第4話 すくすく育つ!
「マジで?」
そう言ったきりケン兄ちゃんはすっかり考え込んでしまった。
そりゃそうだ。いきなり『悪魔』なんてねぇ。ふつうはドン引きするよね?
「マジで?」
もう1回同じセリフを言ってケン兄ちゃんは目をパチクリ。
ケン兄ちゃんはゲームとかマンガとか好きそうだから、もしかしたら悪魔の存在を信じてくれるかもって思ってた。けど……さすがにこれは無理だよね。
「……なるほど。そういうことか」
「え? 信じてくれるの?」
「ああ。オレは現実主義者だが、適応力は人より高いんだ」
(適応力が高い人はニートやってないような気もするけど……)
まあ、それは黙っておこうっと。
「なるほどな。それなら空の異常な成長力の説明もつく」
「よかった。信じてくれる人がいて」
「そうか。それで分かった。悪魔の子なら不思議な力を持っててもおかしくはないな」
「不思議な力って?」
「ああ。今日、散歩に行ったときのことなんだけどさ」
「何かあったの?」
「うん。風船が木に引っかかってるのを空が見つけてさ。空のやつ、それに向かって手を伸ばしたんだ。届くわけないのにさ」
「へえ。かわいい」
「2メートルぐらいの高さかな。空はそれ見上げながら「あー」とか「うー」とかやってたんだ。そしたらさ」
「そしたら?」
「風船がスルスルって降りてきたんだよ。自然にな」
「風船が? 風に流されたんじゃない?」
「いや。そういう風には見えなかったな。まるで風船の方から空の方に近付いてきた感じだった」
「まさか。空が風船を呼んだとでも?」
「なんせ悪魔の子だからな。もしかしたらそうかもよ」
ケン兄ちゃんはそう言ってニヤリと笑うけど……笑うけど……それもアリかも。
「で、その風船はどうしたの?」
「ああ。しばらくベトベト触ってたけどすぐ飽きたみたいだな。空が手を離したらまた宙に浮かんでどっか行っちまった」
「お祭りかなんかの風船かしら」
「たぶんな。中にヘリウムガスが入ってたんだろ」
「じゃあ、やっぱりひとりでに降りてくるなんておかしいよね?」
「だから言ったろ。空が呼び寄せたんだよ。きっと」
やっぱり空は『悪魔の子』? で、悪魔みたいに不思議な力を持ってる?
だとしたら……それも能力なんかなぁ。
* * *
悪魔の子どもだってミルクも飲めばおむつも濡らす。おなかが空けば泣くし、機嫌が悪いとやっぱ泣く。その笑顔は見てるものに幸せを、泣き顔には母性を与えてくれる。笑えば天国、泣いたら地獄。
(うん。やっぱ、ふつうの赤ちゃんだよ)
こうやってお世話をしてるとホントそう思う。
変ってるっていえば、ちょっと成長が早いことぐらい。いや、66.6倍だから……ちょっとどころではないけど。でも、考えようによってはアタシが一緒にいられるのは夏休みの間だけ。だからその方がアタシのこと覚えてくれるかもしれないし。
(空がずっとアタシのこと覚えててくれたら……今の苦労も報われるんだけどなぁ)
そんな感じでいつものようにバタバタとお世話をして空を寝かしつける。
(ふう。やっと寝てくれた)
正直、この時間が一番ほっとする。携帯をチェックするのもこの時間。メールはユッ子とミチカ。簡単に返信して軽くため息。
(やっぱり無い……持田君からの電話)
きのう今日と2日間。続けて電話がないなんてはじめて。なら、こっちからかけてもいいんだけど……
(今10時過ぎかぁ。微妙。疲れて寝てたら悪いし)
そういえば自分から電話したことって1回もなかった気がする。電話だけじゃない。いつもアタシは持田君の誘いに応じてるだけ。そうだ。アタシっていつも待ってばかり。完全に受身なんだ。
(だから進展しないのかな……)
学校があればふつうに会えるのに。そう考えると夏休みっていいことばかりじゃないのかもしれない。
(べつに2日空いたぐらいで、どうってことないよね?)
なのに……なんだろ。妙にさみしい。
少しブルーな気持ちで空の様子を見に行く。薄明かりの中、ベビーベッドですやすや眠る空の顔にそっとほっぺを寄せてみる。やわらかくてスベスベしてる。
(空ってホントにかわいい!)
こうやって寝てるトコなんかホントに天使みたい。これで夜泣きしなければ本当に天使なんだけど。
それに赤ちゃんなのにキレイ。悪魔が美しいのは当たり前ってアノ人が言ってたけど本当なんだなぁ。
(長いまつげ……赤ちゃんなのに。きっとこの子はスッゴイ『イケメン』になるんだろうなあ。今のうちに唇奪っちゃおうかな。ふふ)
空のお口のトコに鼻を近づける。赤ちゃんのお口はコンデンスミルクみたいな甘い香りがする。
(やっぱ、かわいすぎっ!)
やだ……思わずチューしちゃったじゃん。
(空の初キスうばっちゃった! でも……アタシも同じだ)
赤ちゃん相手にファースト・キスって。アタシってば何やってんだろ。まるで吸い寄せられるようにキスしてしまった。
(だって、かわいすぎるんだもん!)
そう考えると赤ちゃんの魅力ってすごいと思う。これも一種の能力なのかな。そういや前に聞いたことがある。赤ちゃんが『かわいい』のは守ってもらわないと生きていけないからだって。
風船を引き寄せる能力。思わずチューしたくなるかわいさ。
(空ってやっぱ悪魔の子なんだね)
空の寝顔を見てるとそんなことを忘れそうになっちゃう。
――でも後になって思うと、この時すでに空はもういっぽうの『能力』をみせてたんだ……
* * *
5日目の朝。大変なことに気付いた。
「やだ! この子もう歯が生えてる!」
急いで育児書をめくってみる。赤ちゃんに歯が生え始めるのは……
「7ヶ月頃!?」
そっか。人間の66.6倍の成長力ってことは、1日で2ヵ月分ぐらい育っちゃうんだ。そうすると……
「やっぱ昨日の夜で7ヶ月ぐらいだよね? だいたい合ってるんだ」
けどもっと大事なことを忘れてた。
「離乳食!」
もっとちゃんと本読んでればよかった。
(てか、ふつうじゃないでしょ。もう離乳食なんて。全然、考えてなかったよ)
ホントは昨日から始めてなきゃなんなかったのに…。
「ごめんね。空」
とにかく本を見て離乳食を用意しなきゃ。
味付けは要らないんだよね。ふむふむ。固さはヨーグルトぐらいか。
(えーと。どれがいいんだろ? レシピいっぱいだけど)
結局、ごはんをドロドロに溶かして『おかゆ』を作る。
(よーく冷まして、と)
赤ちゃんスプーンで空のお口に運ぶ。けど予想通り空は顔をぷいっ。
「ね。空。おいしいよ。食べてみよ?」
スプーンの先っちょを強引に押し込む。でも、お口に入ったかなって思ったら……ヨダレといっしょに『おかゆ』がデローンと出てきちゃう。
もう1回、すぽっとお口に。すぐにデローン。
めげずにもう1回! またまたデローン。それの繰り返し。
(え~ん。全然ごっくんしてくれないよぅ。どうしよ)
泣きたくなってくる。けど「無理に飲み込ませないように」って本に書いてあるから、ちょっとずつチャレンジするしかないみたい。
(これは根気がいるなぁ……ふぅ)
* * *
お昼ごはんの後。空の笑顔を見ながら考える。
(空に感情が芽生えてきたのは嬉しいんだけど、それってその分『自己主張』も激しくなるってことだよねぇ……)
なんだか同じ泣くのでも前よかしつこいし、時々「わざと泣いてる?」って気がすることがあるし。思い通りにならないことが増えた?
(ていうかそればっかり?)
ちょっとしたストレスなんだけど、それがたまってくるとやっぱキツイ。相変わらず夜泣きするし。てか、夜泣きが一番辛いかも。お腹いっぱいになってるはずなのに寝てくれないし。何で眠くならないかなぁって不思議に思うくらい。
それよかもっと不思議なのは隣で空がワンワン泣いてるのに起きない人。昨日の夜なんかわざとケン兄ちゃんの枕元に泣いてる空を置いてみたのに、ちっとも起きやしない。それどころか相変わらず意味不明の寝言。
(昨日はなんだっけ? ……確か)
そうだ。昨日は寝言で「イ、インディアナ・ジョーンズ……だと?」とか言ってた! どんだけ変な夢みてんだか! 勿論、枕投げつけてやったけど。
とにかく子育てがこんなに大変なものだとは思わなかった。
(てか、『想像』超えすぎ!)
空の場合はすぐ大きくなってくれそうだけど、他のお母さんはどうなんだろ? よく耐えられるなぁって思う。マジで尊敬する。なんていうか、ずっと赤ちゃんのお世話してると段々自分の時間が占領されてって、いつのまにか支配されちゃってるような気分になってくるんだよね。だから「アタシは子育てマシーンじゃないっ!」って叫びたくなる時がある。いやマジで。ホントに機械になっちゃったんじゃないかって思うことあるもん。
そんな事を考えながら空の相手をしてると携帯が鳴った。
「あ~」と、すかさず空が興味を示す。いつの間にかお座りできるようになった空は手を伸ばしてアタシの携帯を触ろうとする。けど、口に入れようとするから危ないんだよね。
「これはダメよ。ヨダレでベトベトになっちゃうから」
「ぷーっ」
(空のそれは一応、怒ってるのかな? けど、かわいいブーイングだな~)
電話はキョウコからの花火大会のお誘いだった。
『ねぇ美央。あさって大丈夫?』
そうだった。夏休み前に約束してたんだ。そっか……あさってなのか。
「ごめん。ちょっと無理っぽい」
『マジで?』
「うん。今ね。赤ちゃんのお世話してるんだけどさ。うちのお母さん居なくって」
『え? 美央がひとりで面倒みてんの? ありえなくない?』
「まぁ色々あってね」
『んじゃ赤ちゃんも連れてくれば?』
「それは無理でしょ。まだ小さいから。人ごみとかはちょっとね」
『そっかぁ。超残念~』
「ホントごめんね。ユッ子とミチカにも後で謝っとくよ」
キョウコとそんな会話をしてるとケン兄ちゃんが昼間っからビール片手にすぅーっと目の前を通過した。
(あんたさえしっかりしてればね……)
ホント、うらめしい。けど、正直、身体が異様にダルいのも事実。それに気力が無いっていうか…。やっぱ、ずっと赤ちゃんといると体力も気力も奪われちゃうのかな…。
* * *
6日目。空がハイハイを覚えた。
昨日の夜、床でゴロゴロしてるなぁとは思ってたけど只やみくもに転がってたわけじゃなかったのね。
けど、最初はびっくりした。冷蔵庫を開けてたらいきなり足になんか絡みついて(何だろ?)と、思って足元を見たらリビングでお座りさせてたはずの空がくっついてるんだから!
(ワープした?)って本気で思った。
試しにちょっと移動してみると空は『犬かき』みたいにお手手で床をかきこんで、しゃかしゃかしゃかって追いかけてくる。今度はリビングまで移動する。やっぱり空はしゃかしゃかしゃかってついてくる。
(追っかけてくるのはうれしいんだけど……やっぱ早すぎるって)
人間の子供だと今日で10ヶ月目ぐらいだからハイハイしててもおかしくないんだけどさ。
やれやれと思って空を抱き上げる。ずっしり重い。日に日に大きくなってるんだなあと改めて実感。
抱っこしてもらった空は「あ~」って満面の笑み。
(ダメだ。この笑顔に萌えちゃう。この子の笑った顔見たら何も言えない~)
空とアタシだけの至福のひととき。
そこにケン兄ちゃんが割り込んでくる。
「今日は買い物行くか」
「買い物? どこに?」
「デパート。もう電車でも大丈夫だろ」
「たぶんね。けど、何買うの?」
「おもちゃ。それと本とかも必要だろ。服だってちゃんとしたの買ってやらないとな」
「ああ……そだね」
確かに空の服は近所のベビーショップやスーパーのもので間に合わせてばかり。すぐ大きくなっちゃうから仕方ないんだけど、たまには可愛いのを着せてあげたいよね。
「うん。ケン兄ちゃんにしては気がきくじゃん」
「まあ、それなりに謝礼は貰ってるからな。よし。今日は全部オレがお金出すよ」
「マジで? よかったね~ 空!」
そういうわけで今日は始めての遠出。3人で電車に乗ってお出かけだ。
* * *
駅、電車の中、デパートと移動している間も何となく居心地が悪かった。
原因はわかってる。やっぱ、アタシみたいなのが赤ちゃん連れてたらみんな見るよね。いったい幾つで生んだんだよっ! って思われてるんだろうな…。
けど、お買い物をしてるとそんなことは気にならなくなった。だって自分のものを買う時なんかよりずっと楽しいから。
(なんでだろ? 空の為って思うとついつい買っちゃうんだよなぁ)
おもちゃ売場で積み木、ブロック、ぬいぐるみ、車をまとめ買い。絵本を10冊。やっぱ歌は大事だからDVDも5本。お洋服売場ではケン兄ちゃんが青くなるぐらいに買いまくり! 店員さんに「ちょっとまだ大きいかも」って言われても空はすぐに大きくなっちゃうからわざと大きめのをいっぱい買い込む。配送してもらうぐらい買い物をして、アタシはすっかり満足した。
「いっぱい買っちゃったね~ なんかストレス発散しちゃった!」
アタシは大満足だけどケン兄ちゃんは半べそかきながらサイフの中を点検してる。
「そりゃ満足だろうよ。こっちのふところは……ヤバすぐる」
空はベビーカーの中ですやすや眠ってる。
「ね。お腹すいた。お昼食べてなかったし」
「そうだな。じゃ、最後に買うもの買ってからレストランに行くか」
「え? まだ買うものあんの?」
「ああ。じゃ行こうか」
(ひととおり必要なものは買ったつもりなんだけどな。他に何かあったっけ?)
不思議に思いながらケン兄ちゃんについていく。
何も言わずについて来いっていうからそれに従ってきたものの……ケン兄ちゃんが向かったのは呉服売場?
(さすがに七五三には早いんじゃないかなぁ)
そう思ってアタシがそれを言おうとすると、ケン兄ちゃんが売場の一角を指差して言った。
「ほら。好きなの選びなよ」
「選ぶって……あ!」
それは『浴衣』のコーナーだった。
「明日、花火なんだろ。行って来いよ」
そう言ってケン兄ちゃんは微かに笑った。
「ケン兄ちゃん……でも……」
「大丈夫だって。空はオレがみるから」
「けど……いいの? ホントに」
「おお。新しい浴衣着て息抜きしてこいよ」
「……ありがとケン兄ちゃん」
「さっさと選ぼうぜ。腹減ってるんだからさ」
「うん」
思ってもなかったプレゼント……正直、泣きそう。
感激してケン兄ちゃんがちょっとかっこ良く見えちゃった…。
* * *
部屋に帰ってカーテンレールに吊るした浴衣を見てうっとり。
色はピンク。正確には『紅梅色』ってお店の人は言ってた。ケン兄ちゃんはもっと明るいピンクを薦めてくれたけど、これでも思い切った方。本当は桜色でも良かったんだ。でも、こうしてみるとすっごい可愛い。柄は朝顔。花びらの色が、薄い青、淡い紫、赤紫の3色。朝顔って朝と夕方では花の色が変わってしまうからその3色なんだって。それ聞いてちょっと自慢!
(なんか浴衣見てニヤニヤしてるなんて怪しいよね。アタシ)
そこで携帯に着信。誰だろ……って持田君?
慌てて出る。
『よ! 元気にバイトやってる?』
「うん。大変だけど何とか……」
『こっちは毎日地獄だぜ。あの監督、絶対ドSだな』
「そんなに練習キツイの? 身体大丈夫?」
『もう筋肉痛のレベルじゃないな。今も湿布だらけだよ』
「そっか……毎日大変なんだね」
『おお。家帰ったらヘトヘトでさ。悪ぃな。電話も出来なくって』
「ううん。ありがと」
良かった。気にしてくれてたんだ。それが分かってホッとする。
『ところでさ。美央は明日、花火行くの?』
「え? うん。ユッ子たちと約束してるの」
『マジで? そっか……だったら途中で抜け出さねぇか?』
「抜け出す?」
『なんかさ。こっちはサッカー部みんなで行くみたいなんだけどさ。ぶっちゃけ嫌じゃん』
「そだね。先輩とか一緒だと楽しめないかもね」
『だろ? だから途中で抜けてさ。会わない?』
「でも……ユッ子たちに悪いような……」
(事情を話せばユッ子たちも分かってくれるかなぁ?)
『どうせなら2人で花火みようぜ!』
持田君はすっかりその気になってる。アタシもそれは嫌じゃない。てか、会いたいってのが本音。
「わかった。明日、電話してくれれば何とかするよ」
『よっしゃ! んじゃ、楽しみにしてるぜ!』
電話を切った後も、しばらく頭が火照るような感じ。
(何だろ? この感覚?)
久しぶりに持田君の声を聞けた! それに、お互いに抜け出して『密会』みたいにデートするって! 明日の花火大会がさらに楽しみになってきちゃった。もう一度、浴衣を眺めてひとりで照れる。明日はこれ着てデートだ。
(空には悪いけど……超楽しみ!)




