8
翌日はいつもよりひどく、0時限目の授業が終わる頃に登校した美鈴。
ショートホームルームが始まるわずかな時間に、ゆかが抱きついてきた。小さな悲鳴を上げた美鈴の耳元にゆかが唇をよせた。
「昨日おうちの人から電話がきたけど、なにかあったの?」
あーきもちいぃとぼやいて撫で回しながら、その雰囲気が昨日よりも断然美鈴を気遣うようだった。
それに気づいた美鈴は、抵抗せず彼女の好きなようにさせる。
「もう大丈夫だよ」
嘘だった。何度も彼女の髪を撫でる手が、ぴくりと震えた気がした。まさか気づかれたのかと一瞬不安になった美鈴が振り返る。
「……白髪生えてる」
感情がこもっていない声に虚を突かれた美鈴は、目の前に突き出された白くなった髪の毛の束を見せられた。
「ねえ、みーちゃん。アタシみたいなのじゃ力になれないかもしれないけどさ、何でも言ってよ……」
いつものいやらしさが微塵もないゆかの声に、一瞬だけ”流されそう”になったがすぐに笑みを浮かべて見せた。
「だいじょうぶ。本当に何もなかったから」
そう、なにもなかった。そう自分に言い聞かせた。
夜、美鈴は一睡も出来なかった。
布団の中で考えてしまったのは、あの瞬間美鈴は生物を殺したのではないかという疑問。
もしも少女がもう少し大人であれば、正当防衛という鎧を着ることが出来ただろう。しかし、彼女はまだ潔癖な子供だった。殺す事の罪悪を拭えずに自らを何度も蝕んだのだ。
まだ幼すぎる彼女には、抱えきれないほどの罪悪感と恐怖。それが顕著に現れていた。
納得していないと顔に書いたゆかは、もう一度口を開こうといた。しかしその直後に担任の教師が入ってきたので、しぶしぶ席に戻っていった。
大丈夫。もう、あんなことはないから。
その言葉を自分に言い聞かせて、肩を落とした。体がいつも以上にだるい気がした。
授業は普段よりも少し早く終わった。昨日美鈴は不審者に襲われたという事になっているので、部活動や委員会活動は全面中止になり、全校生徒は即座に帰るように指示された。
後頭部に手を回して頬を膨らませたゆかと、手提げが妙に膨らんだ薫が美鈴の左右を歩いている。今は下校の最中だ。
「はぁーつまんないなぁ」
不平を垂らすゆかは、部活動を誰よりも熱心に取り組んでいる。
陸上部に所属し、女子短距離走のエースである彼女は、教師や生徒からは羨望の眼差しを向けられる存在だ。
なによりも走っている彼女はひどく妄信的で、まるで何かを求めて祈るようだと詩人かぶれの部活顧問がたたえるほどだった。
本人は苦笑して否定したが、美鈴と薫ともにそのセリフに賛同している。
不平を漏らすゆかを横目で見た美鈴は、ふと学級委員室に寄ってから下校した薫の手荷物が気になった。
「天沢さん、その荷物なに?」
小首をかしげて、薫の手提げを覗き込んだ美鈴。その突然の動きに、危うく追突しかけた薫は慌てて足を止めた。
「ん? これ?」
薫が少し掲げて見せると、こくこくうなずいた。その仕草を見ていたゆかが、荒い息遣いでじっと美鈴を見つめていたので、薫は顔をしかめて手で払う。
「これは、学級委員の資料よ。先生に頼まれてたの」
そう言って中を少し見せてくれた。紙束が入ったプラスチックのケースが三つ入っていた。それだけで電話帳よりかは少し薄い程度の量である。
「す、すごいね……」
その量を任せる教師も教師だが、それをこなしてしまう薫もいささか常軌を逸している気がした美鈴は、すこし困った顔で賞賛の言葉を送った。
ゆかはそんなことは気にも留めず、だらしない顔で美鈴を見ている。