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ラヴァンド・ド・メール


 革命から2年後の1893年、季節は秋も終わるという頃だった。ブドウの収穫も終えて、冬の厳しさに向けた準備を本格的に始める中、一人の少女がある町へと下り立った。


 ラヴァンド・ド・メール、レヴェイエの最南端にある小さな港町だ。小さな町ながらも首都やその周りに海産物を卸していたことで、革命前も辛うじて町としての形を保てていた数少ない町の一つ。


 それでも国から徴収される多額の税により、この町の住民も細々とした生活を強いられていた。町中にあったガス灯は資源不足によりただの飾りと成り果てて、町全体の活気も目に見えて落ちていく。やがて流行り病により、この町も少なからず被害を受けた。


 しかし町としての形を保てていた、それだけで復興への道程は他とは全く異なる。インフラの整備を一から始めなければならない他の町に比べて、ラヴァンド・ド・メールがかつての生活や賑わいを取り戻すのは難しくなかった。


 革命から二年、町は人々の笑顔と明るい声で溢れている。


「良い町でしょ、此処は」


 ニッコリと笑みを浮かべて、カミーユは目の前の少女に語り掛けた。少女はそうですね、と淡白な返しをすると辺りをきょろきょろと見渡す。


 短く切り揃えられたホワイトブロンドの髪は、天高く昇った太陽に照らされてキラキラと輝き、吹く潮風に揺れていた。青空をそのまま写したような美しいセレストブルーの瞳は、珍しいものを見るかのように行き交う人々を追っている。


 人口の多さは首都には遠く及ばないのに、町全体が活気に満ちている。彼女にはその雰囲気が、きっととても新鮮なんだろうとカミーユは再び笑みを溢した。


「じゃあサラちゃん、そろそろ行こうか。その荷物貸して。僕が持つから」


 そう言うとカミーユはサラと呼ばれたその少女の前に手を差し出した。ニコッと笑ってサラが持つトランクを渡すように促す。見目の良い若い男の行動に誰もが胸躍らせる場面だが、サラはそれを即座に拒否した。


「自分のものは自分で持ちます」


 それでもカミーユは引かない。


「目的地は此処から少し歩くんだ。履き慣れてない靴だし、きっと疲れちゃうよ」


 サラは自身の足元を見た。シックでエレガントな黒のボタンアップブーツ。ラヴァンド・ド・メール行きが決まった際に、カミーユがサラに贈ったものだ。白のブラウスとネイビーのロングスカートも、この靴に合わせてカミーユが見繕った。シンプルながらも上品さを感じられる出で立ちは、まるで絵画の中から切り出したように美しい。


「大丈夫です」


 サラは顔を上げて、真っ直ぐにカミーユを見て言う。傍から見れば美男美女のカップルの可愛らしい押し問答にも見える。行き交う人々はその光景を、微笑ましげに見つめては去っていった。


「靴も服も用意してもらったのに、これ以上何かをしてもらう訳にはいかないです」


 サラも折れないがカミーユも引かない。


「出した手は引っ込めないのが僕の主義なんだ。お節介だとか、余計なお世話だとか言われるかもしれないけど、僕が君にしてあげられることはもうあまり多くはないから」


 エスコートくらいさせて、と頼まれて、それ以上サラは拒めなかった。


「ありがとうございます」


 小さなトランクが一つ、それがサラがこの町に持ってきた唯一のものだった。


 革命から二年、革命の指導者アンジェリクはレヴェイエという国を導く新たな指導者としての立場に落ち着いた。そしてそれはこの国に大きな変革を齎した。君主制から共和制への移行。閉じていた国の門を開き、アンジェリクが始めに着手しなければならなかったのは流行り病の抑制だった。


 国を閉じていたことによりレヴェイエは周辺国に取り残され、文明はずっと前に止まっている。レヴェイエを苦しめた流行り病への対処法は、もうとっくの昔に周辺国で確立されていた。治療薬の開発には至っていないものの、これで症状の緩和と病の拡大は間違いなく防げる。


 そうして革命から半年近くの歳月が経ち、漸くアンジェリクは奴隷解放へと動き出す。勿論その間も彼女や、国軍に位置付けられた元革命軍の面々は、奴隷解放に向けて着々と準備を続けていた。


 そして1892年の春、王政によって暗黙の内に許容されていた人身売買と、奴隷を所持すること、それらを厳罰化する法がレヴェイエで制定された。


 サラが奴隷から解放されたのは、それから更に半年後のことだ。貴族の家で奴隷として囲われていた彼女を連れ出したのは、元革命軍で今は国軍に所属しているカミーユだった。それから何かと縁があり、こうやって少しばかり世話を焼いている。


 母が奴隷であった彼女は、外の世界を何も知らずに育った。そういった生い立ちの子は今のこの国では決して珍しくない。まともな教育を受けられず、読み書きが出来ない子も多い。


 それでもカミーユには、サラを放っておけない理由があった。この町に来たのも、それが関係している。


「それじゃあ行こう」


 カミーユの後を、サラは黙って着いて行く。舗装された石畳をブーツの音を響かせながら歩き、視線は地面に、空に、周りの建物にと次々に向けられる。それを一頻り繰り返すと、今度はカミーユの後ろ姿をじっと見つめた。


 その視線に気付いて、カミーユは歩く速度を緩める。二人の距離は少しずつ縮まって、ついには横並びになった。


「綺麗な町だよね。気に入った?」


 カミーユの問いに、サラは小首を傾げた。


「気に入った、が……よく分かりません。でも今凄く、心臓が波打って……、これは動悸ですか?」


 カミーユの口からハハ、と笑いが溢れて。


「きっとそれは動悸じゃない。心臓がね、高鳴ってるんだよ。今はまだよく分からないかもしれないけど、君は今ワクワクしてるんだ」



 カミーユは嬉しそうに目を細めてそう言った。



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