第5話 嵐の予感
夕方にユッ子の家に集合して浴衣に着替える。
ユッ子のお母さんがみんなの帯と髪をセットしてくれた。ユッ子は赤、キョウコは黄色、ミチカは水色、そしてアタシはピンクの浴衣。ちょうど4人の色が分かれてる。
「色、かぶらなくて良かったね」と、ミチカが笑う。
キョウコが団扇をバッサバッサあおりながら言う。
「なんかさ。ウチら何とかレンジャーみたいじゃない?」
「そだね。もう1人いればそうなるね」と、ユッ子。
それを聞いてキョウコがニヤリ。
「そしたらウチら……悩殺レンジャー!」
そう言ってぐいっと胸を強調したポーズを決めるキョウコ。
それを眺めながらユッ子が苦笑い。
「悩殺レンジャーって……キョウコ『ハレンチ』すぎ!」
「何言ってんの。浴衣は女の戦闘服だよ?」
あっけらかんとしたキョウコのリアクションに皆で大笑い。そんな感じでにぎやかに縁日に向かう。
* * *
カキ氷に綿菓子。青海苔が歯につくのでたこ焼きはパス。なのでイカ焼きをごはん代わりに縁日を楽しむ。けどそこは女の子同士。そこはやっぱり話題は自然と…。
「ねえねえ! あのお面屋のお兄さん。超カッコ良くない?」
「え~ ひょっとしてミチカおじさん好き?」
「おじさんじゃないって! ユッ子がさっき言ってたのよりはイケメンだと思うけど?」
「まぁまぁ2人とも。あたしはどっちもいけるわよん」
「キョウコは守備範囲広すぎ!」
そんなユッ子の突っ込みにもかかわらず、キョウコはすれ違った中学生ぐらいの男の子3人組にまでチラ見して愛想笑い。男の子たちのリアクションを見てミチカがクスクス笑う。
「ね。さっきの子たち。キョウコの胸ガン見してたよ~」
「ガキには興味ねぇ~」
カッコいい男を物色したり、中学生ぐらいの男の子たちの視線を楽しんでみたり、女の子四人でお祭り気分を味わう。
1時間ぐらい遊んだところでアタシの携帯が鳴った。持田君からだ。
『そっちは出れそう?』
「ん。大丈夫だよ」
『こっちもドサクサで抜けてきたんだ。じゃあさ。西口のたこ焼き屋の前あたりで』
「わかった。今から行くね」
電話を切ったところでキョウコたちに冷やかされる。
「うらやましいね~ このこの」と、キョウコには肘で突かれ、ミチカには「帯。直す時には連絡してね」って言われる。
意味がわかんなくて聞いてみる。
「え? 帯を直すって、どういうこと?」
するとミチカは意味深に笑う。
「脱いじゃった後」
「へ? な、な、何それ? アタシはそんな」
もう。なにエッチな想像してんだか! そんなことになるわけないじゃん。……わかんないけど。
とにかく皆に見送られてアタシは持田君との待ち合わせ場所に向かった。
あまり広い神社じゃないけどこの時間になると人ごみが凄くてちょっと焦る。
(ヤバ。化粧なおしてる余裕は無いよね……)
で、ようやく持田君とご対面。
持田君は「よ!」と、軽く手をあげてアタシのことを見る。
(なんか照れる……)
「浴衣いいじゃん! なんか大人っぽいし」
「……ありがと」
声にならないくらい小さな返事。やばい。いっぱい、いっぱいだよ。
「もうすぐ花火だな。ゆっくり観れる所に移動しよっか?」
「……うん」
アタシが頷くと同時に持田君が手を伸ばしてくる。指先をきゅっと握られてぐいっと引かれる。
(あ!)っと思ったけど一気にテンションが上がる。
(……手、繋いじゃったよ)
西口を出て打ち上げ会場に向かう。商店街にはたくさんの人が行き交っていてとてもにぎやか。そんな中を持田君に手を引かれてチョコチョコついて行くアタシ。なんだか小型犬が飼い主の後にくっついていく散歩みたいだ。
「やべー。もうすぐ始まっちゃうかな」
持田君がそう言った時だった。ポツンとひとつ。おでこに違和感。
あれ? って思ってたらまたひとつ、今度は腕にポツリ。
「マジかよ?」
持田君が天を仰ぐ。アタシもつられて上を見る。すると、ポッ、ポッ、ポッ、とリズミカルに水滴が顔に当たった。
(雨? そんな予報は無かったけど?)
周りの人達も気付いたようで不安そうに空を見上げる。いつの間にか上空を雲が覆っている。どこからか雷の音も聞こえてきた。
「マジで降んのかよ!」
持田君がうらめしそうな顔をする。と、同時にポツポツの間隔が短く、より強くなってアタシたちの居る場所を狙い撃ちしてきた。そして大きな雨粒があちらこちらで音を立て始め、やがて大雨になってしまった。
(やだ! どうしよ?)
突然の大雨に辺りはちょっとしたパニック。雨宿りできそうな場所を求めて持田君とアタシも走った。メインの通りから脇道に抜ける。どこかのお店の軒先で何とか雨をしのぐ。
「大丈夫か? 美央」
「うん。ちょっと濡れちゃったけど」
滝のような雨が凄い勢いで地面を打つ。その跳ね返りが足元を濡らす。おまけに雷があちこちでゴロゴロ。
「うえっ! カミナリ酷ぇな」
「花火できるのかな?」
「どうだろ。中止かもな」
「そんな……」
想定外の大雨。周りを見回しても誰も居ない。まるで陸の孤島に取り残されたみたい。
その時、ピカッと辺りが照らされて数秒後にドッカーン! 近くに落ちた?
(ひっ!)
思わず持田君の腕にしがみついた。地響きのような音の余韻。何気に彼の顔を見上げる。目が合った。
(あっ!)
……それは突然の出来事だった。目を閉じる間も無かった。
持田君の顔……持田君のくちびる…。
はじめてのキスは、ちょっぴり濡れたくちびる同士の出会いだった。はじめにヒンヤリ、そして広がっていくぬくもり……。余裕なんて、ない。震えをこらえながらくちびるで彼を受け止める。だんだん頭の中がジンジンしてきた。
しばらくしてアタシは目を開けた。持田君はいたずらっ子のような笑顔でアタシの様子を見てる。
「な。どうする?」
止まない雨。突然のキス。次に何をしようなんて言われても…。
その時、なんでか分からないけどフッと不安がよぎった。なんでか分からないけど『空』のことを思い出した。
(ちゃんと寝てるかなぁ……)
アタシがそんなことを考えてると持田君がもう一度聞いてきた。
「なあ。これからどうする? 浴衣も濡れちゃったし……」
(え? それって……どういう意味?)
怖くて口に出せない。まさか持田君…。
「ホテル行かね?」
「え……」
(そんな……急に言われても……)
「な。いいだろ?」
「……だめ」
思わずそう答えてしまった。すると……
(え?)
持田君の怒ったような顔! 『何でだよ』って顔してる。
(……なんでそんな顔するの?)
気まずい…。
ふと雨音の存在に気付く。まるで止まっていた時間がまた動き出したみたい。
「じゃあ帰んのかよ?」
その言い方。完璧、怒ってる。
(……エッチじゃなきゃダメなの?)
気分が落ちる。雨音が、うざい。
止む気配が無い雨の中、花火大会は中止というアナウンスが流れてきた。
(もう意味ないじゃん)
泣きたくなってきた。
ほとんど衝動的にアタシはその場から逃げ出した。
ただ独りになりたくって、びしょ濡れになりながら、ひたすらタクシーを探す。なんでか分からない。ただ、ただ、持田君のあんな顔を思い出したくなくって……アタシは逃げ出した。
* * *
部屋に戻ってから、とりあえず濡れた浴衣を脱いで着替える。お風呂に入りたかったけど空の様子が気になってリビングへ。
「……ただいま」
リビングをのぞくと空を抱っこしてたケン兄ちゃんが振り返った。
「あれ? ずいぶん早くね?」
「花火……中止になっちゃったの」
「中止? なんでまた?」
「大雨。雷も凄かったし」
「んなバカな。この辺、まったく降ってねえぞ」
「マジで? だってあんなに……」
そう言いかけて思い出した。確かにタクシーを降りた時、雨が降った跡は無かったような気がする。
「ホントにひどかったんだよ。花火が中止になるぐらい」
「ゲリラ雨なんじゃね? ていうか、もしかしたら空が降らせたのかもよ」
ケン兄ちゃんはそう言って笑う。
「どういうこと?」
「空がすっげえ泣くからさ。大雨でも降れば花火中止になって早く帰ってくるかもよって言ったんだ」
「まさか。いくら空でもそんな……」
「いや。分かんねえよ。なんせ悪魔の子だからな」
ケン兄ちゃんは冗談っぽくそう言うけど、さすがにそれはちょっと信じらんない。
空はというとケン兄ちゃんに抱かれてスヤスヤ熟睡してる。
「よく寝てるね」
「寝るまでが大変だったよ。こいつ、ずっと美央ちゃんのこと探し回っててさ」
「……そんな」
ケン兄ちゃんから空を受け取った瞬間、すぐ着替えさせなきゃと思った。
(たぶん泣き疲れたまま寝ちゃったんだろうな。ゴメンね……空)
ケン兄ちゃんに着替えを持ってきてもらって空をソファに寝かせる。で、服を脱がせて気がついた。空の膝小僧が赤黒くなってる!
(何これ? もしかしてハイハイでアタシのこと探してたから?)
膝のところが体育館の床で擦った時のように軽いやけどみたいになってる。そんな痛々しい跡を見て猛烈な自己嫌悪…。
(ごめんね。ごめんね……)
急に涙が溢れてきた。どうしようもなく涙が出ちゃう。タクシーの中でも泣かなかったのに。
(ごめんね。ごめんね……空)
空の泣きはらした顔に何度も謝る。
「どうした?」
ケン兄ちゃんが心配してくれる。けど、悪いのはアタシ。
「アタシ……ダメな母親だよね」
空が必死でアタシを探し回ってる時にアタシは…。
「そんなことないって!」
ケン兄ちゃんはそう言ってなぐさめてくれるけど、アタシが空をこんなに泣かせちゃったんだ。アタシは母親失格…。
申し訳ない気持ちがいっぱいで、そっと空の顔をなでる。すると突然、空が目を開いた。
一瞬、きょとんとした顔でアタシの方を見る空。そして次の瞬間、空の顔がくしゃくしゃに崩れる。
「んまんま! んまんま!」
空は泣きながら繰り返す。
「んまんま! んまんまっ!」
アタシがそっと抱きしめると空は一生懸命、アタシの首にしがみついてくる。
「んまんまっ! んまんまっ!」
(もしかしてママって言ってるのかな……)
いつもより強く空を抱きしめる。
「もうだいじょうぶだよ。ごめんね。空」
(ホントの母親じゃないのに。こんなに泣くなんて……)
頭をなでてやりながら思った。
小っちゃな子供にとっては母親がすべてなんだ。小さな子供には世界がひとつしかない。そして、そのちいさな世界には母親しかいない。たとえそれがどんな母親であっても、子供にとってはそれがすべて。だから空にとってはアタシが居ない世界は怖くてたまらないんだ…。
(ずっと抱っこしててあげるから……ゆるしてね。空)
* * *
8日目の朝。昨日の夜は空と抱き合ったまま寝ちゃったらしい。
空は空で1回も起きなかったし、アタシも疲れてた。目が覚めた時、一瞬、違う夢にジャンプしちゃったかと思った。
一晩、泣いたらずいぶん気分が楽になった。持田君のことも、空を泣かせたことも。
(今日は空といっぱい遊んであげよっと)
そう思ってベッドから起きる。
(今日の天気はどんなかな?)
何気なくカーテンをあけて気持ちのいい朝を迎えようとした時だった。
「……何これ?」
バルコニーに出るガラス戸…。
そのガラスになぜか大きな『ひび』が入ってる。それもひとつじゃない。まさかと思ってバルコニーに出てみた。するとやっぱり…。
「やだ……こっちも……」
リビング側のガラス戸にも同じように大きなひび割れが広がっている。
いったい何が起こってるのか理解できない。そして、今目の前にある現実が、ある事件を連想させた。
(ケン兄ちゃんのゲーム……あのときと同じだ。……これってまさか?)
昨日の夜も空は激しく泣いたらしい。それに気付いた時、背筋がぞっとした。
(まさか……まさか、空が……)




