


「私が昆彌さまの言うことを聞くことを条件に、将軍は烏孫から援助を得てください。昆彌さまにしても、漢が大国であることはご存じですから本当は迷っていられるはずなのです。きっと邪険には扱いません」

 公主は決意をにじませた熱い目を李広利に向けた。そのまなざしを正面から受けた彼は、ほんの一瞬であったが言葉を失った。

「……それは、大変ありがたい……」

 やや呆然とした口調であり、それが彼の本心を言い表したものでないことは明らかだった。彼自身も、その時点でどう公主に言葉をかけるべきか悩んだに違いない。そこで、彼は改めて言い直した。

「私は、公主さまにどう報いればよいのでしょうか」

 すると公主は表情を和らげ、晴れやかな声で言い放った。

「将軍、あなたは漢のためにではなく、私のために昆彌と戦ってくださいました。これ以上のことを私から求めることはできません」

 公主の笑顔を見たのは、それが初めてのことだった。そのとき我々は皆、公主のことを美しいと思ったものだった。



 李広利は、公主に烏孫の国情についてどの程度彼女が知っているかを確かめようとした。彼女の気持ちを思えばそっとしておきたいところではあったが、翌日には再び交渉が始まることを思えば、実務的な話題も仕方のないところだろう。

「公主さまは先に、昆彌は匈奴の中で生まれ育ったとお話になりましたね。今日の会談でも、昆彌はそのようなことを言っていました。なおかつ、自分は神だなどと……あれはいったいどういうことなのでしょう」

 私などには、烏孫と我々との間に共通の「神」という概念があったことが驚きだが、李広利の言いたいことはそういうことではないらしく、本当に昆彌は神なのか、ということであった。だが、このような馬鹿げたことを李広利自身が信じていたわけではない。彼は、これを否定する論拠がほしかったのである。公主は、この疑問に答えて言った。

「昆彌さまが匈奴の中で生まれ育ったという話は本当です。とはいっても、私も聞いた話でそれを確かめる術はありませんが。私の聞いているところによりますと……」

 昆彌というのは王号であり、その本名を猟驕靡(りょうきょうび)という。猟驕靡の父親は難兜靡(なんとうび)といい、匈奴の西の境にある小国の王であった。あるとき匈奴はその難兜靡を殺害し、彼の王国を踏みにじった。その際にまだ乳児であった猟驕靡は生きたまま原野に遺棄されたのだが、彼は空から肉を運んでくる鳥によって食を得、どこからともなく現れた狼によって乳を得たという。これを不思議に感じ、あるいは神の生まれ変わりもしれぬと考えたのが匈奴の単于(ぜんう)(匈奴の王号)である。単于は彼を収容して養育し、成長すると一軍の指揮権を授けた。すると彼は次々と戦功をたて、単于はその褒美として彼に父親の人民と土地を返し、その地方の首長として統治することを認めた。彼は近辺の部族を攻撃して、その支配領域を拡大した。

 ところが単于が死ぬと、彼は配下の者を引き連れて遠くへ移動し、中立を保つようになったという。新単于の主催する諸部族の会合にも参加せず、入朝することもなかった。匈奴は幾度もこれを咎め、実際にしばしば武力で制裁を科そうとしたが、いっこうに勝てなかった。次第に匈奴は彼を神として恐れるようになり、以降は彼の行動を咎め立てせず、その状態のまま現在に至っている。

「……なんということだ。『神』という言葉が二度も出てくるとは。……しかし、昆彌自身が神を自称したわけではなく、匈奴がそのように感じたというだけではないか。私としては作り話のような気がしてならない」

 李広利は、否定したがっていた。本来感じやすい男である彼は、この種の話を信じやすいのであるが、それを必死になって拒否していた。無理をして現実的になろうとしていたのである。

「ですが、昆彌さまが苦労して現在の烏孫国をたてたことは事実です。匈奴からしばしば攻撃されてきたことは実際にあったことのようですし、それにもかかわらずこの国が現存していることは、それなりに神がかりのような事実だと言えるかもしれませんね」

 公主はそのように評した。「奇跡」を「神がかり」と言い換えることによって、逸話のつじつまを合わせたのである。

「私は、あのとき将軍が発した言葉が正しいと思います。『昆彌さまが起こした神のような奇跡を、漢は一瞬で無に帰さしめる力がある』……漢が総力を挙げれば、それも充分可能でしょう。神も恐れるに足らず、漢が誇る文明とは、そういったものではないでしょうか」

 公主はそのように述べたが、それは烏孫を揶揄している一方で、漢をも揶揄しているかのように聞こえた。そこに公主の複雑な心情が表れているのだろう。

 李広利は、それに対して嘆息しながら答えた。

「昆彌が軍神のような存在だということは認めましょう。ですが……彼の神としての能力は、非常に限定されたものでしかない。なぜなら、公主さまを幸せにできないからだ」



 翌日、昆彌はその皺だらけの醜い顔をほころばせて我々の前に現れた。笑うと、歯がない。おそらく彼らには、食後に歯を磨くという習慣もないのだろう。また、高貴な人物であるにもかかわらず、人と会う前に斎戒沐浴することもない。これは昆彌に限ったことではないようで、幕内には彼ら烏孫人の体から放たれる異臭が相も変わらず充満していた。

 もちろんそれを我々が口に出して批判することはない。しかし、公主が頑として生活様式を彼らの風習にあわせようとしないことは理解できた。うら若い女性が歯もなく臭い老人を愛せるはずがない。

 しかし昆彌は、公主の決意を非常に喜んだようで、非常に上機嫌であった。

「漢の若者よ。このたびは公主の立場を重んじて、あなた方に協力しよう」

 ひどく恩着せがましい口ぶりが気に障ったが、協力を受けない手はない。我々は具体的に彼らが何を提供してくれるのかを問うた。

「食糧と、情報である」

 理想はこの地への永続的な駐屯であったが、匈奴の影響が若干でもある限り不可能なことであっただろう。また、彼らは自身の利益のためにのみ行動する民族性を持っている。そのためか今回の大宛遠征に烏孫軍の一部を同行させることも彼らは選択しなかった。自分たちが大宛を攻める理由など特にない、とでも言いたいのだろう。

 提供を受けることになった食糧については、彼らが主に軍事補給用して携帯する干し肉と乳製品がほとんどである。肉は羊肉であり、乳製品も発酵させた固形物で、ほぼ我々が口にする機会のないものである。しかし背に腹は代えられなかった。これで我々は大宛までの道中、飢える危険を回避することができたのである。

「情報とは……」

 我々はここまで来たら、あとは大宛までひたすら突き進むまでだと考えていた。しかし昆彌が言うところによると、大宛には出城があるのだという。

「砂漠から大宛に行こうとすれば、その手前には君たちが言うところの『葱嶺』が道を阻む。これが天然の要害として大宛を守っている。しかし、草原から大宛へと通じる道に、そのようなものは存在しない。彼らは我々烏孫との国境に城壁を構えて、我々の侵入を妨げている。しかし、今回はそれが君たちの侵入を防ぐ役割を果たすだろう」

 李広利はその情報にありがたみを感じる一方で、昆彌の態度に反発を示した。昆彌は、我々にはその城を抜けないと言っているようなのである。

「その仰りようからすると、よほど強力な城なのでしょう。我々が事前に得ている情報によれば、大宛の軍事力はさほど高くない、とのことですが」

「その情報は正しくない。過去に我々は領土を西へ広げようとして、何度か大宛と衝突した。しかし、我々の騎馬部隊をもってしても、あの城は落とせなかったのだ。苦戦は覚悟することだ」

 大宛にそれほどの防御拠点があったとは……張騫も言及しておらず、過去に烏孫や大宛を訪れた使者たちの記録にもそのような記述はなかった。

「それは、この昆彌が伝えないように言い含めておいたからだ。漢と大宛が武力で衝突することは我々の与り知らぬことではあるが、烏孫の西に大宛の強力な出城があることを漢が知れば、君たちはその攻略のためにこの烏孫国内に拠点を築こうとするだろう。漢を信用しない理由は特にないが、その拠点がいつの間にか我々を滅ぼすための拠点と化すことは充分予測できる。そのようなことは人の世の常だ」

 気分を害した表情を浮かべた李広利に向けて、昆彌はさらにひと言を発した。

「このような言い回しは、漢の者たちが得意とするところだろう」

 公主にまつわる先入観からだろうか、我々は昆彌のことを決して快く思っていなかったが、その昆彌からこのようなことを言われると、余計に気に障るというものだ。俗な言い方をすると、苛々(いらいら)とするのである。しかも先方は、我々の反応を楽しんでいるかの如く、言葉を発するたびに我々の表情をのぞき込むような仕草をするため、より一層気分が悪くなるのであった。

「昆彌さまには今後もご健勝であられますように。我々はこれにて失礼いたします」

 突如李広利はそのように挨拶を済ませたので、昆彌は驚いた表情をした。しかし、李広利はそれを気にも留めなかった。

「公主さまの石の宮殿へご報告にあがったのち、兵をまとめて早々にここを引き上げる」

 李広利の表情は、苦虫を噛み潰したようであった。



 しかしよくよく考えてみれば、国境を接する場所に関所なり砦なりがないはずがない。山脈や川、あるいは砂漠などで交通が遮断されているのであれば話は別だが、烏孫と大宛との間は比較的これが容易であるという。だとすれば、人為的に難しくしなければならない。大宛が城を設置したということは、攻め入る側が烏孫だったということだ。彼らは侵入しようとしてくる騎馬民族の烏孫に対する防壁として、出城を設置したのである。

 その名を郁成(いくせい)城という。我々は大宛を攻略するに当たって、まずこの出城を陥落させねばならなかった。

「……公主さまは、知っていたのですか。郁成城の存在を」

 石の宮殿で改めて会談の場を設けた公主は、李広利の質問に答えた。

「いえ。ここでは私は客のようなものですから……。未だに言葉がわかりませんので詳しいことは何も。お役に立てず申し訳ありません」

「そうでしたか。それにしても昆彌という方はお人が悪い。その存在を教えておいて、我々にはそれを落とすことができないだろう、と言うのですから。そして援軍も出さなければ兵器を貸すこともしてくれない。烏孫は、ただ黙って見ているだけだ」

 それは我々が烏孫に入ってから一貫して感じていた事実であった。彼らは姿を見せずに我々を観察し、一切の関わりを持とうとしない。それが、この広大な草原で生き延びる術なのであろうか。

「彼らが助け合うのは、親族同士の間だけです。民族の単位でまとまって行動する必要があるときだけ、昆彌が号令を発するのです。それ以外のときは、彼らはなるべく他人との関わり合いを拒絶します。なぜなら……草原では常に飢えの危険があって、危機に襲われると彼らは隣人を攻撃しなければなりません。ですから彼らは必要以上に人と親しくなることを避けているのです」

 公主は説明をしてくれたが、我々の心には一様に疑念が浮かんだ。いったいそのような状態で国が成り立つのか。

「この国は、いま三つに分裂しています。昆彌と、昆彌の息子と、昆彌の孫の勢力に分かれていて……。孫に私を譲ると昆彌が申したのは、それを打開するためでもあるのでしょう」

 遊牧民に他者との交流の文化はなく、血さえも軽んじられる。自分の妻を孫に与えるなどという文化は、感情が薄いという民族性の表れではないか、と我々は感じた。

「公主さまは、その昆彌の孫という人物に会ったことはあるのですか」

 李広利の発した質問は、確認の意味でしかなかった。答えをわかっていながら、彼はそのことを確かめたかったのである。

「いいえ。会ったことはありません。でもこれも運命ですから……その方が、若くて男ぶりのよい方だったら……と期待することにします」

 公主は悲しげな微笑とともに、そう告げた。李広利は思わず涙を拭ったようであった。感じやすい、彼らしき姿である。

「公主さま、我々とともにここを引き上げませんか。ここにいてもあなたは幸せにはなれません。これは……本気でお誘いしているのです」

 公主は李広利の誘いにかぶりを振った。行かない、というのである。

「あなた方の足手まといにはなりたくありませんし、先のことを思えば決断できません。私のことでしたら大丈夫。この地で一生を終えるつもりです」

「しかし……」

 さらに誘おうとした李広利であったが、公主はそれをとどめて、彼の腰のあたりを指さした。

「将軍の帯に何やら飾り物がぶら下げてありますね。おそらくそれは大事な方からの贈り物でしょう。どうか、私などよりもそのお方の幸せをお祈りしてください」

 公主が指さしたのは、敦煌を出発した際に欣怡からもらった耳飾りであった。彼は後生大事にそれを自らの帯にぶら下げていたのである。

「本当によろしいのですか」

「大丈夫です。将軍こそお命を大事に。ご武運をお祈りしています。私のことは、そうですね……折に触れて思い出していただければそれで結構です。こんな女も西域には住んでいたと。それで私は満足です」

 我々はそこで席を立つことにした。運命に翻弄される公主を残して征旅へと旅立つには、誰もが良心の呵責を覚えた。


 改めて言うが、烏孫公主はその姓名を劉細君という。漢の西域政策にとって、とてつもなく大きな役割を演じたにもかかわらず、彼女の存在は多くの人々の記憶には残っていない。しかし公主は別れ際に、「折に触れて私のことを思い出してほしい」と言ったのである。



 ——欣怡、敦煌は相変わらず日照りが続いているのだろうか。君の過ごす毎日が平和であることを心から望んでいる。

 西域に足を踏み入れてから様々な困難に遭遇したが、いま我々は西のかた烏孫国にいる。ここで我々は大宛まで到達するための軍糧を手中にすることができた。

 あとは、大宛に勝つだけだ。無事に敦煌に帰って君の顔を見ることができたらいいと思う。いまは、ただひたすらにそれを望む。どうやら、私は君に慰めてもらいたいようなのだ。

 烏孫国の風景は、あまりにも寂しい。目に映るものは一面の草地ばかりで、美しい建造物を見ることも、人々の文化に触れることもない。話によると、この国の人々は他人との関わりを嫌うのだそうだ。

 理由は二つある。一つ目は、接触を避けることで人同士の衝突が回避されることだ。そして二つ目は、それでも衝突が起きた際に、いささかも慈悲の心を持たずに相手を殺せる、ということだ。漢では罪人に情が移って厳罰を下せない例がよくあるが、ここではそのようなことは一切ない。まさに無情の地と言うべきで、無関心と冷酷がこの国最大の特徴だ。

 しかし私から言わせれば、この国の民は罪人だらけのようなもので、彼らは隣人からの略奪を生業(なりわい)としている。この社会の存在そのものが罪だ。このような国からは一刻も早く離れたい。西域は全体的に牧歌的で、のんびりとした包容力のある世界だと私は勝手に想像していたが、現実はそれとかけ離れていた。烏孫に限らず、人々は猜疑的で、なかなか本心を見せてくれない。

 また、漢の文明は西域の人々に歓迎されると考えていたが、結果的にそれもなかった。楼蘭を訪れたとき、ある者から漢より匈奴の方が慣れているから受け入れられると言われた。改めて言うまでもないことかもしれないが、西域の城郭は、漢の王宮の典雅さには及びようもない。その多くは砂礫や土を固めただけの代物で、烏孫に至っては壁や天井は布でしかなかった。匈奴の支配ではそのような文明しか育たないにも関わらず、彼らはその方がいいと言うのだ。

 だが烏孫国には、たったひとつだけ石造りの建物があった。そこには漢から烏孫に嫁いだ女性が住んでいたが、その境遇はあまりにも寂しく、悲しい。その女性は、私の訪問をきっかけに自身の境遇が改善されることを望み、私はそれに対して心から同情して善処を約束した。烏孫の国王はひどく老齢であり、彼女はその国王の妃であったが、遊牧民の風習に従って孫の妻にされるというのだ。彼らは、自分たちの悪習を強引に漢の女性に押しつけようとしていた。

 しかし結果的に私はその約束を果たせず、彼女の運命を犠牲にする形で烏孫国からの援助を得てしまった。私は、自分自身が恥ずかしく、かつ情けない。

 私は、君に慰めてもらいたいのだ。


 李広利は、公主に言われるがままに欣怡に向けて自らの思いを綴った。しかしそれが欣怡の手に届くことはない。彼の行為は、自分を慰めるだけのものでしかなかった。

 しかし彼の西域に対する視点は、概ね私たちのそれと共通していて、その心理は私にもよくわかる。軍を指揮する立場にあれば、なおその思いは強まっていくばかりだろう。

 遊牧民の悪習が、実際に我々を巻き込むことになるとは考えてもいなかったことだ。それらはこれまでいかに彼らと我々がかけ離れた存在かという点でのみ言及され、それを漢の人間が体験することになるとは誰も想像だにしていなかった事実である。

 過去に匈奴に敗れた漢の皇帝は、数多くの女性を匈奴に送って講和のしるしとしたそうだが、やはり送られた女性たちはそのような経験をしたのだろうか。だとすれば悲しいことだ。男は戦って死ぬ運命を与えられるが、女は生きながら地獄を味わう。どちらが過酷か、私には安易な判断は下せない。

「公主さまがあのような運命を背負う羽目になったのは、いったい誰のためだ」

 李広利は、郁成への行軍の途中で、思い出したようにそう呟いた。公主が自分自身のためにそれを受け入れたはずがなく、また彼女の国元にいる家族がそのために立身出世することもない。彼女の父は皇帝によって自殺を命じられ、もはやこの世には存在しない。江都国も取り潰されてしまっているのだ。家族は離散してしまっているだろう。

 だとすれば、彼女は漢という国のためにのみ、その運命を背負ったことになる。実に国というものは罪深い存在だ。

「しかし、我々も似たようなものか」

 李広利はそうも言った。確かに国、あるいは皇帝に命じられて死ななければならぬ運命にあるとすれば、我々も似たようなものだ。おそらく李広利も国のありかたについて疑問を感じていたのだろう。

 しかし彼の大宛攻略にかける意気込みは、依然衰えていない。おそらくそれは、公主の自己犠牲に対する義務感からであっただろう。または、西域全体に対する憎しみか。


 おそらく、その双方なのだろう。



 大宛は土着の農耕民族によって構成されていて、遊牧騎馬民族による国家ではない。そのため人々は高い城壁を作って、その内部に都市を築く。外敵から身を守るためだが、現在では隣国との関係は良好のようであった。西隣の康居国、東隣の烏孫国はどちらも遊牧民の国であり、過去には相争ったこともあったようだ。が、大宛は滅びることなくいまも存続している。

 その理由は、農耕民族の地でありながら良質な馬が産出される土地柄にある。汗血馬は烏孫の西極よりも頑健な体格を持っていて、疲れることを知らない。血の汗を流しながら走ると言われたことから汗血馬の名がつけられたが、皇帝はこれに別称を与えた。

「天馬」である。その名の由来は読んで字の如く、駈ける勢いが空を飛ぶほどのものであったことによる。大宛人が農民ばかりであったとしても、その強靱さを見逃すはずがなかった。天馬に農耕の役割を与えるよりも、軍事に転用することを選んだのである。

 彼らはいわば農耕騎馬民族であった。遊牧民と農耕民の特徴を併せ持ち、堅固な城壁で籠城戦では無類の防御力を発揮し、それでいて野戦では騎馬による機動力を前面に押し出すのである。当初、我々は大宛の軍事力を軽く見積もっていたが、距離が縮まるにつれてその解釈を改める必要に迫られた。

「しかしいくら汗血馬とはいえ、個体差があるだろう。強い馬もあれば弱い馬も必ず居る。兵士のすべてが強馬を駆っているとは限らぬ」

 そのように楽観的な発想を口にしてみても、烏孫がついに郁成を攻略できなかったという事実がそれを否定している。気休めを口にしても現実は変わらないものだ。結局のところ、斥候を送り出して敵情を探らせることに対処は定まった。


 次の戦いこそ——。

 中途半端な結果はたくさんだと主張し、勝利を意気込んでいた李哆は、驚くことにこの斥候の任務に志願した。

「君自身が行くというのか。しかし、それでは部隊の指揮はどうする。君は、自身が校尉であることを忘れたのではないだろうな」

 李広利は許可を渋ったが、李哆は執拗に主張した。その発言は以下の通りである。

「これまでは、我々に協力せずに籠城する敵を黙殺することも可能でしたが、郁成は大宛の前線にあって、これを抜かねば本国の城内には到達できません。そのためには敵情の視察についても微細に渡って行う必要があり、私としては多少なりとも軍事に精通した者にそれを行わせる必要があろうかと思います。しかし、我が軍はもともと浮浪者や犯罪人の寄せ集めで、真に信頼を寄せるに値する人物はごく少数でしかありません。よって、ここは私が数名の部下を引き連れて、正確な情報を提供したいと思います。将軍、ぜひご裁可を」

 確かに郁成を黙殺して素通りするわけにはいかず、しかも大宛攻略の任を果たすためには必勝が求められるところである。ここは確かに万全を期すべきではなかろうか……そう考えた李広利は、ついに李哆に斥候の長を命じた。これが太初元年の八月のことである。



 軍は前進を続け、やがて熱海(ぜつかい)も視界から消えた。烏孫国の約二千里ほど先に大宛の都である弐師(じし)城がある。その前に立ちはだかる郁成城を攻略すべく、我々は行動を開始した。

 烏孫人は、赤谷城の周辺には多数いたが、誰も我々に興味を持って話しかけてくる者はいなかった。おそらく郁成にたどり着くまでも同じだろう。彼らは自分たちに利害がなければ、まるで関わり合おうとしないよそよそしい民族であった。

 まして公主のことを思えば、どちらかというと失意に満ちた出国だと言えよう。結局我々は苦しむ公主を助けることができず、むしろその恩恵にすがることになった。そして公主は、そんな我々に対してさらに贈り物を届けてくれたのである。


 行軍を続ける我々を、一騎の武者が追いかけてくる様子が見えた。当初李広利はそれをよそよそしい烏孫人の中にも物好きな者がいて、ただ興味本位で近づいて来ただけだと思っていた。

「お待ちください」

 しかし、その若者は驚くことに漢の言葉でそう呼びかけたのである。

「漢人か」

 李広利の問いかけに若者は頷き、それまで乗ってきた馬を飛び降りた。馬は、烏孫固有の西極である。

「弐師将軍のご近辺にお仕えせよ、との公主さまのご命令で参上つかまつりました呂仁栄(りょじんえい)です」

 呂仁栄はその身を鎧兜で包んでいるにも関わらず、逞しさが際立っていた。しかし、顔にはまだ幼さが見受けられ、年齢は二十歳そこそこであろうと思われる。もともとは公主が漢から烏孫へ移動する際の護衛として任を受けたが、公主が烏孫に定住したいま、身を持て余していたという。公主は、この若者に李広利と征旅を共にするよう命じたのであった。

「公主のお気持ちはありがたいが……仁栄とやら。この先、生きては帰れない旅となるかもしれぬぞ。その心構えはあるのか」

 李広利の問いかけに、仁栄は答えた。

「私は、もともと公主と同様に烏孫を出ることができないさだめにありました。どちらにしても漢の内地には戻れない運命にあります。それならば烏孫で退屈な日々を暮らすよりは、軍のお供をしたい。覚悟の上です」

 退屈は、死期を早める——。

 李広利は、このときそのようなことを頭に浮かべたという。前途ある若者が望んで死地に赴くようなことは、本来ならあってはならないはずであった。だが実のところ、我々はこの若者の参戦をありがたく感じ、郁成攻略に大いに利用しようと歓喜して迎えたのである。


 国もそうだが、我々も実に罪深い。


郁成は七十余城ある大宛国の城の一つで、もっとも漢に近い側にある城である。その存在は史書においてもはっきりとした言及がなされておらず、張騫はその存在についてひと言も発していない。しかし李広利がこの城を攻略しようとしたことは史実として記録されており、これが歴史上の初見ということになるであろう。

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