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鴻鵠の娘  作者: 納戸
外伝 鴻鵠の国 3
31/50

蝶と薔薇

一章の最後に慶朝が思い出していた部分の補足です。

 

「僕はもう貴族じゃない。無一文の若造だよ。それでも君はいいの?」


「いい、余が欲しいのは葵家の三男じゃない。其方だ、月英」


 二人の運命はこの時やっと交わったと言っていいだろう。


 慶朝とて、この簡単な口約束で二人の関係が始まると考えていたわけではない。

当然、朝廷に連れ帰った黒髪の少年に周囲が向けた目には畏怖の念が込められていた。慣れているのか、月英はそれに対して恐がりも嫌がりもしない。ただ、慶朝の後ろで初めて見る王宮の装飾にその黒い目を輝かせていた。


 葵國の仙人と呼ばれていた月英を花額山から降ろし、官位を授けることを家臣の殆どが快く思わなかった。

 月英と同じく年端も行かぬ王であった慶朝の世迷言だと誰もが彼を糾弾した。

 慶朝もそれは分かっていたが、何しろ国試の制度が良くない。月英に詩歌の勉強もしろと言っても面倒だと言ってやらないだろうし、彼は馬術も弓術も習ったことがなかった。


 月英と話すようになって分かったことは、彼が興味のないことに関して極端にものぐさなことである。人間の頭にはそれぞれ容量があるが、彼の場合はそれが殆ど知識に使われてしまって人間や美術に対して使われる部分を残していないようだった。

 官位などいらないから君の話を聞けばいいのだろう、と月英は言ったがそれでは示しがつかない。慶朝は仮にも一国の王であり、既に葵家でもない月英から助言を貰って(まつりごと)を行うことができるはずもなかった。


 さらに困ることが、月英に貴族としての自覚が全くなかったことだ。

 別に深窓の姫君を迎えたつもりもなかったので機嫌を取ろうなどとは思わなかったが、月英の欲の無さは慶朝の予想を遥かに超えていた。


「月英、余は其方に衣服と侍女を与えたはずだったな」


 部屋の隅から庭の花を写生している彼に言うと、なんでもないように言葉が返ってくる。


「部屋さえくれればそれでいいと言っただろう。侍女なんかいてもこそばゆいだけだよ。僕は子雀ほどではないけど身の回りのことはたいていできる」


 それにしては身の回りが取っ散らかっている。これだけ少ない物でどうやって散らかしたのかと思ったが、殆どが紙と書物だった。


「で、送った侍女はどうしたんだ」

「みんな郷里に帰したよ」

「送った衣服や簪は?」

「病気の家族がいるというからあげたんだ」


 道理で紙と本以外何もないはずだ。月英に与えたのは慶朝が自由にできる邸宅のひとつだったが、来てみれば彼のためにつけた護衛以外の使用人が皆辞めていた。彼に送った服や菓子もなければ、庭を見ると植木まで無くなっている。


「余が送った侍女は皆、そこそこ名家の()()の令嬢だったはずだが」


 郷里に帰るはずがない。なぜなら歩いてもすぐ近くに彼女らの生家があるはずだからだ。


「そうなの、それは知らなかったな」


 本当に興味もなさそうな月英に慶朝は溜息を洩らした。

 月英に贈ったものとはいえ、元を辿れば慶朝のものをかすめ取っていくとは、問いただしてやりたいと思ったが月英は何も感じていないのだろう。

 仕方なくその隣に座り込んで手元を覗くと、描かれているのは桃色の花だった。彼は美術に一つの教養がなかったが、見たままを描くのはうまいらしい。


「庭の植木すらなくなっている気がしたが、それは残していたのか」


 月英が写生した花を、草花に疎い慶朝でも覚えていた。彼が桜國にはあるのかと聞いた芙蓉の花だ。一日でしおれるというその花はこちらに笑いかけるように優美に咲いている。


「綺麗だろう。僕の一等好きな花だよ」


 黒い瞳を細めて笑う月英の横顔を慶朝は静かに眺める。髪を整えて新しい衣服に着替えた月英は、六大家にあるべき美しい容姿の幼い少年にしか見えなかった。

 本当に彼を(まつりごと)に関与させるのが正しいのか慶朝には未だに分からない。それでも月英は案外嫌がるわけでもなく律令制や他にも諸々の制度について学んでいるあたり、そういうことを考えるのに向いていないわけでもなさそうだった。

 そして慶朝は月英を対価もなしに養える酔狂ではなかった。


「月英、なんでもいい。手柄を上げろ」


 そう言うと彼は手を止めてゆっくり頬杖をつき、ふーんと慶朝を見る。


()()()()()()()?」


「……その通りだ」


 なんの条件かというと月英を官吏として登用する条件だ。

 慶朝は自分の売り言葉に買い言葉を今更ながらに後悔した。家臣たちがあまりに反対したためそれなら月英が手柄の一つでも上げて見せると言ってしまったのだ。

 そんな若輩者の慶朝のことも分かっているのか月英は優しく言う。


「何か解決してほしいことはある?」


「解決してほしいことか。そうだな、紹という国を知っているか」


 もちろん、と月英は紙を一枚取り出して花興の横にその形を描いて見せた。

 花同様にその形は慶朝が知っているものと酷似している。月英は一度見たり聞いたりしたことは殆ど忘れないと言っていたが本当のことらしい。ただし興味の範囲外だとその法則は成り立たないらしく、覚えているということは紹の情勢が彼の興味の範囲内だったということだろう。


「そこが近々花興に攻め入るという噂がある。紹は農業国だが、近年麓と関わりを持ったことで青銅器の生産が盛んになってきている。刺激しても、下手に出てもこれからの国交に支障がでる。最近の悩みの種と言えばそれくらいだな」


「いいよ、じゃあ僕が彼らを追い返してあげる」


 そう言った月英の瞳は、まるで何でも知っている太古の獣が気まぐれにこちらを向いたように怪しく光っていた。



 ※


『いいよ、じゃあ僕が彼らを追い返してあげる』


 月英がそう言ってから三か月の時が過ぎた。


 彼は部屋から一歩も動かない。ただ時折商人を呼んで何やら話しているようであったが彼に連れられて街に出ることもなかった。

 街に出たと思えば書物を増やし、慶朝の屋敷は書庫のようになってきた。

 月英はいつも書物を自らの周りに放射状においては、様々な餌を啄む鳥のように知識を採取していた。慶朝が新しくつけた侍女は主人の意向通り出過ぎた真似を過ぎず、月英の生活の外側から彼を支えているようだった。


 それでも時間は無情に過ぎていき、なかには月英を国家に翳りをもたらす者だとか慶朝の愛人などと言い出す人間も出てきた。

 そんな状態を伝えると困った顔をして「もう少し待っておくれ」と言うが、慶朝もしびれを切らしそうになっていた。


 そうしていよいよ慶朝が国境近くで紹の軍と相まみえようとしている時である。遠眼鏡(とおめがね)を見た何人かが、慶朝のもとに慌てて走ってきたのだ。


「慶朝様!紹の軍が引いていくそうです!」


 慶朝も慌ててと砦に出て見ると、数日前まで近くに天幕を張っていたはずの彼らは馬に乗り、その背をこちらに向けていた。明らかにおかしいその行動に驚きながら、数日間奇襲に備えたが一週間たっても彼らが帰ってくることはなかった。


 長い夏が終わり秋が来る頃、月英は窓の近くに椅子を置き日の光に鉱物を向けて眺めていた。その手には写生用の帳面があり、走りこんできた慶朝を見ると嬉しそうに微笑む。


「慶朝、久しぶり。僕のことなんか忘れたと思っていたよ」


 それは月英がいつまで経っても動かないから軍部と揉めていたせいだと言いたかったが堪える。

 月英は息が切れている慶朝に椅子を引いてきて座るよう促してきた。彼の淹れたひどく苦い冷茶を流し込むとそれを置いて問いかける。


「月英、何をした?」


 そう聞くと月英は手の平を広げて慶朝に見せた。そこには、奇妙な形をした石が置かれている。


「これをね、大量に買い占めたんだ」

「それは何だ?」

「砂漠の薔薇という鉱石なんだよ。砂漠で水が干上がると、稀に産出されるらしい。薔薇のかたちに見えるものほど高値で取引されるらしい」


 そう言われると確かに奇妙な石は薔薇に見えてくるが、宝石や金のように輝いては見えない。こんなもの誰が買い求めるのだろうと不思議に思った。


「……それがどうしたというんだ」


 聞くと彼は視線を庭に移し、芙蓉の上を舞う蝶を見た。


「慶朝、()()()()()()()()()()という話を聞いたことがあるかい?」

「まさかそんなことがあるわけないだろう」


 そうは言っても月英の言うことだから何か根拠でもあるのかと彼の顔を凝視すると、しばらくして堪えられないように彼が笑った。


「例えだよ、実際あるかどうか僕も知らない」


 得体のしれないものを見るような目つきの慶朝に、月英は紹と花興とそれから(ろく)の地図を開いてみせた。


「僕の一手は秋瑾(しゅうきん)という街で舞った」


 そう言って月英は麓の中心部に位置する都市に赤い印をつける。


「それは麓の都市だろう?」


 慶朝が知る限り、秋瑾は麓の大都市のひとつで主に農業によって発展した都市だ。今でも多くの商家が国中に土地を持って商売を行っていると聞くが、紹に関係があるとは聞いたことがない。


「秋瑾という街は麓の穀物庫という別名がある。これはこの街が農作物によって財を成し、依然米や穀物の流通量が最も多いからだ。ここに所縁(ゆかり)のある成金貴族の彼らが最も欲しがるものは地位と名誉だ。麓の王家の家紋は薔薇なんだよ。薔薇の形をした石なんて田舎貴族の彼らが欲しがるに決まっているだろう」


 なるほど、彼らがこの鉱物を欲しがる理由は分かった。しかし、依然慶朝がよく分からないという話をすると彼はさらに麓の上に(かんむり)の絵を描いた。


「僕はこの石が多く出回る前に、ほんの少しを残して買い占めた。希少価値が上がると人はそれが更に欲しくなる。さらに今年は皇太子の笄冠の年だ。みんな気に入られる贈り物をしようと必死になるはずだ。慶朝、流行は作れるんだよ」


 笄冠、女性なら家長から簪を、男性なら冠を拝することで成人を迎えたことを祝う儀式のことである。貴族たちはこぞって国中の宝を彼に送るに違いない。

 そのために商人たちと話していたのかと思いながら、彼の考えていることがだんだんと分かってくる。

 まさか、というと月英はまるで異国の物語を語るように柔らかい口調で語る。


「秋瑾の貴族たちは皆こぞって、時には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()砂漠の薔薇を買おうとした。秋瑾の街は今年、穀物や米を取引してる場合じゃなくなってしまった」


 月英はそう言いながら、秋瑾の街から紹に向けて線を引いた。


「麓の穀物庫にはすでに米も穀物もない。でも、麓はもう一つ()()()()()()()()()()()()()


「……それが紹か」


 紹は農業の盛んな国だ。しかも大陸一の大国である麓に求められれば、拒否することなど出来ないだろう。戦のための兵糧など、その中ですぐに消費されてしまうはずだ。そうやって月英は彼らの兵糧を、つまりは武力を間接的に削ぎ取ったのだ。


「その通り。彼らは兵糧もなしに攻めて来られないから撤退するしかない。そういうことだよ」

「何故麓なんだ。紹では駄目だったのか」


 唖然としながら聞くと、月英は首を振った。


「麓の人間は奪うのが好きな新しいもの好きだ。紹の人間は新しいものに対して臆病すぎる。それに言っただろう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 人々を熱狂の渦に巻き込んだ幻の砂漠の薔薇が異国の少年によって巻き起こされた嵐なのだと、きっと紹どころか麓の人間も気が付かない。

 麓の王家はこの砂漠の薔薇が大量に送られて困っていることだろう。慶朝がその立場なら素直には喜べないと思った。

 慶朝が呆然としていると、月英は立ち上がって棚を開けた。

 途端、中から大量の砂漠の薔薇が転がり落ちていく。

 中には割れて砂のように散らばるものもあった。あまりにも脆い鉱物には虚しさが増していく。こんなもののために、二つの国が踊らされた。


「ここにある砂漠の薔薇を売れば、今は希少価値がある砂漠の薔薇も価値が大暴落してもっと困らせることもできるけどどうする?ここにあっても困るんだよね」


 月英は慶朝が何を思っているか分からないのだろう。苦笑しながら困ったように言う。


「……さすがにそこまでするとこちらの介入がバレて麓との国交は危うくなるんじゃないか」

「あたり、僕もそう思う」


 そう言いながら月英は零れ落ちた砂漠の薔薇を拾い上げて棚の扉を閉めてしまった。砂となった鉱物は秋の風に流されて庭に落ちていく。


 夢の欠片が、異国の地で散っていくとは秋瑾の街の誰もが知らない事実だろう。


 まだ暑いというのに月英の顔を見ていると寒気がした。


 彼の一手で国が、ひょっとしたら大陸が動く。それが証明された瞬間だった。



 ※



 その年、慶朝と官吏たちは紹と麓がたった十五の少年の手の平の上で踊らされたのを見た。慶朝の言った通り紹との国交にも(ひび)は入らなかった。


 これならだれであっても納得するだろうと思っていたのに今度は、慶朝は朝廷に化け物を迎えるつもりだと噂が立った。


「陛下、なりません。この少年は化け物ですぞ」


 そう、慶朝を戒める家臣に月英は反論するどころか同調して自分の登用をやめるように勧めた。


「慶朝、今ならまだ僕は山の中の仙人に戻れる。君は化け物を地に引き摺り出した皇帝にならなくてすむ」


「余の後ろ盾を失った其方はどうなる」


 そう問うと何でもないことのように彼は言ったのだ。


「死ぬだろう、それが僕の運命だ」


 少年の何を考えているのか分からない真っ黒の瞳に誰もが慄いて言葉を失った。

 けれど慶朝は、そんな運命は覆してやりたかった。

 まるで何年も生きた太古の生物のように揺らぎを知らない瞳で、それが天命だと言った彼はたしかに慶朝の友人の葵 月英だったのだ。彼の笑顔も、険しい顔も知らない人間が彼を化け物として裁くのが嫌だった。


 月英の手柄を並べてみると、誰も適うものはいない。蝗害を予想し、隣国の侵攻を退けた少年を追い出すことができるはずもなかった。


 官吏となった月英を、慶朝は正式に宮廷の端に迎え入れた。

 彼が入った小さな宮を、籠鳳宮(ほうろうきゅう)と言った。

 月英が実験や観察に使う部屋が欲しいというので与えたら、どうやら王は鳳を捕まえる籠を作ったらしいと噂されたのが癪に障ったので、逆にそのまま名前を付けてしまったのだ。

 その端で、いつも窓辺に向かって月英は書物を読んだり書きものをしたりしていた。相変わらず慶朝の決めたことに逆らうことなどなく、のんべんだらりと生きていた。


「月英、暇だろう。余の余興に付き合わないか」


 昼寝をしそうになっている月英の肩をつつくと、彼は欠伸をして面倒そうな顔をした。


「暇だけど、どうせ僕は長生きできないから一刻も無駄にはできないんだけどな」


「長生きさせるつもりだ」


 その言葉にムッとして慶朝は言い返す。彼を引き取った時点で無下にするつもりはなかったし、何度も守ってやると言ったはずだ。


「君と出会ってしまった時点でそれは無理だ」


 そう言うと慶朝が暗い顔をしたのが分かったのか月英は筆をおいて顔を慶朝の方に向けた。


「冗談だよ、そんな顔をしないでくれ」


 からかったことを謝るように言うが、彼は相変わらず何を考えているのか分からない。慶朝はむず痒いような感覚を押し込めて、彼の隣に座り込むともう一度話し始めた。


「なぁ、月英。異能を持つという蓮家の姫、蓮 白明(れん はくめい)の鼻を明かしてしてみてはくれないだろうか」


「蓮 白明?」


「知らないか。白明は其方と同じくらいの有名人だと思うのだがな」


 そう言われても貴族に詳しくない月英は蓮家の女性であることしか分からない。


 慶朝が何故か楽しそうなので二つ返事で「いいよ」と言ったが、この出会いが後の嵐を巻き起こす蝶の羽ばたきだとまだ月英ですら知らなかった。


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