([後]編-55)
一瞬の静寂。
急速に膨れ上がる、プレッシャー。
唐突に。謁見の間に燦燦と降り注いでいた太陽光が、陰る。
そう。宮殿内に設けられた豪華な謁見の間とは不釣り合いなその天井に開いた歪な円形の大穴から差し込んでいた日光が、遮られたのだ。
そして。その穴から、漆黒で巨大な物体が飛び込んで来た。かと思うと、謁見の間に、強烈な突風が吹き荒れた。
そんな局地的な竜巻でも発生したかのような状況は、数秒で収まり...。
「にゃ?」
「「...」」
登場した瞬間には翼があったような気がしないでもないが、もうお馴染みとなった巨大な黒猫が、目の前に鎮座していた。
まず間違いなく偽名であろうセバスチャンという仮称が浸透している怪しげな宰相代理殿と向かい合い、牽制し合いながらも、少しずつ黒猫が後退して俺たちの方へと近寄って来る。
何故に、黒猫の擬態?
しかも、鳴き声付きに進化!
俺は、心の中でそう盛大に突っ込みを入れながらも、深呼吸。
黒猫ドラゴンのダリウス氏にだけ聞こえる程度の音量に絞って、呟く。
「どうして、その姿なんだ?」
『おいおい、当然だろ。流石に、ドラゴンの姿は晒せないだろうが』
「そうなんだ?」
『当たり前だ。物好きな輩に纏わり付かれたら、如何してくれるんだ』
「成る程」
『俺様をどうこう出来る奴など存在しないが、有象無象の相手をするのは面倒なんだよ』
「はい、はい」
『...』
「ところで。猫の鳴き真似は出来るようになったのに、言葉は喋れないのか?」
『あれは、予め記録しておいた音波パターンを、風魔法の応用で再生しただけだ』
「ふむふむ」
『人語は、言葉の繋がりやニュアンスで微妙に音程を変化させるので、周波数の細かい上げ下げが必要になるからなぁ...』
「ああ、音声合成アプリに喋らすと違和感がある、あれな」
『ああ?』
「...」
『何だその、アプリって』
「いやいや、失言だ。忘れてくれ」
『まあ、俺様は些細なことに拘らないが...』
などと、俺と黒猫ドラゴンのダリウス氏がお馬鹿な会話を繰り広げている間に、この謁見の間にいた公国の重鎮や警備の騎士たちは、一人を除いて全員が避難を終えたようだ。
そして。俺たち以外で唯一この謁見の間に残っていたセバスチャン氏は、ダリウス氏の観察と考察を完了してしまったようだった。
相変わらず嫌味な程に落ち着いていて、面白い見世物でも眺めるかのように余裕シャクシャクの態度で、口元だけで微妙に嘲笑しながら俺たちを見ている。
「成る程」
「...」
「少し前に王国に対して仕掛けた小細工が、裏目に出ましたか」
「...」
「あのドラゴンの幼体に、保護者的な仲間がいたとは想定外です」
ダリウス氏の威圧感が、急激に高まる。
威圧の対象でなく背後に庇われる立場のシャロンちゃんとマリアちゃんが顔面蒼白になってしまっているのに、セバスチャン氏は、涼しい顔をしていた。
う~ん。手強い。
まあ、ダリウス氏にセバスチャン氏を排除して貰う予定は無いのだが、やはり、物理も魔法も腕力勝負になりがちなダリウス氏であっても、この場での保護対象を背後に背負っての戦闘は避けた方が良さそうだ。
ちなみに。ダリウス氏は、あくまでもエレノアさんの要請を受けての助っ人であり、単なるサポート役なので、俺の都合で俺が関わる問題解決のための戦闘において前面へと押し出す訳には行かないのだ。
という事で。予定通りに、ダリウス氏には、運搬係に徹して貰おう。
「シャロンちゃん」
「はい。アル様に、後はお任せします」
「ああ」
「マリアさん。少し場所を変えますね?」
「う、うん」
シャロンちゃんが差し出した手を、マリアちゃんが取る。
マリアちゃんと手を繋いだシャロンちゃんが、セバスチャン氏の死角へと移動。間髪入れず、巨大な黒猫へと近付いていく。
「ダリウス。任せた!」
『承知!』
黒猫の口から、竜の咆哮が放たれる。
ダリウス氏を中心として、強烈な暴風が竜巻のような形態で発生。
ボンっ。
というコミカルな音と共に、黒猫が、濃い煙幕に覆われる。
と同時に、竜巻のような暴風が一瞬、膨れ上がった。かと思ったら、綺麗に消え失せた。
そして。
その場には、俺とセバスチャン氏の二人だけが、取り残されていた。
「おや。為て遣られましたか...」
「...」
「ドラゴンまで出て来るのは想定外でした。戦闘を回避し保護対象の安全を優先するのも、予想外ですね」
「...」
「面白い。なかなか、楽しませてくれるではないですか」
セバスチャン氏は、笑っていた。
けど。その瞳は、全く笑っていなかった。




