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最終話 願い事ひとつ

 お昼過ぎに目を覚ました空を連れてアタシたち3人は沖縄からの帰路についた。

 空はいっぱい眠ったせいかとっても元気で何かとアタシに甘えてくる。飛行機の中、空のはしゃぐ声がアタシの心を傷つける。空の笑顔を見てるとズギズキ胸が痛む。でも、空の前で泣くわけにはいかない。

(これって……辛すぎ……)

 やっぱりあの依頼主は悪魔だ! 

 悪魔の依頼主は空という『幸せ』を与えてくれた。でもその代償として想像を絶する『苦しみ』をアタシに与えた。まさに天国から地獄…。

 小さくて分厚い窓ガラスの向こうはまぶしい青空。鮮やか過ぎる青が目にしみる…。


  *  *  *


 空港の到着ロビーにはお母さんが迎えに来てくれてた。どうやらケン兄ちゃんが連絡を入れたらしい。

「良かったわ。美央も空ちゃんも元気そうで。でも心配したのよ!」

 そう言いかけたお母さんの表情が一瞬くもった。

「美央……何かあったの?」

「まぁ、ちょっとね」

 笑顔で応えたつもりだけどお母さんにはバレてるっぽい。

「ちょっとトイレに行きましょ。ケンちゃん。空ちゃんをお願いね」

 お母さんに手を引かれてアタシは人の居ない所に連れて行かれた。

「とても旅行を楽しんできたようには見えないけど?」

 お母さんはやっぱ鋭い。すぐにアタシの異変に気付いてるもん。

「ね。何かあったんでしょ? 空ちゃんに関係することなんでしょ?」

「うん……」

 なんだか急に泣きたくなってきた。空の前では必死にガマンしてたものが一気にあふれ出してきた。思わずお母さんに抱きついてしまう。

「お母さん……」

「美央……」

 しばらく泣いてからアタシは空と二度と会えなくなってしまうことを正直に話した。

 お母さんはアタシの頭をなでながら「そう」と、小さくため息をついた。

「美央。偉かったわね。よく我慢したと思う」

 その言葉にまた涙があふれてくる。もうグジャグジャだ。

 お母さんはアタシの頬をなでながら呟いた。

「私も何て言っていいかわからない……でも、今は我慢しましょ。空ちゃんとお別れするまでは」

―― 空とお別れ

 それを想像しただけで息苦しくなる。

「美央。今は精一杯、空ちゃんのために笑ってあげましょ。残された時間はあとちょっとしかないんだから……」

 お母さんの言うとおりだ。アタシに残された時間は少ない。その間、アタシが悲しい顔を見せちゃいけないんだ。最後の瞬間まで空を楽しませてあげなくちゃ。幸せな気持ちで送り出してあげなきゃ。

―― 空のために……笑おう


  *  *  *



 29日目。今日は空と過ごせる最後の一日。色々考えたけどなるべく今までどおりに過ごそうって決めた。朝ごはんをみんなで食べて、散歩に出かけて公園で遊ぶ。買い物に行って好きなお菓子を一個だけ買ってふたりで食べる。空の気に入ってる絵本をたっぷり読んであげて一緒にお昼寝する。夕方までおもちゃを使って3人で遊ぶ。

 そして晩御飯の時にささやかなパーティを開くことにした。これは昨日の夜ケン兄ちゃんと相談したことなんだけど空がうちに来てから一度もお誕生日のお祝いをしてなかったから一度ぐらいはパーティをしようってことで。

―― 最初で最後のサプライズ・パーティだ。

 空はごちそうを並べるお手伝いをしてくれた。

「すきなものがいっぱい!」

 空はワクワクしながら料理をながめる。これから何をするか知らせずに飾りつけも手伝ってもらった。空は不思議そうに「なにをするの?」って何度も聞いてきた。けどアタシは「内緒」ってごまかした。

 で、いよいよパーティのはじまり。

 ケン兄ちゃんがこっそり買ってきたケーキをテーブルの真ん中に置いて空に種明かしする。

「今日はね。空のお誕生日のお祝いなの」

「……おたんじょうび? そらの?」

「そうよ。絵本でもあったでしょ。クマさんのお誕生日パーティのお話」

「あ、そっか!」

 空の目が輝く。

 ケーキにはロウソクを5本立てた。そして明かりを消して、お約束のバースディ・ソングとロウソク消し。空はとっても嬉しそうに「フゥーッ」って息を吹きかける。でも初めてのことなので一回ではロウソクが消えない。ほっぺをふくらまして一生懸命な空を見てるとホントにホントに胸がきゅんとなった。これが最初で最後だなんて考えたくない。

 ケン兄ちゃんがにっこり笑って言う。

「さてと。お楽しみはこれからだぜ」

 次はプレゼント・タイム。これまたケン兄ちゃんがこっそり仕込んでたおもちゃのセット。空が欲しがってたおもちゃをまとめて五つ大サービス。

「うわぁ」

 空のテンションが最高潮になる。おもちゃのバイク。何とかレンジャーのロボット。鉄砲みたいな武器。ブロックのセット。そしてアタシがずっとダメって言ってた携帯ゲーム機。

「ね? どうしてきょうはオモチャがいっぱいなの?」

「それは……」

 いずれ言わなくちゃいけない事。でも、それは空にとって一番残酷な事。

 今は黙ってても明日は確実にやってくる。これが最初で最後のパーティ。そう思うともう限界。これ以上、隠しておけない…。 

「あのね空。ママの言うことをよく聞いてね……」

 するとケン兄ちゃんの手がアタシの言葉を遮った。ケン兄ちゃんはアタシの顔を見て小さく頷いた。自分が話すつもりなのかもしれない。

「あのな空」

「ケン兄ちゃん!」

「いいんだ。オレが話す」 

 いつもより真剣な顔つきでケン兄ちゃんは空の顔をじっと見つめた。そして静かに語りかけた。

「何で今日はオモチャがいっぱいかっていうと、それは……みんな空が大好きだからなんだ」

(……ケン兄ちゃん)

「パパもママも空が好きだ。大好きだ。だから空の喜ぶ顔を見てるとパパとママも嬉しくなるんだ」

 空がちょっと驚いたようにたずねる。

「パパとママも……うれしいの?」

「そうだ。人間は自分の大好きな人が喜んでくれるのを見てると自分も嬉しくなる生き物なんだ。分かるかい?」

「……あい」と、空が小さくうなずく。

「だから……それを覚えておいて欲しい。ずっと」

 ケン兄ちゃんの言葉…。

 アタシも同じことを思ってた。空が魔界に帰っても今の言葉を覚えていてくれたら…。今、この瞬間の気持ちをずっと忘れずにいてくれたなら…。この子は『悪い悪魔』になんてならない。きっと…。


 その日は夜遅くまで3人で遊んだ。

 いつもは「もう寝なさい」と言うアタシが「好きなだけ起きてていいよ」って言ったから、空は大はしゃぎ。みんなテンションが高くなりすぎて、いつの間にか……そう、いつの間にか寄り添うように眠った。明日なんて永遠に来なければいいのにって願いながら…。


  *  *  *



 今日は約束の日。昨日は夜ふかししたせいで3人とも遅きるのが遅くなっちゃった。悪魔の依頼主がいつ迎えにくるかは分からないけれど今朝も昨日と同じように朝ごはんを食べてから公園に行く。空は念願のおもちゃバイクに乗りたくてうずうずしてる。そんなワケで3人そろって近くの公園で遊ぶことにした。

 おもちゃのバイクを乗り回す空はホントに満足そう。片足をバイクに乗せて走り回る姿はかわいいんだけど見てて心配になってくる。

「空~ 転ばないように気をつけてねー!」

「あい」って片手をあげる空。片手運転の方がよっぽど危ないんだけど。

 ケン兄ちゃんが苦笑する。

「空はいまだに『はい』が『あい』になっちゃうんだなぁ」

「いいじゃん。かわいくて」

「結局、最後まで舌足らずなのは直らなかったな」

「しょうがないでしょ。まだ一ヶ月だもん。生まれてから」

 こうやって元気に遊ぶ空を見てるとこのままずっと時間が止まってくれればって思う。たった1ヵ月だけど空との思い出はたくさんありすぎて…。

 のどかな公園の光景を見てると、なんだかここだけ時間がゆっくり流れてるような気がした。アタシは空を見守りながら密かに考えてたことを口にしてみた。

「ね、ケン兄ちゃん。……空を連れて逃げちゃダメかな?」

「……3人で、かい?」

「……うん。逃げて逃げまくるの。いけるとこまで」

 それを聞いてケン兄ちゃんは「やれやれ」と首を振った。

「実はオレも同じこと考えてた」

「え? そうなの?」

「ああ。相手は魔界の大物だけど全力で逃げれば時間稼ぎぐらいは……」

 そう言うケン兄ちゃんの横顔は今までないぐらい素敵に見えた。

 と、その時…。

『無駄なことを……』

「え!」

 振り返るとやっぱり悪魔の依頼主。

『そろそろ時間だ。息子を返してもらおう』

 その言葉にアタシは茫然と立ち尽くす。

(やっぱり返さないとダメなのね……)

 だめもとで聞いてみる。

「……契約延長とかできないの?」

『それは無理な相談だな』

 がっかりだ。

(けど……もともと無理があったんじゃない?)

 ふとそんな疑問をぶつけてみたくなった。

「ね、なんでアタシなの? 何でアタシを選んだの?」

 悪魔の依頼主はチラリとアタシの顔を見て呟く。

『それは、純粋だからだ』

(や、純粋って……そうかなぁ)

『正確に言えば単純』

(ん? 単純?)

 アタシのリアクションを冷静に眺めていた依頼主は少し表情を崩した。

『あの子と共に笑い、怒り、感じることができる母親でなければならなかった。一緒に成長するような人間であることが条件だった』

(なんだか分かるような分かんないような……)

『私が試したのは「人間」そのものなのだよ』

「……試した?」

『前にも言ったようにあの子は天秤だ。そして結果は……』

 バイクで遊ぶ空をチラ見して悪魔の依頼主は微かに笑った。

(アタシの育て方は間違っていなかったのかな……)

 正直、自分では分からない。でも悪魔か天使かって聞かれれば、空は…。 

「マーマ?」

 いつの間にか空がアタシの足元に来てた。

「このひと、だあれ?」

「あ、そ、それは」

 言葉に詰まる。なんて説明すればいいんだろ。でも、もうこれ以上は隠しておけない。

『息子よ。そろそろ時間だ』

 悪魔の依頼主はパチンと指を鳴らした。すると、いつの間にか依頼主の横に女の子が立っていた。

(……悪魔のコスプレ?)

 なんだかアニメに出てくるような不思議な格好の子だ。歳はアタシと同じぐらいだけど…。

「これ、だあれ?」

 空が依頼主の横に立っている女の子を指差した。

 その質問に依頼主が答える。

『お前の姉だ』

 意外な答えにアタシも驚いた。

「え? 空にお姉ちゃんがいたの?」

『そうだ。これからは姉の『りーゅ』がお前の母親代わりだ』

 空はぽかんとしてる。たぶんお姉ちゃんの意味がわかってないんだと思う。

 依頼主は空と向き合う。2人ともお互いの顔をじっと見る。まるでテレパシーで会話してるみたいに見える…。そのうち、だんだんと空の表情が固くなっていく。そして空がぽつりと口を開いた。

「ほんとのママ……じゃないの?」

『そういう事だ』

 空はアタシの顔を見て言った。

「ママは……ママは、そらのママだよね?」

 もう……これ以上は…。

 涙がこぼれ落ちそうでアタシは静かに首を振った。

 空の目に涙があふれてくる。


 いつもなら声をあげて泣くくせに。


 わざと駄々こねてアタシを困らせるくせに。


 どうしてこんな時だけ……そんな目でアタシを見るの?


『ではそろそろ帰るとするか。行くぞ息子よ』

「……やだ……ママといっしょにいたい!」

『何を言っている? お前は魔界で永遠に生き続ける存在なのだぞ』

「ヤダ、ヤダ、ヤダ! ママがいい!」

 必死でアタシの足にしがみついてくる空をぎゅっと抱きしめる。

 依頼主は空に語りかける。

『愚かなる息子よ。お前はここにいてはならぬのだ。人間はいずれ死ぬ。お前の愛する者が次々と消えていくのを見守るのは辛いことだぞ』

 空が取り乱すのを見て姉のりーゅが表情を曇らせる。

『父上。やはりもう少し期間を延ばした方が……』

『ならん。契約は守らねばならない』

『しかし……』と、りーゅは美しい眉を寄せて首を振った。

 突然、空が「はなして」と、アタシの胸を両手で押し返した。で、アタシが空を離すと空は両手を前にして叫んだ。

「ないな!」 

 でも……悪魔の依頼主はケロってしてる。

「ないな! ないな!」って泣きながら繰り返す空。

 けど、りーゅの前髪がふわっと揺れるだけで何も起こらない。

 悪魔の依頼主はフンと鼻で笑う。

『無駄だ。お前の力では我々を飛ばすことは出来ない』

 空はハァハァしながら眠気とたたかってる。

(やっぱ『ないな』した後は眠くなるんだ……)

 いつもの空ならここで力が抜けてそのまま眠ってしまう。なのに今日の空は違う。空は一生懸命に足をふんばってる。眠ってしまわないように泣きはらした目を大きく開いてがんばってる…。

 必死で立ち向かう小さな姿に胸がしめつけらる。

(空。もういいよ……そんなに頑張らなくても……)

 フラフラになりながら目に涙をためてる空。

 もうこれ以上、見てらんない。

「やめて!」

 アタシは叫んだ。そして悪魔の依頼主『ベルゼブブ』に向かって言った。

「約束……なんでも望みを叶えてくれるんだったよね?」

『そうだったな。構わぬ。何でも良いぞ。ひとつだけ願いを叶えよう』

「また会いたいってのはダメかな?」

『それは駄目だ。前にも言った通りだ』

「そっか……じゃあ……」

 アタシは目を閉じた。そして願った。口に出さなくてもベルゼブブには十分伝わるはず…。

(……これがアタシの願いごと。これならできるでしょ?)

 アタシは目をあけて心の中でベルゼブブに話しかけた。

 ベルゼブブはアタシの顔をじっと見つめて一瞬、迷うような仕草をみせた。けどアタシの思いを感じてくれたのか小さく頷いた。

『……よし。いいだろう。では願いを叶えよう』

 ベルゼブブはそう言って黒マントを翻した。その瞬間にアタシ達の周りの温度が急に下がったような気がした。突然、紫色っぽい霧が立ち込めてアタシたちを取り囲む。そして急激な立ちくらみ。

(……空は? )

 視界に入ってきたのは空の悲しそうな顔。り-ゅに抱かれながら小さな手のひらを伸ばして……何か……何か言おうとしてる?

(空……空!)

 紫の粒子が濃くなって視界をさえぎる。

(空の顔がよく見えないよ)

 それに頭がぽぉっとして……薄れ行く意識の中でアタシは願った。

(ゴメンね……空。ずっと一緒にいたかったけど、あなたは魔界で永遠に生きて。ずっとずっと幸せでいてね)

 さよなら……アタシの空…。

 アタシは精一杯の気持ちをこめて最後に秘密のおまじないを送る。

―― 離れてても……心はひとつだよ。



 ふと我に返ると紫色の霧も妙な寒気もどこに消え失せてた。

 公園にはアタシとケン兄ちゃんしか残っていなかった。

 ケン兄ちゃんは隣で目をパチクリさせてる。

「え? なんだ? あれ?」

 ケン兄ちゃんはアタシのことをチラリと見て首を傾げる。やっぱり気付いていない。ケン兄ちゃんはキョロキョロ周りを見回して驚いている。

「ここはどこだ? てか……オレ何やってんだ?」

 ケン兄ちゃんは携帯を覗いて首を傾げる。そして慌てて走り出す。慌てなきゃなんないような生活してないくせに。

(さすが四大実力者……いい仕事してる)

 アタシが依頼主にお願いしたこと。それは……

―― アタシ以外の人の記憶をすべて消してください

 この1ヵ月間に空に関わったすべての人の記憶を消すこと。でも誰かが空のことを覚えててあげないとあんまりだからアタシの記憶だけは消さない。

 空が居なくなって誰も傷つかないように。そしてなにより空が悲しまないように。傷つくのはアタシだけでいい。

 空と出会えたのは奇跡。お別れするのは悲しすぎるけど空とすごした時間は宝物。

 だから、アタシだけは……空を忘れない!


  *  *  *


 空のいた痕跡はどこにも残っていない。携帯で取った写真もみんな空の姿だけがすっぽり切り取られたみたいになってた。お母さんは空のことをまったく覚えていない。あの後、ケン兄ちゃんには会ってないけどたぶん同じだと思う。一度だけ、あのマンションに行ってみたけど郵便受けには『666号室』は存在しなかった。ちょうどその時、ハマドとアシムがスーパーの袋を提げて帰ってきた。でも2人ともアタシに気付くことなく通り過ぎていくだけ。やっぱり空は最初から居なかったことになっているみたいだ。


  *  *  *



 何もしなくても時は流れる。今、この瞬間は昨日のそれとは確実に違う。人は皆、無意識に時の流れに身を任せて生きている。けど、失ったものが大きい時ほど人は時の流れに置いていかれてしまったように感じてしまう。

 誰かを思って過ごす秋は濃く、誰かを思い出しながら迎える冬は冷たい。

 あれから二ヶ月……アタシは失ったものの大きさを嫌というほど思い知らされた。毎晩のように空を思い出しては静かに泣いた。心にぽっかりと空いた穴はあまりに大きすぎて何をもってしても永遠に埋められないような気がした。


  *  *  *


 12月のある日。街中で小さな子供がお母さんに甘えるのを見た。強く胸が痛んだ。

(もしかしたら……空が甘えんぼだったのは子供でいられる時間がすごく短いからだったのかもしれない。だったら……もっと甘えさえてあげれば良かったな)

 今さらだけど後悔した。

(……空は元気でいるのかな?)

 冬の青空を見上げて冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む。

 この空は大地より広く、海より広い。この大空の下でならこの世にお互いが存在する限り必ずどこかで繋がってるはず。でも、空はこの大空の下のどこにもいない。

 どんなに会いたくても会いに行けない。

 もう二度と会えない。

 それならせめて……いつか自分に子供が生まれた時、男の子でも女の子でも名前は『空』にしようって思った。

「あ、遅刻……」

 ふと時計を見てあせった。ぼんやりしてたらもうこんな時間。また学校に遅れちゃう。

 アタシは早足でバス停に向かう。

(あーあ。やっぱ間に合わなかったか)

 たぶんバスが行った直後なんだろう。バス待ちの人は一人しかいない。

(やれやれ)と、思ってマフラーを首に巻き直す。ため息が白く漂う。

 ふと先客を見てはっとした。

(カッコイイ……)

 ウチの学校の制服みたいだけど見たことのない男の子。形の良い体型。目鼻立ちがハーフみたいにキレイ。

 少しずつバス停に近付きながらその男の子に見とれてしまう。

(この時間帯にこんな男の子いたっけ?)

 そんなことを考えながらそっと後ろに並ぶ。男の子は大通りの方をぼんやり眺めててアタシには気づかない。

(そういや最近恋愛もしてないな……)

 いやいやいや。ダメだ。アタシってば何を期待してるんだか…。

 ふいに男の子が振り返った。びっくり!

(そんな。心の準備が……)

 目が合った瞬間、男の子は「あ」と、言ってその大きな目を丸くした。

「あ、ども」

 アタシはバカみたいなリアクションで軽くおじぎをしてしまった。知り合いでもないのに!

 すると男の子は目を細めてすっと両手を持ち上げた。

(え? なに?)

 何するつもり? ってアタシが首を傾げても男の子は動作を続ける。

 両手を胸の高さにして手のひらでハートを作る。そして右手を前に、左手を胸にトン、トン…。

 その動きを見て息が止まりそうになった。

 胸がいっぱいで、目の前が涙で滲んで、まるで夢の中にいるみたい。

 アタシが立ち尽くしてると男の子はすっと手を差し伸べる。そして…。

「会いたかったよ……ママ!」

 そう言って悪魔の子は、天使のように笑った。


【おわり】


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