25◇Lucia
――すごい力で驚いた。
ルーシャは身長もあるし、軽い方ではないと思う。それをブラッドはあっさりと抱え上げた。
落ちる瞬間を見ていなかったから、頭を打ったと思ったらしい。あちこち打ったけれど、動けないことはなかったのに。
ブラッドがあまりにも真剣に心配してくれるから戸惑ってしまった。
起き上がろうとしただけで怒られたくらいだ。ルーシャ自身は丈夫なつもりでも、ブラッドはそう思わないらしい。
ルーシャが派手な音を立てて落ちたから、ブラッドも少しパニックになっていたのかもしれない。
ベッドの上のこの状況は――ここに人が入ってきたら間違いなく誤解される。それに気づいていないのなら、冷静ではない。
ブラッドの指が痛いくらいルーシャの肩に食い込んだ。
心臓が破れそうなくらい鳴っているけれど、肩からでは伝わらないだろうか。
こんなに心配してくれていても、ブラッドは別の人が好きで、ルーシャとは精々が友人止まりだ。この状況でさえ、なんにも危なくはない。
それなのに、一人で意識してしまう。どうして、と自分に問いたくなる。
今日、ブラッドにジャックの話をしようと思ったけれど、できなかった。
あの時、聞こえていなかったのだろうか。もしジャックの告白を聞いていたのなら、知らない振りをするのはどうしてだろう。
興味がないからだ。
ルーシャが誰を選ぼうと、ブラッドには関係がない。
よかったな、とかそういうセリフを聞きたくなくて、言えない。
こういう気持ちを多分、恋と呼ぶ。
やっとブラッドがルーシャの肩から手を放し、体をずらした。ほっとした半面、言いようのない切なさのようなものが込み上げてくる。
「ごめんねぇ。もっと気をつけるから」
やっとそれだけ言うと、ブラッドは、ん、と短く返事をした。こちらを向かずに。
「あのね、今日――」
どうして今日、階段から落ちるほど気もそぞろになっていたのか、その辺りを少しだけ話そうとした。
あの公園に出没した黒尽くめの魔術師がジャックで、ストーカーだと思っていたのもジャックで、悪意はなかったのだということだけでも言っておこうと。
けれど、ブラッドはちらりとルーシャに目を向けただけでため息をついた。
「話は明日聞く。今日は休もう」
それは、ルーシャがここにいると休めないということか。確かにベッドを取る形にはなっているけれど、ここに乗せたのはブラッドだろうに。
なんてことを言っても仕方がない。ブラッドはルーシャを気遣って言ってくれているのだと思うことにした。
「……うん、わかった。おやすみ」
寂しい気持ちでブラッドの部屋を後にした。
二階の部屋のベッドに潜ると、ぼんやり考える。
ストーカーと目されていたのがジャックなら、ルーシャの脅威はなくなったのだ。それなら、レーンはブラッドとの契約を更新しないだろう。中断する可能性もある。
近いうちにブラッドが行ってしまうとなると、ルーシャはどうしようもなく寂しかった。
一人暮らしに戻って、また毎日泣いてしまうかもしれない。
そうしたら、本当に犬を飼おう。ルーシャとずっと一緒にいてくれる、ルーシャを一番に好きでいてくれる犬を。
◆
「――って、ジャックさんが言ってたの」
告白の話は飛ばし、黒尽くめの魔術師がジャックだったということを朝食の席でブラッドに話した。
ブラッドはスープでむせていた。驚いたのも仕方がない。
「ねえ、これって危険はなくなった――というより、もとからなかったってことよね。大騒ぎしてちょっと恥ずかしいんだけど」
アハハ、と軽く笑っておいた。けれど、ブラッドは笑わなかった。
「危険はなくなったどころか、はっきり危険があるってわかっただけだろ」
「え? なんで?」
「あいつに腕力はないかもしれないが、女よりはある。というより、魔術を使えるなら何をするかわからない」
「ブラッド、ジャックさんのこと嫌いなの?」
思わずそう問いたくなるくらい手厳しかった。ブラッドは一瞬怯んだが、厳しい顔に逆戻りした。
「得体が知れないことに変わりないからな」
「おばあちゃんの知り合いなのに」
「そうやってすぐ信じ込むな」
怒られた。けれど、嫌な気分にはならなかった。
ブラッドに心配してもらえて嬉しいだけかもしれない。
「……ブラッドは、契約期間中はここにいるの? ストーカーの正体がはっきりしても?」
恐る恐る訊いた。そうしたら、ブラッドは少し動きを止め、それから微かにうなずいた。
「契約だからいる。ルーシャは警戒心が薄いから心配なんだ」
この時のブラッドは、じっとまっすぐにルーシャを見ていた。綺麗な目だな、となんとなく思う。
「うん、ありがとう」
優しい。
この優しさが契約に基づいてのことだとしても、今のルーシャには必要なものだった。
ブラッドと過ごす日々はあとどれくらいだろうか。数えることはしたくなかった。




