第四十七話 歪められた記憶と黒幕の影
その頃――。
ヨリは郊外への出張を控えた外出先で、予定されていた打ち合わせを終えたところだった。
チェ秘書とともにビルを出て車へ乗り込もうとしたその時、チェ秘書のスマートフォンが静かな電子音を響かせた。
画面に表示された発信元を確認したチェ秘書の表情が、わずかに硬くなる。
「お疲れ様です、カン室長……少々お待ちください」
チェ秘書はヨリへと素早く視線を向けた。
「代表……カン室長よりお電話です。お急ぎの要件のようですが」
ヨリは即座に答えた。
「替わるわ」
チェ秘書から端末を受け取り、耳にあてる。
「はい、パクです」
電話の向こうから、カン室長の低い声が聞こえた。
『代表……急ぎのご報告がございます』
いつも冷静沈着で、感情を交えずに職務を遂行するカン室長。
だが、今のその声には――隠しきれない明らかな緊張が滲んでいた。
ヨリの表情が変わる。
「……どうしました?」
『はい……17年前の海難事故についてですが……』
カン室長が一度、重く言葉を区切った。
『やはり……裏で糸を引いていた人物がおります』
ヨリの足が、ぴたりと止まった。
「……続けて」
カン室長は慎重に、しかし一刻を争うように報告を重ねる。
『当時、退職した船長以下、船員たちの再就職先を裏で斡旋していた者がいる形跡が確認されました。また、彼らが多額の金銭を受け取っていた事実が、ある人物の個人口座記録から判明いたしました』
ヨリの胸が、激しくドクンと打ち打つ。
「その人物は……誰?」
一瞬の沈黙。
電話の向こうから、重苦しい名前が告げられた。
『……カン・ドヒョン副社長です』
その名を聞いた瞬間。
ヨリは息を呑み、言葉を失った。
(叔父様……)
分かっていた。
心のどこかでは、ずっと疑っていたのだ。
17年前のあの悲惨な事故。
幼い記憶の中に残る、黒いスーツの男たち。
船長や船員たちの不自然すぎる退職。
そして大人になり、ソンファに戻ってから自分の周囲で頻発してきた数々の事故や嫌がらせ。
それらすべての点と点を繋ぎ合わせれば、叔父であるドヒョンの存在に辿り着く可能性は十分にあった。
それなのに――。
いざ真実としてその名前を突きつけられた瞬間、ヨリの胸を想像を絶する激痛と衝撃が襲った。
自分の肉親である叔父が――。
自分を幼少期から支えるフリをしてきた男が、実の両親を殺した。
そして――自分自身をも殺そうとしていたのだ。
頭では理解していたはずなのに。
心はまだ、その残酷すぎる事実を受け入れる準備ができていなかった。
ヨリは唇を噛み締め、何も言えずに立ち尽くす。
電話の向こうで、カン室長が静かに言葉を続けた。
『それから……最近、代表の身に起きた一連の事故や危険についても……』
ヨリはゆっくりと顔を上げた。
「……」
『副社長が裏社会の人間に直接依頼し、実行させていたことを突き止めました』
ヨリの瞳が揺れる。
あの恐ろしい鉄骨の崩落事故。
刺客による突然の襲撃。
そして……これまで自分の命を脅かしてきた数々の出来事。
そのすべてが、ドヒョンという一つの邪悪な存在のもとで、一本の線となって繋がっていく。
ヨリはそっと目を閉じ、小さく息を吐いた。
そして、再び目を開く。
そこに宿っていたのは――迷いを断ち切った、ソンファ代表としての冷徹で強い眼差しだった。
「……事は、重大な局面を迎えていますね」
その声に、もう震えはなかった。
「こちらの動きを副社長に悟られぬよう……会長と密に連携して対処します」
『承知いたしました』
電話を切ったヨリは、スマートフォンの画面を見つめたまま、しばらく動かなかった。
隣に立つチェ秘書は、多くを尋ねることなく、ただ静かに寄り添うようにヨリを見つめている。
やがてヨリは、深く、小さく息を吐き出した。
17年前――。
まだ幼かった自分が何も知らなかった場所で、すでに動き始めていた恐ろしい悪意の計画。
温かな両親を奪われた、あの日。
大切なソヨンを失った、あの日。
笑い合える現代へと続く、あの大切な運命の糸が危うく断ち切られそうになった、あの絶望の日。
そのすべての惨劇の背後にいた悪魔が――。
信じていたはずの叔父だった。
現実の残酷さに、胸はまだ悲鳴を上げている。
けれど――。
(もう、逃げることはできない……!)
ここから始まるのは、17年前のあの日から続いていた真実との、命を懸けた対峙だった。




