生立ちなど
かなり捻じくれていて特殊なので、身バレ防止のため一部別の何かと置き換えて書きます。
場末の居酒屋の家に生まれ育ち、小学校から帰ると酔っぱらいのおっさんや夜のお姉さんに絡まれる日々でした。ピアノを練習するととてもうるさがられましたね。知らん。
当時、お酒は免許を持っていないと売れず、スーパーでは売れなかったと記憶しています。そんなわけで貧しい家ではなかったはずですが、父がアルコール中毒かつギャンブル中毒のため、両親は不仲でした。母は実は、いいところのお嬢様だったのですが、世間知らずすぎて親の反対を押し切り駆け落ち結婚したそうですよ。
そんなこんなで結局、一家離散するわけです。弟は母方の家を継ぐことになり、母と二人で家を出ていきまして、私は父と二人で暮らすことに。その後私は大学を卒業して働くことになりました。母は「あなたはうちの家とは関係ないでしょう」とことあるごとに釘を刺してきて、とにかく不快な方です。別にこちらとしては、父のところに置いていかれた時点でもうあなたにはなにも期待していないのです。
私にも子供が生まれ、最低限の親戚づきあいはしていますが、私に娘が生まれてからは母への憎悪は留めようがなく凄まじく膨張していくばかりで、遠目にぼんやり眺めるのが関の山です。焦点を当ててしまったら火がつくでしょう。
アルコール中毒かつギャンブル中毒の父は、実家も売払い一人暮らしの私のアパートに転がり込み、私の金でのんびり暮らしていたので、ある朝「ここで私に殺されるか、自分で出ていくかえらべ」と凄んでお引き取りいただきました。人の金で朝まで飲んで帰ってきたんですねぇ。もう十年以上前ですが、その日、キッチンの縦長窓から差し込んでいた朝の光の青さを今もよく覚えています。
父が、私の部屋で当時の彼氏が持ってきていた「海辺の家」みたいな題名の映画を観ていたのもよく覚えていますね。この映画の内容的に、父が何を考えてたのか気になるところです。
その後全く音信不通になった父は、もうこの世には居ないんだろう、もう酒が無くて苦しむことも、ギャンブルに追い立てられることもないのだろうとホッとしていたのですが、先日、存命であることが発覚しました。
こんな父ですが、私は意外とこの父が嫌いではありませんでした。
私にたくさん映画を見せてくれましたし(昭和らしく、子供に見せていいのか微妙なもの多数でしたが)、こんなどうしょうもない人なのに家族で元旦に日の出を見に行きたがったり(母は激怒し弟は無視したので、私が仕方なく二人で見に行きました)何かと憎めない人でしたね、あ、まだ生きているんでした。
最後に、父方の祖母を紹介します。料理がうまく気風のよい酒場の女将でした。父方の祖父は父が幼い頃に病気で亡くなったそうです。祖母の遺品から、泣いているカカシの絵が書かれたメモが見つかりました。
あんなになく子に父はいぬのだ
このメモはまだ私の手元にあります。




