第21話 蜻蛉切の夕映え
「よーし! 終わった、終わった!」
「酒だ! 酒!」
「おい、殿様を誰か呼んでこいよ!」
「だな! 殿様がいなくっちゃ始まらねぇ!」
和睦が済むと、厳かな空気は一気に消え、足軽たちの一団が騒ぎ出した。
気のせいか、見知った顔が多い。
間違いなく、小早川家の足軽たちだ。
そういえば、この後は宴が予定されていて、足軽たちにもすでに通達済み。
酒を飲ませるから、和睦の最中は黙ってろという暗黙の了解だ。
でも、切り替えが早すぎる。
もしかして、岡崎城勝利後の宴で味を占め、調子に乗っているのだろうか。
また脱ぎだしたりしないかと不安になり、俺は顔を引きつらせた。
「小早川殿」
「あっ、はい」
「両軍の勝利を祝うとは、感服いたしました。
我らに花を持たせてくださり、かたじけない」
「いえいえ」
そこへ徳川家康が話しかけてきた。
大勢がいる手前、徳川家康は頭を下げられず、目礼を合わせた。
法則『俺の顔見知りは脇役』について。
徳川家康ほどの大物なら、俺の知り合いに誰かしら当てはまっているに違いない。
だが、俺の知り合いに『徳川』なんて、一度聞いたら忘れないほど稀有な姓を持つ者はいない。
だから、ついに法則が破れる時が来たのかと思った。
しかし今日、徳川家康の顔をひと目見た瞬間、俺はすぐに納得した。
徳川家康は、俺の実家の近所で土建業を営む、あだ名『将軍』だ。
あだ名の由来は、十八番の持ち歌が『サンバ』で、『暴れん坊』と同じ名前だからである。
つまり、将軍の姓が松平であるように、徳川家康の改名前の姓も松平。
まさに徳川家康にぴったりの配役だった。
「……忠勝は」
「えっ!?」
「忠勝は、強かったか?」
不意に、徳川家康は顔を身体ごと背けた。
夕陽を遠い目で見つめるその横顔は、茜色に染まり、静かな哀しみが差していた。
「はい……。本多忠勝は、戦国最強。
叶うのであれば、若い頃の全盛期に戦ってみたかったです」
そこに、見てはいけないものを感じ、俺も思わず夕陽の方へ身体を向けた。
「そうか、そうまで言ってくれるか。
ふっふっ……。戦国最強か。良かったな……。忠勝……。」
濃さを増した空の群青と、沈みゆく夕陽の赤がゆるやかに溶け合う。
その向こうで黒い影を伸ばす知多半島が、絶景を見せていた。
さっきまでは、じっくり眺める余裕なんてなかった。
あまりの美しさに目を奪われ、俳句の心得もない俺ですら、一句ひねれそうな気がした。
「小早川殿。返還された忠勝の槍『蜻蛉切』を、あなたに差し上げよう」
「……えっ!?」
思いがけない言葉に、俺は息を呑み、慌てて顔を振り向けた。
今回の和睦において、徳川家康が提示した条件は二つあった。
一に、和睦の西軍代表は俺にすること。
二に、本多忠勝の首、その愛槍『蜻蛉切』、鎧の返還。
つまり、自分の命や所領を差し置いてでも、欲しかったものの一つをくれるというわけだ。
俺は徳川家康の心が読めず、目を瞬きさせながら戸惑う。
「予感……。が、あったのだろうな。
大垣城を発つ時、忠勝が口にしていた。
もし、自分以上の益荒男が現れたら、槍をくれてやってくれ……。
今まで自分が倒してきた強敵のように、自分もまた糧になりたい。……とな」
徳川家康の目は濡れていた。
涙は零さなかったが、夕陽の朱がさっきよりも鮮やかに反射していた。
「ああ……。あの大数珠には、そういう意味があったのか……。」
俺は思わず目を伏せた。
本多忠勝の鎧には、二つの特徴がある。
一つは、兜の左右にそびえる男鹿の角。
もう一つは、左肩から右腰にかけての大数珠である。
どちらも唯一無二感があって、超格好いい。
男なら、ロマンを感じずにはいられない。
だが、後者に関しては性能面で、俺は疑問が少しあった。
動くたびにジャラジャラと音が鳴って、鬱陶しいのだ。
溢れるロマンを抗いきれず、本多忠勝の鎧を実際に着けてみた俺が言うのだから、間違いない。
しかし、徳川家康の言葉を聞けば、なるほどと腑に落ちた。
賛否はあるだろうが、俺の中で戦国最強と言えば、本多忠勝だ。
当然、戦国最強ゆえに、数多の敵を討ち倒してきた。
その者たちを供養する意味が大数珠には込められていたに違いない。
「貰ってくれるな?」
徳川家康は、再びこちらに体を振り向け、その視線がじっと俺を捉えた。
「喜んで」
ここで拒むのは失礼だ。
俺も再び徳川家康に体を向け、強く頷いた。
そして、口の端をニヤリと吊り上げながら、右手を差し出し、握手を求める。
「しかし、よろしいのですか?」
「……ん?」
「十年後……。あなたの右腕だった槍が、あなたの首を獲りますよ?」
「ふっふっふっ……。次は負けんよ」
徳川家康もまた口の端をニヤリと吊り上げ、右手を差し出して応じた。




