30◆Bradley
最初にミリアムが失踪したのは、二年前だった。
『――ミリアムが?』
誰かに攫われたのかと、ブラッドは必死でミリアムを捜した。この話をされた時、ミリアムの両親がブラッドと目を合わせてくれなかったことだけは覚えている。
当の本人は三日もするとケロッとして帰ってきた。
どこに行っていたのかと訊ねたら、ミリアムはあっさり答えた。
『ハーヴィと一緒だったの。でも、彼ったら意気地がなくて駄目ね。やっぱり、わたしにはブラッドが一番みたい』
にこりと必殺技とも言える笑顔を浮かべていた。
いつでも、ミリアムはそうだった。
惚れっぽくて、すぐに別の男を好きになって、そのくせ冷めやすい。そして、その相手に飽きると幼馴染のブラッドのところへ戻ってくる。
『わたしを理解してくれるのはブラッドだけね』
笑ってそれを言う。そのたびにブラッドは受け入れていた。
ミリアムはこうしてブラッドを試しているのかと思った。本当に好きなら、ミリアムが何をしても許せるはずだとばかりに。
だから、結局のところミリアムは最後にブラッドのところに戻ってくると考えるようになった。ミリアムが駆け落ち紛いのことをするたび、ああ、またかと思うだけだった。ただ自分は待つだけだと。
それが異常だと、この時になってようやく気づいた。何故今まで疑問を持たなかったのかすらわからない。
「ルーシャ、待てって!」
ブラッドの声を振りきり、背中を向けて逃げるように駆け出したルーシャ。腕を絡みつけて重りのように抱きついているミリアム。
ミリアムはブラッドの耳元でクスクスと笑っていた。
「これって、わたしへの当てつけのつもりだったの? わたしに妬いてほしかった? ブラッドもそういうこと考えるのね」
何を言っているのだろう、ミリアムは。頭がズキズキと痛んだ。
そういえば、あの手紙も結局読んでない。手紙のことなんてすっかり忘れていた。それくらい、今のブラッドを占めるのはルーシャのことばかりで、ミリアムに空けておくところがなくなっていた。
それなのに、ミリアムは追い打ちをかけるように楽しげに言った。
「あんな見るからに普通の子に妬いたりしないけど、ブラッドの努力は認めてあげる。わたし――」
「うるさい」
腹の底から低い声を出した。途端にミリアムがビクッと体を震わせた。
ブラッドはミリアムの腕をつかんで解き、にこりともせずに言い放つ。
「俺は今、お前が言うところの〈見るからに普通の子〉が好きで、多分これからもずっと忘れられないんだ。だから、お前は自力で帰れ。じゃあな」
ミリアムは愕然としていた。
それはそうだろう。ブラッドはこれまでミリアムに冷たく接したことなどなかったのだから。
他の男と駆け落ちしようと迎え入れられた。
その時点で気づくべきだった。その感情は違う、と。
もしルーシャが他の男を選んで駆け落ちしたら、何も手につかないくらい荒れる。平然と日常生活を送ったりできるわけがない。他のことなんて一切考えられなくなって、死に物狂いで捜し続けて連れ戻す。
そうならなかったのは、ブラッドにとってミリアムが幼馴染以上の存在ではなかったからだ。ずっと身近にいたから麻痺していた。
心配しつつも嫉妬心が湧かない――それは友人や兄妹に向ける感情だ。愛しく思っていたなら少しも平気ではない。
ルーシャを追って駆け出したブラッドに、ミリアムが金切り声を上げていたけれど、子供の癇癪にしか聞こえなかった。
ルーシャには、ミリアムにこき下ろされるところなんてひとつもない。ブラッドにとっては初めての特別な存在だ。
ブラッドが本気で走れば、ルーシャに追いつくのはすぐだった。
この状況で一人になんてできない。ほんの少しでも離れていてはいけないのだ。
「ルーシャ!」
大声で呼びかけた。けれど、ルーシャは振り返られなかった。通りすがりのなんの関係もない人々だけが振り返る。
だからブラッドはルーシャの手首を捕まえた。
「一人で離れるな!」
この時、ルーシャはまだ振り向こうとしなかった。ブラッドの手から逃れようとしているようにも感じられた。
何も答えない。顔を見せようとしない。
古風で固いルーシャは、道端で女と抱きつくようなヤツとは他人の振りを決め込みたいのだろうか。
「平気だって、言ったじゃない」
ボソッと声がした。
平気だと思うのは、自分が狙われる理由を知らないからで、何も平気ではない。
言い返そうとした時、地面にぱた、と雫が落ちた。空は晴れている。
「……平気、の意味がわからない」
ブラッドはルーシャの手首を握る手にほんの少し力を加えた。
ルーシャに自分の跡をつけてやりたいような気分だった。
「買い物に行くんだろ?」
でき得る限りの柔らかい声を出した。そうしたら、ルーシャの手から力が抜けて、ルーシャはこっくりとうなずいた。
できるなら、抱きしめたいと思った。
なんで泣くのかと問い詰めたら、多分もう後には引けない。




