19
白以外になくなった視界の中で、美鈴の絶叫だけが木霊した。
「ダメだ! 目を閉じて、耳をふさぐんだ!」
突然の声。誰かが強く美鈴を抱きしめ、そして耳を塞いでいる。
「今のは違う。違うから。あいつらの常套手段だから」
声は、抱きしめた本人は何度もそういって、美鈴に聞かせる。しかし、美鈴は分かっている。今見た事も、隠されている光景ががすべて本当だということも、すべて知っている。
「だめ、ちがうの。わたし、わたしが……」
壊れた機械のように意味のない言葉を繰り返して、がたがたと震える彼女に何度も言って聞かせるが、反応は変わらない。
「イたい、いたィわ。みレい、見テ、あなたノセいで」
何かが美鈴の足首を掴んだ。息を呑む音が聞こえた。下半身を失い血まみれになった美鈴に良く似た女性が絶望に顔をゆがめ、美鈴の足を掴んでいた。
内臓が散らばり引きずられ、床に赤い線が引かれている。
向き直って、他の声が聞こえないように強く言う。
「聞いちゃダメ。だから……」
さらに近づこうとする女性から遠ざけようとするが、強く掴まれていてできない。震えて悲鳴を上げる美鈴。舌打ちして少し体を離すと、鼻先がぶつかり合いそうなほど顔を近づけた。
「ミレイ。今から言うことを良く聞いて!」
近づくそれは、すでに美鈴のひざまで迫り、両足を抱きこんでいた。
「私の言う事が分かる?」
焦点の定まらない瞳が、かすかに揺れて視線を合わせた気がした。
「これは、悪い夢だ。悪い奴らが、君に嫌な思いをさせているだけなんだ」
強く何度も言い聞かせる。まだ帰ってこない。
「だからほら、こんなの、全部吹き飛ばそう。悪いことは、全部」
瞳孔が動いた。耳を塞ぐ手を離して、頭の後ろに手を回す。
「君は、すごく良い子だ。でも、誰にでも間違いはあるよね」
その言葉に、また彼女の顔がゆがみそうになった。
「でもね。間違いを正さないのはすごく良くないことだよ。それは、分かるよね?」
返事はない。しかし、瞳の光が揺れた。反応はしているし、ちゃんと話す言葉を理解している証拠だ。
「君には申し訳ないけど、もう死んだ人はどうしようもない」
激しく揺れた。俯きそうなる顔を、額を押し付けて無理やり止めた。
「君には、大切な人はいる?」
また泣き出した美鈴が、小さく頷くようなしぐさをした。
「それは、おじいさんとか友達のこと?」
また頷いた。
「そう。じゃあ、君には今二つの選択がある」
まだ幼い子供を騙す罪悪感が胸をかきむしるが、ぐっと自分に渇を入れ、少女にささやく。
「この世界に攻め込んでくる悪い奴らから、君の大切な人たちを助けるための力を手に入れるか、こうしてずっと泣いているか。ミレイ、君はどっちが欲しい?」
目を見開いた美鈴。
「みんなを、まもりたい」
その答えを一番聞きたくなかった。しかし今そうしなければ、彼女の精神はやつらに食われるだろう。
きっとやつらも彼女の潜在能力を察して、こうして肉体を無傷で手に入れようとしているのだ。
「よし。じゃあ、今から、同じ事を繰り返して言うんだ。いいね?」
小さく頷いたのを確認して、緊張した顔を何とか微笑ませて見せた。つられて美鈴の涙で赤くなった頬が少し緩んだ。
「我は望む」
「われは、のぞむ」
呂律に若干の不安を覚えるが、そうするしかない。
「不道をなす神に抗う力を」
「ふどうをなす……」
「神に抗う力を」
「かみにあらがう、ちからを」
歯車がかみ合い、回路が構築されていく音が聞こえた。今すぐこんなことはやめてしまいたかった。口腔は乾ききっているのに、生唾を飲み込んだ。
「ゆるぎない、真理を築くために」
「ゆるぎない、しんりをきずくために」
這い上がってきたが、自分を盾に美鈴を庇う。排斥しようと腰に噛み付いてきた。もうそれは美鈴の母親とは、似ても似つかない形相をしていた。
「今、ここに誓う」
「いま、ここにちかう」
鳴り響く音はさらに大きくなっていく。これほど巨大な回路を見たことがなかった。それはすなわち美鈴の持つ潜在能力の高さを指し示していた。
「わが名はサカイズミ・ミレイ」
「わがなはさかいずみみれい」
腰の肉が噛み千切らた。歯を食いしばって、痛みをこらえる。
「さあ、ミレイ。君の力の意義を、君が願う力に名前をつけるんだ」
一瞬ほうけたが、すぐに目の奥に強い光をともして、彼女は震える唇を一度強く結んで宣言した。
「わたしの大切な者を傷付けるすべてを遠ざけてください」
歯車が、かみ合った。
巨大な回路が回りだす。
闇一色だった世界に、無数の本を納めた巨大な書架が溢れた。果ては一体どこにあるのか、見当すら付かない無限遠点のその先まで続く書架の列。
それらを収めたここは、あまりにも巨大すぎる図書館。そして顕現という存在しないものでも、強引に現実へ引き出す魔法に特化した美鈴にとって、この本は即ち武器だ。
この想像すらつかないほど大量の本は、彼女が顕現させられる武器の数ということになる。そしてこの空間の広さは、彼女の魔力を納める器の大きさを指す。
想像を絶する美鈴の能力に戦き愕然となりながらも、新たに生まれた魔法使いの少女にそれは三つ目の名前を与えた。
「カレック・ランド・ディボズィヒト・ツェゲッベン。それが今日から奪還者たる君の名だ」
美鈴の左胸に彼女の見たことのない言語で、彼女の力の名が浮かび上がった。
そして光が爆発した。




