AI時代
エックスを始めた頃、もっぱらAIイラストやAI小説についての談義を目撃しました。色々な意見の方がいて興味深く眺めていましたが、誰も読まなそうなここで、私も自説を垂れてみます。
私は趣味でピアノを弾くのですが、娘がよくスーパーとかで流れる打込み音源のクラシックを聞いて「ママよりうまい」と言っていました。彼女の基準はミスタッチがあるかないか程度かと思います。
私個人としては、打込み音源を聞いて心が動くことはないですね。
逆にどんなにミスタッチが多くても、楽譜を読み込み自分で解釈したものをピアノで表現する人間の演奏はぐっと来る。うまく表現しきれていなかったとしても、ここをこんな風に盛り上げようとしたんだ!とか、ここはこんなイメージに受け取ったんだ!とか、演奏を聞いていればこちらから迎えに行けることはたくさんあります。
これが音楽の最大の楽しみと、私は思います。演奏者が何を思って弾いているのかを考えます。新しい発見や共感が生まれます。演奏している人と私は全くの他人なのに通じ合うことができます。
打込み音源にはそれを打ち込んだ人のソウルが入っているのかもしれませんが、生楽器からしか生まれない表現の幅は永遠に生まれないと思います。解像度の低い信号です。クラシックに疎い人にメロディを知らしめるくらいの力は、あるかもしれません。でもそこまで。
ここでAIイラストやAI小説に戻りますね。私も含め、AIイラストに頼る人は絵が書けない人です。自分で描けるなら描いた方がいいに決まっています。その方が格段に解像度は上がります。でも書けないから。AIに打ち込んで、影響力が大きく落ちると知りながら使います。それを止めることはできないと思うし、止める必要もないと思います。
自力で生み出せる人と、AIを使うしかない人。そもそものアウトプットの価値が違いすぎます。自力で生み出す人はもっとプライドを持っていい。私は娘に何を言われようと、自分でせっせと作り上げてきた技術も表現も愛しています。
実際には、いつかAIが完全に音響を支配する日が来ると思います。でも、ピアノを弾く人間が消える日は来ない気がしますね、そういう問題じゃない。ホロヴィッツやツィマーマン、キーシンなど伝説のプレイヤーがいることと、自分がピアノを弾くことは何ら関係ないですからね。完璧な音源が存在したって、自分のピアノが上手くなったり下手になったりするわけじゃないし。




