第12話 海の青、空の青
おとといの夜に空がひきつけを起こした時は『旅行は無理かな』って諦めかけてた。けど思い切って来てよかった。
はじめて降り立った沖縄は風が気持ちよくって全然イヤな暑さじゃない。
(夏の沖縄ってサウナの中みたいなイメージがあったけど、全然そんなことないんだ)
車でホテルに移動するまでに見た光景は日本なんだけど日本じゃないみたいな雰囲気。うまく言えないけど……鮮やかな青、いきいきとした植物の緑がいっぱいで、なんだかワクワクしてくる。
アタシたちが泊まるホテルは那覇空港からは車で40分ぐらい走った海岸にあるリゾートホテル。空はプールも海も未体験。だから両方いっぺんに楽しめるように敷地内に専用ビーチがあるホテルを選んだ。旅行会社の人に言われたけど一週間前の申し込みでお盆休みのこの時期にホテルが取れるなんてホントにラッキーだった。
* * *
チェックインしてさっそく泳ぐ準備。
「ね、海とプール。空はどっちから先に行きたい?」
「……どっちでも……いい」
「あれ? テンション低くない? 水遊びは楽しいよ」
「でも……ちょっとこぁい」
「だいじょうぶだよ~ ママがついててあげるから」
「あい……」
空はあんまり乗り気じゃないみたい。だけど慣れれば絶対ハマると思う。水遊びがキライな子供なんていないはずだもん。
「さ、じゃ先に水着に着替えちゃおうか」
「あい」と、空はパンツを脱ぐ。
「はい。じゃあこっちの足……で、反対側」
「なんか……はずかしいよぅ」
最近、空はお自分でお着替えをしようとする。一生懸命ボタンをはめようとしてるトコなんか見てると萌えちゃう。だけどつい手を出しちゃうんだよね。まだ赤ちゃんの時のイメージが強いからなのかな?
「はい。準備OK。じゃあアタシも着替えてくるね」
そうだ。その前に浮き輪とイルカさんに空気入れないと。
「ね、ケン兄ちゃん。空気入れよろしくね」
「うぇ、めんどくせ……」
「まだ着替えてないの? 時間がもったいないんだから早くしてよね」
「え? 俺も入るの?」
「あったりまえでしょ!」
「でも海パン持ってきてねぇぞ」
「買ってきなさい! 1階のショップで売ってるから!」
「マジかよ……」
せっかく沖縄まで来たのに泳がないなんて何考えてんだろ? まったくケン兄ちゃんは…。
* * *
まずはお子ちゃま用の浅いプールにチャレンジ。
「空、おいで! 浅いから平気だよ」
「ん……でも」
空はキョロキョロしながら落ち着かないようす。ちょんと足先で水面をつついて困ったような顔をする。
(やっぱ、はじめてだから水がこわいのかなぁ)
「だいじょうぶよ。大きなお風呂だって思えばいいの」
空は、まわりの子供たちがはしゃいでいるのを見てようやく足首をぽちゃんと水に差し込んだ。で、ちょっとかき回してから……ぐっと足を入れた。そして「あ!」と、何かに気付いたようす。たぶん、足が着くことがわかって安心したんだと思う。
空はいっきに両足を水に沈めた。
「ママー、できたよ」
両手を広げて誇らしげに笑う空。
「えらい、えらい。どう? 怖くないでしょ?」
「うん。おもしろい」
そう言って空は水の中で足踏み。水の深さは空のふとももぐらいまで。しゃがむと胸まで水に浸かる。
「ママ、きもちいいよぉ!」
「ほらね」
こうやって徐々に水に慣れてけば、そのうち海にも入れるようになると思う。
「空にお水かけちゃおっかなあ。それっ!」
アタシが水をすくって空にかけると空は「きゃぁー」って大げさな声をあげた。
「やったなぁ」って空はすぐに反撃。アタシは手加減して空の身体にチョロっとしか水をかけてないのに空はアタシの顔にむかって容赦ない。
「負けないよ~」ってアタシもその気になってきた。
それからは楽しく水遊び。水を掛け合ったり、追いかけっこしたり、ビーチボールをぶつけっこしたり、とにかく夢中で遊んだ。
1時間ぐらい遊んでて気付く。
(なんか肩がひりひりするなぁ)
そうだ。日焼けのことなんか全然考えてなかった。
「やっば! 日焼けクリーム塗っとけばよかった!」
雲が出てる間はいい。でも日差しが直だとやっぱり強烈!
「ちょっと、休憩しよっか」
「ええ~ もっとあそぶ~」
「ああ……じゃ中でアイス食べない?」
「アイシュ? うん。たべるぅ!」
「ソフトクリーム買ったげる」
アタシと空は1階のショップでお買い物するためにいったんホテル内に戻った。
* * *
ソフトクリームをなめながらプールサイドでのんびり。日陰にいると海からの風が気持ちいい。ここの良い所はプールとビーチが隣り合わせになってること。プールに飽きたらそのまま砂浜へ。海まで0分。どっちもホテルの敷地内ってのがすごい!
「ね、ママ。たんけんしていい?」
先に食べ終わった空がまたプールに入りたいという。
「ひとりじゃ危ないからダメ」
「ケンたんといっしょならいい?」
「そうね。それならいいわ」
アタシたちの視線にケン兄ちゃんが顔をしかめる。
「いや、でも俺、肌弱いし……」
「空が遊びたいって言ってるんだから行きなさいよ」
「うぇ……美央ちゃんますます母ちゃんっぽくなってきたなぁ」
「な! うるさいわね!」
そう言われてみると確かにそれはあるかも。でも、それはしょうがないって思う。だって空が生活の中心になってるんだもん。アタシはお母さん役でケン兄ちゃんはそのサポート役なんだから。
「しょうがねぇ。じゃあ、浮き輪持って深い方いってみるか?」
日焼けとはほど遠いケン兄ちゃんの身体は妙に白っぽい。悪いけどこの風景に全然あってない。
「2人とも気をつけてね~」
アタシは2人を送り出してからデッキチェアの上でゆっくりクリームを塗る。
(なんかぜいたくだなぁ)
生まれてはじめてのリゾート。こういうところに彼氏と来たらどんな気分なんだろ? 今は家族旅行みたいな感じだけど…。
改めてまわりを眺める。かわいらしい三日月型のビーチ。海は淡い青と深い青がお互いに競うようにキラキラ輝いてる。涼しげな緑の散歩道。見上げればまばゆい青空。
ここでは時間がゆるやかに流れてる…。
アタシがのんびりしてると空とケン兄ちゃんがアタシを呼びにきた。
「ママ~ すごいプールがあるよ!」
「いやいやマジで凄ぇんだぜ!」
空がアタシの手を引っ張るので仕方なくついていく。子供用プールの隣が大人用。で、さらにその隣に小さく囲まれた箇所がある。広さは畳六畳分ぐらい。これのどこが凄いのか良くわからない。
「見ろよ! このプール。10mだってよ!」
「え? 10? 何が?」
「深さが10mもあるんだぜ。底が見えねぇんだ」
「マジ? へぇ……」
おそるおそる覗き込む。
(ホントだ。青が濃い……)
「どんだけ深いの作ってんだよ。てか、意味わかんねぇ」
「そうね。こんなの誰が使うんだろ?」
「スキューバの練習とかかもな」
「そうかもね」
ここはホントに何でもある。スキューバダイビングをはじめマリンスポーツは一通りできるしイルカのショーだって観れる。レストランも6つあるし娯楽施設やキッズルームも充実してる。
(2泊といわず一週間ぐらい居たいな……)
「これぞパラダーイス」
なんて言っちゃってみたりして。
* * *
2日目は朝から海に挑戦。空はきのうのプールの時みたいに最初はちょっとビビり気味。でも、波打ち際で遊んでるうちにだんだん慣れてきて腰の高さぐらいまでなら海に入れるようになった。浮き輪をして水に浮くのも上手になった。
「ママ。うみもたのしいね」
「だね。プールとどっちが楽しい?」
「どっちも!」
「そう。じゃバタ足いってみよっか」
空の浮き輪を引っ張りながら歩く。アタシ自身、海なんて何年ぶり。貝とか石とか踏むと結構、足の裏が痛い。それに不規則な波。プールに慣れてるだけにその辺はちょっと違う感覚。
「ママ、しょっぱい!」
波をかぶった空が驚いて言う。
「そっか、知らなかったんだね。海には塩がいっぱい入ってるんだよ」
「えぇ、やだなぁ。だれがいれたの?」
「いや。誰が入れたとかじゃなくって……」
「いじわるだね? おしお、もったいないねー」
空は海水のしょっぱさに顔をしかめる。
(もったいないって……子供の発想っておもしろいなぁ)
砂でお城を作ったり、貝がらを集めたり、身体を砂で埋めたり、海には海の楽しさがある。あまり日差しが強い時は日陰に避難しながらアタシたちはお昼すぎまで夢中で遊んだ。
バイキングでおなかいっぱいになった後はグラスボートで魚たちの遊泳を観察。空のお昼寝タイムを挟んでイルカと触れ合い体験。夕方までたっぷりと沖縄の夏を楽しむ。
(なんだかひと夏分遊んだ気がする!)
おおげさじゃない。ホントにそんな風に思ってた。つい先ほどまでは…。
異変に気付いたのはついさっき。
部屋に戻ろうと空の手を引いてエレベーターに向かってた時だった。
(え?)
今、ロビーの前を赤が横切った……ような気がする。落ち着いた雰囲気に場違いな赤。何となく違和感があって無意識にそれを目で追った。そして……アタシは息を飲んだ。
(なんで……こんな所にイタチ男が?)
イタチ男はこっちに気付いていないみたい。けど、間違いない。あの小さな頭。黒いチョッキ。
アタシは思わず空の手を強く引っ張った。
「いたいよママ」
「ごめん。ちょっと急ぐよ」
イタチ男に気付かれる前にエレベーターに乗り込む。
(偶然? それともまさか……追ってきた? わざわざ沖縄まで?)
ぞっとした。キモい…。
(イタチ男が現れたってことは、また何かトラブルがあるような予感……)
せっかくの楽しい旅行が台無しになってしまわなければいいけど…。
イタチ男のことは一応、ケン兄ちゃんにも報告した。
「……だから気をつけないと」
「マ、マジかよ?」
「うん。たぶん、アイツは厄病神だと思う」
「そ、そうだな。今までの経緯からすると……」
「なんかありそうで怖い……」
「クソ! 気分悪いな」
正直、不安でしょうがない。でも、悪いように考えればキリがない。ここは無理にでも良い方に考えなくっちゃ。
(明日の夕方には帰るんだから、それまで何もなければいいよね)
夜は外に出ることもないしホテルの中にいれば危険は無いと思う。
でも……それは甘かった。悪夢は、思わぬ形で、突然、襲ってきた。
* * *
(なんなの? これは……)
はじめ夢だと思った。けど記憶が途切れる前の出来事はたぶん現実。最上階の展望レストランでバイキングを楽しんでいた時、いきなり停電した。で、大きな爆発音。地震みたくグラグラって大きく揺れて、イスごとひっくり返って……気を失ってたらしい。
(空は? 空!)
真っ暗な中で空の姿を探す。すぐ近くで微かなうめき声。
「空?」
手を伸ばして声のする方を探るとやわらかい温もりにあたった。
「ん……マーマ?」
「空! だいじょうぶ? ケガはない? 痛いところとかは?」
「……ううん」
空をぎゅっと抱きしめる。
(良かった……)
少しずつ闇に目が慣れてきた。宿泊客で賑わってたはずのレストラン。今は爆発でメチャメチャな状態だ。テーブルやイスがぐちゃぐちゃになってるみたい…。
(ケン兄ちゃんはどこいったんだろ? てか他の人まで……)
あれからそんなに時間が経ってるような気はしない。けど、周りの人はみんな避難しちゃったみたいだ。
(なんでアタシたちだけ取り残されてるワケ? なんで? どうして?)
まるで荒れ果てた倉庫に監禁されたみたいだ。
「あれ? 何だろこの匂い」
(焦げ臭い。どっか燃えてる……)
何とか起き上がる。周りを見回して足がすくんだ。
「か、火事だ……」
空はまだぐったりしてる。
「に、逃げなきゃ!」
なんとか自分を奮い立たせる。今度こそ空を守らなきゃ! 入り口は確かあっちの方。でも……その入り口付近が炎の出所みたい。
(どこに逃げればいいの? とにかく空を連れていかなきゃ!)
アタシはちょっと乱暴だけど空のほっぺをペシペシ叩く。
「空! ね、立てる?」
「ん……ねむいよぉ」
「早く逃げなくちゃ! 歩ける?」
「……にげるの?」
「火事なんだよ! ほら立って。いい? ママの手を離しちゃダメよ!」
「あい」と、空がうなずく。
(ここが炎に囲まれる前に他の出口を探さなくちゃ!)
必死で周囲の様子を探る。暗い室内の端っこの方で炎が天井を照らしてる。
(とにかく炎の勢いが弱そうな方へ……)
そう思って空と2人で走り出そうとした瞬間、目の前に誰かが立ちはだかった。
『おやおや。どこへ行くつもりで?』
(!)
驚きで声も出ない。
『さて。この状況でどうするかね?』
突然あらわれたイタチ男は腕組みしてこっちを見下ろしてる。
「ちょ、ちょっと! どいてくれない?」
そう言うのが精一杯。ノドがカラカラで大きい声が出せない。
『悪いが、君に用は無い』
そう言ってイタチ男はパチンと指を鳴らした。と、同時にアタシの身体がブワっと浮いた?
(え? いやっ!)
身体が投げ出される感覚!
「痛っ!」
(……背中打った)
頭も少しぶつけた。投げ飛ばされちゃったの?
(何が何だか……)
目を開けてびっくり。イタチ男はちょっと離れたトコでこっちに背を向けてる。で、その向こうに空。位置関係がよくわかんない。
(な……アタシだけここまで飛ばされた?)
わからない。イタチ男は何をしたの?
『そこでおとなしく見ていろ』
アタシに背を向けたままイタチ男がそう言ったように聞こえた。
(な、何するつもり?)
イヤな予感がしてアタシは空の方へ行こうと……あれ?
(か、身体が! 動かな……)
「空っ! 逃げて!」
なんとか声は出せる。
「マーマ!」
空の声。でも、空は動けないようす。
『どうした? お前の大切なママがあんな目にあってるんだぞ?』
「ママー」
空のか細い声。不安がってる。今すぐそっちに行きたいんだけど……身体が!
『おじさんが憎いか? さあ。やってみろ』
(何言ってんの? 空に何させたいワケ?)
「マンマー」
空はついに泣き出した。
(空を泣かせるなんて……許せない!)
アタシはどなった。
「ちょっと! 意味わかんないんですけど! てか、何なのアンタは?」
『……フン。そんなことはどうでも……』
「よくないっ! てかアンタは悪魔なの? それとも……天使なの?」
前に車が落っこちてきた時、駐車場で見たイタチ男の頭には『天使の輪』があった。なのでもしかしたら天使だから空を狙ってるのかもしれないって思った。
『どちらでもない。今はな』
「今は? どういう意味……」
『簡単に言うと私はつい最近、天界を追放されてしまった身分なのだ』
「追放?」
『そうだ。いわゆる『堕天使』というやつだ』
「ダテンシ……けど、それが何で?」
『なぜこの子を狙うのかってことかね? クク、簡単なことだ。ポイント稼ぎだよ』
だんだんイヤな予感が本当になってきた。鳥肌がたちそう。
『ベルゼブブの息子を狩ればポイントは高いだろうからな』
「ベルゼブブ? 何それ……」
『なんだ。そんな事も知らずにこの子を育てていたのか?』
「だから! ベルゼブブって誰?」
『魔界の四大実力者の一人だ』
「ま、魔界? 四大実力者? ま、マジで?」
あの依頼主……そんな凄い悪魔だったの?
『ベルゼブブほどの実力者を狩るのは無理でもその子供ならなんとかなる』
「だから空を? ひきょう者!」
『いくら悪魔の子でも悪の心がないうちに狩るわけにはいかない。だから私はこの子が悪魔になるのを待っていた』
「そ、それでストーカーしてたのね」
『この子が魔界に帰ってしまったらもう手は出せんからな。なんとか間に合って良かった』
「良くないわよっバカッ!」
『これで私は天界に帰れる。では、さっさと済ませるか』
済ませるって何を? 狩るってどういうこと?
「さっきから『狩る』『狩る』とか言っちゃってるけど、そんなに狩りたきゃ羊の毛でも刈ってなさいよバカー!」
『笑えない冗談だな』
そう言ってイタチ男は何かを空に向けるような仕草をみせた。ここからでは分からないけど何か持ってる…。
『この弓矢でお前の悪意を貫く』
信じられない!
(ゆ……弓矢? うそっ!)
あんなに言葉は出てきたのに身体はちっとも言うことを聞かない。
(いったい何なの? 金縛り?)
『さあ。怒れ。さもないとお前のママをもっといじめるぞ』
イタチ男は空を挑発する。
「ママ……」
泣いていた空が顔をあげる。そして「うぅぅ……」って唸りだした。
「空、ダメ! 挑発に乗っちゃ……」
そんなアタシの声は空に届かない。空は身体を震わせてる。そして「うわー!」と、絶叫する。
バン! バン! バン!
窓ガラスが連続で爆発! 風が……風が外に向かって流れてく。
『そうだ。それでいい』
そう言ってイタチ男が腕を伸ばす。
『それでは……死ね』
(や……め……て)
イタチ男の手がピカっと光った。
それと同時に光の筋が、空の胸を……貫いた……ように見えた。
(そ、そ、そんな……)
空が胸を押えてしゃがみこむ。
「いやぁー! そらぁー!」




