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ポール・プティの朝


 郵便局員ポール・プティの朝は早い。朝五時の出社に合わせた起床時間。眠い目を擦りながら着替えて、準備も早々に家を出る。愛する妻に行ってきますのキスをするのは、結婚から二十五年経った今でも変わらない。


「鞄の中にサンドイッチ入ってるからね」


 朝が早いポールの為に、早起きして作ったサンドイッチ。自身も農園で働きながら、毎日それを用意して、見送ってくれる妻には頭が上がらない。何故そんなに夫婦仲が良いのかと同僚に聞かれることもあるが、逆に何故ここまでしてくれる妻を愛さずにいれようか。とポールは拳を握り、声を大にして言った。同僚や友人、知人の間では愛妻家として知られている。


「いつもありがとう」


 日々の感謝を忘れずに。


「愛してるよ」


 愛は毎日必ず伝える。


「私も愛してるわ」


 何年こんなやり取りを繰り返したかは分からない。それでも色褪せない愛は、きっと希少で貴重で、最期の瞬間まで大事にすべきものだとポールは常々思う。


「それじゃあ、行ってくる」


 お互いに手を振り合って、ポールは前を向くと少し早足で歩き出した。妻との時間が名残惜しくて、いつもこうして忙しなく出社する。冬が近いのもあって辺りは真っ暗で、ガス灯の明かりが暗い道を煌々と照らしている。こんな時間でももう既に働いている人がいる。ポールと同じく今から出社という人も少なくない。知り合いが居ると軽い挨拶をして、ポールはまた歩き出した。


 見えてきた郵便局は、いつもなら真っ暗な筈が明かりが一つ点いていた。もしかして、とポールは更に駆け足になる。ガチャリと郵便局の正面の扉を開けると、其処には一人の男が居た。アルコールランプの明かりに照らされて、男は疲れ果てた様子で椅子に座りながら天井を見上げている。


 男は扉の開く音か、それともポールの視線か、それともその両方かに気付いたようで視線を天井からポールに移した。それからすぐに立ち上がると、先程までの雰囲気とは打って変わって爽やかな笑顔を見せる。


「すいません、自分は国軍の……」


「カミーユさん、ですよね?同僚から聞いてますよ。此方こそすいません。まさかまだ残られているとは思わず、少し驚いてしまった……」


 はは、とカミーユは笑ってみせる。


「そうですよね。自分もまさかこんな時間になるとは……。情報共有して頂いてて良かった。傍から見たらただの不法侵入者ですから」


 確かに、とポールは密かに思った。昨晩同僚が自宅まで訪ねてきて、事情を知らせておいてくれなかったら、ちょっとした騒ぎになっていただろう。


「急な用件で、電話を借りたいということでしたよね?もうそちらの方は済んだんですか?」


「はい、今しがた漸く……ですね」


 カミーユは少し困った表情で笑った。カミーユの印象は、同僚から聞いていた通りのものだった。若くて人当たりの良さそうな好青年。武闘派が多いと噂される国軍にもこういう雰囲気の人がいるのかと、ポールは内心驚いていた。


 だからだろうか。昨晩から気になっていたことを、彼になら聞けると思ったのは。


「……お仕事の電話でしょうから子細は話せないでしょうが、急な用件ということは何か事件ですか?」


 この町に住む者として当然の懸念だった。カミーユはいいえ、と率直に答えると言葉を続ける。


「此処に来る以前から抱えていた問題について、ある気付きがありまして……。それを報告していたんです。大丈夫。この町は安全ですよ」


 カミーユの言葉にポールはホッと胸を撫で下ろす。


「そうですか。いやぁ……昨晩突然、国軍の人が緊急の要件で電話を貸りにやって来たなんて聞かされたもんだから、何だか不安で……」


「不安にさせて申し訳ないです。この町だと、電話があるのは此処だけだったので……」


 インフラの整備が着々と進められているレヴェイエだが、電話というこれまでにない文明を取り入れるのは容易ではない。結果、国が運営している国営の郵便局など、限られた場所に限定していち早く取り入れることになった。これから徐々に普及を広げていくのが国としての当面の目標となる。


「まだまだ地方だと少ないですからね。初めて電話を見たときは私も仲間も驚いたもんです」


「自分もですよ」


 カミーユはニコリと笑う。まさか軍の人間とこんな気安い会話が出来るとは、とポールはそんなことを思っていた。軍と言われるとどうしてもお堅いイメージが付き纏う。カミーユはその逆に見えた。それが親しみやすさを生む。


「……そうだ。妻が仕事の日は毎朝サンドイッチを持たしてくれるんですよ、朝食用にって。カミーユさんも食べますか」


 紙に包まれたサンドイッチを鞄から取り出して、カミーユに見せながら言う。カミーユは良いですね、と言いながらも心苦しそうにその誘いを断った。


「折角のお誘いですけど、遠慮しておきます。今からお仕事ですよね?しっかり食べて備えないと」


「そうですか……。妻のサンドイッチはとても美味しいので、是非にと思ったんですけど……」


 ポールは残念そうに肩を落とす。


「奥様と、とても仲が良いんですね」


「皆にそう言われます。結婚してから二十五年。何故そんなに仲が良いんだとも聞かれます。自分も働きながら、朝は私の為にサンドイッチを作って、私が見えなくなるまで玄関から見送ってくれる妻を、愛すなという方が無理な話です」


 愛しさで胸が一杯になる、というのはきっとこういうことだとポールは思った。どんなに年老いても、顔中シワだらけになっても、他の何が変わっても、この愛は変わらない。その確信がある。


「なら尚更、そのサンドイッチは貴方が食べないとですね。奥さんの愛情ですから」


 ポールは手に持っているサンドイッチを見つめた。


「確かに、そうですね」


 そして顔をほころばせる。


「それじゃあ、そろそろ行きます。これ以上はお仕事の邪魔になりかねませんし。それとこれ……」


 そう言いながら、昨晩預かっていた鍵をポールに手渡した。確かに受け取りました、とポールは笑顔で受け取る。


「そう言えば、お名前伺っても良いですか?」


「ポールです。ポール・プティ」


 ポールが名乗ると、カミーユは何故か嬉しそうだった。先程からずっと笑顔ではあったが、より一層……、とポールは感じた。


「僕はカミーユ・ルグランです。これからも、僕の友人を宜しくお願いします」


 カミーユはそう言うとポールに手を差し出した。友人というのが誰を指すのかは分からなかったが、ポールはカミーユと握手を交わす。


「お会い出来て良かったです、ポールさん」


 そう言い残して、カミーユは一人去っていった。


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