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大逆転、関ヶ原! ~小早川秀秋、難波の夢を露と落とさず~  作者: 浦賀やまみち
第七章 かりそめの太平

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幕 間 語り合う三つの盃




「聞きましたか? 賀茂祭での狼藉を」

「聞きましたぞ! あのボンクラめ!」

「教えてください。何があったのですか?」



 徳川家康は日々に疲れていた。


 午前は、領内統治の裁定。

 午後は、関ヶ原の戦いの後も徳川家に従った者たちとの折衝。


 いや、『折衝』と言えば聞こえは良いが、実際はただの愚痴の巻き合いである。



「帝に出席を強要したばかりか、ボンクラが御簾神輿の前を歩いたそうだ!」

「なんとっ……。なんと畏れ多いことを!」

「信じられん振る舞いだ!」



 来る日も来る日も、似たような訴えの繰り返し。


 宥め、透かし、時に頷く。

 家康は嫌気を微塵も顔に出さず、話を右から左へとただ受け流す。


 心中を占めるのは、夕餉前の風呂のことばかり。



「天下人になったつもりか!」

「豊臣、打つべし! 逆臣、誅すべし!」

「然り、然り!」

「徳川殿! 今こそ、我らの正義を天下に示すときではありませんか!」



 家康にとって、風呂は贅沢であった。

 日頃は濡れ手ぬぐいで身体を拭い、湯に浸かるのは週に一度で十分。そう考えていた。



 しかし、この場から逃げる口実として、日々の習慣になった。

 家臣が『風呂の支度が整いました』と告げにくるのを、ひたすらに待ち続ける毎日だった。



「儂も、あの小僧の傍若無人な振る舞いは聞き及んでおる。

 だが、足りぬ。

 帝への忠義は、誰よりも持っているつもりだが……。

 10万の兵を動かすには、まだ口実として弱い」



 いっそ、この場の愚か者たちを全て放り出してしまいたかった。


 今、家康は挙兵の例として、10万の兵を動かすと語った。

 事実、三年前にあった関ヶ原の戦いで、徳川家は10万の兵力を動かしている。


 だが、今の徳川家に10万の兵力を動かす力はない。

 豊臣家に所領を削られ、石高は関ヶ原の戦い前の八割にまで減っていた。


 しかも、その八割も、関ヶ原の戦い後に逃げ込んできた目の前の者たちに分け与え、結果として七割にまで落ち込んでいた。



「家康様のおっしゃる通りだ。今は、耐えようではないか」

「しかし、黒田殿!」

「そうです! あの愚図の傍若無人は、とどまることを知りませんぞ!」

「たった一度の『まぐれ』で、つけ上がりおって!」



 来たるべき豊臣家との決戦に備え、今はまだまだ力を蓄える必要があった。


 本拠地である江戸城の防御力を高める改修と拡張。

 東海道や中山道の街道整備と、それぞれの各地防衛拠点設置。

 石高を少しでも上げるため、利根川や荒川などの河川改修。


 力を蓄えるために、あらゆる力に注力せねばならない矛盾に、家康は頭が痛かった。



「皆、少し落ち着こうではないか。

 如水殿のことを思えば、我々より黒田殿の方がよほど悔しいのだ」

「むむっ……。そうでしたな」

「申し訳ござらぬ」

「拙者も、この通りだ」



 しかし、鬱陶しいからといって、目の前の者たちを放り出すわけにはいかない。


 もし放り出せば、家康の評判は地に落ちる。

 徳川家は天下にそっぽを向かれ、二度と浮かび上がる芽はなくなるのだ。



「黒田殿、すまんな……。もう少し堪えてくれるか」

「はっ! しかし、その時がきたら、一番槍は是非とも私に!」

「分かっておる。頼りにしているぞ」



 家康は、まだ天下を諦めていなかった。

 その胸の内には、幼少の頃から刻まれてきた『忍従』と、静かなる『野心』が宿っていた。




 ******




「忠次……。」



 行灯の淡い明かりが部屋を照らす。

 家康は、自分の前に並べた三つの盃に静かに酒を注いでいった。


 若い頃から健康を心がけ、家康は早寝早起きの習慣を守ってきた。

 だが最近は、疲れているにもかかわらず、なかなか寝付けない日が増えていた。


 酒の力は頼りたくないが、酒を飲まなければ寝付けない。

 いつしか、寝酒が習慣化していた。



「忠勝……。」



 今年の春、俗に徳川四天王と呼ばれる『井伊直政』は、永眠した。

 関ヶ原の戦いで負った傷のため、立てなくなり、やがて寝たきりとなり、最後はまるで眠るかのように旅立った。


 家康は、その哀しみを乗り越えた。


 だが、寂しさはなお残る。

 夜、一人になると、若い頃の遠い日々の思い出が蘇り、自然と涙がこぼれた。


 年甲斐もなく、若い女性で誤魔化してみたが、駄目だった。

 疲れ果て、気絶するように眠れはしたものの、その代償として翌日は酷い疲労が残った。



「直政……。」



 そして、井伊直政の二度目の月命日を迎えた夜。

 家康は、酒量が著しく増えている事実に気づいた。


 このままでは、天下を見る前に、命尽きてしまう。

 そう、家康は悟らざるを得なかった。


 不眠を解消する術は、とうの昔から承知していた。

 自分の胸の内を曝け出し、心労を軽くすればよい。



「ふーーーーー……。」



 しかし、それは立場が許さない。

 家康は強く在らねばならず、弱音など口にすることは許されない。

 

 許されるとしたら、それは、家康と長らく共に歩んできた、ただ一人だけ。

 徳川四天王の最後の一人『榊原康政』である。



「……少し遅れました」

「なに、始めようと思ったところよ」



 縁側に続く障子戸が、静かに開いた。

 家康が隣に盃を置くと、そこに榊原康政が腰を下ろす。


 とく、とく、とく、盃に酒が満ちる音がゆっくりと響く。



「秀忠は、どうだ?」

「最近は女にうつつを抜かしがちで、感心しませぬな」

「ふっ……。それは儂も、とやかく言えぬな」

「……腰の加減はいかがですか?」

「いじめてくれるな。お前に貰った湿布のおかげで治ったわい」



 週の終わり、先に逝ってしまった三人を悼み、思い出を語り合う。

 それは、いつしか家康と康政の習慣となっていた。




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