第1話 太陽は誰の隣にも降りていけない――それでも僕はステージに立つ
枕元のスマホを手に取ると、通知欄がファンのコメントで埋まっていた。
「陽葵くんの笑顔で、今日も頑張れそう」
「新曲のダンス、指先まで綺麗で感動した」
「陽葵くんがいてくれるだけで、生きていける気がする」
一つひとつ、丁寧に「いいね」を押していく。
……僕、前世で何かやらかしたんだろうか。
いや、笑えないことに、それ本当に笑えない話なんだよな。
僕にはよく見る夢がある。
毎晩じゃないけど、繰り返し見る夢だ。
煤けた天井。軋む床。声を殺して泣いている、一人の女性。彼女の顔も名前も関係も、何一つわからない。わかるのはたった一つだけ。
僕が、この人を泣かせた。
目が覚めるたびに、指先まで凍えるような罪悪感に叩き起こされる。
心当たりは一切ない。
なのに魂だけが、確かに覚えている。
アイドルの雨宮陽葵、22歳。
前世の罪をなぜか引きずって生きている。
我ながら重すぎる。
AM 10:00 ダンスリハーサル室
「陽葵、そこのターン、重心もう少し低く。……よし、今のいいぞ!」
他のメンバーが休憩に入っても、僕は一人で鏡と向き合い続ける。
足を踏み直して、角度を確認して、また最初から。
「陽葵、お前またやってんのか。真面目すぎるのも病気だぞ」
樹がドリンクを差し出しながら呆れたように笑う。このグループ一の感覚派。
努力とか根性とか、そういう概念と無縁で生きてそうなやつだ。
「観にきてくれた人たちに、中途半端な姿は見せられないから」
「お前のその聖人っぷり、たまに怖いわ」
怖い、か。
自分ではそんなつもりはないんだけど。
ただ——完璧でいることをやめた瞬間、自分の中に何が残るのか。それを確かめるのが怖いだけだ。
それを真面目と呼ぶなら、まあそうなんだろう。
「たまには手抜いてもいいと思うけどな」
「……うん、そうだね」
頷きながら、できないとわかってる返事をする。
樹も薄々わかってるだろうけど。
PM 3:00 ファッション誌・撮影現場
ライトを浴びた瞬間、スイッチが入る。
「陽葵くん、もう少し憂いのある表情もらえる?」
カメラマンのリクエストに、ゆっくり目を伏せる。
意識するまでもなく、夢の残像が滲んできた。
暗い部屋。軋む床。冷たい手の感触。
その感覚をそのままレンズに向けると、シャッター音が鳴り響いた。
「完璧! この表情、毎回ゾクッとするんだよね」
(罪悪感が仕事に使われてる。笑えない、本当に笑えない)
撮影の合間、新人スタッフが躓きそうになった。
反射的に手を取る。
「大丈夫? ゆっくりでいいよ」
「あ、ありがとうございます……!」
何も考えずに動いていた。
誰にでも優しく、誰も傷つけないように。
そうしていれば、いつかこの罪悪感も薄れていく気がして。
あの夢の彼女に、少しでも釣り合う人間になれる気がして。
――なれるといいな、本当に。
PM 9:00 帰宅の車内
窓の外を夜景が流れていく。
「雨宮陽葵」がほどけていく時間だ。
今日何人と話して、何回笑顔を作っただろう。
なのに今この瞬間、車内には静寂しかない。
誰にでも平等に接するってことは、誰のことも特別に見ていないってことだ。
太陽は全員に光を届けるけど、誰かの隣には降りていけない。
……僕、誰かの隣に行けたことあったっけ。
窓に薄く映る自分の顔。
感情が載っていない。これが誰も見ていない時の、本当の雨宮陽葵だ。
「陽葵くん、今日もお疲れ様。撮影すごく良かったって」
「ありがとうございます」
街の光が滲んで、流れて、消えていく。
そのときの僕は、まだ知らなかった。
数日後。
何万という観客の中に、僕の前世を知る、たった一人がいることを。




