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近頃は物騒なので番犬を飼います(書籍版は「わたしの番犬は過保護です。」に改題:2025.12.10発売予定)  作者: 五十鈴 りく


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33◇Lucia

 ルーシャはブラッドと手を繋いでから、自分の手が特別なもののように思えた。

 向こうがどう感じているのかは知らない。ブラッドは表情から考えが読み取りにくいから。


 どうしたらブラッドはルーシャといてくれるだろう。

 そればかり考えてしまう。


 仕事中に体調が優れなかったり、ルーシャの様子がおかしいと気づいて声をかけてくるのは、いつだってレーンだった。


「どうしたの、ルーシャ?」


 昼食を入れてきたバスケットの蓋を開ける途中でぼうっとしていた。

 レーンに声をかけられてハッとする。ナタリーは一度レーンに目を向け、それからそっと微笑んだ。


「わたし、お茶を淹れてくるね」


 気を利かせてくれたのか、ナタリーは部屋を立ち去る。レーンは扉の方からテーブルに歩み寄り、それからルーシャの前に座って脚を組んだ。白と黒が入り乱れた、相変わらずふざけた髪だが、目が優しい。

 だから、ルーシャはどうしていいかわからなかった。


「……店長、ブラッドとの契約なんですけど」

「ええ、期限が近いわね」


 改めてそれを言われると、胸が詰まる。


「最初はあんなに嫌だと思ったのに、いざ終わるとなるとやっぱり寂しいものですね。生き物には情が移るんですよ」


 なるべく軽く言おうとしたのに、失敗した。涙が浮いてしまう。


「懐くと可愛いって言ったでしょ?」


 レーンはにこりと笑う。すべてお見通しの憎らしい笑顔だった。


「おばあちゃんもいなくて、ブラッドもいなくて、私は……」


 こんな弱音を吐こうと思ったわけではないのに、口を突いて出てしまった。

 すると、レーンは小さく息をつく。


「今は何も考えないことね」

「え?」

「あたしが言う意味が今はわからないでしょう。でも、いずれわかるから」


 ルーシャが戸惑いを見せると、レーンはウィンクした。何やらはぐらかされたような気分だった。

 それでも、レーンがそういうのなら何か意味があることなのだろう。


「わかりました。先の心配よりも今を大事にします」

「そうして頂戴」


 そこでナタリーが戻ってきたので、話は終わった。ナタリーは、さっきよりもほんの少しルーシャが立ち直ったように見えたのか、どこかほっとした様子だった。



     ◆



 ルーシャはこの日、心を込めて夕食を作った。

 ブラッドに手料理を食べてもらえる日がもうそれほど多くないのだと思えたから。


「さ、座って」


 テーブルの上に広げた料理だけでもブラッドは嬉しそうにしていてくれたけれど、ルーシャはカリカリに焼いたチーズと一緒にとっておきのものを出したのだ。


「はい、これ!」


 赤ワインのボトルをテーブルの上に置き、グラスをふたつ並べる。


「これね、頂きものなんだけど、おばあちゃんと私だけだと一本も空けられないし、ずっと寝かせてあったの。いいお酒なんだよ?」

「……なんで急に?」


 今までアルコール類を出したことは一度もない。ブラッドはどうしたのかと驚いているふうだった。


「私を一人で置いておけないからって酒場にも行ってないでしょ? 本当は飲みたいんじゃないかなって思ったの」


 ブラッドはワインの瓶をじっと見つめ、かぶりを振った。


「いや、やめとく」

「なんで? お酒嫌いだった?」


 喜んでほしくて出したのに、嫌いだったのだろうか。

 ルーシャが軽く焦っていると、ブラッドはワインの瓶から視線をルーシャに移した。


「嫌いじゃないけど、いい」

「嫌いじゃないなら飲んでいいよ?」


 ブラッドの中では、この時ですら仕事中なのかもしれない。けれど、家の中にいてまでなんの危険があるというのだろう。

 ルーシャが不思議に思って戸惑っていると、ブラッドはどこか怒ったような顔をした。


「二人きりでいて、男に酒を勧めたらどうなると思う?」

「どうって?」


 まるでわかっていないルーシャに、ブラッドは目を細めてため息をついた。


「理性が飛ぶぞ」

「へっ」


 ちょっとアルコールを摂取しただけで飛ぶような理性の持ち主には思えないのに、ブラッドはそんなことを言う。

 誘っていると受け取られたのかとルーシャは赤面したものの、ブラッドは呆れているだけだった。どうせ考えなしの行動だろうとしか思っていない。


 なんとなく、そのリアクションに腹が立ったのと、迫りくる時間がルーシャの背中を押したのと、後はよくわからない。


「……ちょっとくらいなら飲んでもいいよ」


 消え入りそうなほど小さな声でこれを言った時、自分がどんな表情をしているのかがわからなかった。ブラッドはただ、驚いて目を見張っていた。


 急に椅子を引き、立ち上がる。

 悪ふざけが過ぎると不愉快にさせてしまったのかと不安になった。それでも、ブラッドは部屋を出ていこうとしたのではなかった。

 立ち上がってテーブルを回り込み、そばに来てルーシャの頬に触れた。


 触れたというよりも、両手で顔をつかまれたと言った方が正しい。見つめ合った時間はほぼなく、熱い唇が上から被さり、ルーシャが驚いて上げかけた声を遮った。


 乱暴なような、それでいて優しいような――よくわからなかったのはルーシャが緊張しすぎていたからだ。

 本当は短い、触れ合うだけのキスなのに、相手が好きな人だとすごいことに思えた。


「お、お酒、飲んでないのに……」


 多分、今のルーシャはトマトより赤い顔をしている。こんな時、どうしていいのかわからなかった。


 それでもブラッドは手を下ろさず、顔を背けさせてくれなかった。眉根をキュッと寄せて、不機嫌そうにしているのは照れ隠しだと思いたい。


「飲んでないからこの程度で済んでるんだろ」


 そう言って、ルーシャを抱き締めた。息が詰まるほど強い。

 苦しいのに、嫌ではなかった。


 ブラッドが力を込めすぎたと気づいて腕をゆるめてくれた時、今度はルーシャの方からブラッドに抱きついた。


「私、ブラッドのことが好き」


 思いきって言った。ブラッドのこの行動がルーシャをからかっているのでなければいい。

 そういう人ではないと思うからこそ好きになったのだ。

 契約が終わってこの家を出ていくとしても、いずれまたルーシャに会いに来てくれると思いたい。


 ルーシャの発言に、ブラッドは驚いたかもしれない。顔を見なくて済むように、ブラッドの胸に顔を埋める。

 そうしていたら、髪を撫でられた。


「……あのさ、これ以上は契約違反になるんだよな」

「え?」

「ルーシャに手を出すなって釘を刺されてる」

「あ、あぁ」


 レーンがブラッドを雇う時にそう言って誓約書にサインでもさせたのだろうか。あり得る。

 でも、とつぶやいてブラッドは再びルーシャを抱きしめ、耳元でささやいた。


「全部終わったら返事は絶対にするから」


 言葉にされなくても、気持ちが伝わったような気がした。

 それはルーシャの恋愛経験が少ないから、勝手に都合よく解釈しているだけのことだろうか。

 ――そんなふうに考えるのは止そう。


「うん、待ってる」


 切ないような気持ちになって、それを押し込めながら答えた。


 それから、さっきよりもずっと長くキスを繰り返した。

 料理がすっかり冷めてしまったけれど、仕方がない。


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