SIDE: レナルド.1
我が家の娘は天使だ。
これは、大げさでもなんでもない。
紛れもない事実だ。
メイシーが生まれた時、セリーナもレナルドも、本当に、本当に喜んだ。
魔力が高いレナルドと、伯爵令嬢としては少し魔力が低めのセリーナとでは、子供ができる確率は、そこまで高くはないだろうと言われていた。
結婚して7年が経つレナルドたちのもとに娘がやってきてくれたのは、二人にとっては、どんな宝物よりもかけがえのない、何にも替えがたい出来事だった。
2歳になって、少し言葉が話せるようになると、レナルドはますます娘に夢中になった。
「おとしゃま、どうぞ」
「メイシー、これは何かな?」
「んー。ごはん!」
「ごはんか!ありがとう、メイシー」
そう言って、くしゃくしゃの紙切れを、口を動かして食べる真似をすると、メイシーがキャッキャと喜ぶ。
(なんて幸せなんだろう)
愛おしい妻に加えて、こんなに可愛らしい天使と過ごせることが、レナルドにとってはこの上ない幸運だった。
メイシーが5歳の春。
屋敷に帰宅したレナルドは、出かける前に会った娘と、帰宅後に会った娘が、全く違う印象になったことに驚いた。
「お父様、おかえりなさいませ」
2歳の頃の舌足らずな言葉遣いは、この頃にはなくなっていたが、まだまだ子供らしいところがある娘だった……はずなのに。
青い瞳にはどことなく知性が宿り、言葉遣いも、少々大人びた印象だ。
「私、貴族街で一箇所に集められた下水が魔術でどう綺麗になるのか知りたくて待っていたのです」
「汚いものを綺麗にする魔術は難しいのですか?」
メイシーの問いに、気づけばレナルドは真面目に回答をしていたのだが、メイシーはさらにこう言ってのけた。
「私…やるべきことを色々と考えておりました」
「私、穏やかな淑女は諦めても良いですか?研究者か実業家になって、自分が生きやすい世の中にしたいんです」
メイシーは、本当に、人が変わったようになり、平民街に出かけて、飢え死にしそうになっていた少女を拾い、彼女の境遇に涙を流し、その慈悲の心から、改革の意思をより強固にして、下水道整備の案を自ら仕上げて、レナルドに提示してきた。
何度も平民街に足を運んだのだろう。
現地の細かな所見や、実際に自分が行使した魔術に関する記載、そして事業として行えば、帝国の衛生環境の改善、平民の死亡率の低下、それに伴う帝国への税収の増加や国力の向上に繋がることなどを、びっしりと紙にしたため、レナルドに、これが一時の気の迷いでも何でもなく、メイシーがその持てる力の限りに、やるべきことをやったのだ、と示した。
レナルドは、メイシーの提案書を読み、唸った。
土の中に管を通して水を流すことなど、これまで誰も考えたことはない。
しかも、平民街を含む、王都全域だ。
貴族たちは、自分の家の周りや貴族街のみ、それなりに衛生的であれば、問題ないと考えていた。
平民にはできぬ不思議な力が与えられた、神に選ばれた存在。
それが貴族なのだ。
平民達には魔術で衛生を保つなど、無理だ。
そのため、不衛生な環境で、我慢して暮らすしかない。
……でも、それで本当に良いのだろうか?
メイシーの提案書を読み、レナルドは心が動かされた。
(実現すれば、帝国は変わる。そのためには……)
メイシーの案に、レナルドは自分の知識をかき集め、改善点や問題点を洗い出した。
「メイシー。この世界には平民を人間とも思わぬような貴族達が大勢いる。この父が、君の代わりに、この案を実現できる環境を作ろう。私は幸いにも侯爵だ。君の希望を叶えるために、私の持てる力を全て使うと良い」
そう言うと、メイシーは、青い瞳をキラキラと輝かせて、レナルドを、ヒーローのように見つめてくれた。
「ありがとうございます、お父様!大好き!」
メイシーは、最近控えめになった父への愛情表現を解禁して、レナルドにギュッと抱きついた。
レナルドは幸せでいっぱいになった。
そして、心の底から、妻を、娘を、全ての憂いから守りたいと思った。
(私の可愛い天使!私はどんなことをしても、君の望みを叶えるぞ!)
メイシーの望みを叶えるためには、想定される敵に対抗できる、味方が必要だった。
まずは下級貴族を中心に、計画について話を持ちかけ、自分の身に降りかかる出来事として、王都の衛生向上について説明した。
下級貴族には、魔力が低いあまりに結婚相手に恵まれず、平民に身を落とす者も、過去にそれなりに居たため、明日は我が身と、この話に共感する者は大勢居た。
下級貴族の次は中級貴族、そして高位貴族の一部にも、話を広めていった。
しかし高位貴族はなかなか耳を貸さず、中でも当時の魔術長官のマヴァンと、宰相のグリュイエールについては、耳を貸さないどころか、レナルドを異端だとして、排除する動きを見せたのだ。
今にして思えば、あんな奴等はさっさと排除すればよかったのだが、当時のレナルドは、こんな大がかりな事業に、まだ及び腰だったのか、はたまた、同じ上位貴族達への哀れみの感情があったのか、とにかく、彼等への対応にもたもたと、手をこまねいていたのだ。
セリーナは、そんなレナルドを見て、社交の場で様々な手をうってくれた。
貴族派の何人かは、そのおかげでレナルドに従い始めた。
また、父の様子を知ってか知らずか、メイシーは、ノアと共に、魔術長官と宰相にいたずらを仕掛け始めた。
メイシーに聞くと「魔術長官と宰相に、お父様のお名前で、プレゼントを贈ったの」と、大して悪びれる様子もなく話してくれた。
プレゼントは、レナルドが知る限りでは、何回も送っていたようだ。
折しも、ちょうどこの春、マヴァン魔術長官は、息子を魔術学園に入学させようとして、失敗したらしい。
また、グリュイエール宰相は、彼自身が過去に入学できず、その事実は、彼の一番隠したがっている汚点のようだった。
そんな彼らは、後日、王都を逃げるようにして去っていった。
レナルドがまごついている間に、メイシーは、彼らを、あっという間に排して見せた。
空になったマヴァンの屋敷を調べさせると、何かが爆ぜた跡のような、穴の空き、焦げた壁と、粉々の窓ガラスが残されていた。
腐っても『魔術長官』と『宰相』だ。
メイシーの魔術具に、いろいろな意味で度肝を抜かれ、敵わないと考えたに違いなかった。
2人共、メイシーの秘めたる能力に恐れ慄き、明らかな敗北と、ついでに命の危機を感じ、我々の前から姿を消したのだ。
(……間違いなくメイシーは、セリーナの娘だ……)
本人の痛いところを、的確に突いてくるあたりが、そっくり過ぎる。
二人が私の最愛の妻と娘で本当に良かったと、心から思うレナルドだった。
そんなマクレーガン侯爵家、一家総出の尽力が実り、晴れて下水道整備事業は、国家事業として始まった。
メイシーは、暇さえあれば魔術について自ら学び、実験し、続々と新しい魔術具を生み出し続けた。
あの小さな体のどこに、そんなパワーと、驚くような発想力が詰まっているのか、レナルドは不思議で仕方なかった。
下水道整備事業では、メイシーはレナルドに、魔術師に任せる仕事と平民に任せる仕事を分けるよう指南した。
「まだ平民と貴族の垣根は高いようですから、貴族にはなるべく貴族のメンツを保てる仕事を振り分けます。そのせいで工期と予算がオーバーしたとしても、最初はそれでいいと思います。事業は数年かかりますから。
……貴族は特別なのだと、夢を持ち続けたい気持ちは、尊重して差し上げましょう。平民にとっても、垣根を残すのは、いらぬ諍いを起こさぬことになるでしょうから、今は悪いことではありません」
(この子は本当に6歳の少女なのか……?)
レナルドは、自分の娘に対し、単に不思議、と思う気持ちから、少し畏怖の混じったような、そんな気持ちを抱き始めたのだった。
レナルドは、セリーナに聞いてみた。
「セリーナ。私達の娘は、昔からああだったのかな?……何かが突然、娘を乗っ取ったのかもしれないと、最近考えてしまうんだ」
するとセリーナは、レナルドの手を取って、こう言ってのけた。
「あら貴方、今頃そんなことを言い出したの?あの日、私ははっきりと、あの子が変わったと感じたわ。今の貴方のように、別の娘になった、とも考えた。
……でもね、私、あの子を見ていて、それでもいいと思ってしまったの。だって、あの子、全然悪い子じゃないわ。あの子のやりたいことって、私達が何となく『そうであればいいのにな』と感じることや、あっと驚くような、わくわくすることばかりよ。きっとあの子と一緒に居れば、楽しいことがたくさんあるわ」
「セリーナ……」
「こう考えてはどう?私達が天使と思って育てていたあの子は、本当に天使だったのよ。5歳のあの日に、天使として目覚めたの」
「天使、か」
セリーナは、そっと私の肩にもたれかかり、微笑んだ。
(そうだ……。あの子は、私達が何度も神に願い、心の底から望んで、ようやく得られた子供だ。私達の願いを聞き届けた神が、本物の天使を遣わしたとしても、何も不思議ではない)
レナルドは、セリーナが、すでに覚悟を決めていたことに、さすがは自分の妻だ、と感心した。
(私が恐れを抱いてどうするのだ。私達が信じて、愛してやらねば。天使はきっと、家族の愛情に包まれてこそ、美しく羽ばたくのだ)
セリーナの言う通り、それ以降、メイシーと共に過ごす日々は、それはもう、楽しいものだった。
世間に公表していない、メイシー謹製、マクレーガン家専用の魔術具もたくさん作られたが、やはりレナルドは、メイシーの馬車に、本当に心躍らされた。
「揺れをできるだけ少なくして、車内の温度を調整できる機構を考えました。お父様が遠くに行くときも、これならきっと、快適に馬車旅を楽しめますわ」
「メイシー……!これを、私のために?」
「私の我儘で、お父様は毎日視察でお忙しいのですもの。これくらい、当然です」
メイシーがそう言って、にこにこしながらレナルドに馬車を見せて、乗せてくれた時は、本当に嬉しかった。
メイシーが魔術学園に入学する資格は、すでに十分すぎるほどあったのだが、セリーナもレナルドも、家族だけの、この幸せな時間を少しでも長く過ごしたくて、メイシーがもっと学びたい、整った設備を使いたい、という希望を知りつつも、延ばし延ばしにしていた。
「……魔術学園になど行けば、メイシーは間違いなく私達だけの小さな娘では居てくれなくなる。あんなに可愛らしい上に、驚くほどの知識と発想力の持ち主だ。変な男がうじゃうじゃと寄ってくるだろうと、不安しか無い……」
レナルドがどんよりした雰囲気で、セリーナと、就寝前に会話していた。
「貴方…。気持ちは分かるけれど、あの子ももう12になったわ。デビュタントまで、あと3年。私達の手を離れて、羽ばたく時が、もうすぐそこまでやって来ているのよ」
セリーナは、ベッドの淵に腰掛けていたレナルドのもとにやって来てしゃがみ、そっと両手を取って、レナルドを下から見上げた。
「あの子はこの冬で13になる。次の春には、あの子を魔術学園へ送り出しましょう。心配だけれど、私達の子離れの準備だと思って、3年間、魔術学園にメイシーを預けましょう。メイシーなら、きっと良い御縁に恵まれるわ。師や友人や………心から好きな相手にも出会えるかもしれないわ」
「………いやだ。嫁になど、やりたくない」
レナルドが頭を振ると、セリーナは困った顔をしてレナルドを見つめた。
「でもメイシーは、新しい学びを欲しているのよ。それはもう、私達だけに与えられるものではないわ。新しい場所で刺激を沢山受けて、きっとあの子はもっと好きなことを楽しむわ。その上で、気に入った相手を見つけるも見つけないも、あの子次第。……親は、見守ることしかできないのよ」
セリーナの言葉は、レナルドとて、理解している。
理解しているけれど、感情が追いつかない。
あの、小さかった娘が、舌足らずに「おとしゃま」と言っていた、あのメイシーが、魔術学園に行く……。
(我が家への視線が、嫌という程注がれているこの状況で、あの子を学園にやるなど……。考えずとも分かる。男どもがメイシーに、まるで美味しい子羊でも狩るように群がる様子が。)
レナルドは、決断をするまでに、数ヶ月かかった。
そして、冬、メイシーの誕生日。
ようやく、メイシーの魔術学園への入学を認めたのだ。
近頃の貴族の子どもたちは、幼いうちに婚約者を立てない者も多く居る。
大きくなって、親が見繕ったのとは別の相手を見つけたり、様々な家の都合で、婚約をふいにする貴族が増えたからだ。
おそらく帝国の経済状態も、関係しているに違いなかった。
メイシーには、レナルドの意向で、婚約者を立てずにいた。
子女は15のデビュタントで、子息は18の成人の儀を迎える頃、それぞれ相手が見つかっていれば、貴族としての努めが果たせるとして、近頃は、その日に同時に婚約を発表する者が増えていた。
中でも、魔術学園を志望する者は、入学が即ステータスに繋がることから、婚約者を立てず、入学後に相手を見つける者がほとんどだった。
(できるだけ、娘を私の側に置きたい)
ある意味、こんなレナルドの我儘で、メイシーには15まで、婚約者を立てまい、と決められてしまったのだ。
(誰が何と言おうと、メイシーには15のデビュタントのその日まで、婚約者など立てん)
レナルドは、そこだけは譲れなかった。




