第8話 予言?
心の痛みに効く特効薬は無い。
たぶん……時間が必要なんだと思う。それも長い、長い時間が。
持田君のことは忘れようって決めた。アタシにはまだ早かったんだ。そう思うことにした。告られて、OKして、ちょこっと付き合って……で、フラれちゃった。今から思うと、アタシはいつも受け身で、何となく流されてただけ。ただ『持田君の彼女』を演じてただけなのかもしれない。
簡単に気持ちの整理ができるほどアタシは器用じゃない。けど、今のアタシには空がいる。かわいいアタシだけの天使。
しゃべるようになってからの空は、ますますアタシに甘えてくる。ひとりで遊んでるなって安心して他の部屋に行くと「ママ、どこ?」ってすぐにアタシを探しにくる。座ってる時なんて容赦なし。だーんと体当りしてきて「あた、あた、あったよ」ってアタシの顔中さわりまくる。『あった』って……アタシは探し物かよ!
(にしても何でこんなにくっつきたがるんだろ?)
なんだか二十四時間ずっと一緒にいるみたいな感じ。ホント不思議に思う。けど、小さい子どもってみんなそうなのかもしれない。こんな調子だと自分の時間なんて持てるはずがない。そう考えると母親って大変なんだなって思う。本当の親子じゃなくてもこれなんだから実の子どもなんてストーカーを家で飼ってるようなものなのかもしれない。
(たぶん……ストレスたまっちゃうんだろうな)
空は成長が早いからこの程度ですんでるけど人間の赤ちゃんだとそうはいかない。もし、いつかアタシが子どもを生んだ時はどうなっちゃうんだろ…。
* * *
あれ? ここ、どこだろ?
変な町……何で誰も居ないんだろ。
金網? ふーん。
こっから中には入れないんだ。だって町の真ん中がフェンスで囲ってあるんだもん。仕方ないよね。
けど確か……そこの道を曲がった所に車があるはず。
やっぱりあった。で、こうして後ろのドアから入れば……中心部に抜けるんだった。
そういえば空は? どこ行っちゃったんだろ? この中かな?
そうだ。このボロボロのビル。ここは裏口からこうやって細い階段上がっていくんだよね。
上の階は学校だから空はそこにいるはず…。
部屋の前で占い師のおばあさんが何か文句言ってる。
空は何の練習やってんのかな?
ああ、このイタチみたいな人が先生だった。
あちこちに転がってるのは……マネキン? 人にしか見えないけど。
空は……「ないない!」って何回も繰り返してる。
これって空がやったの?
ダメじゃない! 血がこんなに…。
そこで目が覚めた。
汗びっしょり。
(何だったの? 嫌な……夢)
となりを見ると空が『くの字』になって寝息をたててる。柔らかそうな髪が寝ぐせになってる。
(エアコンは効きすぎてないよね)
空のおなかにタオルケットをかけてやる。
(変な夢みちゃったから喉かわいたな)
キッチンに行って冷たい水を一気飲み。
「ふぅ。けど……なんであんな夢みたんだろ?」
なんだかカチャカチャうるさい。何気にリビングの方を見る。ケン兄ちゃんはまだ起きていてパソコンに向かってる。
「何やってんの?」
「え、あ、いやあ……そのちょっと反撃を」
「反撃?」
「ちょっと生意気な奴がいてさ」
「どこに?」
「掲示板」
「インターネット? こんな時間まで?」
時計を見ると午前3時をまわってる。
「こいつを涙目にするまで眠れん!」
「あ、そ。じゃ、おやすみ」
呆れた。ご自由にどうぞって感じ。
アタシは寝室に戻ってもう一度寝ようとした。けど、一度目が覚めてしまうとなかなか眠れない。
(それにしてもさっきの夢……)
断片的に思い出す。で、ぎょっとした。
(イタチみたいな人! どっかで見たような……)
しばらく考えてはっきりした。
(公園だ! 犬に襲われた時に見たんだった)
確かあの時、すれ違いザマに何か言われた記憶がある。何だっけ? そこまでは思い出せない。
(どうしてあんなキモい人が夢に出てきちゃったんだろ? それに空が人を傷つけちゃうなんて……)
せっかく空の『癒し』に安心してたのに!
もしかしたらケン兄ちゃんの悪意を眠っている空が無意識に受け取ってアタシにあんな夢をみさせたのかも?
アタシは空の寝顔にそっとおでこを寄せて目を閉じた。
(だいじょうぶだよね。空は悪い子じゃないもんね)
アタシは空を信じてる。空は必ずいい子に育ててみせる。そう何度も繰り返すことでアタシはさっきの悪夢を振り払った。
* * *
計算上は12日目で空は2歳を越えたことになる。で、今日が14日目だから、まさに今は『魔の2歳児』ってところ。最も目が離せない年齢って本には書いてあった通り、色んなものに興味を示すのはいいんだけど「危ない!」って場面も少なくない。イヤイヤの回数も増えたような気がするし、なんかアタシの思いと空の気持ちがすれ違うっていうか、かみ合わないことが度々あって困る。そんな時は(もう!)ってキレそうになる。けど、空をよけいに泣かしてしまった後で必ず後悔してしまう。
(ダメな母親だな……アタシって)
自己嫌悪の連続だ…。
アタシがヘコんでるとケン兄ちゃんが急に変なことを言い出した。
「完璧な子育てなんてものは存在しない」
「全然子育てに協力しないケン兄ちゃんに言われてもねぇ……」
「そりゃねぇだろ。俺だって一応、気を遣ってだな」
「あのね。気が向いた時だけ遊んであげたり、お風呂入れるだけってのは子育てじゃないんだからね!」
「きっついなぁ。美央ちゃんの旦那になる男は大変だな」
「大きなお世話なんですけど!」
アタシたちのやりとりを見守ってた空がぽつりと言う。
「ケンたん、めっ!」
アタシが叱るときの真似だ。
「おいおい。何で空にまで怒られなきゃなんねぇんだよ~ まったく父親は辛いよ」
「どこが? 百年早いって!」
「しゃくねん、はやい」
百年って言えてないけど、やっぱ空はアタシの味方なんだね。なんだかホントの家族みたいで楽しい。
「父親って言う前に働きなさい」
アタシが半分冗談で言うと空もそれに便乗する。
「ケンたん、むしょく、ケンたんむしょく」
(OK。空ってば……グッドジョブ!)
* * *
空と手をつないでの帰り道。信じられないことが起こった。
スーパーで買い物してた時から誰かに見られてるような気がしてた。あの独特の嫌な感じ。妙に落ち着かない。レジで支払いを済ませて早くその場を離れようと思った。けど、お店を出てすぐだった。アタシと空の前に男の人が突然、立ちふさがった。薄汚れたシャツにカーキ色の作業ズボン。年齢はケン兄ちゃんよかちょっと上ぐらい。髪がボゥボゥでちょっと目がイッてるような…。
(ひょっとしてこの人が私たちのこと見てたの?)
アタシは空を引き寄せて男の人を睨む。
相手は相手で気味の悪い笑顔を浮かべながらじっとこっちを見てる。
(頭がおかしい人? ちょっと誰か……)
周りに誰かいないかと思った瞬間、男の人が「ひゃは!」ってバカみたいな声をあげた。
(な、何?)
アタシは息を飲んだ。男が作業ズボンから何か取り出した!
(そ、それって……カッターじゃん!) どうしてこういう時に限って誰も居ないんだろ。
キモい男はブツブツ独り言を言ってる。
「殺す殺す殺す……」
(こ、声が……出ない)
まるでノドの奥に何か張り付いたみたいで声が出せない。助けを呼ばなきゃなんないのに! ヤバイ、ヤバイ……あせっちゃダメなのに…。
カチカチカチっとカッターの刃を出す音が不気味に響く。
(……守らなくちゃ)
アタシが盾になってでも……この子は守る!
男はカッターの刃をこっちに向けて一歩前に踏み出してきた。
震えが止まんない。てか、立ってるのがやっと。
(もうダメ! 怖くて目を開けていらんないっ!)
来るっ! って覚悟した瞬間、
『パンッ!』
この音は!?
はっとして目を開ける。
(……き、消えた?)
今の音。あの破裂音。てっきり空が……って思った。けど、目の前にいたはずの危ない男の人は、どこにも居ない。
「助かった? でも、今のは?」
男の人が立ってたはずの場所。そこにその姿は無く、代わりに落ちてたもの……アタシはそれを見つけて震え上がった。
「やっぱり……夢じゃなかった」
そこに落ちてた物。それはあの男が持っていたカッター・ナイフだった。
ほっとしたのと怖すぎたのとでアタシはもう立っていられなくなった。地面に膝をついて力が抜けた腕で空を抱き寄せる。
「怖かった……」
「こぁい。ママ、こぁいね」
「でも良かった。空が無事で」
「こぁいの、ないな、したお。ないな、よ」
「!?」
(そんな……それじゃ今のはやっぱり空が?)
アタシが驚いて空の顔をじっと見ると空は大きなあくびをした。空はトロンとした目をすると気を失ったみたいに崩れ落ちそうになる。
「そ、空?」
慌てて空を抱きかかえる。ぐったりしてるみたいだけど寝てるようにも見える。
(これって……力を使ったから?)
空の寝息を確認しながらアタシは立ち上がれないでいた。いまさらのように背筋がゾクッってした。
『パチパチパチ……』
誰かの拍手? ぎょっとして振り返る。
「!」
アタシは固まった。
(こ、この人……)
真っ赤なシャツに黒いチョッキ。異様に背が高くて頭が小さい。
(イタチ顔の男……ヤバイ。マジで頭が変になる!)
『……成長したな。いい具合だ』と、拍手の主は言った。
何のことだか分からないけどアタシはイタチ顔の男を睨んだ。
(この前の公園の時と同じだ。この人、まさか……空の能力に気付いてる?)
イタチ顔の男はニィと口元をゆがめて呟く。
『とはいえ、まだまだ甘いな。あの辺りまでが限界か』
イタチ男の目はアタシたちじゃなく、ずっと先の方に向いている。その視線の先をアタシも目で追った。けど、駐車場の向こうには大きな道があって、さらにその先はマンションとか家とかが密集してる。
(なんなの? 何言ってんのか意味わかんない)
『では、ごきげんよう』
イタチ男はそう言ってアタシたちに背を向けた。
その後姿が見えなくなるまでアタシは必死に考えを整理した。
(偶然、じゃないよね? あの言葉……絶対なにか知ってる! だったら何者?)
ダメだ。コシが抜けちゃったよ。空は熟睡しちゃってるし。とてもひとりで帰れる状態じゃない。
あまりにショックな出来事のせいでアタシはケン兄ちゃんに迎えに来てもらうことにした。
* * *
どれぐらい待ったんだろ?
ケン兄ちゃんが来るまでに結構、時間がかかったような気がする。
(スーパーの駐車場で放置されてるアタシたちが心配じゃないの?)
イライラしてたアタシは早速、文句を言う。
「遅いよ! なんですぐ来てくれないのよ?」
「悪ぃ。すぐに出たんだけどさ。なんかこの先で事故があったみたいでさ」
「は? 事故って何?」
「交通事故。何でも若い男が道の真ん中で寝てたらしい」
「なにそれ?」
「足ひかれて重傷だって。警察が首ひねってたよ。いつの間に車道に寝転がったんだろって。誰もその瞬間を見てないらしいよ」
「なんでそんなに詳しいの? まさかアタシたちのこと忘れて野次馬してたんじゃ……」
「い、いや。まあ、その。ごめんなさい」
その時、気がついた。それって、まさか…。
「ね、その事故って場所は?」
「へ? ああ、この近くだよ。ここからだと……あっちかな」
そう言ってケン兄ちゃんが指差した方向。それは、あのイタチ男が見ていた方角だった。
「ね、ねぇ。ケン兄ちゃん。まさか、そのひかれた男の人って……カーキ色の作業ズボンとかはいてないよね?」
「え? 何で知ってんの? 美央ちゃんも見たの?」
頭がクラクラっとした。ダメだ。ホントに気を失いそう。目の前が暗くなる…。
「ちょっと美央ちゃん! しょうがねぇなあ」
ケン兄ちゃんの声が遠くで聞こえる。と、次の瞬間、からだが浮く感覚。
(え? 動いてる?)
何だろ? この感触。微妙に揺れてるような……ちょっと不安定な感じ。
(おんぶされてる?)
頭が重い。けど、おんぶされてるって自覚はあった。
(ケン兄ちゃんの背中……意外に広いや)
ふだんなら絶対に恥ずかしい格好なのに……今はそんな余裕はない。
そしてアタシは目を閉じた。とっても疲れてたんだ。あり得ないような出来事のせいで…。
* * *
眠ってたのか、気を失ってたのか、どっちか分かんないけど……頭が重い。
(あ! 空は?)
ガバッと起き上がるとベッドの上だった。
「空!」
ふらつく身体を引きずるようにしてリビングに向かう。
そこに空の姿があることを確認してアタシはホッと息をついた。
「空……よかった」
ケン兄ちゃんと積み木遊びをしてた空がアタシに気付く。そしてスックと立ち上がるとトコトコと駆け寄ってくる。
「ママ、おっきちたの?」
「うん。起きたよ。空もネンネしたんだよね?」
「ん。そらもネンネちた」
しゃがみこんで空を抱きしめる。良かった。元気に遊んでるみたいで…。
「大丈夫かい美央ちゃん? まだ寝ててもいいのに」
「ううん。ありがと。ケン兄ちゃんが運んでくれたんだよね」
「まあな。いやしかし本当に参ったよ。重くってさ」
(重いとか言うなよ……そこで)
「けどアタシと空をどうやって?」
「ああ、それな。たまたまハマド達がスーパーに買出しに来ててさ。あいつらまた食パンばっかまとめ買いしててさ」
「食パンはどうでもいいんだけど」
「悪ぃ。で、アシムにベビーカー押してもらって、オレとハマドでかわりばんこに美央ちゃんをおんぶしたんだ」
「……え? 交代で?」
なんだ。ケン兄ちゃんだけじゃなかったんだ。
「だってさ。ずっとおんぶじゃ重くって……」
「重いとか言うなっ!」
まったく。空の前じゃなきゃケリ入れてるトコだよ!
「けど、ケガなくて良かったよ。ホント」
「そだね……」
危ない人に凶器向けられるなんて生まれてはじめて。何でこんな目にあわなきゃなんないんだろ?
只でさえショックなのに、あのイタチ顔の男がよけいにアタシを不安にさせる。
(空の力……確実にアップしてるよね)
それはあまりいい傾向じゃない。空は自覚してないみたいだけど。
「ママ、いっちょにあそぼ」
「ん。そだね。積み木?」
「ん。ちゅみき。おうちつくるの」
空の無邪気な笑顔を見てるとすごく癒される半面、妙な胸騒ぎがする。
(アタシが守ってあげなきゃ)
何もできなかったアタシ。でも……今度、空に何かあった時は必ずアタシが守るんだ!




