たしなみ2-52
「お嬢様。銭湯ですが、順調に利用者が増えております。一方で混雑が問題になってまいりまして、入湯に制限をかけて人の出入りを管理する必要があるようです」
「それは困るわね。掃除夫さんたちには、今は早朝と昼の2回しか来てもらっていないけど、追加で、お店番のような感じに、入湯する人の管理を任せられないか、打診できる?もちろんその分のお給金は上乗せするわ」
「かしこまりました。すぐ連絡して確認いたします」
「それから、警備の方も。今は騎士団の方が警備のために立ってくださっているけど、ずっとそういうわけにもいかないわよね……。お祭りの後には、他の方に用心棒を頼むことはできるかしら」
「冒険者ギルドに確認いたします。腕のたつ者を人選するように依頼しましょう」
ノアはテキパキと手元のメモに書き込み、何通か手紙を書くと、一つずつ手紙を飛ばしていった。
殿下の執務室では、メイシーとノアの話とは別に、殿下、タイラー総団長、パルナス近衛騎士団長を中心に、祭りまでの間の警備体制についての意見出しが進行していた。
「すでに人の流入に伴って、路上で寝泊まりする者が増えております。それに従い、軽犯罪も増加して、窃盗や強盗の届け出が急増しております」
パルナス近衛騎士団長が、後ろに連れてきていた近衛から報告書を受け取り、記録を確認しながら、そう言った。
「騎士団の者達は、すでに予定の7割ほどは王都に戻っているのだったな?タイラー」
「はい。北方の護りを中心に残し、南部や東部の騎士たちを半数ずつ王都に引き上げさせました」
殿下はパルナスから記録を受け取り、パラパラと見たあと、難しい顔をして手元にメモを取りながら話を進めた。
「あとの3割が戻っても、圧倒的に人手が足りないな。貴族街は近衛を中心に昼夜交代で巡回させるとしても、平民街でこのように手がかかるとなれば、騎士たちを昼夜問わず働かせることになる。交代要員が出せん」
殿下の言葉に、タイラー総団長や後ろの騎士たちは、困った様子になった。
「あの…発言をお許しいただけますか?」
メイシーは、殿下たちに話しかけた。
「メイシー。何かあるか?」
「はい。あの…市民たちに自警団を作ってもらうのはいかがでしょうか」
「自警団か」
「体格の良い男性を中心に、昼夜の見回りを市民たちで行い、強盗などの事件が起きた時には、騎士団に来てもらうのです」
メイシーの案に、タイラー総団長が表情を明るくした。
「確かにそうすれば巡回の負担が減らせますな。夜間だけは騎士団もいくらか巡回に出張る必要があるでしょうが、全てを騎士団で行うよりは、はるかに良い」
「よろしければ、我が家で頼りにしている鉄やガラスの職人さんに声をかけます。職人同士や、地域での繋がりがあるでしょうから、体格の良い男性の心当たりもあるはずです。きっと皆に声をかけてくれると思います」
「いい案だ。自警団への報酬が必要なら、王家で負担しよう。ひとまずは、祭りまでの間の臨時的なものだしな」
メイシーの案に、タイラー総団長もパルナス近衛騎士団長も納得し、いくつか段取りをやり取りしたあと、退室していった。
メイシーはノアに振り返ると、質問した。
「鉄とガラスの工房の親方達には、私から直接お話することで良いかしら。いまお父様は、食糧の輸送関係でお忙しくて手が回らないと思うの」
メイシーは、親方たちと直接話し合うことはこれまで全く無く、いつもお父様経由やノア経由だったので、今回の少々骨の折れる依頼については、自分が説明したほうが良いのではないかと考えた。
「いいえお嬢様。今回も私が交渉いたします。彼らにはまだ教育が足りないので、お嬢様をご不快にさせる可能性が。
私からお嬢様のご説明を完璧に伝えますので、どうぞお任せください」
ノアはそう言って、ギラリと瞳を光らせた。
「いつも無理を言って製作をお願いしているから、挨拶くらいはしたいのだけど…」
「お気持ちだけで十分です。きちんと躾が行き届いた暁には、彼らに、お嬢様にお目にかかる機会を与えます」
「そ、そう?」
メイシーは、ノアが頑なにそう言うので、これ以上食い下がるのは諦めた。
「さすがノアさん。仕事が丁寧・的確で抜かりがないですね。職人たちをたしなめる姿、想像して動悸が止まりません…!」
グレン様はそう言って、うっとりした表情でノアを見た。
「メイシー、良案に感謝する」
「お役に立てて良かったです。……あの、ところで、殿下。私、この木箱の中身以外の魔術具も作りたいので、学園の実験室へ行ってもよろしいでしょうか」
メイシーの言葉に、機嫌の良かった殿下が、途端にムスッとした。
「やっぱりそうなる。其方を一日中捕まえておくのは至難の業だ」
「少し学園へ行って、また戻りますから」
メイシーは、えへへ…と、ちょっと気まずいのを笑って誤魔化した。
殿下は不服そうな顔で、グレン様にシッシッと手を振って退室を促した。
グレン様は「はいはい」と言いながら、ノアの背を押して二人で執務室をあとにした。
部屋に二人きりになると、殿下は口を開いた。
「……其方は本当に私のことを好いているのか?」
殿下は執務机に頬杖をつき、じいっとメイシーを見つめている。
「そ、それは…その…。は、はい…」
メイシーは突然の質問に、ぽっと顔を赤くして、照れながら答えた。
「…はぁ。仕方がない。私はそういう其方を好きになったのだからな」
殿下はそう言うと、立ち上がって執務机の隣で両腕を広げた。
「おいで」
メイシーは、赤い顔のまま、おずおずと殿下に近づき、殿下の胸に顔を寄せ、背中に腕を回した。
「私…そんなに殿下に、その…不満を抱かせてしまっておりましたか?」
「其方の愛情表現は、少々分かりにくい。でも、それが其方だとも思う。
……其方が私になかなか心を見せてくれないと感じるのは、単に私の手落ちだな。もっとあの手この手で其方をその気にさせねばということだ」
「………こ、これ以上ですか?」
メイシーは赤面し、驚き、おののいた。
「メイシーが私に夢中なのだと、もっと実感したい。私は其方に愛されたいのだ。其方の愛を得るためなら、何をしてもいいと思っている」
「そ、そんな……」
殿下は優しい手つきでメイシーの髪を撫でて指に絡めた。
そして、風の魔術でそよ風を起こして、メイシーの長い髪をふわりと靡かせた。
メイシーは、殿下の言葉や耳元に触れる優しい手つきにドキドキと胸が高鳴り、不意に、口づけの後に殿下が切なげにメイシーに囁く場面を思い出し、ドキンと胸が締め付けられるような気持ちになった。
(な、なにこれ。は、恥ずかしい……)
目の前のこの素敵な男性に、自分の知らない感情を植え付けられて、ゆっくりとほころばされる感覚に、メイシーは、恥ずかしくてたまらない気持ちになった。
「メイシー?」
殿下はメイシーが黙り込んでしまったのを、心配そうに見つめた。
メイシーは、ぎゅっと自分の手を握りしめて、口を開いた。
「あ、あの、殿下が不安になることは、何もないかと。だって現に……こ…、こうして一緒に居るではないですか。
私にとっては、そ、その……。これも、立派な感情表現、なのですが」
メイシーは、真っ赤な顔で、必死にそう言った。
そして、先程の自分の妙な思考を断ち切るように、深呼吸をして心を落ち着けた。
(殿下の不安を撲滅するのよ。未知の重要課題だし、失敗したくないと、力が入っておかしくなっている。それだけ)
メイシーはもう一つ深呼吸をして、考えた言葉を口にした。
「その…。殿下が安心できるのなら、ご要望には可能な範囲で対処します」
「ですので、その……。
い、いつでも、言ってくださいませ。
……………私、に……だけ」
(あわわわわわ……)
メイシーは自分で言ったにも関わらず、恥ずかしさで顔も耳も首も、みるみるうちに真っ赤になった。
さらに、色々とごちゃごちゃ考えたせいで、余計に殿下の顔が見られなくなり、俯いた。
「メイシー」
殿下はメイシーをぎゅっと抱きしめて、耳元で囁いた。
「嬉しい。其方も私のことを想ってくれているんだな」
メイシーは、返事をする代わりに、背中に回す腕の力を強めて、ぎゅっと抱きしめ返した。
殿下は幸せそうに微笑んで、メイシーに囁いた。
「好きだメイシー。私と結婚してほしい」
その殿下の言葉に、メイシーは、目を丸くして驚いた。
そしてしばらくして、面白くなり、つい吹き出して笑ってしまった。
「……ふふふ!」
笑ってしまうと、力が抜けて、先程の自分の変な思考がパッと消えた。
そして、殿下のことを好きだなぁと、単純にそう思えた。
「返事は?」
殿下はメイシーが楽しそうに笑う様子に安心して、返事を促した。
「……はい。しましょう」
「やった!」
殿下が嬉しそうに笑い、メイシーも、一緒になってくすくすと笑った。
しばらくそうして抱き合い、二人で笑い合ってから、メイシーは殿下を見上げてこう言った。
「私が16になるまで、お待たせしてしまいますが、よろしくお願いします」
「……仕方がないのは百も承知だが、できるだけ早く16になってくれないか?」
殿下はメイシーの手を取り、困った顔で口づけた。
メイシーは、殿下の冗談がおかしくて、くすくすと笑った。
「きっと、あっという間です」
メイシーが笑ってそう言うと、殿下はため息をついて答えた。
「……其方は私の苦労を理解していない。これからの2年と少しの間に、私がどれだけ、其方に群がる男共を退治せねばならんか。そいつらが其方に近づこうものなら、私の心労が半端ないのだ」
「本当にそんな方がおられるのでしょうか?少なくとも私は、これまで会ったことがないですが」
(はっ…。ヨゼフ様はカウントに入るのかな。でももう今はラグナーラお姉様のお相手だし……やっぱりノーカウントよね)
メイシーは、うんうんと納得して頷き、殿下に答えた。
「大丈夫です。今、私のことを異性として見てくださるのは、殿下だけです!」
メイシーの元気な答えに、殿下は苦笑いをして、頭に手を当てた。
「私の苦労は、当分続きそうだ」